第三話 繋がり
ジンネは古びた木造建築を見つけた。塗りがもうだいぶ禿げて、ボロボロになっている。いつ壊れるとも知れないため、中には入らないようにしながら、外観をぐるりと見てみようとした。だいぶ山奥にあるため、まあ人がいなくてもしかたがないか、と思った。
と、ふと話し声が聞こえた。共通語ではない。ジンネもこの国の言葉は少し知っているが、喋れはしないし、聞き取りはほぼできない。山奥にいるということは、周囲との交流が必要にならないということであり、共通語を使用していない可能性が高い。
ジンネはどうしたものかと思いながら、とりあえず可能性に賭けて共通語で話しかけてみることにした。
「やあ、こんにちは。」
すると、話し声は少し止まり、また何か焦るように声が聞こえた後、訛りの強い声で「やあ。」と返ってきた。
建物の戸口から出てきたのは、動物の皮を着た少女だった。だいぶ軽装だが、まあ暖かい所なので大丈夫なのだろう。
「やあ、共通語は話せるかね?」
ジンネはゆっくりと聞いた。少女は戸惑いながら、奥の人を呼んだ。奥から、ジンネより少しだけ若いと思われる女性が現れた。
「ああ…私、共通語話せる、少しだけ。」
「よかった。私はこの国の言葉が喋れないもので。」
ジンネはまたゆっくりと話した。女性は少女を示して、目くばせをした。
「この子、共通語喋れない。ごめんね。」
ジンネは笑顔で、丁寧に言葉を選びながら話した。
「はい、大丈夫ですよ。俺はジンネといいます。あなたは?」
「私はマユン、この子はスジュン。よろしく。」
女性は手を差し出した。握手を求めているのだ。ジンネも手を出して、握手する。
「よろしく。一晩だけここに泊めてもらえますか?」
ジンネは建物を指差し、ジェスチャーを交えて伝えようとする。
「いいよ。でも、布団はないよ。」
「大丈夫です。ありがとう。」
女性は心配そうに言いながら、周りを見回す。
「これ、布団、できるかもしれない。」
と、女性は干してあった布を引っ張りながら言った。ジンネは慌ててそれを止め、自分の荷物を指差して言った。
「これ、この服が布団になります。大丈夫です。」
女性は納得したように頷いて、ジンネを案内した。奥に行くと、土壁でできた頑丈そうな建物が見えてきた。先ほどの木造のものは倉庫か何かだったのかもしれない。
「これが寝起きする家ですか?」
「そう。私とこの子、ここで寝る。あなたもここで寝る。」
「ありがとう。ではなにか、手伝うことはありますか?」
ジンネは指示された場所に荷物を下ろすと、女性にそう聞いた。
「ある。けど、自己紹介。私、カジュ。この子、タマヤ。あなたは?」
「ああ、失礼、うっかり忘れていました。俺はジンネと言います。」
「ジンネ、じゃあ、こっち来て、木を割ってほしい。」
カジュに手招きされてついて行くと、巻き割り用の丸太と斧が置いてあった。ジンネは言われた通り、薪を割ることにした。斧を持ってみると、ずしりと重たい。若い女性ならばまだしも、初老の女性には厳しい重さなのかもしれない。だとすると、タマヤがいつも薪を割っていたのかもしれない。もしくは、薪になりそうな木をどこかから見つけてきていたのか。いずれにせよ、薪割りは男が来たらやってもらいたい仕事の一つなのだろう。ここにどのような男性が他に来るのかは知らないが、ジンネはぼんやりと彼女らだけで過ごしているように思われた。
これから割る丸太を手に取ると、思ったよりも軽かった。あまり寒くない地域であることも、丸太が軽い要因なのかもしれないが、それ以上によく乾いている証拠だった。ジンネは丸太に斧を合わせて少しだけ食い込ませると、勢いをつけて割った。小気味いい音と共に、丸太は真っ二つに割れた。彼女らが数週間は薪に困らないくらいには割ってあげようと思い、ジンネは次々に丸太を手に取った。
丸太の断面はのこぎりで切られたそれではなく、それこそ斧で何度もたたきつけられたような跡があった。恐らく、のこぎりはとうの昔にダメになってしまったのだろう。研ぎやすい斧だけが、今も現役ということだろう。
ジンネが詰まれていた丸太の横に同じくらいの薪の山を作ったころ、タマヤがやって来て「ジンネ、」と呼んだ。
「カジュ、ジンネ、らい。」
タマヤの言葉の意味が何となく解り、頷いて斧を薪の側に置いた。
思った通り、カジュがジンネを呼んで来いと言ってたようだ。土づくりの床の上に、同じく土づくりのかまどがあり、そこで何かが煮られていた。それをカジュが器に盛っていたので、おそらく食事ができたということだろう。
「ジンネ、これ、マージャ。山の草、木の実。それと魚。」
「なるほど、おいしそうだ。」
三人は各々、空いているところに座って箸を手に取った。ジンネは持っていた箸を使う。手を合わせたのは、ジンネだけだった。
味付けはシンプル、というよりほぼされておらず、薄い。だが、魚は一度炙られているのか、芳ばしい香りがしていた。山菜の苦みが良い。タマヤは山菜を口に運ぶたび、少し眉間にしわを寄せた。苦手なのだろう。
食事が終わると、もう外は暗かった。カジュがかまどの火を消し、もうそろそろ寝ようというとき、タマヤが一言、言ってきた。
「ちーじゃ、くんだぉ。」
「…カジュ、これはどういう意味ですか。」
「あなたの話、してほしい、と言っている。」
「俺の話か…」
「俺は昔から歴史好きで、歴史を学ぶために言葉も覚えた。言葉を学ぶうち、歴史的背景は頭で、人と人は心で考えるものだと思うようになった。だから、悲しかった。戦争が起きた時は、本当に…。人と人は歴史的なことを心で考えて憎しみ合った。そんなこと、ばかげている。けれど俺に逆らうことなどできず、俺は歴史の濁流に飲まれるしかなかった。
だから…もう二度と、起こってほしくないことばかり覚えている。それが役に立つときもあるけれど、起こったことはもう変えられないから、どうしようもない…。」
ジンネが喋っているうちに、タマヤは寝てしまった。カジュはそれを認め、ジンネに言った。
「タマヤ、人が喋ってくれないと寝れない。だからありがとう。」
ジンネはそれを聞いて、また口を開いた。
「俺は歴史が好きだったんで、色々調べてたんですよ。そうしたら、この国は俺の国にいろんなものを与えていたことが分かった。人、物、考え方…。俺はこの家のすぐそばの木造建築を見た時、『ああもしかしたらここは寺院だったのか』と思ったんですよ。寺院だったかそうだったかは、今となってはもうどうでもいいことかもしれないけれど…、もし寺院だったら、俺の国との繋がりを感じられたかもしれないな、と思ったんです。」
カジュはそれを静かに聞いていた。そして、どちらともなく眠りに落ちていった。
朝、ジンネは日の光で目を覚ました。タマヤはまだ寝ているが、カジュはもう起きて洗濯をしていた。
「カジュ、昨夜はありがとう。」
「私からあげられる物、なかった。」
「いいえ、昨日持っていたものを今日に持ってこられた、それだけで十分なんです。では、俺はもう行きます。タマヤによろしく。」
ジンネは獣道に入っていった。その先に、また別の出会いがあるかもしれないと思いながら。