伍
「……は?」
その瞬間、沈黙が訪れた。
今、餌って言ったか?
俺たちは、信じられない、という表情で男を見た。男は、とても楽しそうだった。
「この呪いを祓うには、怪異を一ヶ所に集める必要がある。そうするなら、餌を置いておくのが一番だ。そこの三馬鹿よりも、お前が一番特上の餌だからな」
「特上の、餌……」
「「「というか、三馬鹿ってなんだよ!!」」」
「お前らが封印解いたからだろ。あんなの、一般人でも触りたいと思わないくらい、禍々しかった筈だぞ」
呆れた様子の男が、溜息を吐く。三馬鹿はそれに何も言い返せなかったようで、「「「ぐぬぬ……」」」とうめいていた。
「なら三馬鹿は?」
「ああ、俺とお前は動けないからな。だから、文字通り俺たちの代わりに、学校中を駆け巡ってもらう」
「「「駆け巡って……?」」」
顔を青ざめさせる三馬鹿に、男は、とびっきりの笑みを浮かべて頷いた。
「ああ、隅から隅まで、な?」
「「「いやーー!!!」」」
三馬鹿が、ムンクの叫びのようになったのは、言うまでもない。
「俺の名は湊音だ。廣田湊音。お前らを助けてやるよ」
なんだか、それが妙に神々しかった。そしてなぜか、涙がでそうになったが、ぐっとこらえる。
別に俺、そこまで追い詰められている訳でもないのに何でだろうな。
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湊音は祭壇と床に散らばった水晶の欠片を教室の端にどかした。その水晶が透明だったことに、俺は気づいた。
あの水晶が、黒くなるほど、怪異が蠢いていた。三馬鹿の話を思い出すついでに、それを考えてしまい、俺の背筋は凍った。
湊音は教室の床を全て覆うほどの陣を描き、そして俺に、この陣の中央にいるよう言った。
俺は生贄だ。
必ず守るから大船に乗った気分でいなさい、と湊音は言うが、俺は生贄という言葉に、少なからず恐怖を感じていた。
今ここにいない木戸、友永、松山は、封印を解いた責任をとるため、湊音が描いたお札を持って、学校中にいる怪異たちを、全てここに連れてきている途中だ。
正直、それはするべきだと俺は思うし、そもそもあいつらは動きが遅い。更に三馬鹿で手分けすれば、かなり負担が減るだろう。
とは言っても、北館、東館、西館、南館(旧校舎)があり、それぞれ五階ずつ、さらにグラウンドにもいるのだが。
時間指定はないし、冬の体育でのグラウンド15周よりかはましだろう。あれは景色が変わらないから、虚無だ。
湊音が言うに、あのお札がある限り、三馬鹿は無事だそうだ。今この瞬間こそ夢みたいだと思っているが、今の状況こそおかしいことの代表格なので、何も言わずに俺たちは従った。俺たちでは、あの怪異を倒すことができないからだ。
あの三馬鹿は、俺に申し訳なさを感じていただろうという事もある。それなら、そもそもここに入らなきゃよかったものを……と恨みがこみあげてきたが、湊音に負の感情は、奴らにとって思う壺だから、やめろ、と言われた。
そこからは、俺はできるだけ無でいることを意識した。
俺のことは湊音が守ってくれるらしいし、後のことも、湊音が何とかしてくれるらしい。その時、俺は湊音が神様か何かだと思った。物凄く胡散臭いが。
あの三馬鹿が来るまでの間、やけに男前な湊音を見て俺は、この男は一体何者なのだろうか、と考えた。
神社の神主のような恰好をしているから、普段は神社の神主なのだろうか。
それにしては、いやに到着が早かった気がする。
俺たちが隠れていた、と言っても、そんな長い時間ずっと隠れていた訳ではない筈だ。
いや、そうじゃない。ここには、俺と三馬鹿しかいなかった筈だ。一体、誰が呼んだんだ?
どのタイミングで、あの三馬鹿が水晶を割ったにせよ、そこまで時間が経っているとは考えづらいのだ。
――今考えることじゃないな。
俺は頭を振って考えることをやめた。
でも、自然と視線は湊音に釘付けになる。
そんな俺の視線に気づいたのか、湊音は格好つけの流し目で俺を見て、こう言った。
「どうした?この俺の美貌に惚れでもしたか?だが、生憎俺は女専用だ。悪かったな」
「いえ、そういうことを考えている訳ではないので」
このとんでもないナルシストが神社の神主?きっと、何かの間違いに違いない。その恰好もただのコスプレなのだろう。俺は、整った顔立ちの湊音を見て、そう思った。
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しばらく、静かな時間が流れた。今までであれば、そんなことはなかった時間だ。
湊音はいつの間にか、刀ではなく、よく神主が持っている、あのしゃかしゃか鳴る棒――後で調べたら、大幣と言うらしい――を持っていた。
刀は、鞘に仕舞われて、脇の下に吊り下げられていた。それでも、その刀の神聖さは隠しきれていなかった。
「そろそろかな」
俺はその言葉に気を引き締めた。なんとなく、あの禍々しいのが近づいてくると思った。
「「「「ギャアアアァァアア!!!!」」」
三馬鹿の、遠くからでもわかる大きな悲鳴と、それに伴う三人どころではない、おびただしいほどのぬちゃぬちゃとした足音。
俺はすっかり恐怖した。体が自分の意思を無視し、がたがたと震える。まるで、そんな音が鳴っているかのようだ。
死ね、死ね、死ね、という言葉が脳裏を埋め尽くす。俺はその恐ろしい声を聴きたくなくて耳を塞ぐが、脳に直接語り掛けているかのように、全く聞こえなくならない。
一瞬、首を吊った女子生徒が見える。俺はすぐに、この学校の生徒じゃないことに気が付いた。
この学校は、男女ともにブレザーだ。だが、この生徒が来ているのはセーラー服。昔、この学校の制服はセーラー服だった、と聞いたことがあった気がしたが、正確なことは分からない。
なぜか、犬や猫の鳴き声も聞こえる。それが不気味に聞こえて、本能的な恐怖へ語り掛けていた。
今すぐにでも逃げたいと思った。
しかし、セーラー服の少女の怪異が、俺を手招きしていた。まるで、こっちに来い、と言っているようで。
そして、なんとなくそっちに行かなくてはいけないような気がして。
――俺は、ここにいるべきじゃない。
俺の足は、勝手に歩き出し、陣の外に出そうになった。
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