8-15 授業
「……すいません。俺の仲間たちがどこに行ったか、ご存知じゃありませんか?」
朝食の席――微妙に乾いたパンとバター、チーズと牛乳と野菜の酢漬けと燻製肉という、ロワの知る大陸内でも一般的な宿屋と似たような献立が並べられている席で、二人きりで相対することになったこの屋敷の主であるジュディオランに、ロワは真っ先に問うた。ジュディオランは、いつもの『優雅な笑顔』という無表情で、少女のように小首をかしげてみせる。
「聞いていないのかい? 君以外の〝女神を知る者〟の方々は、急ぎの用ができたということで、昨晩遅くにこの屋敷を出て行ったよ?」
「……そう、ですか」
「あまりに突然だからね、なにがあったのか聞こうかとも思ったけど、ずいぶん殺気立っていたからね。無駄に敵意を抱かれたくはないし、どうぞお好きにと解放してさしあげたよ」
「いつ戻るかとか、そういうことは言っていませんでしたか?」
「三日後……君が授業を終えるころに戻る、とは言っていたね。まぁ事実かどうかは知らないけど?」
「そうですか。ありがとうございます」
小さく頭を下げて、食事に戻る。ここのところずっとゾシュキーヌレフ冒険者ギルド本部で上げ膳据え膳の日々で、食事の質自体も相当に高かったため、口がおごっていないか心配だったのだが、これまで十年ほぼずっと粗食で通してきた甲斐あってというべきか、さして違和感なく飲み下すことができた。
「……あ、そうだ、もうひとつ。ライシュニディアとあなたに授業を行う場所ですけど、どこでやるんですか? 女王陛下にそういう詳しい話を聞くことができなかったので……」
「この屋敷の、女性用の書斎で行うことになるだろうね。男を女性用の部屋に入れたとなると、部屋内の消毒のみならず、ことによると家具を総入れ替えしなければならなくなるかもしれないけど、男用の書斎に女性を入れるのは法律で禁止されているし」
「それなら、応接室じゃだめなんですか? 女王陛下が下宮の謁見室にあっさりお出ましになられたということは、そういう対外的な場所ならば男が入っても問題ないんですよね?」
「それはそうだけれど、君はいいのかい? 応接室で家庭教師の授業なんて、相当やりにくいんじゃないかと思うけど?」
「俺のせいで無駄に家具が廃棄される、なんてことになるよりずっとマシですから。それに、俺のやり方だと、そっちの方がむしろ気楽に受けられていいかもしれません」
「ふぅん? まぁ、楽しみにしておこうか。君のお手並みをね」
分類的には妖麗、という形容になるだろう形に唇の両端を吊り上げた無表情で、微塵も楽しみにしていそうな気配のないままそう告げたジュディオランに、ロワは「それはどうも」と肩をすくめる。こうもはっきり喧嘩腰になってくれるとは予想外だった。どうやらジュディオランは、思ったよりもロワに嫌悪感を抱いているわけではないらしい。
* * *
ジュディオランがライシュニディアを王宮に迎えに行っている間に、ロワは応接室に入って準備を整える。といっても、簡単な触媒――香炉と香を用意する程度だが。万一の時のために召霊術の成功率を上げるべく、ゾシュキーヌレフで準備しておいたのが役に立った。
香炉に火をともしてから、さして待ちもしないうちに、女王が指定した刻限、十三刻より二、三短刻前に、ぶすっとした顔で王女ライシュニディアは現れた。初対面の時と同じ、それなりに上質ではあるものの、『一国の王女が身にまとうもの』と言われて思い浮かぶような豪奢なものとは程遠い、普通の服装だ。その後ろには、王宮に向かう以上そうした服装以外は禁じられているのだろう、それこそ豪奢な女性用ドレスを身にまとったジュディオランが続いている。
予想外だったのは、ライシュニディアの前に立ち、彼女を護るように剣と盾を構えてこちらをきっと睨みつけている、鎧まで身に着けた完全装備のまだ年若い女騎士の存在だった。
「………こちらは?」
ジュディオランに問うと、いつも通りの優雅で女性らしい笑顔と挙措で、どうでもよさそうに肩をすくめられた。
「ライシュニディア王女の乳兄弟である騎士の方です。あなたがライシュニディア王女に不埒な真似をしないように、護衛としてついてこられたそうで」
「乳兄弟……というには、ライシュニディア王女よりちょっと年上に見えますけど?」
「……ああ、ご存知ない? 乳兄弟というのは『同じ女性の乳で育てられた者同士』ということですから、乳母の実子であるなら別に同時期に生まれた子供でなくとも乳兄弟なのですよ。むしろ乳母の育てる子供に乳兄弟として娶せるなら、子供の面倒を見られるようにある程度年上の実子をあてがうのが普通なのではないでしょうか」
「へぇ……」
「めっ、娶せるなどとっ……! 姫さまに無礼な口を利くな、汚らわしいオスどもめが! 貴様の口から姫さまの名を発するなど、姫さまの魂が穢れてしまう!」
剣をジュディオランに突きつけて、女騎士は高く澄んだ声で忌々しげに吐き捨てる。その剣の振るい方からして、少なくともたぶん剣の腕は自分と同程度だろう。
「……キジャ。鬱陶しいから喚かないで。私、さっさと授業とやらを終えちゃいたいんだけど?」
「ですが姫さま、こればかりは捨ておくわけにはまいりません! オスどもと同じ部屋の空気を吸わなければならぬ時点で拷問を受けているようなものなのに、オスどもの汚らしい唇から姫さまの名が呼ばれるなど、もはや打ち首に処してしかるべき大問題です!」
「キジャさん」
「………! 誰が私の名を呼んでいいと言った、誰が口を開いていいと言った、私が話している時に口を挟むな蛆虫めが!」
「じゃあそこの騎士さん。あなたがどういうつもりなのかは知りませんけど、少なくとも女王陛下のお言葉は聞いてますよね? 俺がライシュニディア王女に授業をするのを妨げるのは、女王陛下がご自身の名の下に禁じられてるんですけど?」
「っ………! ……女王陛下のお言葉に逆らうつもりはない。だがライシュニディア王女殿下の乳母子にして護衛にして第一の側近として、私には貴様らのような汚らわしいオスどもから姫さまを護る義務がある!」
「逆らうつもりないんだったら黙っててください、授業が始められないので」
「なっ……! きっ……貴様っ、この世で最も醜く汚らわしく価値のないオスの分際で……!」
「黙っててください授業が始められない、って言ったんですけど、俺? 女王陛下の言葉に逆らう気はないって言ったその口で、もう充分邪魔してくれてること、理解できてます?」
「きっ……!」
「キジャ。私も同感。私さっさと授業とやらを終えたいの。それなのに授業を妨害するっていうのは、私の意志にもお母さまの言葉にも逆らってるのよ。控えなさい」
「っ……」
キジャと呼ばれた女騎士はぐっと言葉に詰まり、悲しげに瞳を潤ませながらも、剣を構えたままライシュニディアの背後に立って口を閉じる。ライシュニディアははぁ、と鬱陶しげなため息をつき、ロワの方へと向き直った。
「それで? 授業ってなにをするの。見たところ、筆記用具もなにも、まるで準備してないみたいだけれど?」
「少なくとも今回はそういうのは必要ないので。ライシュニディア、ジュディオラン、二人ともそこのソファに座ってください」
「っ………」
女騎士がぴくりと剣を揺らめかせるが、とりあえずは口も身体も動かさずに、こちらを睨みつけるだけで終える。それに邪魔くさそうな一瞥をくれながらも、ライシュニディアはロワに唇を尖らせた。
「ソファに座ってなにをするのよ。いい加減説明してくれない?」
「最初は説明しない方がわかりやすいと思うので。そこに座って、ゆっくり深呼吸をしてください。できるだけなにも考えず、ゆっくり、何度も。目を閉じてもかまいません」
「…………」
いぶかしげな視線を投げかけながらも、ライシュニディアは素直にソファに座って目を閉じ、ゆっくり深呼吸を始めた。ジュディオランもそれに続く。女騎士がこちらを苛烈な視線で睨み据える中、ロワはライシュニディアたちの座ったソファの対面に座り、小さく呪文を唱え始めた。
「〝我が祈る声よ風に響け、血と精に混じり染み渡れ、吾と彼らを結び繋ぎ、絶えず巡るものの在ることを謳うべし。我天地に、万象に希う。今我ら共に一欠片の想いを連ね、同じ彼方を見つめたり。我らが心魂がその祈りに沿い、彼方の記憶に、かつて垣間見た場景に、瞳を合わせ、連ねたまわんことを願う……〟」
呪文を幾重にも折り重ね、くり返して三人の心魂に浸みこませる。全員の呼吸がゆっくりと、ひとつになっていくのがわかった。心が開かれ、魂がほどけ、同じ場所へと流れていく。ロワの心魂もろともに、彼方へ、かつての記憶へと滑り落ちる。
――そしてその一瞬で、ロワと二人の王族は、ロワがかつて見た、思い出しただけで反吐が出そうになる記憶を心魂に刻まれた。
「いやあぁっ!」
ライシュニディアが絶叫して、頭を抱え込む。女騎士が「姫さま!?」と驚愕の声を上げるが早いか、だっとロワの前へと走り寄り、抜き放った剣を突きつけてきた。
「貴様っ! 姫さまになにをした!?」
「……かつて俺が見た記憶を、彼女とジュディオランに見せただけです。金で買われた娼婦が、男に反吐が出そうなやり方で徹底的に凌辱される光景を」
「なっ……貴様! 姫さまになんというものを……! 誅殺してくれるっ!」
剣を振り上げる女騎士に、ロワは低く平板な声で告げる。
「あなたはその光景が、見るに堪えないものだと思うわけですね?」
「当然だろうがっ! 女性が男などという汚らわしいけだものに凌辱されるところなど、見て心地よいはずがあるまいっ!」
「それなら、あなたはなぜライシュニディアを咎めようと思わなかったんですか。『女性が金で買われた相手に凌辱される』、それは娼婦にとっては日常的な業務だ。そんな目に遭わされている女性に対し、あなたの姫は気遣うどころか、その存在を無視した。そんな目に遭わされながらもそれ以外に金を稼ぐ方法がない女性たちの、評判が悪くなろうが彼女たちに払われるべき金を自分が盗み取ろうが、まったく罪の意識を抱かず、むしろそれが正しいことだ、まっとうなことだと抜かしてみせた。それを咎めずに放置しておきながら、今ここで俺を咎めるのは正しいことだ、と言い張るつもりですか?」
ロワの淡々と告げた言葉に、女騎士は不意をつかれたという顔で剣先を揺らしたものの、それでも必死に胸を反らして言い返す。
「それとこれとは別問題だ。我らがビュセジラゥリオーユ女王国の王女殿下に対し、男が女性を凌辱するという見るに堪えぬ光景を見せつけたこと、それが万死に値すると言っている!」
「『組み合わせが気に入らなかった』と? ライシュニディアの性的指向がどちらに向いていようと、この年頃の少女には、女王国の娼婦が女性に凌辱されるところも充分衝撃的だと思いますが、あくまで組み合わせを問題視されるんですね?」
「当然だろう! 我らビュゥユ女王国の女性たち、娘たちは他国の哀れな女たちと違い、真に女性のあるべき姿を持ち、いるべき環境にいる! そのような幸福な世界で生きてきた姫さまに、この世で最も忌むべきものを見せつけることが、どれだけの衝撃になるかなど自明であろう!」
「ライシュニディアがこのビュゥユ女王国の環境を忌み、この国から出て行きたいと願っていることを、あなたは意図的に無視される、ということでしょうか。乳兄弟の騎士というのは、この国では仕える主の心を慮らなくてもいい、と定められているんですか?」
「ぬっ……そ、そもそも! 姫さまはまだ幼くていらっしゃる! そのお心もまだ柔らかくいとけない! そんな方にそのような醜い光景を見せつけるなど、蛮行というしかなかろうが!」
さすがに、仕える姫の意思を無視するというのはまずい、と思ったようだが、少なくともこのキジャとやらいう女騎士は、ライシュニディアのその意思を受け容れられてはいないらしい。なんでそんなことを考えるのか、と不満を募らせているのだろう。まぁどんな国の誰だろうと、強固に結束した組織の一員なら、組織から出て行こうとする相手にはそういう反応するよな、などと思いながら、ロワは重々しくうなずいてみせる。
「確かに。それは認めます。ですが、『蛮行』をしてのけたのはライシュニディアの方が先です。金と引き換えの醜行に日々耐え、毎日苦しみながらも命を繋いでいる人々に対して、ライシュニディアはその苦痛を無視した。その人々に行き渡るべき金をかすめ取るのが当然、正しいことだと言い張った。その金を盗み取り、自分のものにした。蛮行に耐えている人々を、自分の勝手でいいようにしていい対象だと扱った。それが俺は許せないし、なんとしてでも矯正すべき考えだと思う」
「っ……」
「あなたはどう思うんですか」
ロワが端的に問うた言葉に、女騎士はまた不意をつかれたという顔になった。
「ど、どう、とは?」
「ライシュニディアの考え方に対して、どう思うんですか。彼女に同調するんですか? それともその考えは矯正すべきだと思う? あなたがどちらを選ぶか、ぜひ聞かせていただきたいですね」
「……っ……」
また迷うように剣先が揺れる。口をぱくぱく開け閉めして、必死に頭を回転させる。
だが、彼女には結論が出せない。彼女はライシュニディアの騎士たらんとしている少女だからだ。ライシュニディアを護り、慈しむことを己の存在意義としているからだ。だからライシュニディアが彼女の倫理観にそぐわないことをした時には、固まって動作不良を起こすしかない。
そんな心の動きを同調術で感じ取っているロワに向けて、ジュディオランがすっと手を挙げた。
「……いったん、休憩にしてくれないかい? 先生。君がこの先どんな授業をするにしろ……ラィアがこうも取り乱していては、やりようがないだろう?」
ライシュニディアは頭を抱え込み、ひたすらいやいやと首を振っている。その姿は確かに心底取り乱し、錯乱状態に陥っているように見えた。実際に心身に受けた衝撃は、何年も積み重なり降り積もり続けた、そしていつまで続いても終わりの見えない、実際に自分たちが感じた苦痛と比べれば、ごくささやかなものでしかないだろうけれども。
だが、ロワは逆らうことなくうなずいた。まだ三日あるのだし――それに、ジュディオランが自分になにか話をしたいのだということは、同調術を使うまでもなくわかっている。
「わかりました、それじゃあ一刻休憩で。一刻が過ぎたらまたこの応接間で授業再開です」
「………。さ、姫さま……こちらへ」
ひたすらいやいやと首を振るライシュニディアの手を取って、女騎士は応接間の外へ出て行く。足音からして、二階のテラスへと向かったようだった。それなりに大きな声で話をしても、彼女たちにはほとんど聞こえないだろう。
こちらを冷えた瞳で見つめてくるジュディオランに、ロワはそんなことを考えつつ対峙した。




