第十四話 五階層
さて、今日は遂に五階層の探索だ。ギルドランク6試験の為のクエストの達成回数はすでにノルマを終えている。後は五階層を攻略するだけだ。不安だ……。
五階層は広い。忘れ物でもあれば大事だ。朝確認はしたが、念のためもう一度確認する。途中で小休止を挟む事を考え、初めて迷宮の中に食べ物を持ち込んだ。それに多めの水。後は……マップの写しを持っている事を確認し終え、五階層へと続く階段を降りる。
五階層は今までの階層と少し違った。今までの階層はどこにでもあるような石で作られていた。壁や床の造りは大きくは変わらない。だが、五階層はその素材が違う。見たこともないどす黒い赤い石で作られていたのだ。壁に近づきよく観察してみる。その赤黒い石は内部から自然と発光しているようだった。今までの様に灯りが設けられていないのはその為か。灯りはないが、その石の発光により見通しは悪くない。
不気味だ。正直言ってそう言うしかない。急に広がるダンジョン。急に変わる風景。四階層まではチュートリアルですよと言われているような気がした。この五階層を越えられないようじゃこれから先、探索者としてやっていけませんよと。
気配を探りながら、慎重に進む。初めて来たせいもあるが、昨日のように他の事を考えながら進めるような場所ではない。じわりと汗が滲む。
それほど遠くない場所に魔物の気配を感じる。それ以外に人間の気配も多い。やはり五階層は鬼門なのか、足止めを食らっている探索者が大勢いるのだろう。
この階層にはジャイアントワームの他にフルークフーデとコボルトが出る。コボルトならばもっと集団で固まっているはずだし、フル……巨大蝙蝠ならもう少し小さい。単独でいるこの大きな気配は、目的のジャイアントワームだろう。まずは見てみるか。
マップを確認しながら気配へとそろりそろりと近付く。やはり小部屋の中にいるようだ。ここまでダンジョンを探索してきて、魔物は小部屋にいることが多い事に気が付いていた。フルークフーデは通路にもよくいたが。
遠目にも小部屋の中のジャイアントワームが確認できた。でかい。ジャイアントワー……芋虫は大きかった。俺より遥かにでかい。全長二メートルはあるだろう。黒い頭に、ぶよぶよとした白い体。等間隔に並んだ茶色い斑点。その巨大芋虫は何をするでもなく、小部屋の中をずりずりと這っている。
き、きもい……。目眩が襲ってくる。気を取り直して剣を抜く。さっさと殺してしまおう。
小部屋へと向かい全速力で走っていく。近付くにつれ、細部までしっかりと見えてくる。は、吐き気が……。唾を飲み込みなんとか我慢する。巨大芋虫からなにかが飛んできた。速い! これまでのどんな攻撃よりも速い。糸だ。その糸は俺の足と地面を縛りつけた。全速力で走っていたのだ。急に足が止まり、俺は前のめりに倒れこむ。そんな俺に近付いてくる巨大芋虫。このままではやられる。本には糸を吐き出すだなんて書いていなかったぞ。あの不良品め!
……。
……。
……遅い。その速度は子供が歩くスピードよりも遅い。今のうちに足をなんとかしよう。芋虫のあまりの遅さに目を取られすぎた。靴を脱ぎ裸足になる。
芋虫の頭を目掛けて剣を振り下ろす。頭は剣を弾きかえした。傷一つ付いていない。そういえば普通の芋虫も他の部分より頭は固かった気がする。子どもの頃のおぼろげな記憶だが。
動きは遅い。側面へと回り込み腹を切り裂く。やはり胴体部はやわらかいようだ。巨大芋虫の中から白いどろどろとした液体が溢れ出す。……。
芋虫は傷など受けていないかのように、頭をこちらに向けようとしている。同じ場所に深く剣を突き入れ、傷口を広げるようにして上から下へと力を込めた。剣はあっさりと芋虫の内側を通り下から出てくる。剣には白い液体がたっぷりと付着していた。……。
同じようにして、側面に回りこみながら剣を突き立てていく。五度目の攻撃でやっと芋虫は動きを止めた。
ずいぶんと手強い敵だった。精神的な意味で。タフではあるが、強さ自体はそれほどではない。最初の糸を除けばコボルトの集団よりも弱いだろう。
それにしてもあの糸はなんとかしないとな。粘着質のただ動きを阻害するだけのものでよかった。あれがもし硬く鋭い物なら、今頃俺の足はなくなっていたはずだ。
剣を見てため息を一つ。剣を一振りし、大まかに芋虫の液体を振り払う。布を取り出し、残った付着物を綺麗に拭く。この布は帰ったら捨てよう。それがいい。
硬いものに当てた為、剣身に小さな刃こぼれが見つかった。娼館は諦めるしかないな……。
地面に残したレザーブーツを取る為、糸をナイフで切っていく。どうやら時間が経つと固まる性質のようで、ナイフに糸が絡むということはなかった。
靴を履き直し、巨大芋虫の死体を見る。傷口から白い液体があふれ地面を濡らしている。あれから頭を剥ぎ取らなければならない。巨大芋虫の頭五個。それが五階層のクエスト収集品だ。別にクエストの達成回数は満たしている。無理に剥ぎ取らなくてもいいか。
立ち去ろうとした時、腰に付けた剣が自己主張をするように大きく揺れた。金は……いるな……。踵を返し、巨大芋虫の死体と向き合う。思い切って胴体と頭を繋ぐ部分にナイフを刺していく。
無心で作業を終える。俺の中にあったのは達成感だけだ。ゴブリンやコボルトを殺すときにかすかに覚える罪悪感のようなものは、一切なかった。こう言っては生物全てを愛している博愛主義者に怒られてしまうだろうが、見た目が芋虫だからだろう。大きいとはいえ、哺乳類のように見える生物を殺すのとはやはり違う。実際は生物ではないのだが、俺から見ればそのようにしか考えられないのだからしかたがない。
それにしてもこんな大きな芋虫が成長したら、どんな巨大昆虫が生まれるのだろうか。大きなカブトムシを想像してちょっとかっこいいかなと思ってしまった。裏返しては見たくない。そこまで考えて、魔物は成長しないと本に書かれていた事を思い出した。幼虫のまま生まれ幼虫のまま死んでいく。そもそも生物ではないから命はないのだろうが。
次の巨大芋虫を探す。あんな事をあと四回はしなければいけない。憂鬱だ。マップを確認し、六階層への階段がある方向へと歩く。途中には大きな魔物の気配。間違いなく巨大芋虫だ。
剣を抜き芋虫へと向かう。糸を吐き出す芋虫。だが事前にわかっていれば、速い事は速いものの避けられぬ速度ではない。近付き先ほどのように側面に回りこみ剣を突き立てる。糸にさえ注意していれば問題はない。
途中で一度休み、広い五階層を探索していく。そのあまりの広さに、寄り道などしなくとも芋虫の頭は集まりそうだ。
六階層への階段は崩れ、通れないようになっていた。その代わりに崩れた階段のすぐ近くの壁に大きな青い宝石が埋め込まれている。辿り着いた。近付きよく見てみる。青く綺麗だ。宝石に手を触れる。すると宝石は光り出した。その光が俺を包む。あまりの眩しさに目を閉じた。
光が収まったのを確認し、目を開ける。目に入ってきたのは石造りの壁だった。五階層のような変な色の石ではない。ごくごく普通の石だ。見渡すと小さな部屋だった。しっかりとした扉が目につく。扉を少し開くと光が差し込んできた。
扉を大きく開き部屋から出る。外だ。日はすでにかなり傾いている。半日程度ダンジョン内にいたようだ。ガザリムの街が目に入る。横に目をやると毎日通っているダンジョン入り口の囲いが目に入った。ピーターさんもいる。
俺に気がつきピーターさんが駆け寄ってきた。
「五階層攻略おめでとうございます」
開口一番祝福の言葉だ。
「ありがとうございます」
「それではギルドカードを出してもらえますか」
言われた通りにギルドカードを手渡す。
「お待ちください」
そう言ってピーターさんは小屋の中へと入っていった。それにしてもこんな所にでるとは。
「お待たせしました。これでギルドにカードを提出すればランク試験を受けられますよ。あっという間にギルドランク6ですね! これほど早い人は初めてです。本当におめでとうございます」
ギルドカードを受け取る。兵士はダンジョン入り口の監視だけが仕事だと思っていたが、五階層攻略者の手続きもしているようだ。
「それにしても迷宮からいきなりこんな所に飛ばされるとは思いませんでしたよ」
「すぐにランクが上がればギルドから説明があると思いますが、隣の建物あるでしょう?」
そういって左手の、ダンジョン入り口とは逆の建物を指差した。出てきた建物と同じような、ガザリムではごくありふれた石造りの建物だ。
「六階層以降はあちらのほうから行くんですよ。同じような物があって一瞬で迷宮内へ行けます。特定の階層に限られますが」
便利なものだ。異世界万歳といったところか。ピーターさんと別れ、ギルドへと向かう。遂に俺はやった。あの五階層を突破したんだ。喜びを噛み締めながら街を歩く。もう巨大芋虫を見ることもないだろう。今日もまた夕食は豪勢に行こうかな。
ギルド窓口でギルドカードと巨大芋虫の頭ニセット分を提出する。俺はあれから芋虫を八体も殺したのだ。頭の剥ぎ取りにも慣れた。というよりは感覚がマヒしたと言ったほうが正しいかもしれない。
「もう五階層を突破されたのですね。おめでとうございます」
ステラさんが祝福してくれる。ピーターさんの祝福も嬉しかったが、やはり綺麗な女性からのほうが嬉しい。
「ランク6試験はどうされますか? 早ければ明日には準備できますが……」
「では明日でお願いします。ところで試験って何をすればいいんですか?」
何をすればいいのかわからないのは不安だった。
「ランク6の探索者と模擬戦ですね。勝たなくても立会いのギルド職員が認めれば合格となります」
「もし合格しなかった場合は……?」
「その場合再試験ができますが、一ヶ月の間は再試験の申請はできません」
一ヶ月か。結構長い。明日は絶対に勝たないとな。
「わかりました。ありがとうございます」
ギルドを出るころには、日は完全に姿を消していた。夕食は屋台でいいだろう。豪勢な食事は明日試験に受かったらでいい。早めに寝て明日に備えるとしよう。
宿に帰り、部屋で剣の手入れをしていると扉がノックされた。こんな時間に誰だろうか。
「どうぞ」
扉を開けて入ってきたのはソールさんだった。
「五階層突破したらしいじゃないか! おめでとう」
ずいぶんと情報が早い。ステラさんからだろう。これは守秘義務違反とかじゃないのだろうか? 別にソールさんならかまわないが。
「ありがとうございます」
「トマス殿と俺の見る目は確かだったわけだ。さすがにこんなに早いとは思わなかったがな」
豪快なソールさんの笑いにつられて、俺もつい笑ってしまう。
「それで何か用でもあったんですか?」
「ああ、そうだ。トマス殿がレックスのランク6昇格祝いの宴をしたいと言い出されてな」
まだ試験にも受かっていないのに気が早い。それにしてもあれか……。俺と同じように嫌がっているはずのソールさんはなぜか嬉しそうだ。
「大丈夫だ。朝まで付き合うということにはならない。宴はそうそうに切り上げてアレだ。もちろんトマス殿が全部だしてくれるから、金については心配するな」
アレか。そりゃソールさんが嬉しそうにするわけだ。しかもトマスさんのおごり。前回は奥さんにバレて大変だったはずなのに、懲りない人だな。
「わかりました。明日の夜、空けておけばいいですか」
「ああ。そうしておいてくれ。それとトマス殿がレックスが呼びたい人間がいれば呼んでくれるそうだ。せっかくの祝いの席だ。四人じゃ物足りないだろう」
ご好意にあまえさせていただこうか。幾人かの名前を挙げる。至れり尽くせりだな。ここまでしていただいて俺はトマスさんに何を返せるだろうか。あの人なら返していただかなくて結構ですよ、といいそうだが。ただより高いものはないともいうし、金が出来たら本店で買い物をしよう。
「それじゃあな。レックスなら問題ないだろうが、明日は勝てよ!」
そう言い残してソールさんは出て行った。
「もちろん勝ちますよ」
なんたって明日はアレだ。絶対に勝ちます。駄目でもきっと慰めに連れて行ってくれるのだろうが、合格して気持ちよく励みたい。俺は絶対勝つと決意を胸に……いや……慰められながらってのも中々……。




