20話▷閃くは黄金の眼光
海底迷宮へ近づいてゆくと、話に聞いていた通りぽっかりと口を開ける黒い魔孔の周囲は酷い有様じゃった。
いくつもの渦潮が船の行く手を阻み、それに巻き込まれた残骸なのか……岩周辺や海沿いの崖のくぼみには、砕けた船と思わしきものが浮き溜まっている。
しかし流石は魔導駆動船。
渦潮などものともせずに突き抜けて、あっという間に入口へと到達した。
そしてわしらはここまで運転してくれた船員たちを残し、迷宮入り口へと足を踏み出す。
入り口とは船から梯子で降りた先……墨で塗りつぶしたような、黒い黒い魔孔の淵である。
その中へ足をつけた途端に、靴はカツンっと音を立てて石の床を踏んでいた。
……以前の湖底迷宮でも経験したが、この唐突な移動にはどうも慣れぬな。
仲間達が全員その場に降り立ったことを確認すると、ぐるりと周囲を見渡す。
全体が青みがかった白い石で作られておるが、上部だけは別。
先ほど通ってきた魔孔と同じ大きさの穴が、水面のようにゆらゆらと青い空を映して揺れていた。
その中に時折すいっと銀鱗を光らせた魚が通り過ぎたりと、なかなかに神秘的な光景じゃ。
すぐ近くにあるそれに触れれば、ぴちゃんっと音を立てさらに揺らぐ。
もう少し手を突っ込めば、先ほどの入り口と同じ場所に出ることが出来るはずじゃ。
クロエ曰く、ここの入り口が開くのは一日に二回、それぞれ四時間ほど。
朝早く出たため最悪二回目の入り口が繋がった時に戻ればよいが、迷宮の広さを考えるとあまり時間の余裕はなさそうじゃの。
「ここが海底迷宮か。……静かだな」
「周りが海に丸ごと覆われているからな。それだけ壁も分厚く、音の遮断率が高いのだろう。以前湖底の迷宮にも立ち寄ったが、似た雰囲気だった」
降り立った先、海底迷宮の内部を物珍し気に見回すルメシオに解説を添える。
しかし口にしたことで少々嫌な記憶が蘇り、わずかに自分の眉が寄るのを感じた。
アウネリアと共に訪れた初めての迷宮。
そこでわしは危うく私怨に駆られ、彼女を背後から切る所だった。
魔王の魂を持つからといって、アウネリアは魔王ではない。それは共に過ごしていく日々の中でよく分かっていたはずだというのに……。
過去に落とされた影は、生まれ変わろうとも記憶と共に引き継がれてわしの心を蝕んでおる。
まったく、忌々しい事じゃ。
だが今回はアウネリアとふたりきり、というわけではない。
ルメシオにリメリエ、クロエと他の人間がいる限り、こんな隔離された空間でもわしがとち狂うことはないじゃろう。
「ではさっそく、最深部を目指しましょっ!」
「張り切っているね、アウネリア」
「当然よ! 私は最新の魔学の研究をしているけれど、それも過去の叡智の積み重ねの上にこそあるものだわ! 古代の技術にも大いに関心があるの。今回はクロエのサポートだけど、しっかり勉強させてもらうわよ」
「あははははっ。いいね。アウネリアのそういう才能に驕らず努力家で勉強熱心な所、僕はとっても好きだよ。」
ふんすふんすと鼻息を荒くして張り切るアウネリアを微笑ましそうに見るクロエ。
……乱暴な国外逃亡の教唆や人をけむに巻くような態度で未だ信用は仕切れておらぬが、アウネリアを慈しむ感情は本物のようだと……少しの間共に過ごし、そこだけは信用できた。
疑ってばかりでなく、わしももう少し彼女に歩み寄るべきかもしれんの。
今後もアウネリア共々、世話になることじゃし。
カツーンカツーンっと、迷宮の石畳を踏みつけると、それが反響して周囲に響く。
時折その音につられてか迷宮魔物が襲ってくるが、それ以外は静かなものじゃ。
仲間の息遣いすら大きく聞こえる。
「…………。あ、あのぅ……。そういえばアウネリアって、魔学の天才なんですよね? 専攻はなんなんですか? やっぱり魔導機構なんです?」
静謐な空気の中での沈黙に耐えかねたのか、リメリエが世間話のようにそう訊ねた。
ちなみにクロエの前であるにも関わらず本名呼びなのは、わしとアウネリアは本名のまま冒険者として活動しておるからじゃ。
ここは他国。"アウネリア"と"エイリス"が行方不明になった某国の公爵令嬢とその婚約者の名前だと知るものは少ないし、捜索隊の方はまさか攫われた人物達が本名で堂々と冒険者をしているなどと思わんじゃろうからな。
下手に取り繕ってもボロが出るしと、そのままの名を名乗っておる。
ちなみにルメシオとリメリエだけ偽名なのは、こちらはクロエ対策である。
どうもこの女人は情報通のようじゃからな。万が一にも名前からルメシオ達の身元が知られては面倒じゃ。
……うむ。
歩み寄ることを考えてはおるが、やはりまだ完全に信用も出来ておらぬ。
これはおいおい、改善していかねば。
そしてアウネリアが魔学に精通しているという情報は共有されているので、リメリエの質問はこの場でなかなかに良い雑談となりうる。
問われたアウネリアは、胸を張って誇らしげに答えた。
「全部よ」
「は?」
「だから、全部。おかげでいくら時間があっても足りないの」
「さらっと言ってくれたが……デタラメだな」
黙って聞いていたルメシオが声に出すほど、それは心底驚くべき内容なのじゃろう。
「本当にね。魔導生物学、魔導機構学、魔族学、魔術回路構築学、魔法現象論理学、魔導言語学、魔術設計学……とまあ、魔学と一言に言っても、内容は多岐にわたる。それを彼女は十歳で……いや、これは秘密にしておこうかな」
クロエはリメリエとルメシオの手前、アウネリアが十歳で博士号をも取得した天才魔学公爵令嬢であるという内容を伏せたようじゃが……あそこまで言っては、あまり隠しきれてはいないのぅ。
嬉々として話題に乗ってきたところを見るに、よほど自分のお気に入りを自慢したいのじゃろう。
まあ、身内を褒めたい気持ちは分かるがのォ!
アウネリアだけでなく、ルメシオもリメリエもすごいんじゃぞと語りたくなるところを、わしはぐっと抑えた。
「ほあ~。……アウネリアってすごいんですねぇ」
「だろう? それにしても、リーエくんも魔学に興味を持ってくれると嬉しいな! 魔学は人類が築き上げてきた叡智そのものだからね。僕としてはもっと広く興味を持つ人が増えてほしいと思っているよ」
「同意見です。今ではまだ学べる場所が限られていますが、広く知られるべきだ。そうすでば魔族、魔物被害も減少するでしょう」
クロエは黒い眼帯で覆い隠されていない方の眼でルメシオを見ると、にっこりと笑う。
「……だね! 魔学は正に人類の歩み。だから尊く美しい。変わらぬものなどつまらないものさ。進歩あってこその"生命"だ」
最後だけ何処か独白のような響きでもって呟くと、男装の麗人は軽やかな足取りで迷宮の先へと歩を進めた。
そうこう話しているうちに、迷宮の攻略は危なげなく進む。
出てくる魔物は地上よりも比較的強いが、対処できないほどでもない。
地元民から借りた地図もあるから道も最速最短で進むことが出来る。
そして階段をいくつも降りる中、時折ここが海の中であることを思い出しては古代の技術に舌を巻いた。
けして現在の魔学が劣っている訳では無いじゃろうが、これら迷宮という建造物を見るに今では再現不可能な技術も太古の昔にあった事が伺える。
今では滅びた文明じゃの。
今の技術ではこんなものを作るのは困難じゃろうて。
少なくともこれ程の深き水の底、人が到達したという記録をわしは知らぬ。
まこと、歴史とは神秘よの。
そしてある階層に到達すると、ガラリと景色が一変した。
階段を降りた先にはこれまでの青みがかった白い石壁と違い、黒々とした材質の石壁に囲まれたかび臭い部屋。
その先には対極をなすように真っ白な柱が並び、手前が黒いだけにひと際目立って見えた。
かび臭い手前の部屋とはこれまた対極で、繊細な細工の施された白亜のそれらは劣化を感じさせることなく、先にあるものを守るように屹立していた。
「きれい……」
思わず、といったふうにアウネリアが言葉をこぼす。
うむ。わしも同感じゃ。
柱のその先。おそらく神殿にあたる部分には、中央に水晶で作られた女神像が鎮座していた。
さらにその向こう側は……無骨な石壁など無い、深い藍色に沈む広大なる深海。
魔法なのか透明な壁なのかは分からぬが、神殿と海は何かしらで遮られているようで水が流れ込んでくる様子は無い。
見るに地上の光も届いておらぬのか、遠方を見渡せぬ暗さじゃが……。
神殿を囲うように群生している光る珊瑚が、冷たい水底に彩りを与えていた。
なんとも神秘的。
周辺の港町の人々が苦労してでも祭にてここまでたどり着き、女神像を崇めてきたのも理解できるというものじゃ。
「柱の先が神殿兼、中枢部だね。アウネリア、僕のサポートをしてくれる? 他のみんなはここで魔物が襲ってこないよう見張っててくれると嬉しいな」
「承知した」
見るに神殿部分は極端に狭い。海が透けて見えるため広く感じるが、大人数が入るのにはむかんじゃろう。
クロエは軽く礼を言うと、アウネリアと共に女神像の下に跪き台座をいじる。
するとカラクリ仕掛けの振動があった後、台座が割れて複雑な回路が姿を現した。
「……ルメシオ。あれ、どういうものか分かりそうか?」
「まったく。俺としても魔学を多少齧っていますが、古代技術となれば完全に専門外ですね。……もともと専門家が少ない分野でもありますが」
「なるほどのぅ……」
「ひぃ、ひぃ。やっと休める……」
「リメリエ、飴はいるか? 少しは疲れが取れる」
「いただきますぅぅ……」
なんだかんだ時間制限もあるため、下りとはいえ休まずここまでたどり着いたからの。疲れるのも当たり前じゃて。
しかし休むにしては、この黒い部屋は妙に湿っぽくて嫌な感じじゃのう……。海の底ともなれば湿気は致し方ないが。
神殿の方は乾燥して見えるのじゃが、あれか。神殿を清浄に保つために、何かしらの仕掛けで湿気をこちらに排出しておったりするのじゃろうか。
せめてリメリエだけでも座らせて休憩を取らせたかったが、やむなく共に立っての見張りとなる。
ここに来るまでに散々屠ってきたから魔物どもも警戒しておるじゃろうが、ここが行き止まりじゃからな。数で押し入られたら修繕している中枢部に被害が出かねん。
出来るだけ入り口から魔物が顔を出したらすぐに対処できるよう、気を緩めぬように努めねば。
そしてそのまま、思ったより作業の時間は長く続く。
リメリエなどは疲労もあってか、あくびをかみ殺して体をふらふらさせていた。
「待たせてごめんね。眠くなっちゃったか」
「!! ね、寝てまひぇん! ごめんなさい!」
「いいよ、いいよ。仕方がない。……でも、そうだね。お詫びでもないけど、せめてさっきみたいな雑談で楽しませるとしようか」
「そ、そんな。作業もしてるのに、結構ですよぅ」
「そう遠慮しないで。多少話した程度では影響でないからさ。僕の腕を信用してよ」
そう述べると、クロエは器用に装置をいじりながら雑談とやらを開始した。
「さっきは僕ら人類の発展……魔学について話していただろう? でも不思議だよね。人間は自分たちがこれ程の発達を手にしているのに、魔族の在り方はずっと変わらないと思い込んでいる。どうしてだと思う?」
思いがけない問いを投げかけられたわし達は、それぞれが一瞬言葉に詰まる。
クロエと一緒に作業しているアウネリアもまた、不思議そうに眼帯の麗人を眺めていた。
「どうしてって……魔族は魔族、でしょう?」
「リーエくん。それは思考の停止というものだ。そういうものだから、で片付けてしまっては物事の全てがそこで終わってしまう」
「それはそうだか……。いやしかし、魔族学で我々は常に相対すべき敵である魔族の研究は怠っていない」
「うん、それに間違いはないね。でもそれは、これまでに観測された魔族についての分析を行っているに過ぎないよ。彼らの先にある可能性については、ほとんど考えている者はいない」
「魔族の可能性?」
ふと感じる、違和感。
「ああ。彼らはこの世界に存在しない霊的生命体という未知の生命。この世界の生き物に取り付くことで実態を得るが、その前段階の……彼ら素のままの状態での観測はほぼ行われていない。そこまでの余裕が無いのもそうだけど、魂という不可視の存在を我々の目に収めるためには非常に高度な術が必要だからね。乗っ取られるのを防ぐ、までが精一杯なのが現状さ。その防ぐことこそ我々がやっと魔族と対等になり得た素晴らしき進歩の証ではあるのだけども」
饒舌に語るクロエだが、その橋場美色の瞳は何処か熱に浮かされたような蕩けた色を帯びていた。
違和感は増す。
「魔界からこの世界に訪れ続ける魔族という種族。彼らは肉体を持たないままに、生命として確立されている。つまり長い年月をかければ学習し、生存本能によってその身を生きるために適したあり方に変えていく可能性を秘めているのだよ。病気だってそうだろう? 人が薬を作っても、そのうちその効果を乗り越える新たな病気が現れる」
「えっと……。つまりクロエさんは、魔族がいずれ人類の守護の術を突破する方法を身につけてくると?」
「ああ、すまない。病気で例えたのはよろしくなかったかな? うーん……なんというかね。この連綿と続くイタチごっこには、そろそろ終止符を打つべきなんだよ。争いは発明の母でもあるが、それによって得られる発展の方向性は果たして魅力的かな? 価値がどれだけあると思う? 少なくとも僕の眼には魅力的に映らない。……だからお互い、争う以外の別の道もあると僕は考えるよ」
「別の道? それに、お互いって……」
困惑するリメリエの横で、わしは剣を抜いて一気に踏み込んだ。
「エイリス!?」
抜き出す刃の先はクロエ。この動きは勘という他ないものじゃったが、迷いはなかった。
驚愕するアウネリアが視界の端に映るが、それに躊躇するよりも今はまずクロエを彼女から引き離したい。
しかし。
「争いを止めるのに必要な事。それはとても、とても簡単だ」
余裕の顔をしたクロエに剣が届く前に、ぎぃんっと硬質な音を立てて刃の先が折れる。
「なっ!!」
その振動に剣を取りこぼしたわしの姿が愉快だったのか、クロエはいつものように楽し気な笑みを浮かべた。
「受け入れればいい。互いに認め合う、実に平和的な手段だ。僕らが魔族と目指すべきは一方的な乗っ取りでもなく、一方的な排除でもなく……共存だよ」
気づけば白亜の柱の間に透明な壁が出現している。おそらく神殿と海を隔てているものと同種のものじゃろう。
硬度は今見た通り、わしの一撃でも砕けぬほど。
「どいて!」
「!」
ルメシオの声に場を退けば、炎の魔法を凝縮したルメシオの魔法剣が透明な壁に迫る。
しかし。
「ごめんね? ルシオくんとリーエくんは出来れば巻き込みたくなかったんだけど……運が悪かったと諦めてよ。僕は平和を望むけど、その過程で彼はどうしても邪魔なんだ」
「がっ!?」
「ぐぅ!!」
「きゃあああああ!?」
「エイリス! リメリエ! ルメシオ!!」
突如として黒壁の部屋に流れ込んできた水によって炎の剣はかき消され、それどころか全員が足元を掬われる。
まさかこの部屋が湿っておったのは……!
「神殿最奥を守るための仕掛けの一つ、気に入っていただけたかな? ふふっ。まさか貴方まで生まれ変わっていたとは驚いた。しかもずうっと彼女のそばに居るんだもの。手を出せなくて困ったし、貴方の実力は高難易度依頼を容易くこなせるほど今世でも健在。いやはや、情けない事にこんな回りくどい方法しか思いつかなくてね」
「クロエ……クロエ!! なにをしているの!? 何を言ってるの!? 冗談はやめて、早く水を止めて! エイリス達が溺れちゃうわ!」
「それが目的ですから」
「なにを……」
クロエに縋りつくアウネリアの前で、眼帯の女は恭しく跪く。そして。
「【永きにわたる眠り、おいたわしいばかりでしたがようやくお迎えにあがれました。我が主君】」
クロエの声がぶれ、重なる異音、もう一つの声。
そして橋場美色の瞳は次いで視線をわしにむけ、ぐいっと眼帯を持ち上げた。
閃くのは魔性を秘めた黄金の輝き。それと視線がかち合う。
「【勇者エディルハルト。貴様はこれより訪れる新たな世界に無用の長物。そこで海の藻屑と朽ち果てよ】」
魔族として姿かたちを作り変えられることなく、人間のまま魔族の特徴……中でも魔王しか有していないはずの金色の魔眼を有した未知の存在が……そこに居た。




