似たような話ばっかだと思っている君へ
一説には、物語のパターンは既にギリシャ神話の時代に、
出つくしていると言う。
納得できない人も勿論いると思う。
だが、一度でもギリシャ神話を読んだことのある人なら
理解できるだろうが、あの神話の展開は驚くほど複雑で、
様々なテーマが絡み合い織り成すストーリーは
読む者をひきつけ離さない。
読んだ事がないと言うなら、漫画でも何でもいい、
自分が取り付きやすいところから触れていってほしい。
それはひとつ置いといて、
物語というのは現実の縮図だと、私は思うのだ。
だから多彩な物語に触れるということは、
人生経験としてその人生の中で非常に役立つことだと思う。
勿論、物語というものに登場するアイテムは、
時代に応じて次々と変わっていく。
焚き火がかまど、ガスコンロ、さらには電気調理器具(IHコンロ等の事だ)
へと変わっていくように、ね。
だがそういった道具などのことを除いた、純粋な人間関係については、
それを描く「物語」の展開は、ギリシャ神話の頃と現代と、
なんら変わりはないと私は考える。
いつの時代でも、浮気や嫉妬、若さ・美しさへの執着、
金への欲望とかいうものは常に存在する。
ある時代だけ、浮気・喧嘩などは一切なかった。
なんてことは絶対無いだろう?
財産目当ての醜い争い、痴話喧嘩、美しさ・豊かさなどへの嫉妬、
なんてものは世の中がどう変化しても、無くならないだろう。
だから私は、社会情勢や時代等の要因を除いた、
根本的なところの物語展開はギリシャ神話の時代に出つくしている、
という論は筋が通っていると思う。
だが早とちりしないでほしい。
この事と、物語固有のオリジナル性が欠けている事は
一切、全くをもって何ら関係はないのだ。
オリジナル性というのは展開だけではない。
行動・心象等の描写、地の文、文章のテンポ、行間など
様々なところに、作者固有の、その作者自身にしか
表現できないものが存在しているのだ。明確に、ね。
似たような設定・展開の物語だと、自分が判断しても、
細部を見れば作者なりのオリジナリティが確かに、
その存在を精一杯主張しているのだ。
中には少しのオリジナリティも感じさせない
全くのコピーみたいなものもある事だろう。
だがそういったものについては言及しない。
なぜならそのようなものの作者は、
せっかく与えられた自己表現する機会を
自ら無碍にしている愚者だと、私は考えるからだ。
自らの独自性を思いっきり表現できる場で、他人の殻を借用する。
このことがどれだけ自らのアイデンティティ(自己同一性)
を貶める行為であるか、それを認識できればそのような行為は、
自然と出来なくなるはずなのだ。
認識できていないからこそ、そのような行為に及ぶのだろうが。
以上の点を踏まえて物語を読み込んでみれば、
似たようなもの、と思っているものの中にも
個性・独自性が輝くものを必ず見出すことができると、私は思う。
物語というのはその作者の心の結集体であるから、
なるべくなら、大切にしてあげてほしい。
その中に込められた、作者の思いは、かけがえのないものなのだから。
読んでくれてありがとう。