1話▷公爵令嬢が婚約を仕掛けて来た
「婚約破棄を前提にわたくしとお付き合いしてください!」
ある日、美貌の公爵令嬢からとんちんかんな告白をされた。
「ええと……?」
夜会の途中で突然呼び止められたかと思ったらこれである。
婚約を前提にお付き合い、ではなく婚約"破棄"が前提のお付き合い。いったいどういうことだろうか。
周囲に人の気配はなく、静かな庭園が広がっていた。
物陰で時々音がするのは、夜会で盛り上がった男女が逢瀬を重ねているのだろう。
自分たちも傍から見れば同じように見えるのかもしれないが、目の前の彼女とは初対面である。
……こちらは《《監視対象者》》として一方的に知っていたが、少なくとも話すのはこれが始めてだ。
「アウネリア・コーネウリシュ様……でございますね? これはどういったご冗談でしょうか」
伯爵家、それも養子である自分が由緒ある公爵家のご令嬢に声をかけられては断るわけにもいかず、ここまでついてきた。
問いかけるのも無礼だろうと彼女が口を開くのを待っていたが、いざ開かれたら予想だにしない内容。流石に面食らう。
ともかく気を引き締めねばなるまいと、外面だけでなく内心に至るまで緊張の糸を適度に張り巡らせた。
ここは周りの視界が開けた東屋であるため人が居れば目立ちこそするが、代わりに周囲から人が近づけばすぐに知れる。
身を隠しての密会にこそ向かずとも、会話を秘匿するにはおあつらえ向きの場所だ。
……少なくとも、人に聞かれたくない内容であることは間違いない。
この先にどんな言葉が続こうとも。
ぴりりと、緊張の糸が警戒心で震えるのを感じた。
「冗談ではございませんわ。そのままの意味です。……まあ、訳が分からないでしょうね」
「はい」
素直に頷けば公爵令嬢……アウネリア様はその翡翠のごとき瞳をこちらに向けて笑った。
「あら、思いのほか素直でいらっしゃいますのね。好ましいわ」
「それは、光栄にございます」
「……だけど、少しそっけない。光栄と言うならば、そういった表情をされてはどうかしら。無表情で言われても虚しいだけですわ。流石は氷樹の貴公子とささやかれるお方ですこと」
「その呼び名は気恥ずかしいので、やめていただきたいのですが……」
「皆さんそう呼んでいましてよ? 今日の夜会でも多くの淑女から熱い視線を集めていたではありませんか」
「面と向かって言ってきたのは貴女様が初めてですよ」
「まあ、そうなの。ふふっ。ではわたくし、貴方の中で印象に残ったかしら」
話してみれば思いのほか気さくな態度で驚くが、気は緩めない。
何故なら彼女は……。
「では本題に入らせていただきますわ。先ほど申しあげたとおりに、婚約を破棄することを前提にわたくしをお付き合いしていただきたいのです」
「……理由を聞いても?」
「当然ですわ。何も聞かず黙って従え、などと言うほど乱暴ではございません」
ここまで腕を掴んで連れて来たのは結構乱暴だったのではと言いかけるも、ぐっと飲み込む。
「……わたくし、今年で十六歳になりますの。当然婚約話も多く舞い込んでまいります。ですが皆一様にこういうのですわ。……婚約を機に魔学の研究は今後一切やめよ、と!!」
一気に語気が強くなる。
「わたくしほどの天才を前に! やめろなどと! まったく馬鹿馬鹿しい腹立たしい! この世の宝と崇め奉るならともかく、やめろですって!? ふざけないでほしいわ! 無能しかいないのかしら! 血筋よりも美貌よりも、まずこの叡智を認めずして何が国のためよ! まったく。まったくまったくまったく! ちゃんちゃらおかしいわ!」
「アウネリア様、声が響きますが……よろしいので?」
「…………! あ、あら。失礼? ほほっ」
だいぶ口調が崩れたなぁと眺めつつ、あくまでこちらは冷静に。
彼女のペースにもっていかれてはならない。
アウネリア・コーネウリシュ。
我が国の三大公爵家の一角、コーネウリシュ家のご令嬢だ。
王族の血を強く受け継いでいることが窺える、金赤色の髪に煌めくような翡翠色の瞳を持つ美しい娘である。
しかし家柄やその美貌よりも、彼女を有名人たらしめている要因は別にあった。
現象たる魔法、化学たる魔術、学問たる魔導。更には魔力、魔族、魔物。
"魔"とつくもの全てにおいての研究の総称、それを"魔学"というが……。
アウネリア様はその分野において、齢十で博士号を取得したほどの天才なのである。
ただその一方で、公爵令嬢にも関わらず自ら野に出て魔物を狩ったり、その死体をかき回して研究を重ねる変わり者としての姿が非常に有名であった。
「……こほん。取り乱しましたわね。恥ずかしい所をお見せしました」
「よろしければ、貴女様の話しやすい言葉をお使いください」
「まあ、よろしいの? ふふっ、すました顔して優しいのね。では、お言葉に甘えようかしら」
……言ってはみたものの、ずいぶんこちらに心を許すのが早くないだろうか。
どうにも嫌な予感を覚えつつ続きを促す。
この余裕の出どころは、いったい何処だ?
「ともかく、そんなわけでね。私は自分で婚約者を探すことを決めたわ。そこで貴方を見初めたというわけ」
そんなわけで、とまとめられても未だに彼女の目的の本質が捕らえられない。
首をかしげていると、アウネリア様は慌てたように付け足した。
「ああ、今のじゃ分からないわよね! もう、どうして私は人に説明するのが下手なのかしら。本当に申し訳ないわ。……えーと、ね。私はとにかく魔学が大好きなの! 今後も一生を捧げるつもりよ。趣味ですもの! これなくして生活に潤いなどありえない。……だから今現在私に婚約を申し込んている相手達も、私に魔学をやめろと言う親族もどうにかして蹴散らしたいの」
(蹴散らしたいと来たかー)
話しやすい言葉を使っていいよとは言ったが予想以上に砕けて来た。
貴族のご令嬢というよりも、威勢のいい町娘といった風情である。
「でも私が公爵家の娘である限り、この国にいる間はどうしたってそういった責務がついて回るのよね。……ままならないわ。研究を辞めろなんて言わなければ、こんなことを考えなくていいのに」
(ん?)
どうにも雲行きが怪しくなってきた。"こんなこと"?
かくして、予想は当たった。
「私ね、決めたのよ。偽装婚約で油断させておいて、国外逃亡しようって!」
拳を握って高らかに宣言されたそれに、取り繕っていた外面も"内心"も一瞬崩れそうになった。
しかしなんとか持ちこたえて、突拍子もない事を言い始めた少女に待ったをかけようとする。
が、彼女は本題に行きつけて嬉しいのか、滔々と語る言葉は止まらない。
「ふっふーん。もう国外での後援者のあても見つかっているの! でも前より監視の目が強くなって、サンプル採取の冒険すらもままならない。このままだと結婚という手段で飼殺されてしまうわ! そんなの嫌よ。それくらいなら私は国を捨てるつもり」
思い切りが良すぎではないだろうか。
どうして公爵家で育っておきながらこうなったのだろう。
「でね? その偽装婚約だけれど、私に女としての興味が無くて、周りの誰もが認めるような人がよかったの。……そう! 魔将ネグレスタを単騎で打ち倒し、魔王軍の残党からこの国を救った貴方のような!」
言うなり彼女はこちらの手を握って至近距離から見上げてくる。
濡れた睫毛に潤んだ瞳。並の男ならばこれでイチコロだろう。
「だから、お願い。……氷樹の貴公子、魔将殺しの英雄、エイリス・グランバリエ様。私と婚約破棄を前提に、お付き合いしていただきたいの! ちゃんと時期が来たら貴方に迷惑がかからないように上手く取り計らって破棄するから! それまでの間! お願い! この通りよ!」
「…………。どうしてそれを私が引き受けると思ったのですか? そのような話を聞いては、御父上であるコーネウリシュ公爵様に報告せねばなりません」
ひと呼吸おいて、冷静に返す。
そう、冷静に。冷静にじゃ。
手を握ったままぐいぐい迫ってきて頭を下げる様子は、ともすれば熱い愛の告白に見える。
だが実際の内容は公爵家息女の国外逃亡幇助。知られればいくら英雄の称号とグランバリエ伯爵家の後ろ盾があれども首が飛びかねない。
こちらがその危険を冒してまで、協力を得られる確信があるのか? それだけの材料が?
だが「私に女としての興味が無くて」と言うくらいだ。色仕掛けの類ではあるまいて。
……そもそも、何故その美しさを携えておきながら、自分に女としての興味が向けられないと断言出来た?
疑問を抱くばかりの時点で、彼女の手のひらの上だったことを気づくのはこのすぐあと。
「どうして貴方が引き受けると思ったか? ……それはね。私が貴方の秘密を握っているからよ」
「ほう。それはどんな?」
やんわりアウネリア様の手を外し、問う。
この時はまだ余裕があったが、アウネリア様の翡翠色の瞳が……一瞬金色に染まり、きらりと光る。
「!!」
それを見てざわりと肌が粟立つのと同時に、彼女は言い放った。
「貴方は隠匿されし禁断の大魔術、転生の儀で生まれ変わった魔王殺しの勇者様だわ!」
息をのんだ。
「ふふふ! この眼は人の魂を見通すの! 記憶も当然、引き継いでおいででしょう? はっきりくっきり、前世のお姿が重なって見えましてよ! 広場の英霊像にそっくり!」
「な、ななっ」
「ええ、ええ。そりゃあ、魔王より格下の魔将なんて倒すのは容易かったでしょうよ! お会いできて光栄ですわ勇者様! けどいくら英雄様や勇者様でも、転生の儀は圧倒的禁忌! 極刑は免れない!」
さっきまでの下手な様子をかなぐり捨てて、アウネリア様はビシッと"わし"を指差した。
そこには絶対的なる余裕があった。
「エイリス様! この事実を公表されたくなければ、この私に従ってもらいましてよ! 享年は御年百三歳だったかしら? 小娘である私に興味があるはずもなし! 実力、人柄はお墨付き! まさにうってつけですわ~! ほーっほほほ!」
「な」
とりつくろっていた仮面は、その瞬間くだけ散った。
「なんじゃってーーーーーーーー!?」
その日、このわし。
勇者エディルハルトの生まれ変わりであるエイリス・グランバリエは、監視対象であった《《魔王の生まれ変わり》》である公爵令嬢に告白され、無理やり共犯者にされたのじゃった。
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夜の闇の中。夢のごとくきらびやかに浮かび上がる光が、豪奢な屋敷を彩っている。
その多彩な明かりは豊かさの象徴のようであり、中では着飾った紳士淑女が社交のひと時を過ごしていた。
「まあ、見て。氷樹の貴公子様よ」
「本当だわ。なんて凛々しく美しい横顔かしら」
幾重にも光を拡散させるシャンデリアの下、華やかな淑女たちが扇の影で囁き合う。
その視線の先に居るのは、見事な銀髪を撫でつけた一人の青年だった。
すっと通った鼻、濃い藍色の瞳、きゅっと引き結ばれた薄い唇。
体は一見すらりとして見えるが、それは脚の長さゆえだろう。体躯そのものは服の上からでもよく鍛えられていることがわかる。
表情にこそ愛想は無いが、それがまた怜悧な美貌に拍車をかけていた。
雪原に凛と立つ氷の樹のような気品を称え、ひそかに「氷樹の貴公子」の二つ名で呼ばれる彼の名はエイリス・グランバリエ。
年も二十五と若く、未婚の貴族令嬢の熱視線を一身に集めている。
「素晴らしい体幹をしているな……。身のこなし一つとっても隙が無い」
「ああ。その上で武骨でなく優美な振る舞いだ。元が平民だとは思えないな」
「おい、それを口にすると淑女の皆様からにらまれるぞ」
「おっと、失敬」
青年を羨望の眼で見るのはなにも女性だけではない。
多少の嫉妬も入り混じってはいるが、男性からも熱い視線を向けられている。
というのも、それは美貌ではなく彼の功績によるものだ。
彼は数年前、長きにわたり交戦していた魔王の残党軍の中核を単騎で打ち倒した英雄なのである。
その際に騎士の位を授けられる運びとなったが、彼の働きにいたく感銘を受けた伯爵家が養子として迎え入れた経歴を持つ。
現在までも実績を出し続けており、現在では彼を「元平民」として侮る者はほとんどいない。
そんな彼は伯爵家の者として夜会こそ訪れるものの、いつも必要以上に特定の令嬢の相手をすることが無かった。
浮いた噂の一つもきかず、その硬派さがまた令嬢に人気のある一因だった……のだが。
本日、それは過去のものとなった。
「え、うそでしょう?」
「あ、アウネリア様の手をお取りになったわ」
挨拶を交わしながら社交の場を縫って彼が向かった先。
それは本日の主役……自らの婚約発表のためこの社交の場を設けた、アウネリア・コーネウリシュの場所。
相手の事は様々な憶測が飛び交うも、彼女に婚約を申し込んでいた他公爵家か、はたまた王族か。そんな風に推測されていたのだが……。
「わたくしアウネリア・コーネウリシュは、この度エイリス・グランバリエ様と婚約いたしました」
うやうやしく彼女の手をとったエイリスと共に、アウネリアは満面の笑みで自分たちの婚約発表を告げるのだった。