09:「さようなら……。」
「…っ。」
どういうことだろう、と星太は思った。
こんな住宅街。用がなければ間違っても来たりしない。
つまり男は、明らかに星太を探してここまでやってきたのだ。
一方男はふいにこっちを向くと、あの時と同じようにニヤッと笑うと、
「みーつけた、入江 星太くん。」
「…なんなんですか。」
星太は精一杯気丈に振る舞った。だがその声はかすかに震えていた。
「いや、だからこの前も言ったじゃん。ちょっとついてきてくれないかな、って。」
また手招きをする。クセなのか。
「……ぼくが何かしましたか。それより、なんでうちの場所…。」
「んー。総長がうるさくてねー。ま、あの人に関わっちゃったもんは仕方ない。」
「そ…総長…?」
「とりあえず、来てもらおうか♪」
星太は腕を掴まれると無理矢理大きな路地に連れて行かれた。
そこには車があった。ド派手な車で、一般人はまず使わないような車。星太はゾッとした。
「っつ…!なんですかッ…!やめて…ください!」
必死にもがいて抵抗するも、
車から出てきたごつい二人に押さえられ、無理矢理車へ押し込まれた。
星太はそのとき、自分は死んだと思った。
車は数十分走り、わりと大きな廃ビルにたどり着いた。
ビルには大きく「赤石組」と書かれている。
(ヤ…ヤクザ…!!)
本気で死を覚悟した瞬間だった。
「赤石組」…。それは、この如月町を牛耳るヤクザの名称だ。
平和そうに見えるこの如月町にも、ヤクザという身分は存在していたのだ。
階段を上がり、星太は無理矢理部屋に押し込まれた。
小倉庫のようになっていて、数十人のヤクザが一斉に星太を睨みつけた。
星太はもう恐怖しか感じなかった。
漫画の主人公じゃあるまいし、恐れる事無く冷静に。なんて不可能だった。
まして一人でヤクザ潰してやるよオラこいや。なんてキャラであるハズがない。
座っているのに足がガクガクと震えた。
「お前が…入江か?」
ふいに呼ばれ、後ろを振り返る。
そこには明らかに異質な風格を漂わせる男が数人を引き連れて立っていた。
もう一度倉庫内の方を見渡すと、先ほどのヤクザたちは全員頭を下げている。
「…もう一度聞くぞ。お前が入江か?」
「…はい。」
震える声で気丈に言い放った。
ここまで連れてこられて何もなしに帰れるとは思っていなかった。
どうせ何らかの理由でリンチされ、死ぬかそれほどボロボロになるだけの運命。
ならば縮こまっても一緒だと思ったのだ。
ただ、一つだけ知りたかった。
何故自分がここに連れてこられなければならなかったのか。
いったい自分が何をしたのか。
それを気力を振り絞って声にした。
「…何故、ぼくを連れてきたんですか。」
男は少し眉を動かした。
「ほぉ…総長相手に…いや、この状況でそういう口がきけるとは…。」
男の後ろの、側近と思われる男が感心するように呟いた。
「…俺はこの如月町を仕切らせてもらってる『赤石組』三代目総長。
赤石 綾渡だ。」
綾渡はそう言いながら星太の目の前にまで近づいてきた。
近づけば近づくほど、威圧感というか、そのただならぬ風格に圧され、
恐怖心はどんどん膨らんでいく。思っていたよりかなり若いようだ。
しかし、どこかであったような…見たような…何かひっかかる感覚があった。
「お前を連れてきたのは…話を詳しく聞かせてもらうためだ。」
綾渡は星太から目を離すと、一人でゆっくりと歩き始めた。
「…は…話…?」
「おい!!日下部!!!」
綾渡がふいに大声で叫ぶ。反射的に星太はビクッとしてしまった。
「おっす!総長、お呼びですか!」
ひょろりと奥の部屋から出てきたのは…さっき自分を連れてきたあのそばかすの男だった。
その軽い受け答えに、頭を伏せている味方の多くはその男をにらんだ。
味方じゃないのか…?と、星太は思った。
「日下部、お前が見た『れいの男』というのは…こいつだな?」
綾渡の言葉には少し重みが感じられた。
「はい。こいつで間違いねえッス。何しろ自分の『網』を使って探しましたからね。」
日下部というそばかすの男は親指であごを掻きながら言った。
「ふん…やはり……。……良い度胸してるな。
この如月町を治める赤石組歴代最年少総長の大切な女に手を出すとは…。」
綾渡は完全に敵意をむき出しで星太を睨みつけた。
星太は一瞬固まった。
綾渡の虎のような目つきにすくみ上がったのもあるが、問題はその言葉だ。
「え?!どういう……あいつ…まさか浮気…。」
まさか…そんなハズは…。
星太は絶望しかけた。
優衣が…この如月町を治める赤石組の総長と……浮気している…?
「……浮気…!?だと!?…貴様…一体何をしたァ!?」
綾渡は雷のような怒号を星太に浴びせると、
そばにあった金属バッドを手に取って星太にツカツカと近づいた。
「答えろ。今なら殺すのは勘弁してやる。お前はあいつの何だ。」
綾渡はバッドを星太の額に突きつける。
星太は走馬灯のように優衣のことを思い出していた。
あいつの…優衣の…俺は……何なんだ?
こいつの話が本当なら、俺は単なるおどけピエロ…。
必死こいて今までやってきた事も全部嘘で固められた事実…。
ヤクザの女に手を出した単なるバカヤローじゃねえか……!!!
…でも……
……たとえ、本当にそうでも…
「あいつは俺の、大切な彼女です!!」
しっかりと綾渡の目を見つめ、声を張って、星太はそう言い切った。
「…求めていた答えでは…ッ…なかったぞ入江!!!」
綾渡は腕を振り上げた。
金属バットが風を切るような凄まじい音が響く。
嗚呼。終わった。
星太はもうバッドを避けようともしなかった。
気力も無かった。全てにおいて絶望していたのだ。
心の中で、ただこう呟いた。
「さようなら……。」