第十五話 九階層
九階層を探索する俺達の空気はどこか重い。それは皆、今日でシグムンドさんと別れるというのがわかっているからだろう。
テオドラさん達の予定通りに事が進めば、今日で迷宮活性化も終わるはずだ。そうなればシグムンドさんとパーティを組むこともなくなる……。寂しい……というのが俺の本心だったし、表情を見ればエリナもシビルも同じように思っているのは明白だった。
シグムンドさんは、頼れる兄貴分といった感じだった。……あっ、ソールさんは頼れない兄貴分って感じだな。もちろんソールさんも高ランク探索者だったわけだし、いざというときに頼りになるはずだ。だが娼館に行ってステラさんに怒られているイメージが強く、あまり頼りになるという気がしないのだからしかたがない。
それはともかく、シグムンドさんは厳しくも優しく俺達の成長を導いてくれた。このままずっと同じパーティでやっていければいい……。もちろんそれが俺のわがままなのはわかっている。俺達の都合でしかないのだから。俺達に合わせていたらシグムンドさんは先へは進めない。
「今日でお前達とパーティを組むのは終わりだな」
あえて避けていたのだが、シグムンドさんはごく自然にそう言う。その言葉にシビルが泣き出しそうになっていた。一番懐いていたのはシビルだったからな……。
「そんなこと言わないでくださいよ……。ちゃんと正式に……これからもパーティ組みましょうよ……」
それは俺達皆の気持ちを代弁していた。こういうシビルの思った事を素直に口に出せる所は、羨ましいし尊敬もする。
「お前達がランク2になったら考えてやるよ」
笑いながらシグムンドさんはシビルの頭に手を置き軽く撫でた。そのシグムンドさんの笑みには寂しさが見えた気がした。それは俺の願望が見せたものなのかもしれない。だがそれくらいには親しくなれたはずだ。
「……それに、何も今日で二度と会えないってわけでもないだろう? 街中やギルドで会うこともあるさ」
「はい……」
泣き出すかと思ったが結局シビルは泣かなかった。ダンジョン探索中だ。その程度の分別はある。
「……わかりました。すぐにランク2になりますので、そのお言葉覚えておいてくださいね」
エリナは先程までの落ち込んだ表情はどこへやら、やたらとやる気を見せている。
「楽しみにしているよ」
その言葉に、嬉しそうなシグムンドさん。
「そろそろ戦闘の準備をしよう。このすぐ先だ」
シグムンドさんは緩んだ顔を引き締める。魔物はすぐに見えた。通路の途中に二体。あれか……。九階層の魔物グール。姿形はゾンビとあまりかわらないが、ゾンビよりも素早く力も強いということだった。
初めての魔物だ。まずは全力で行く事にした。壁を作りシビルの魔法を待つ。すぐにグール二体から炎が上がった。イグニッションは単体攻撃魔法だったはずだが……。グールはすぐに燃え尽きた。俺達がすることと言えば、死体から魔石を取ることだけ……。
その先の通路にもグールはいた。シビルの魔法を封印した状態で戦ってみたもののあっさりとしたものだった。闘気術を使う必要がないのはもちろん、浄化スキルすら必要とはしない。まあ、死肉から魔石を抉り出すのは嫌だったから使ったが……。
何度も二十一階層のデスナイトと戦ってきた。九階層の魔物が俺達の相手にならないのは当然だった。これならランク2もすぐかもしれないな……。
部屋にいた魔物は、これまでに見たこともないほどの巨大な魔物だった。一体しかいないが、それだけで部屋はいっぱいだった。
「トロールだ。下層にはこういった巨大な魔物も多い。今のうちから慣れておいたほうがいいな」
トロール。十五階層の魔物。人をそのまま大きくしたような外見だ。身長は四メートル程度。その体には贅肉が付き、巨漢という言葉がぴったりだ。服などはいっさい身につけていないが、その垂れ下がった腹で股間は隠れていた。よかった……。手には俺よりも大きな棍棒。直撃すればひとたまりもなさそうだ。
「全力でもいいが……。そうだなシビルはさっきグールに使った程度の魔法でいい。レックスとエリナはすぐに突っ込め」
その言葉に頷き、シビルの詠唱を聞きながら部屋へと走りこむ。俺達に気がついたトロールはすぐさま棍棒を振り下ろしてきた。横に飛び棍棒を躱す。どん! という巨大な音と共に土埃が俟った。すごい威力だ。
それにしても……あれほどの衝撃だったというのに、ダンジョンの床に傷はない。ダンジョンの壁や床は、俺の剣やシビルの魔法ですら傷つかないのだ。なにがあっても崩れそうにはないし、潜っているこちらとしてはありがたいが……。どうなっているのだろう?
シビルの魔法が発動し、トロールの顔面を燃やす。グールはそれだけで燃え尽きたが、十五階層の魔物ということもあり簡単に燃え尽きたりはしなかった。だが、その炎はトロールを深く傷つけた。炎はすぐに消えたが、顔面はひどく焼け爛れている。その傷みにか、トロールはむやみやたらに棍棒を振り回し始めた。発狂といった感じだ。
躱すのは容易い。先程よりも棍棒の振りは速くなっていたが、それでもデスナイトなどと比べればどうということはない。ないが、躱しながら近づき攻撃を加えるとなると厄介だ。トロールのリーチは長く懐にはいるまでには時間がかかる。腕を斬りおとすか……?
唐突にエリナが足を止めた。エリナも問題なく避けていたはずだが……。トロールの棍棒が襲う。エリナが盾を構えた。
そうか! 闘気を集める。
エリナの盾とトロールの棍棒が激しくぶつかった。通常ならば耐え切れずエリナは吹っ飛ばされたはずだ。だがエリナは盾を構えたまま、その場に留まっている。エリナの盾はトロールの棍棒を止めていた。
よし! 闘気で足を纏い、トロールへと向かう。距離は一瞬で縮まった。トロールの手前で床を蹴り高く飛び上がる。やはり闘気術というのはすごい。一瞬でトロールの顔付近へと到達する。トロールの首へと剣を横薙ぎに。俺の剣はそのままトロールの首を切断していく。途中で少し抵抗を感じた。首の骨だろう。この巨体を支えている骨だ。それは大きく太い。俺もまだまだ……。抵抗を抜け俺の剣はトロールの首から飛び出す。その勢いにトロールの頭が飛んだ。
自由落下が始まった。と同時にトロールの体が傾いていく。もうすでに気配はない。
俺の足が地面に着く方が速かった。堪えきれず膝を突く。そのすぐ後にずしんという音が響き、トロールの体が仰向けに倒れこんだ。うわぁ……。倒れこんだ衝撃に垂れていた腹が捲れ上がり、隠れていた股間が顕わになっていた……。見たくなかった……。トロールから目を離し、すぐ近くのエリナを見る。顔を動かすだけで一苦労といた感じだ。エリナも膝を突き盾を支えになんとか倒れこまずにいた。トロールの棍棒を受け止めたからではない。俺と同じ闘気術の反動の為だ。
シビルとシグムンドさんの気配が近づいてくる。なんとか顔をあげシグムンドさんを見上げる。
「悪くはないが、俺もいる。もう少し無理をしてもよかったな」
闘気術に頼ったことか……。
「今のお前達なら闘気を使わずとも倒せたはずだ。たかだか十五階層の魔物。その大きさ、迫力に圧されたな。次、トロールが出ても闘気術は使うなよ。シビル、トロールの目玉を採取しておいてくれ」
そう言ってシグムンドさんは俺とエリナをそれぞれ肩に担いだ。エリナは金属鎧だ。俺も身軽な装備とはいえ、六十キロはあるだろう。その俺達を軽がると抱え部屋の外へと歩き出す。
「うぇええ……」
背後でシビルの呻き声が聞こえた。




