開かずのロッカー
俺は大学の夏休みを利用して、アルバイトを始めた。
深夜のオフィスビル警備。
仕事はいたって単調だ。
二人一組でオフィスビルの警備をする。
時折一人が巡回に出て、もう片方が詰め所でモニターをぼんやり眺める。
戻ってきたら二人で1階の詰め所にいて、しばらくしたらもう一人が巡回に出て各階を見回り、残ったほうがモニターをぼんやり眺める。
それだけの仕事だ。
やることは全然ないらしいし、深夜がメインだから時給もいい。
詰め所にいる間は、何をしてもいいというので、大学の課題をやったり、漫画を読んだり、寝さえしなければ本当に何をしてもいいようだ。
詰め所にある数枚のモニターに各階の廊下やエントランス、エレベーター前に設置された監視カメラの映像が階ごとに映し出され、ほとんどは誰も映らないまま、静かに次の映像へと移っていく。
詰め所にいるときにやるべきことといったら、それぐらいだ。
たまーに残業していた人が映って、ギョッとするけど。
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話が変わるが、俺がここに来る少し前、Aさんの相方だった前任者が、ある日突然、連絡のつかないまま退職したらしい。
出勤してこなくなり、電話もメールも一切応答なし。会社としても「連絡不能による退職」という処理をしたと聞かされた。
あとで分かったことだが、俺はその補充で採用されたようだ。
出勤初日のオリエンテーションが終わって、更衣室についての説明を受けている時だった。
「ここ、お前はこの3番のロッカーな。好きに使っていいぞ。あと注意事項な…」
そう言って、Aさんはずらっと並んだ一番奥のロッカー、赤いテープがべたべた貼られたロッカーを指差した。
「あれには、絶対に手ェ出すなよ。開けるな。触るな。聞くな。以上。約束な」
Aさんは今までとは違った、強い口調で言った。
俺は答えた。
「わかりました。開けません」
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いわくつきのロッカーなのかと思ったが、正直言って、あまり興味はわかなかった。
赤いテープが無造作に張られている以外、何の特徴もない。
ただ、開けるなと言われただけだ。
俺に割り当てられたロッカー自体も割と大きいのでどんな荷物でも入りそうだし、鍵もかかる。
当然、共有物や落とし物を入れるためのロッカーは詰め所に用意されている。
別のロッカーを使いたいと思うようなこともなさそうだし、何といってもこの、楽ちんで割のいいバイトを手放したくないので、Aさんの言うことはちゃんと聞いておくつもりだった。
それからしばらくして__
俺の相方兼研修係のAさんともある程度打ち解けてきたころ、休憩中に俺は何気なく尋ねてみた。
「Aさんの相方だったっていう人って、なんで来なくなったんですか?」
いつも冗談ばかり言っているAさんが少し間を置き、視線をテーブルの端に落とした。
正直、「夜逃げでもしたんじゃねぇの」とか笑って答えるのかと思っていた。
Aさんは小さく、か細い声で答えた。
「………そいつには何もしてない」
その声はわずかに震えていた。怯えを押し殺すような、言い訳めいた響きだった。
地雷を踏んだと思って、それ以上は聞かない方がいいと、直感で思った。
会話はそこで終わった。ひょっとしたら、いじめとか人間関係のごたごたなのだろう。
Aさんが誰かをいじめるようには見えないし、ほかの人とうまくいかなかったのか?
ただ、普通は「何もしてない」で済む話じゃないんだろうか、とは思った。
『そいつには』なんて、その人以外には何かしたみたいな言い方じゃないか
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Aさんは独り身で、前の仕事は定年退職したらしく、今は「暇だから」という理由でこの仕事をしているという。
どこまで本当なのかはわからないが、あまりお金に困っているという感じでもなく、酒やギャンブルをやるでもなく、よく缶コーヒーや夜食をおごってくれた。
いつもいつもお世話になっては悪いと遠慮したこともあったが
「俺が学生の頃は金もなかったから、バイト先の居酒屋でよく大将やお客さんにおごってもらったもんよ」
と言って、いろいろ食わせてくれた。
ある夜、Aさんがいつものように巡回に出た。
「じゃあ、ちょっといってくらぁ」
「はい、じゃあインカム確認です。どうですか」
俺は左耳に当てているインカムのスイッチを押して、動作確認を行った。
巡回中など離れている際に会話ができるように支給されているものだ。
どちらかが「送信」を押している間、どちらからでも通信を行うことができる。
「はいぃ、確認OKぇ、感度良好ぉ!」
ほんのコンマ数秒遅れて聞こえるインカムからの声と、目の前にいるAさんの声がダブって聞こえる。
「はい、お気をつけて」
それから、Aさんは詰め所を出て、巡回に向かった。
モニターに目を向けると、Aさんがまず最上階に向かうため、エレベーターホールに向かうのが見えた。
巡回は、各階のオフィスに鍵がかかっているか、無申告の残業者がいないか、確認するのが主な仕事だ。
(今日は残業申請した人は全員退社しているので、誰も残っていない)
だいたい、一度巡回に行くと、20分か30分ぐらいで戻ってくる。
俺はAさんがエレベーターに乗り込むのを確認して、持ってきた大学の課題をやろうと詰め所を出た。
更衣室の電気をつけ、自分のロッカーにしまっていたカバンをあさっていると、ふと赤テープのロッカーが目に入った。
(何が入ってるんだろうな……)
開けるなとは言われているが、別に鍵がかかっているわけではないようだ。
中を見るぐらいならバレないだろう………
俺はそのロッカーの前に立った。
このロッカーを開けてはいけない理由は聞いたことがない
開けてはいけないということしか聞いていない
だったら、開けるだけなら問題ないんじゃないか?
鍵がかかっていないということは開けても問題ないからだろ?
俺は興味本位にロッカーのノブに手をかけ、力を込めた。
あれ?
開かない………!
サビなのか、ロッカー自体がゆがんでいるのか、本当は鍵がかかっているんじゃないかと思って、もっと力をこめると
ガコッと大きな音がした。
思いのほか大きな音がして俺自身が驚いた。
やばいっ!っと思ったが、ロッカーに目をやった。
開いている。
開けてはいけないと教えられた扉が開いている。
そのロッカーの中身は、
なにも、
なにも入っていなかった
中は、空っぽだった。本当に何もない。匂いも、埃も、湿気もない。
本当に空だった。
「なんだよそれ……」
拍子抜けして扉を丁寧に閉め、詰め所に戻った。
モニターに目をやる。
Aさんは今どこらへんだ? まだ戻ってくるような時間じゃない。
開けるときの音聞かれてないよな?
今映し出されている映像は9階
Aさんは映っていなかった。
8階
いない
7階
いない
6階
いない
5階
いない
4階
いない
3階
いない
2階
いない
1階
………
………
いなかった
あれ? Aさんは?
巡回中はカメラの死角になるようなところに行くことはほとんどないのに………
エレベーターホールのカメラにエレベーターが動く様子は映るから見落とすはずはない
そのように考え事をしている間に、モニターが切り替わった。
1階を映したので、次は最上階の9階が映る
そこにAさんがいた。
まだ9階なのか、と思った瞬間。
だが、俺は全身に鳥肌が立ち、背筋が凍る思いがした。
Aさんは棒立ちのままエレベーターホールの監視カメラをじっと見上げ、なにかをつぶやくように口を動かしていた。
表情も一切なく、感情も感じられず
何度も
何度も
何度も
同じことを口走っているようだった。俺に対してなにか言っているように見えた。
俺は見てはいけないものを見てしまったような気がして、とっさに目を伏せた。
それからしばらくしてもう一度モニターを見ると、別の階のカメラに切り替わっていた。
俺はほっとした。
なにを言っていたのか、Aさんにインカムで確認する勇気は俺にはなかった。
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それから一時間ほど経った。
Aさんはまだ戻ってきていない。
普通に巡回していればとっくに戻ってきているはずだ。
何かトラブルがあって長引いたならインカムで連絡があったはずだし、そもそも俺が更衣室に行って戻ってくる間に9階の巡回は確実に終わってるはずだ。
あのタイミングでAさんが9階にいること自体がありえない。
インカムでなにがあったか確認しようかと思ったが、さっきのAさんの能面のような顔が脳裏によぎった。
あの口だけを動かすような、およそまもとな人間がするはずのない行動。
俺はなにもすることが出来ず、ただひたすらモニターを見て、時間が過ぎるのを待った。
Aさんはどこにも映らなかった。
キィと音を立てて、詰め所の扉が開く音が背中越しに聞こえた。Aさんは戻ってきた。
俺は巡回をした様子もなく、今までどこに行っていたのかを聞くこともできず、ただ背中越しに「お疲れ様です………」としか言えなかった。
「おまえ……」
Aさんが口を開く。
「はい……」
詰め所に戻ってきたAさんは、低い声で言った。
今まで聞いたこともない声色だった。俺はおそるおそるAさんの方へ見る。
何の感情も感じられない、無機質で冷たい顔だった。
その顔に開いた2つの穴でじっとこちらを見ている。
その表情がとても恐ろしく、震える声で「なんですか……」と答えることしかできない。
ロッカー開けただろ……?
なぜロッカーを開けたのが分かったのか、などと感じる余裕もなく、俺はただただ怖かった。
ただその目が、その口が、その顔が、その声が、ただただ恐ろしく感じられた。
「開けてないです………」
そう振り絞るのが精いっぱいだった。
Aさんは「そうか………」とだけ言って、椅子に腰を掛けた。
その日はもう何も起きなかった。
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その日を境に、Aさんの様子が少しずつおかしくなっていった。
巡回中にカメラに映らないことが増え、映ってもただ立ち尽くすだけ。
時には、カメラをじっと見つめ続ける。
ずっとカメラに映らないので、巡回しているのは何階かを聞いても、その階のカメラに映らない。
「今、〇階にいる」という報告と、モニターに映る場所がまるで違うこともあった。
時折、インカム越しに「俺じゃないのに………」とひたすら呟いたり、一回の巡回が1時間を超えることもあった。
Aさんの体調が悪いのかと聞いても、「俺じゃないです………」と意味不明なことしか返さず、会話にならなくなっていった。
Aさんはあの日を境に別人のように変わってしまった。
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ある日、Aさんは無断欠勤した。
そして、そのまま連絡はつかず、クビになった。会社は「連絡不能による退職」として処理したらしい。
数日後、新たなバイトが入った。
Aさんに代わる俺の相方だ。俺と同じ大学生らしい。
俺は研修係としてオリエンテーションを行った。
制服を渡し、更衣室で新人のロッカーの割り当てを説明する。
そして、あのロッカーの説明も
「あの奥の赤テープのやつ、絶対に開けるなよ。開けるな。触るな。聞くな。約束な」
新人は笑いながら答えた。
「わかりました。開けません」
次の日、俺はこのバイトを辞めた。
書いてて気づきました
これ、「あの祠壊したんか」の亜種ですね