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第一話 黒スーツ

 朝目覚めると知らない場所に居た……ということもなくいつもと同じ朝だ。寝ぼけた頭でコーヒーを入れる。インスタントだ。カップに湯を注ぐとコーヒーの匂いが漂い、だんだんと頭が覚醒を始める。立ったまま一口飲み、机へ向かいPCの電源を入れる。


 最近のPCはすごいもので二口目を飲む頃には起動している。そうして日課であるサイト巡りを始める。今日は日曜日ということで仕事もない。ゆっくりと様々なウェブサイトを覗きだらだらと時間だけが過ぎて行く。俺の日常はこんなもんだ。仕事場の人間関係をプライベートに持ち込む気もないし、友人がいるわけでもない。予定があるわけでもないのに、人が多い休日にわざわざ外にでる必要もない。もっとも平日であろうとも仕事が終わればすぐに家に戻るんだが。


 一通り更新されたページを見終わり、一息ついたところで読みかけの小説があったのを思い出す。テーブルの上に置かれた小説を手に取り、読み進める。


 子供の頃から小説を読むことは好きだった。退屈な日常から連れ出してくれる最良の友達だった。別に虐められていたわけでもないし、他人より少ないまでも学校には友達もそれなりにはいた。特別親しく学校が終わった後でまで遊ぶような友達はいなかったが。小学生の頃からそうであったし、特に不自由を感じることもなく今の今まで暮らしてきた。


 どこまで読んだんだったか。目は字を追っているのに頭にまったく入っていなかった。


 これも小学生の頃から変わらない俺の癖だ。考え出すとすぐにそちらに引っ張られていく。小説を読むとつい考えてしまう。俺ならこうするのに。俺が居たらそんなことにはならないのに、と。自由にならない物語を自由にする為、作家という職に憧れ自分で小説を書いてみたりもした。


 結局のところ作家に憧れたのは進学や就職からの逃避だったのだろう。仕事にするのはそうそうに諦め、気が向いたときに、少し書く程度だ。



 小説を読み終わり、一息つこうとコーヒーカップに口をつける。コーヒーは冷め切っていて泥水のようだった。窓に目をやれば日は傾き始めている。ずいぶんと集中していたようだ。それほどこの小説が面白かったということだろう。だが一つ気になる部分があった。物語の結末が曖昧だったのだ。どちらととも取れるような書き方がされていた。ハッピーかアンハッピーか。俺はそれまでの流れからアンハッピーエンドだと解釈したが正しかったのか。


 ネットで検索をかける。こんなところにも俺のつまらなさが出ている。別に俺がそう解釈したのならそれでいいじゃないか。そう思わないでもないが気になるものは仕方がない。ネット上ではハッピーエンドと解釈した人が多いらしかった。そりゃそうだろう。救われないより救われるほうがいい。物語の中くらい幸せが溢れていてほしい。


 検索をやめ飯でも作ろうかとブラウザを落とそうとしたとき、アフィリエイト広告が目に入った。ほとんどの広告はブラウザで表示しないようになっているが、時々こうした広告が表示されることもあった。だから広告が表示されることは問題ではない。広告の中身が問題だったのだ。そこにはこう書かれていたのだ。


『異世界を満喫しよう。異世界行きチケット一名様プレゼント』


 と。つい鼻で笑ってしまう。なんだこれは。目にはついたがクリックするわけがない。こんな広告をクリックするほど俺はおもしろい人間ではない。ネタにはなるだろうが、そんなネタを話すような知り合いもいない。根っからのつまらない人間なのだ。ブラウザを閉じる。


 コーヒーカップを洗う為に腰を上げ振り向く。なぜかそこに人が立っていた。


「合格です」


 黒いスーツを着た男だ。顔には人のよさそうな笑顔を浮かべ悪人には見えなかった。だが俺の部屋に無断で入り込んでいるのだ。悪人でしかない。


「返事くらいしていただけませんか? こちらとしては、もう少し面白い反応を期待していたのですが……。いえ、これくらいつまらないからこそ選んだのですし当然でしたか……」


 どう反応すればいいのかわからない。俺は手にコーヒーカップを持ったまま動けないでいる。こちらの反応を待っているのだろう。黒スーツは笑顔でただ立っている。


「け、警察をよ、よ、呼びますよ!」


「本当につまらない反応ですね。それでこそ相応しいお方です」


 なんなんだこいつは? 俺の部屋にいるのはまだいい。いや、よくはないが空き巣や強盗が俺の部屋に入る可能性は皆無ではないし、そういうこともあるかもしれない。だが、なぜこいつはここまでフレンドリーなんだろうか。そっちのほうがよっぽど問題だ。最近はこういう強盗が流行っているのか? 確かに凄まれるよりも笑顔のほうが怖い。


「財布なら、その壁にかけてあるジャケットの内ポケットにある。通帳と印鑑はそこの引き出しの三番目だ」


 なんとか平静を装いそれだけ口に出した。先ほど完全にどもっていたから今更といえば今更だ。黒スーツはその俺の言葉にも動こうとせず笑顔だ。


「まぁ立ち話もなんですし、座りませんか?」


 そういうと机の反対側に回り込み、椅子に座る。椅子……。この部屋に人が来ることはないし、椅子は俺用の一つしかないはずだ。下に目をやると確かにそこには座りなれた椅子がある。どこからあの椅子を持ってきた……。主導権はあちらに握られている。もう一度下を向きそこに椅子があることを確認して腰を下ろす。


「はい。それではお話しましょう。唐突ですが異世界に行ってくれませんか?」


 俺が椅子に座ると同時に黒スーツがおかしなことを言い出した。これはただの強盗のほうがましだ。頭の螺子が抜けている奴は何をするかわからない。行動が読める強盗のほうがましというものだろう。どうすればいい。肯定しても否定しても最悪の結末しか思い浮かばない。どうすればいい……。


 言葉が出ないまま時間だけが過ぎて行く。カチカチという先ほどまではまったく気にならなかった、アナログの壁掛け時計の秒針の進む音がやけに耳につく。


「こちらの方に突然こんなことを言っても信じていただけませんよね」


 俺は無言で頷くしかない。


「それもそうでしょう。こちらの世界では異世界などというものは事象として確認されていませんからね。では、これから世界について最初からお話させていただきます」




 黒スーツは一時間は世界というものについて喋り続けた。俺が信じる信じない以前に、この男は間違いなくそう信じ込んでいるように感じ取れた。ここでそんなわけがないと言ったところで、帰ってはもらえないだろう。ここはこいつの話を信じた振りをしてやりすごすしかない。


 長い長い黒スーツの話を要約するとこうだ。世界というものは階層に分かれている。黒スーツは第一階層の世界の人間で、俺の生きる世界はその第四階層にあたる。下位の世界は上位の世界の創造物である。つまり第四階層の俺が生きる世界は第三階層の創造物であり、第五階層を創造した世界ということだ。下位の世界は上位の階層で語られる物語、フィクションによって創られている。


「俺が生み出した物語の世界もどこかにはあるかもしれないということか……」


 この男の話が真実ならば、俺のただの空想だったものが実際に存在しているかもしれないのだ。


「いえそれはありません」


 黒スーツはすぐに俺の言葉を否定した。


「世界を生み出すのは人ですが、一人で生み出すことなどできません。多くの人間が思い描き、概念と化すほどの物が世界になるのです」


「そうですか……」


 俺の喜びは的外れだったようだ。


「とにかく世界とはそういったものですが、時と共にどうしても綻びができてしまいます。そこで上位世界の人間の方に下位世界へ行っていただき、その綻びを止めていただくという作業が必要なのです。その役目を貴方にお願いしたい」


 黒スーツは俺の眼を真剣な目で見つめる。


「それで、その綻びを止める作業というのはどういったことをすればいいんですか? 具体的には」


 信じたわけではないが、物語りの世界観としてはそこそこ面白いかなと感じ疑問をぶつける。


「特にどうしてほしいということはありません。ただその世界で生きていただければいいだけです」


「その世界で生きるだけでいいと……。世界滅亡を企む魔王を倒すとかそういったことをするわけでは?」


 定番とすれば綻びから押し寄せてくる魔物を、とんでもない魔力を持った異世界転移者が押し返し、綻びを修復するといったようなものだろう。


「ありません。例え、そういった魔王がいる世界だったとしても魔王を倒すのは止めていただきたい。そういうのはその世界の人間に任せてください。逆に綻びが大きくなる可能性がありますので」


「どうして、その世界でただ生きるだけで綻びを修復することができるのでしょうか?」


「それは貴方が上位世界の人間だからです。人一人の力で世界を生み出すことはできないといいましたが、少数の人間でも上位世界の人間が異世界を観測すれば、ただそれだけで安定するのです」


「なるほど。だから何もしなくていいと。むしろ何もするなと」


「世界を変えてしまうような大きな事はです。それ以外ならご自由になさって頂いて結構です」


 疑問はいくつもあったが、このままでは長居されてしまう。あと一つくらい質問をしてお引取り願おう。


「なぜ私に?」


「主に二つの理由があります。貴方が空想家でいらっしゃることがまず一つ。想像力が豊かなかたのほうが世界が安定するのです。もう一つはつまらない人間であるということです」


「つまらない……ですか……?」


 常々自分でも思っていることだが、他人から指摘されると不愉快だな。


「そうです。異世界に行ってそこで生きていただくわけですから、ある程度の能力をお与えします。そもそもが上位世界の人間ですから、その世界の人間達と比べて優秀なわけですが。簡単に言ってしまえば異世界へ行くとあなたは超人になります。能力を生かす様努力されればですが。……そうですね、万の大軍は無理でも下位世界の人間千人を同時に相手されても勝てる程度には強くなるでしょう」


「それはすごいですね」


 素直に驚いた。それほどの力があれば確かに容易に死にはしないだろう。


「ええ。普通の人間がこんな力を持てばどうでしょうか。使ってみたくなるでしょう。その力があれば金も名誉も全て思うがまま、ということになります。それが悪いとはいいません。むしろ良いことだと思います。ただそれは異世界に綻びを与える可能性があります。そういった人間は異世界には向きません。だからこそ貴方を選ばせていただいたのです」


 確かにそんな力を持ったとしても、俺は細々と生きていくような気がする。馬鹿にされているのだろうか?


「納得はいきませんが、理解はしました」


「それで、行っていただけますか?」


 期待感をこめた視線をぶつけて来る。


「断るという選択肢もあるということですよね?」


「もちろんです。私がお話したことは忘れていただくことになりますが、それだけです。ただ……」


 黒スーツはそこで言葉を切り、先ほどとはまったく違う挑戦的な目でこちらを見る。


「このような話をお聞きになり、断るほど貴方がつまらない人間だとは思ってはいません」


 なるほど。確かに何もしなくていいというのなら、こちらの世界となんら変わらない。今もただ生きているだけだ。それなら少しでもおもしろそうな異世界でもいいだろう。


「それでお受けした場合、私はどうすればいいんですか?」


 急に死んでもらうといわれても困るからな。


「普段と同じように夜お休みになられてください。次、起きたときには異世界ということになります」


「それだけですか?」


「それだけです」


「わかりました。その話お受けします」


 この男の話を信じたわけではない。わけではないが、少し本当ならいいなと思っただけだ。これで帰ってくれるなら嘘だろうと本当だろうと、俺には問題ない。


 俺の返答に満足そうに黒スーツは頷いた。それから俺の行くことになる異世界について詳しく喋り始めた。これはまた長くなりそうだ。




 その後、こいつはまたも一時間は喋り続けた。


「おやもうこんな時間ですか……そろそろお暇させていただきます」


 黒スーツは壁掛け時計に目をやり立ち上がる。


「それでは良き異世界を」


 最後にそう言うと俺の前から姿を消した。ずっと見ていたはずだが急にいなくなったのだ。


 これは……明日病院に行ったほうがいいんだろうか。つまらない人間だと思っていたが、どうやらある意味面白い人間になってしまったのかもしれない。


 黒スーツが居たはずの場所を見ると、そこには椅子が残されていた。俺の家にはなかった椅子だ。テーブルを回り込みその椅子に触れてみる。確かにそこに椅子は存在していた。


 外は暗くなり始めていた。腹は減ったが食べる気分でもない。酒でも飲んでさっさと寝てしまおう。明日は病院に行くことにする。それがいい。

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