8-16 休憩
「……さて。僕が言うのもなんだけれど……なかなか好き放題やってくれたものだね? 仮にも女王国の王女に対して」
「言っておきますけどまだまだ終わりじゃないですよ。俺の授業は三日間続くわけですから」
淡々と答えると、ジュディオランの瞳に一瞬、明らかな苛立ちがよぎった。
「……君はどうやら、ビュセジラゥリオーユ女王国に対し、敬意を払う気も尊重する気もまるでないらしいね」
「敬意はそれなりに払ってますし、尊重してないわけでもないですよ。ついでに言うなら、あんな幼い子供に、あんな醜い光景を見せつけるなんて、本当なら絶対にやっちゃならない下劣な行為だとも思ってます」
ロワの正直な告白に、今度は困惑の色が瞳によぎる。前から思っていたが、ジュディオランには意外と正直というか、まっすぐなところがあるらしい。自分の心を隠すのには慣れているだろうが、同時にそれがあまりよくない、本来ならすべきではないことだとも考えている。
あるいは、まだ出会ってから一日も経っていないのに、ロワに心を許し始めているか。それだけ素のままで話ができる相手がいなかったということか。少なくとも、彼が普通に心を通わせることができる相手というのは、この国ではそうそう出会いようがないのは間違いない。
「なら、どうして?」
「少なくとも俺にとっては、それでも絶対にやらなくちゃならないことだからです。俺は彼女の言ったことも、あなたの言ったことも絶対に許せない。許すわけにはいかない。自分にできる全力で、あなたたちに心の底からその言葉を、その考え方を、後悔させて改めさせようと思わないわけにはいかないんです」
「……どうして、そこまで――と言っても、答えてはくれないんだろうね」
「? いえ、聞かれたんなら答えますけど」
「えっ」
「別に言いふらす気はないですけど、あなたたちは俺の意地につきあわされてるわけですから。迷惑をかけてるのは自覚してますし、理由の開示くらいするのが当たり前でしょ。どんなに迷惑をかけようとも、意地につきあわせるのをやめる気は微塵もないですけどね」
ジュディオランは一瞬眉を困惑の形にひそめてから、髪をかき上げてきっとこちらを睨む。意味がわからない、というよりはロワがなぜそこまで全力で娼婦の擁護をするのかも含めて、ロワの思考とそこに至る動機が、つまりロワがどういう人間なのかがまるでわからない、という困惑を、ロワに対する憤懣の気持ちに置き換えて、引いてたまるかと自身を鼓舞したのだろう。
その中には、自分より年下でありながら英雄と称される者への嫉妬の念が入り混じっているのを感じ取り、ロワは内心勘弁してくれと頭を抱えた。本当に、実力でいうならロワはジュディオランの足元にも及んでいないのだ、そんな相手に嫉妬されるなんて不本意にもほどがある。
「……それなら、聞かせてもらおうか。君が娼婦をそこまで全力で贔屓する理由をね」
「俺にしてみれば贔屓というよりは、当然の気遣いなんですけど。俺が『そこまでやる』理由としては――」
そう言ってロワは、昨晩仲間たちにした話をまた話し始めた。自分の犯した罪と、味わった苦痛の記憶を。
「………理解は、したよ。君の動機は、わかった」
ジュディオランは低く呟いてから、さまよっていた視線をロワの瞳へと固定し、集中させた。鋭く睨みつけてきた、と他者には見えるだろう。本人もそう思っているかもしれないが、ロワには必死に自分を叱咤して『睨みつける』という形を作っているように見える。
「だけど、それは君の理屈だ。それをこちらが考慮しなくちゃならない理由なんて、本来はまるでない。そうじゃないか?」
「そうですね。だから俺はあなたたちの上の人と交渉したわけです」
「っ……」
「俺の動機をあなた方が重視する必要はありません。だから俺は賭け金をつり上げて、ことを大きくして、『国家の安全』なんて理屈を考慮せざるをえない事態にして、あなた方を無理やり俺のわがままに引きずり込んだ。汚い手口ではあるだろう、とは思います。だけど俺はまずなによりも、あなたたちの言葉と思考を、許すわけにはいかなかった。だから手段を選ばず、道理と倫理を無視した。あなたたちにとっては納得のいかないことでしょうけど、先に俺の逆鱗に触れたのもあなたたちだ」
「それは……」
「ええ、あくまで俺にとっての逆鱗です。あなたたちにとってはどうでもいいことで、自分たちがこうも苦しめられることの理由としては、理不尽この上ないものなんでしょう。だけどそれなら、俺にとってもあなたたちの言葉と思考は、どうしようもなく理不尽で、俺をこの上なく苦しめるものだった。それなのにあなたたちの苦痛だけを考慮しなくてはならないとは、俺には思えない」
「……それは、犯罪者の理屈だ。相手に苦しめられたから、道理と法を無視していい、というのは……」
「そうですね。だから、あなたたちには俺を裁く機会がある」
「……っ」
「あなたも気づいているように、女王陛下が俺に許したのは、この三日間授業を行うということについてのみ。授業を妨げることは女王陛下の名において罰せられるけれど、授業を終えたあとの俺の権利については、なにも保障されていない。俺がこの国を出る前に、女性に嫌な思いをさせたという罪で、いくらでも罰を押しつけられる。やろうと思えば死罪にすらできるでしょう。押しつけられる境遇としては、むしろ俺の方に不利だと思いますけど」
本当に死罪になるかはわからない。だが、これまで見てきたこの国の人々の反応からすると、国家権力を握っている人々が『死罪が妥当』という判断を下さないわけがない、としか思えなかった。
そして、今自分のそばには仲間たちはいない。国家権力を向こうに回しても、人一人ぐらい簡単に逃がしきることができるだろう能力を持っている奴らはいないのだ。
仲間たちが立ち去ったという話を聞いた時、ロワには自分の心が見透かされ、叱咤を受けたような気がした。自分がどんな無茶をしても仲間たちがどうにかしてくれる、と心のどこかで思っているのだろうと。仲間たちに甘えきっているのだろうと。そんなつもりはないと反論したくとも、心のどこかに否定しきれない感情があったことは否めない。
ならば報いを受けさせられることになるのは、ごく当然の成り行きだろう。自分を護れるのは自分のみ。自分の分を越えた行いの責任は、自分で取らなくてはならない。そんなごくごく当たり前の話。
「……君は、それがわかっているくせに、どうして……」
「言ったでしょう、『許すわけにはいかなかった』って。なにがなんでも、なにがどうなろうとも、俺は義務を果たさなくちゃならなかったんです。そのためなら俺は道理を無視してもいいと思ったし、実際に無視した。なら報いを受けるのが当然だ、ってだけのことですよ」
別に死にたいわけじゃない。むしろ死を選ぶなんて自分には許されないし、できる限り死を遠ざけてあがかなくてはならないと、それが自分の義務だと考えている。
ただ、それはそれとして、国家権力が本気で自分を殺そうとすれば、自分の抵抗なぞさして意味のないものでしかないだろうと考えていたし、『世界は理不尽なのが当たり前』という認識は、しごく当然の前提と受け入れていた。
だから、ロワがどれだけあがこうとも、理不尽な理屈で権力を振るわれ、死ぬ確率はそれなりにあるだろう、と認識している。だからといって行いを変えることもできない。今ロワがやっていることは、本来為すべきことから逃げ出した者が、最低限の義務を履行しているにすぎないのだから。
行いの報いを受けようとも、分を越えた振る舞いの責任を取らざるをえなくなろうとも、このままいけば高確率で命を失うことになろうとも、やれるだけのことを粛々と行う。それだけ。いつもと変わらない、ごく当たり前の話にすぎなかった。
「……わかったよ。君がなにがなんでも、自分の命を捨てても、僕たちに思い知らせようとしていることはね」
ジュディオランは低く、そして苛立ちを込めた声音で、言葉をロワに叩きつける。
「ならば、僕たちも、権力に連なる身として、そういった分不相応な望みを抱く者に、相応の対処をさせてもらおう。君には三日後、この国でもっとも重い罰を与えてやる。君の仲間たちが戻って来るより前に、ゾシュキーヌレフが対応するより先にね」
「わかりました。俺もそのつもりで、授業を進めさせてもらいます」
「…………」
鋭い一睨みをくれてから、ジュディオランは足早に応接間を出て行く。たぶんライシュニディアに、今自分が話したことを伝えに言ったのだろう。その程度には、たぶん彼は公平で誠実な人間だ。
だから自分も、自分なりに公平で誠実な対処をせざるをえない。――あの地獄で生きざるをえなかった女性たちの、底知れぬ怨恨と呪詛を、せめて少しでも今を生きている者に刻み込まなければ。
それが故郷の女性たちに対する、自分なりの最低限の義務の履行で、自分に死罪を与えてやろうとする者に対する、自分なりの生存戦略なのだから。




