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老人と廃都  作者: 一条志築
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第二話 もう一つの歴史

 ジンネは、乾燥した空気を感じた。暖かくなってきたとはいえ、まだまだ冬の名残が残っているのだろう。それに、これからの時期この地域は砂嵐が発生しやすくなるはずだ。ジンネは冬用のストールで顔を覆っていたが、もっと暖かくなればそれも厳しくなるだろう。かといってシャツを裂くほどの余裕はない。荒れ果てた都市で、ジンネは悩んだ。さすがにこの都市に布が残っていても、使う気にはならない。

 自分のこの服は、糸作りと機織りが趣味の人が近所にいたからこそ手に入ったもので、そうでなければ自分も先日のユンジュ少年のようにボロボロになった服を継ぎながら着ていたことだろう。

 この地域は先日訪れた大都市ほど発展してはいないが、自分の故郷に比べれば非常に大きい都市だったようだ。それでも、数十年の間に積もった砂に埋もれかけている。この都市はあの大都市より人が少ないらしい。そうでなければ、より砂嵐の被害が大きそうな先日の大都市が砂に埋もれていないことを説明できない。

 ふと、何かが料理されているような香りを嗅いだ。肉を煮込んでいるような匂いだ。ジンネの腹が鳴る。さすがに昨日は何も食べていないので、腹が減ってしまったようだ。とはいえ、作っている人も他人に食料を分け与えるほど余裕があるとは限らないので、それを探しに行こうという気にはならない。今はこの匂いから遠ざかって、どこかで干し肉を食べるのが得策だろう。

 そう思って歩きを速めたが、角を曲がったところでその匂いの大もとに辿り着いてしまった。とたんにジンネの腹がぐうとわめく。料理を作っていた男は顔を上げてジンネの方を見る。

 「…すみません。通りかかっただけですので。」

 「いや、腹減ってんのかい?じゃあ食べていけよ。ろくな味はしないが、まあ満たされるさ。」

 訛りの強い共通語で喋るその男は、混ぜていた鍋からお玉を取り出して手招きする。ジンネは少し迷った。いくら腹が減っているとはいえ、なんの義理もない人から施しを受けるのはどうだろうか。相手に余裕があるなら話は別だが、彼にそんな余裕があるようには見えない。

 「いや、あなたも今日食べるので精いっぱいでしょう。さすがにもらうわけには。」

 ジンネはそう言って遠慮したが、男は笑って手招きを続ける。そんなに来てほしいなら、とりあえず寄るだけ寄ろう。料理の汁くらいは貰ってもいいだろうから。

 と、男はすぐ後ろの布をちらとめくった。そこには、大きな猪が吊るされている。

 「昨日罠にかかってたんで、仕留めて持って帰ってきたところだったのさ。ほら、ここけっこうでかい街だろう。運ぶだけで一日かかったんだ。そんで、今はモツを煮てるところ。すぐダメになるし、誰かと分け合った方がいいんだよ。俺を助けると思って、な?」

 なるほど、この男は野山に残った食料を捨てに行くのは嫌なわけだ。確かに内臓は傷みやすいし、かといって一人で食える量ではない。せっかく運んだのにすぐ傷んでじゃあ捨てよう、となるのは悔しいのだろう。

 「…わかった。じゃあ、俺も食べましょう。」

 ジンネはそういうと、男が差し出した丸太に座った。男は欠けた陶器の器に汁を注いだ。

 「ボロいけど、乾杯をしよう。この出会いに!」

 「この出会いに。」

 二人はモツのスープを食べ始めた。少し生臭いが、大切な食糧だから問題はない。

 「…俺、前にも野鹿を仕留めて持って帰ってきたことがあるんだが、鼠と違って内臓が食べきれなくて。肉は干すなり燻すなりして保ったんだが、モツは脂が多いだろう。すぐに変な匂いになったし、鳥や野犬に襲われそうになったりして散々だったのさ。」

 男は汁をまた注ぎながら言う。ジンネはそれを聞いて、彼が一人で狩猟を学んだのであろうことを感じた。

 「内臓は食えるものだけ取って、あとは野山に残せばいいんだ。どうせなら血抜きもそこでしてしまえばいい。そうだな、火を通すなら肝臓なんかは栄養価が高いと思うぞ。腸は処理が大変だから捨てていい。ああ、あと肺はどうせ食えたもんじゃないから捨てていいな。ただしハツは残せ。あれは筋肉の塊だから脂が少ない。」

 ジンネは木の枝をそのまま使って作られた箸で汁の中からそれぞれの部位をつまみ上げて説明した。男はそれを聞いて感心したような声を上げた。

 「あんた、詳しいな。見たところそこそこ年食ってるようだけど、なんかやってたのかい?」

 「ああ、まあ。幼い頃はまだ情報がよく入って来てたからな。俺は興味本位で色々と調べたりしていたものだ。」

 「へぇ、調べるだけでいろいろ分かったのか。すごいな。」

 「あんたは知らんだろうが、便利な時代だったよ。」

 ジンネはスープを注ぎながら答えた。

 「なあ、あんた他にどんなことを知ってるんだ?」

 「さぁ。いろいろ、今じゃ使えない知識とか。」

 男はモツを食いちぎるのに苦戦しながらジンネを見た。これは話せということだろうか。


 「…この街は、かつて国の要地となったこともしばしばあった、歴史の深い都市だ。結局あまり重要な場所として光を浴びることは少なかったが…。

 この国が疲れ果てた時、人々はこの街を捨ててもっと重要な街に行ってしまったんだろう。だから、ここに残った人が少ないんだ。この街がこんなにもたくさんの建物があるのは、元々は人がたくさんいたからだ。歴史が深い土地は、得てして人が好みやすい。そうした理由もあって、この街に残る人はまあ居はしたんだろう。

 俺が小さなころ、この国の様々な食べ物が売られる街に行ったことがある。俺はこの街のある地方の飯の方が好きだった。そうやって、文化を紡いで育てて、文明にして、繋がってきたものが…時代の流れで、消えてしまうのは惜しいことだった。」


 ジンネは空になった椀を見ながら、つぶやくように言った。

 ジンネの瞳が、揺らいだ。この動物の内臓を適当に切ってぶち込んだだけの料理と、昔食べた料理を比べてしまったのだ。

 「おいおい、そんな顔するなよ。そんなにまずいかな、この鍋。」

 「ああ、そうだな、食えなくはないが、うまいわけじゃない。」

 「はは、そうかい。…泣くほど、昔の飯ってのはうまかったか。」

 「ああ…」

 ジンネは懐かしいと思った。泣くことも、昔異国の料理を食べたことも。母に連れられて食べたあの料理の名前は、忘れてしまった。それが時間なのだ。


 「…鍋をありがとう。」

 「もう行くのかい。まあいいや、だいぶ減ったな、これなら明日にでも食べきれる。ありがとうな。そうそう、あんたの知識、ありがたく頂戴するよ。」

 「構わない。肉と違って、知識とは分け与えても減らない財産だからな。」

 ジンネはそう言うと、荷物を背負って歩き出した。もう料理の匂いを嗅いでも腹は鳴らない。満たされているはずなのに感じる空白を、どこか悲しく思いながら、春の風に吹かれた。

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