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謝り続ける令嬢は、優しい檻で眠る

作者: 紡里
掲載日:2026/04/14

虐待や不倫が出てきます。

 目覚めたとき、知らない部屋でベッドの上に寝かされていた。

 外から子どもたちの声が聞こえる。


「目が覚めました?」

 若いメイドに声をかけられた。

「馬小屋の少年が助けてくれたのですよ。死にそうな人がいると、私たちに教えてくれて」


「あの……夫は?」

 叱られて、馬小屋に縛り付けられたのだ。

 勝手に移動したらどんなに怒られるかわからない。


「事情聴取されているんじゃないですかね。

 気になりますか?」


 なんだか棘のある言い方をされた。


「私が至らないから指導してくれる、優しい人なのです」

 ちゃんと説明しないと……。


「そう言って鞭を使っていたと?」


 何がいけなかったのか、余計に声が怖くなる。


「実家でも、そうでしたから……普通のことですよね?」

 馬鹿な私は、よく間違えてしまう。普通だと思うこと、違うと思うことが、ズレているらしい。


「いいえ。昔はそんな時代もありましたが、今はそんなこと許されません」


 大きなため息を吐かれて、体がこわばった。


「そうですか。私、また、間違えてしまったんですね。ごめんなさい」


「――そういうことではないのです。あなたは悪くない」


「?」

 何を言われているのか、わからない。「そういうこと」が何を指しているのか、確認すべきか聞き流すべきかもわからない。


「……まだ、体が重たいでしょう。眠っていいですよ」


 急に優しい声に変わった。これが本心か、嫌味なのか見極めないといけない。


「いえ、働かないと……」

 駄目。

 この柔らかい布団は罠だ。

 ここで眠ったら、水をかけられてしまう……!




「そう言いながら、意識を失うように眠りにつきました」

 メイドは執務室にいる主人に、一部始終を報告した。


「典型的な虐待だな。

 実家で虐げられ、婚家でも夫に放置され……不憫なことだ」

 弁護士をやっていると、そう珍しいものではないと思えてしまう。


「本人もそれが普通だと思い込んでいて、謝ってばかりです。

 言葉尻を捉えて自分を責めるので、こちらも気を遣ってしまいますよ」

 ため息一つ吐けないと、メイドは愚痴をこぼした。客の前でため息を吐くのが、そもそも問題なのだが。


「回復すると思うか?」

 このメイドの観察眼は、とても頼りになる。


「体力的なお話ですか?

 それとも貴族のご夫人として、ですか?」


「むろん後者だ」

 私は医者ではないので、体のことを聞いても何もできない。


「難しいでしょうね。

 貴族なら時には強気に出たり、人の悪意をかいくぐったりする必要があるでしょう。その前に、謝罪する癖が出てしまうと思いますよ」


「血筋はいいから、愛人にしたがる者はいるかもしれないな」

 貴族の政略結婚でできた娘。いわゆるサラブレッドだ。


「はあ、結局それですか」

 メイドはやるせないというように、目を伏せた。


「なんだ。文句があるのか」


「いいえ。言っても仕方ないことですから」


 最近、メイドは女性の権利に目覚めたらしく、休みの日に集会に通っている。

 ……生意気になってきたな。




 その後、保護された女性は弁護士の愛人として、小さな部屋を与えられて暮らすことになった。


 婚家と実家は虐待の疑いで調査され、他の不正も明らかになって罰金刑を科せられた。

 家の取り潰しには至らなかったが、世間の目は厳しい。

 重要な会合からは閉め出され、夜会に呼ばれず、お茶会の招待状も来なくなった。


「どうして彼女を虐待したのですか?」

 そのシンプルな質問に対する答えは――


「虐待なんかしていない。躾だ」

 と、父親が言う。


「押しつけられた嫁なんかより、恋人を少し優先しただけだ。貴族なら、そんなものだろう」

 と、夫が言う。


「こんな扱いを受けるなんて屈辱だわ。これこそ虐待でしょう。

 お茶会に呼ばれなくなるなんて、疫病神な嫁だわ。被害者はわたくしの方よ」

 と、姑が喚く。


 誰一人、反省する気配すらなかった。




 私は善人ではない。

 ふと哀れみを覚えて、彼女を引き取っただけだ。

 妻が可哀想だ、あの夫と同じことをしている、と事務所のメイドにはチクチク言われる。


 彼女には、穏やかな家庭教師をつけた。

 健康を取り戻した彼女は美しい。

 おどおどした態度に苛つくこともあったが、数年すると落ち着いてきた。

 堂々と貴族らしく振る舞うのは難しいけれど、相手をよく観察しているので、気配りが心地よい。



 没落していく奴らの主張は理解できないし、今さら彼女に連絡を取ろうとする神経もわからない。

 絶対にそんなことは許さないし、私からの援助を期待しているなら言語道断だ。


 なぜ彼女を虐待したのか、その理由は永遠に理解できそうもないな。


 妻に対して若干の後ろめたさはあるが、これくらいは許されるだろうという思いもある。

 その点、奴と同類なのかもしれない。

 けれど、順番とやり方、周囲への配慮などでこうも結果が違うと、自画自賛したくなる日もある。


 やりこめられる緊張感がなく、ただ慕われるという心地よさをもう手放せない。

 自分が死んだときには、彼女に何の保証も無い。

 この部屋の権利を残しても、彼女に自活していく能力はないだろう。


 無責任なことをしている自覚はある。

 それでも、愛人を持つ男の中ではマシな方ではないか?


 極上の安らぎを腕に抱きながら、私はそう考えた。


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