第十三話 探索者の一日
朝、日が昇るか昇らないかといった時間に起きる。宿のベッドだ。顔を洗い、歯を磨く。そうしてすっきりしてから、ダンジョンに持っていく物を整理する。日本でなら少し忘れ物があったところで問題はないが、ここでは大事だ。なにしろ命がかかっている。といってもそれほど多くの物はない。帰るころには収集品でいっぱいだ。いくら身体能力があがり疲れを感じないといっても、重い荷物を背負い帰るのは億劫だ。できる限り行きの荷物は軽くしたい。
飲み水。布。解体用の短刀。止血剤。そして毒消しペレット十個。この世界には、ヒットポイント回復薬などはない。毒消しはあるのに。
それから剣の状態を見る。ダンジョンから帰ると欠かさず手入れはしている。小さな傷などは、自分でなんとかなるが、そろそろバッチョさんにでも見て貰った方がいいかもしれない。まだ、それほど使ったわけではないのに痛みが激しい。村長には悪いが、金が給ったら買い換えるしかない。
剣を鞘に戻し、防具を身に付けていく。初めはかなり時間がかかったが、なんとか一人でもそれほどの時間をかけずに着られるようになった。軽く動き違和感がないか確認する。問題ないようだ。これで準備は整った。荷物を持ち宿を出る。
俺と同じような探索者がちらほら見える。その探索者目当てだろうか。すでに開いている店が幾つかある。屋台では肉が焼かれ、こちらにも食欲をそそるいい匂いが漂ってくる。日本に居た頃、俺は朝食を食べない人間だった。朝食べるとどうしても腹が痛くなったからだ。しかしここではそうもいっていられない。
何の肉か確認してから屋台で焼き鳥を数本購入する。一昨日、買って食べた肉がとても美味い肉だった。何の肉かと聞いたらオークの肉だと言われた。魔物を食べるのかと慌てたが、店の主人はそりゃ食べるだろ。こいつ何を言っているんだという顔をしていた。どうやらこの世界では普通のことらしい。それ以来確認を怠らない様にしている。いくら美味くてもさすがにオークはきつい。
その後、資料室で調べたが、どうやら魔物を食べることで体内に魔素を取り込んでいるらしいことがわかった。魔素を体内に取り込む事により、身体能力の向上や疲労の回復などが見られるということだった。探索者は魔物を殺す際に魔素を吸収しているらしく、食べても食べなくても変わりはないということだった。それならば、わざわざ魔物肉を食べる必要もない。焼き鳥は香辛料が効いていて美味い。食べながらギルドへと歩いていく。
ギルドにつくと窓口にいるステラさんに挨拶をして、四階層のクエストを受ける。常時依頼なので事後報告でもいいのだが、朝から綺麗な女性とお話するのは気分がいい。まだ早いためか探索者の人数はそれほどでもない。
ステラさんに別れを告げ、階段を登り資料室へと向かう。資料室ではアランさんが出迎えてくれる。今日はすでに先客がいた。シビルさんだ。二人が俺に挨拶をくれる。軽く挨拶を返す。二人は挨拶が済むとすぐに話しに戻った。シビルさんの持っている本は昨日と同じ『基本クラス完全解体新書』だった。
二人から少し離れた場所に座り『ガザリムダンジョン一階層~十階層』を読む。今日は四階層だけのつもりだから読む必要はなかったのだが、一応五階層について確認しておきたかった。
五階層はこれまでと比べてずいぶんと広い。これまでのように端から端まで探索というわけにはいかないかもしれない。五階層の魔物はジャイアントワームというらしい。大きな芋虫だ。少し眩暈がした。俺の探索は四階層で終わりかもしれないな……。挿絵を見ただけで総毛だった。
俺は虫が嫌いだ。全ての虫だ。子供のときはカブトムシが好きだった。手で掴んだこともある。大人になってそれすら駄目になった。だが、まだカブトムシなら硬いからいい。芋虫のようなやわらかいのは最悪だ。でかい芋虫がずりずりとダンジョンを這っているところを想像してしまい、冷や汗が止まらない。五階層……俺は本当に大丈夫なんだろうか……。
とりあえず五階層のマップを書き写そう。アランさんに言うと紙と羽ペン、インクを持ってきてくれた。無料ではない。銀貨八枚だった。高い。高いが命に代えられるものではないのでおとなしく支払う。
この持って来て貰った紙と羽ペンが問題だった。紙は質が悪く、ペン先がしょっちゅう引っ掛る。羽ペンは羽ペンで、何度もインクにつけなければいけないし、筆圧の高い俺は慣れるのに苦労した。
ガラスペンでも作ってやろうか。使ったことはないが、綺麗だったのでインテリアとして部屋に飾っていた。よく見ていたので形はわかる。技術がないな。ガラス職人などもいるだろうから、形を伝えれば製作は可能ではないだろうか……。
あまりにも書き辛くて変な考えに至ってしまった。これは間違いなく黒スーツのいう『大きな事』だ。一旦落ち着こう。
思いの他、時間がかかってしまったがなんとか写し終えた。このマップは必要なくなったらシビルさんにでもあげようか。
顔を上げると部屋にはアランさんしかいなかった。シビルさんの事を聞くと三階層へ向かったと教えてくれた。二階層で苦労していたシビルさんがもう三階層か。大丈夫なのか。そう聞くと、アランさんは心配ないと言う。きっと驚かれますよ、とにやりと笑った。どういうことだろうか。
人の心配をしていてもしかたがない。ダンジョンへ向かおう。アランさんに挨拶をしてから資料室を出る。一階に戻ると多くの探索者が窓口に並んでいた。ステラさんがその対応に忙しそうにしている。お疲れ様です。
ギルドを出てダンジョンへと向かう。途中の門での対応も慣れたものだ。ギルドカードを手渡し、世間話をする。四階層を探索中だというと、兵士のおっちゃんが驚いていた。若いのにすごいなと、背中をばしばし叩かれた。ギルドカードを受け取り、死ぬなよお、という言葉を背中に聞きながらダンジョンに続く道を歩いていく。ダンジョン入り口にいたのはピーターさんだ。ここでも少し世間話をしてダンジョンへと入る。
それにしてもこの世界に来てから、短期間で随分と変わったもんだ。いろんな人と不必要な会話を交わすなど、日本に居た頃の俺なら考えられなかった。どうもと軽く会釈をして、早歩きでその場を去っていただろう。そんな俺だからこそ、異世界行きのチケットを貰ったのだ。この変化はいいのか悪いのか。黒スーツに取っては悪い事なのかもしれない。
だが環境が変わってしまったのだ。気のいい人々に、綺麗な女性。綺麗な女性。綺麗な女性。これで変わらずにいろというのは、変わる事より難しい。それほど自分の在り方に拘りがなかったのかもしれない。この環境でも変わらずに生きていられる人間がいるなら、俺は尊敬する。孤高を貫く男ってかっこいいよね。憧れはする。が俺には無理だ。
そんなことを考えながらダンジョンを探索していく。もっと探索に集中すべきなのはわかっているが、気配察知が便利すぎるのだ。どのあたりに何体どんな魔物がいるか事前にわかるのだ。最初の頃のように慎重に進む必要がない。罠などもないのはわかっている。気を引き締めるのは魔物に近づいた時だけでいい。
昨日よりも随分と短い時間で四階層へと辿り着いた。ここからはもう少し気合を入れよう。コボルトへの対処法を考えながら、進む。
多くの気配を感じる中、なるべくコボルトの数が少ない塊を選んで向かう。小部屋の中には六体のコボルト達が居た。
どうしようか。わざと小部屋の中で戦ってみるか。回りを囲まれ四方八方から攻撃を受けることになるが……。今の鮮明な気配察知があれば、充分やれる気がする。まあ、それもありだ。
だがさすがに六体は多い。囲まれるにしても、まずは一体を仕留めてからだな。
小部屋に走りこむと、コボルトに斬りつける。俺の剣はコボルトの腹を切り裂いた。まだ死んではいないが、致命傷だ。もう動けないだろう。楽にしてやる余裕はない。
走りこんだのは部屋の真ん中。以前のゴブリン戦のように背中を守るような形にはならない。コボルトは一斉に俺へと向かってくる。爪には毒がある。一撃もくらうわけにはいかない。
やはり、気配察知は便利だ。今の俺には死角がない。目を瞑っていたとしても攻撃を躱すことができるのではないだろうか。いや、さすがに怖いので実際にはやらないが。
コボルトの攻撃を躱し、躱し、躱し、反撃する。今ならどんな相手であろうと勝てるのではないか。後ろから来る爪を躱し、それに続いて来る右側のコボルトの手を切断する。魔物は痛みを感じないのか、すぐに残った手を伸ばしてくる。その手も斬り落とす。これであのコボルトは何も出来ない。残ったコボルトはいつの間にか後ろの一体のみになっていた。
振り向く前に繰り出されるコボルトの爪。幾度かの死角からの攻撃。だが気配察知によって、把握できている。何度やろうと同じことだ。全能感に支配される。
振り向くのを諦め、足を半歩動かし、爪を避……そこで何かを踏みつけた。下を見ればコボルトの死体だった。うん、そうだね。死体には気配なんてあるわけないよね。
バランスを崩し倒れていく体。足を掠める爪。スローモーションのようにゆっくりと時間が流れる。そんなゆっくりとした時間の中、体勢を崩しながらもなんとかコボルトに剣を突き立てる。
休む間もなく袋を漁り、毒消しを飲む。苦い。初めて飲むがこんなに苦いとは。毒消しというがこれ自体が毒ではないかと思えるほどの苦さが口に広がる。慌てて水を口に含んだ。
血の滲んだ足に止血剤を塗り、布を巻き手当てをする。その間に反省会だ。
途中まではよかった。途中までは。あまりにも簡単に躱せるものだから、調子に乗りすぎた。気分が乗るのはいい。だが調子に乗ってはだめだ。動きは悪くなかったが、気配察知に頼りすぎた。回りを常に観察して注意を怠らないようにしなければ。
足の傷も深くはなく、痛みなどもほぼない。毒になったはずだが、すぐに毒消しを飲んだ為か体の不調もない。大丈夫そうだ。
コボルトの死体から爪を切り取り、次のコボルトへ向かう。
ギルドで精算を済ませ、どの店で飯を食おうかと街をぶらつく。あの後コボルトの集団と何度か戦ったが、危なげなく殺すことが出来た。これなら明日は五階層攻略に進めるだろう。
今日は多くのコボルトの爪が手に入り、クエスト三セット分にもなった。銀貨三十枚だ。少しは贅沢してもいいだろう。
他の店より店構えの少しいい店に入る。トマスさんの本店と比べればどちらも村の小屋と同じようなものだが。
席に着き、ステーキを注文する。何の肉が使われているか聞くことは欠かさない。まさかミノタ……じゃないかと疑ったが、普通に牧場で買われている牛だということだった。その牛が俺の想像している牛と一致しているかはわからないが、魔物でないならそれでいい。
出てきたのは厚切りの肉だ。ナイフを入れると肉汁が溢れた。焼き方はミディアムだ。その切ったぶ厚い肉を口へと放り込む。香りの強い酒でフランベされている。肉の臭みが消え旨さが際立っている。うまいな。奮発してよかった。体がエネルギーを欲しているのだろう、分厚いステーキがあっという間になくなる。米があればなおよかったのだが。忍者や侍などのクラスがあることから東の島国のあたりには存在していそうだが、米がなくても死にはしない。そもそも東に島国があるのかすら知らない。間違いなくあるだろうが。
代金を払い宿へと帰る。客引きの扇情的な格好のお姉さん達が、こちらに声をかけてくる。断りながら宿へと歩いていく。俺はたぶんもうあなた達じゃ満足できないんですよ……。
宿に帰り着くと防具を外す。そうして、すぐに剣の手入れを始める。小さな傷を研いで綺麗にしていく。こんなもんかな。
満足したところで手と顔を洗い服も脱ぐ。水に浸した布で体を擦り、一日の汚れを落としていく。トマスさんの所みたいに風呂があればいいんだが。そんな贅沢もいっていられない。金を貯めないといけないのだ。今日の夕飯、奮発しすぎたかな……。娼館が遠のいたな……。違う、新しい剣が遠のいたな……。
歯を磨き、ベッドに横になりステータスを確認する。
名前 : レックス
年齢 : 15
ジョブ : 探索者
クラス : シーフLv6
スキル : 万職の担い手Lv3、剣術Lv5、気配察知Lv6、身躱しLv4、気配消失Lv3
こんなに簡単に上がっていいのだろうか。気配察知、身躱し、気配消失。どれも今俺の中でかなり有用なスキルだが、今のレベルでも充分だ。そろそろ他のクラスに就いてみる事を考えてもいいかもしれない。
明日は五階層。巨大芋虫が不安だが行ってみてどうするか考えよう。目を閉じるとすぐに睡魔が襲ってきた。どちらかといえば寝つきは悪いほうだったんだが……。
今日も一日お疲れ様でした。




