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第十九話 バシュラード

 今日のダンジョン探索は中止だ。ギルドの階段を駆け上がり資料室へと駆け込む。アランさんとシビルさんが驚いた顔をしているのが目に入った。


「レックスさんそんなに慌ててどうされたんですか?」


 俺は慌てているのだろうか?


「すいませんアランさん。エリナが急に街を離れられたようで、アランさんは何か知らないかと思いまして」


「いえ、それほど親しいというわけでもありませんでしたし……」


「シビルさんは知りませんか?」


 シビルさんとエリナはずいぶんと仲が良さそうに見えた。なにか……。


「いいえ。私も何も聞いていないです……」


「そうですか」


 後はトマスさんの所か……。


「トマスさんなら何か知っておられるかもしれませんよ。あの方がこの街で知らない事はないんじゃないですかね」


 トマスさん怖い。普通の商人じゃないのか。アランさんにお礼を言ってトマスさんのいるであろう本店へと向かう。


 街を全速力で走る俺に、何事かと多くの視線が集まる。しかし今はそんな事を気にしている場合じゃない。そんな場合じゃないのだろうか?


 俺はなぜこんなにも必死になっているのだろう。全速力で走っていると、すぐにトマスさんの本店に着いた。扉を開け店へと入る。


「トマスさんはおられますか?」


 大声で叫ぶ俺に視線が集まる。


「トマスさんは……」


 再び声を上げようとしたところで、俺の肩に手がかかった。その直後、関節をきめられ床へと叩きつけられる。その衝撃に肺から空気が押し出され、息が苦しい。気配は感じられていた。それなのに……。


 店の客だろうか。女性の騒ぎ立てる声が聞こえる。


「レックス様いったい何事です?」


 なんとか顔を上げると、そこには顔見知りの従業員が立っていた。


「すいません……。ですが……緊急の用が……ありまして……。トマスさんに……お取次ぎ……願いたい」


 上から背中を押さえつけられ声を出すのも苦しい。


「離して上げてください」


 別の声が聞こえた。声の聞こえた方に顔を向ける。そこにいたのはトマスさんだった。そのトマスさんの言葉にやっと俺の上から圧力が消えた。


 なんとか立ち上がる。俺を押さえつけていたのは屈強な男だった。店の用心棒か何かだろう。


「お騒がせして申し訳ありません。ですが!」


「私の邸宅のほうへ。話はそちらでお伺いしましょう」


 トマスさんが店の奥へと歩いていく。用心棒と従業員に頭を下げトマスさんを追う。



「何事かと思いましたよ」


 歩きながらトマスさんが話しかけてくる。


「すいません。動揺しているようで……」


「エリナさんの事ですか?」


 その言葉に足が止まる。


「どうしてわかったのですか?」


「ここで話せるような事ではありませんので……続きは後にしましょう」



 案内されたのは応接室だった。以前、指輪の件で通された部屋だ。


「ここなら誰にも聞かれる心配はありませんので」


 部屋を見渡す。革のソファが置かれ、後はシックなテーブル。壁は多くの書籍が詰め込まれた本棚で埋まっている。窓が一つ。豪華ではあるものの、これといって変わったところは見られない。


「部屋には防音のエンチャントがかけられているのですよ。中の音は外に漏れないようになっています。商人にはどうしても必要な物ですからね」


 そんなものがあるのか。


「あの娼館の部屋にもかけられていますよ」


 なるほど。通りで隣の部屋の声など聞こえなかったわけか。俺の声も外に漏れていないようで安心だ。つい声が……いや……今はそんな場合じゃない。


 トマスさんを見ると穏やかな笑顔だった。わざと娼館の話題を出したか。少し冷静になれた。


「本当にすいませんでした。それでエリナのことですが……」


「おや? 呼び捨てですか。ずいぶんと親しくなられたようですね」


「パーティメンバーですから。いや、今はそんなことはどうでもよくて……」


「私はエリナさんの事情について、よく知りません」


 トマスさんならと思ったが……。だが、ならどうして俺がエリナの事で来たとわかったのだろうか? その上、防音の整ったこの部屋にまで案内して……。


「知りませんが、情報を纏めある程度推測はできます」


「それでいいので、お聞かせ願えないでしょうか?」


 トマスさんは困った顔をしている。


「その前にお聞きしたい事があるのですが」


「どうぞ」


 言葉短に先を促す。


「レックスさんとエリナさんがパーティを組んだというのは聞いています。ですが、まだそれほど時間も経っていない。パーティメンバーの代わりなどいくらでもいるでしょう? レックスさんがそこまで必死になる必要はないのではありませんか?」


 俺はその疑問に即座に答えることができなかった。どうして俺はこんなに必死になっているのだろう。自分の中でも答えが出ていないのだから答えられなくて当然といえば当然だ。


「それともあの噂は本当ですかな? ソールが言っていたのですがね……レックスさんとエリナさんがいい仲だと」


 やはりトマスさんにまで伝わっていたようだ。


「そういったことは……ありませんね……」


「ならばどうして? エリナさんとの付き合いはそれほど長いものでもない。そこまで必死になられなくてもいいのではないですか?」


「付き合いの長さはそれほど関係ないと思います。トマスさんは出会って短い俺にもよくしてくださいました。トマスさんが困られているなら、俺は同じように必死になって自分にできる事をすると思います」


「それはレックスさんが私に借りがあると思っているからでは? 私は貸しなどとは思っていませんが、貴方はそう思っているはずです」


 確かにそういった事情もある。否定は出来ない。


「エリナさんの事情は実に複雑です。知ったところでレックスさんに出来ることは少ない。少ないどころか、ないかもしれません」


「それでも……」


「どうしてでしょう?」


 ……。


 沈黙が場を支配する。トマスさんはじっくりとただ黙って俺を見つめている。


 …………。


「……たぶん機会を奪われたくないんだと思います」


「機会ですか……?」


「ええ。エリナと親しくなる機会です。一緒に迷宮を降りてこれからもっと親しくなったでしょう……」


 ダンジョンに潜り、生死を共にし……。共に泣き、共に笑い……。


「パーティメンバーとして……当然の事だと思います……」


 トマスさんは俺の答えに納得はしなかった。俺ですらその答えに納得しているわけじゃない。自分の心であろうと全てがわかるなんてことは幻想だ。だが俺は必死になっている。その心の動きだけで充分だ。


「まあ……いいでしょう。エリナさんはバシュラード家の関係者のようです」


 と言われても、一切聞いた事はなかった。


「レックスさんが育った村、そしてこのガザリムが属しているのはビュラン王国ということは?」


 それについてはレックスの知識で知っていた。


「バシュラード家はビュラン王国に代々続く大貴族です。現在の宰相もバシュラード家から出ています」


 エリナはそれほどまでに有力な貴族の出身だったのか。


「近々、そのバシュラード家のご令嬢と王太子の結婚が予定されているらしいのです。そのご令嬢の名はエレアノールというらしいですね」


 エリナが結婚の為に街を離れたと……。そんなはずはない。もしそうなら、バシュラード家はいくらエリナが望んだところで探索者などにはさせないはずだ。そんな危険な事をさせるはずがない。エリナはエレアノール・バシュラードではない……。


「彼女は探索者として登録されています」


「そのことが何か?」


「彼女はそのときステータスを開示しています。家名を隠すことはできますが、名を偽ることはできません」


 なら、間違いなく彼女はエレアノールという名だ。ということは、そもそもバシュラード家の人間というところが違うのではないだろうか?


「彼女は本当にバシュラード家の……」


「間違いありません。レックスさんには以前あれこれと理由をつけて、大貴族のご令嬢ではないかと申し上げたと思います。ですが、実は初めから彼女がバシュラード家の関係者だということはわかっていました」


 確かに、エリナに指輪を売った後トマスさんから聞いた覚えがある。


「私の命に関わってくるので根拠を提示することはできませんが……彼女は間違いなくエレアノール・バシュラード嬢です」


 断言するトマスさん。嘘をいっているような顔つきではない。


「同姓同名ということは?」


「この国においてバシュラードを名乗ることが許されているのはただ一軒のみ……」


 それでは、やはり王太子と結婚する為に街を離れたということか。ならば俺にできることはない……。


「事情がわかったところで、できることはなかったでしょう?」


 トマスさんが俯く俺の顔を覗き込んだ。


「ええ……」


「それで、レックスさんはこれからどうされますか?」


 どうするのだろうか? できることは一切ない。だが心に何か引っ掛りを覚える。


「そうですね。なんとかエリナに会ってみようかと……」


 会うことで何かが変わるわけじゃない。会いたいという、これはただ俺の自己満足だ。


「以前エリナと話したときに、なぜ探索者になったのかという話になって……人生を変えたかったからだと答えました。そうしたらエリナも……同じようなものだと言って……。俺にできることはありませんが、最後にちゃんと挨拶をしてこようかと……」


 俺の言葉を聞くと、トマスさんは机に向かい何かを書き始めた。


「わかりました。エレアノールさんと会える様に手配しましょう」


 その言葉に驚いた。国の宰相を輩出するような家とも繋がりを持っているのか……。


「レックスさんが身一つで行っても会うことは難しいでしょうからね。直接知っているわけではありませんが、王都に懇意にしている人間がおりましてね。一つ貸しがあります。今手紙を書いているので、王都についたら渡してください。きっとエレアノールさんとお会いになることができますよ」


 トマスさん……! いやトマス様……!


「ただ会いたいというだけの理由なのに……俺の為にここまで……。ありがとうございます!」


 感謝してもしきれない。どうやって返せばいいのかもわからないくらいに大きい。


「これは……。そうですね。一つ貸しということにしておきましょうか。エリナさんにもそうお伝えください」


 そういってトマスさんは俺にウィンクを飛ばした。


「わかりました。必ず返させていただきます!」


「そうそう。先ほどは何もできないと言いましたが、できることはあると思いますよ。それはあちらでエレアノールさんにでも聞いてください」


 なんなんだろう? トマスさんはまだ何か知っているようだ。だが、ここで聞いても教えてはもらえないのだろう。


 手紙を受け取り邸宅を出る。まだ昼にもなっていない。ここから王都まで馬車で数日はかかるということだった。乗り合い馬車が出ているらしい。


 馬車はガザリムに来たとき以来だ。あれからまだ十四日しか経っていない。ずいぶんと長くガザリムにいた気がする。一日一日が濃厚だった。


 ただ生きているだけじゃなかった。充実した毎日を送っていた。そんなガザリムを離れる。少し寂しい気持ちになったが、行ったきり戻ってこないわけじゃない。


 日本にいた頃は住んでいた街に愛着などなかったが……。


 ガザリムに戻ってきたとき『ただいま』と、そう素直に言える筈だ。

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