8-18 授業・2
昨日と同じ、応接室。昨日同様、十三刻より二、三短刻前に、王女ライシュニディアと乳母子の女騎士は現れた。その背後にはドレス姿のジュディオラン。昨日同様の配置でやってきた者たちに、ロワは昨日同様淡々と、「そこのソファに座ってください」と告げる。
ライシュニディアは今にも泣きだしそうなほど悲痛な表情をし、ジュディオランは仮面のような無表情を貫き、と表情に違いはあったものの、揃って無言で素直にソファに座り込む。逆らう気がないというのはこちらにとってもありがたい。香炉と香の準備は昨日同様にしてある、あとは呪文を唱えて術式を発動させるだけだ。
――が、そこに、がしゃりと音を立てて、完全武装の女騎士が割り込んできた。
「待て。あくまで王女殿下にけだものどもの醜行を見せようとするならば、私にも同じものを見せてもらおうか」
「………なぜですか」
「私は姫さまの……ライシュニディア王女殿下の護衛であり、守護騎士だ。それが姫さまのお心を安んじることができぬなど、騎士にあるまじき失態。ならばせめて王女殿下と同じ苦しみを味わわなければ、私は自分自身を許すことができぬ」
「……あなたが女性同性愛者である以上、見たくもないものを見せられる嫌悪感についてはライシュニディア王女よりさらに上だと思いますが、それでも? 俺としても、あなたにあの光景を見せたところでなにも得るものはありません。ライシュニディア王女にとってすら、それは必ずしも心の慰めにはならないかもしれない。それでも?」
「くどい! 姫さまの苦しみを自らのものとする覚悟なしで守護騎士を名乗れるはずがなかろうがっ!」
「………わかりました」
そう言われても俺はあなたがライシュニディアの守護騎士だってこと自体今初めて聞いたし、そもそも守護騎士ってものがなんなのかよく知らないんだから、そんなこと言われても納得のしようがないんですが、という言葉を呑み込んで、ロワはうなずいた。少なくとも、この女騎士の、妄信にも似たライシュニディアへの一途な執心は、それなりに理解できた、と思ったからだ。
「それでは、そちらのソファに……ライシュニディア王女の隣に座ってください。そしてゆっくり、静かに、大きく深呼吸を。できるだけなにも考えず、ゆっくり、何度も。目を閉じてもかまいません。ゆっくり、何度も、くり返し――」
女騎士は言われるままに、というか恥じらうような視線をライシュニディアに向けつつ、おそるおそるその隣に座り、深呼吸を始める。ライシュニディアとジュディオランも同様だ。その呼吸の調子に合わせるように、ロワもゆっくり深呼吸をくり返し、全員の呼吸がひとつになってきた頃に、ひそやかな声で呪文を唱える。
「〝我が祈る声よ風に響け、血と精に混じり染み渡れ、吾と彼らを結び繋ぎ、絶えず巡るものの在ることを謳うべし……〟」
ライシュニディアたちに目的の光景――ロワがかつて見た、女性たちが娼婦として男に凌辱される光景を見せるたびに、ロワも同様の光景を目にすることになる。当然ながらそんなもの見たいわけがない。二度と思い出したくないし、そんなものが存在することすら認識していたくない。
だがそれでも、ロワの使える術式では、自分も同じものを見なければ心魂にあの光景を刻みつけることなどできなかったし、それ以上にあんな光景を人に見せつける以上、あんな想いをさせてしまう以上、せめて自分も同じ想いをしなければ、と考えてしまうのは、ロワ自身も同じだったからだ。
ことが終わるや、ジュディオランは深々と嘆息し、ライシュニディアはこらえきれずに顔を覆ってすすり泣く。昨日と同様の、苦痛と苦悶に満ちた反応だ。
だがロワとしては、まだ手を緩めるわけにはいかない。今日もライシュニディアが打ちのめされて、まともに立ってもいられなくなるぐらいまでは、痛めつけないわけにはいかないのだ。
それから、意にそぐわぬ行為を強制されてとはいえ、無関係の人間に苦痛を与えた側の、最低限の礼儀として女騎士の様子をうかがい――思わず、眉根を寄せた。女騎士にとっては、それこそ自分の見た光景はこの上なく汚らわしいものであるはずなのに、彼女の表情に浮かんでいたのは、『なにがなんだかさっぱりわからない』とでも言いたげな、困惑の感情だったからだ。
「……なにか、気になることでもありましたか。女騎士さん」
思わず声をかけてしまってから、これはまたひとしきり罵られることになるかと覚悟したのだが、案に相違してそうはならず、女騎士は困惑に満ちた声でつぶやく。
「気になること、というか………。……私が見せられたのは、間違いなく、ライシュニディア王女殿下が見せられたものと同じ光景なのだな?」
「はい。ここにいる全員が同じものを見たはずです。同時に複数人に違う光景を見せるような術式は、俺には使えません」
「そう、か……。………」
「……なにか、気になることでも?」
「いや………私の感想など、言う必要はあるまい。ライシュニディア王女殿下のお心こそを気にするべきであろう」
「ライシュニディア王女の心を気にかけるのはもちろんですが、あなたがなにを感じたか、ということについても放置するわけにはいきません。俺は曲がりなりにも命懸けでこの仕事に取り組んでいるので、他の方が俺の致命的な間違いに気づいたのかもしれないという可能性を、捨ておくわけにはいかないんです」
「それは……そうだろうが。しかし」
「……言いなさい、キジャ」
「姫さま……いえっ、王女殿下。私の意見などを、気にかけて……?」
「気にかけてるわけじゃないわ。そんな風に思わせぶりな態度を取られると、気にしないわけにはいかないでしょう。どんなことを感じたのか知らないけど、言いたいことがあるならさっさと言って」
「………は。承知仕りました……それでは、言わせてもらうがな」
ぎっ、と女騎士はロワを睨みつける。殺意のこもった視線を叩きつける。が、口から転がり出た言葉と声音は、さっきの表情と同じく、困惑に満ちていた。
「―――私の見た光景の、どのあたりが凌辱なのだ?」
「………え?」
「っ……」
「…………」
他の三人の視線が集中する中で、女騎士はロワを睨み続けながら、やはりわけがわからない、と言いたげな口調で言葉を続ける。
「私が見たのは、ほとんどが部屋の中で一人悲鳴や、嬌声を聞いている場面がほとんどだった。それではその、もちろん男に関係を強制させられている時点で女性に対するこの上ない凌辱行為なのは確かだが……凌辱の光景を見せつけられる、というのとは……あまりにかけ離れていないか?」
「え………?」
「いやそんななにを言ってるのかわからない、みたいな顔をされても困るんだが!? ほとんどの光景が声だけなのに凌辱もへったくれもあったもんじゃないだろう! まれに現れる声だけじゃない光景も、抵抗する女性が男に無理やり引きずられていくとか、傷がつかないように殴られる、みたいな光景ばかりで……凌辱行為そのものはまるで見せられなかったんだぞ!? もちろん女性に男が触った時点でその男どもは極刑にしかしようがないが!」
「……あなたは、男に、女性が凌辱されている光景が見たかったんですか?」
「そんなわけがないだろうふざけるな! だが、その、見せられた光景があまりにぬるいというか……こんなもんで娼婦の苦境を実感させるつもりだったのか? というか……。いやもちろん男などという汚らわしいけだものにいいようにされなければならない時点でその娼婦はこの上ない苦境に立たされているのはもちろんなんだが! なんというか……もっとこの世の地獄と言うべき醜い光景を見せられるとばかり思っていたので、一言で言うと……『拍子抜け』としか……」
「……………」
「……正直に告白すると。私も似たような感想を抱いていましたよ」
ジュディオランがドレス姿で、女性的に肩をすくめてみせる。
「女性が凌辱される光景を見せられる、というので、それなりに覚悟はしていたのですけどね。凌辱行為そのものはまるで見せられないまま、陰惨な雰囲気だけをえんえんと見せられ続けているので、なにを考えているのかとだいぶいぶかしみました。まぁ、雰囲気だけでもライシュニディアには非常に負担になっていたようだったので、まだ成人前のライシュニディアに合わせて配慮してあるのだろう、と考えていたのですけどね。その顔を見ると……あなたは本当に、あの光景が、この上ない陰惨な凌辱行為である、と認識していたようですね」
「……事実、その通りでは? 女性たちが男に意思を無視して心と体をいいようにされている、その事実を認識させられることは充分以上に陰惨な凌辱行為だと思いますが?」
「いやまぁそれはそうなんだが! なんというか……さっき見せられたのは、生々しさがまるでない、というか。子供向けに非常に柔らかく、もってまわった表現を使った童話のようというか……もちろん、ライシュニディア王女殿下のように、鋭敏な感受性を保っておられる少女たちにとっては、充分衝撃的な光景なのだろうということはわかるのだが。私ははっきり言って、微塵も衝撃を受けなかったし、あんな光景を見せられただけでは、男どもに対する敵愾心や憎悪さえほとんど湧いてこなかったんだが。お前、正気であんな光景を見て、私たちが苦しむと思っていたのか? 本気で、心の底から?」
「………っ」
思わず絶句するロワに、女騎士はふん、と鼻を鳴らして馬鹿にしたように言い捨てる。
「まさか、本当にそう思っているとはな。そんな幼さで、よくまぁ汚らわしい男どもの中で息をしていられるものだ」
「っ………!」
「っ! 姫さまっ!?」
唐突にライシュニディアが座っていたソファから飛び降り、部屋の外へと駆け出した。女騎士は即座にその後を追おうと跳ねるように立ち上がるが、ライシュニディアが「ついてこないで!」と悲鳴のように叫ぶや、その足は縫い止められたように止まってしまう。
ライシュニディアがそのまま屋敷の廊下を駆け抜けて、玄関から外へと出て行ってしまっても、女騎士は微動だにしない。同調術で感じ取ったところによると、ライシュニディアの『拒絶の意志』が、彼女にとってはそれこそ人生を左右するほどの強烈な重大事であり(そのわりにはこれまでに何度も鬱陶しがられているところを見てきた気がするのだが)、それをぶつけられたことによる精神的な衝撃に加え、『ついてこないで』と明言された以上、守護騎士である自分はついていくわけにはいかない、という彼女なりの倫理観によって自縄自縛に陥ってしまっているようだった。
ジュディオランはまだ街を歩くにははなはだ不向きな豪奢なドレス姿。簡素で動きやすい衣服をまとった十代前半の元気な少女を追いかけるのは無理がある。どう考えても自分が追いかけるのが一番無難そうだという結論に至り、ロワは静かに立ち上がった。
「……ライシュニディア王女を追いかけてきます。あなたたちは、しばらく待っていてください」
「なっ……!? 男などが我が国の王女殿下のあとを追う!? ふざけるな、言語道断だ、断じて許すわけにはいかん!」
「それならあなたがライシュニディア王女を追いかけて、連れ戻してくれますか? それならそれでかまわないですけど」
「むっ……! むろんその役目は私が仕るべき、ではあるが……! 姫さまは私についてくるなと……! 守護騎士たるもの、仕える相手の意に反した行いをするわけには……! いや、だが……しかし……!」
「……彼女の言い分はともかくとして。この街で、男が少女のあとを追うというのは、見咎められ訴えられる可能性が高いのは事実ですよ? それは理解しているんですか?」
「問題ありません。街中で人目をごまかす術式は使えますし、この数日間で何度も会っていた相手の居場所を探るための術式も準備してあります。まず間違いなく、この中で俺が一番早く彼女を見つけ出すことができるはず」
「ふむ、ですがあなたはだいぶ動揺しておられるようですけれど? そんな風に取り乱した子供が、さらに幼い子供のあとを追うというのは、さすがに放置しておくわけにもいかないのですが?」
「……少なくとも。今俺が彼女を探すのは、女王陛下からもぎ取った授業を行う権利に含まれるはずです。彼女が取り乱しているというならなおのこと……彼女の心に衝撃を与えた人間として、責任を取らないわけにはいきませんから」
「……そうですか。それでは、せいぜいお気をつけて」
立ち上がり、優雅に、女性らしく一礼をしてみせるジュディオランに、それ以外どうしていいかわからなかったので軽く頭を下げてから踵を返し、ロワは屋敷の外へと早足で歩き去った。とにかく、ライシュニディアを一刻も早く探さなくてはならない。
心に衝撃を受けた少女を放置しておくなど、人として許されることではないし――自分があの少女に苦しみを与えたのは、間違いのない事実なのだから。




