8-13 託宣
―――そして気がつくと、神の世界にいた。
光に満たされた世界。見渡す限り続く輝く雲海を足下に、陽の光よりも眩しい黄金色の光がどこからともなく降り注ぎ、空気そのものすら娟麗に煌めかせている。
なびく瑞雲は一筋はきらきらしい五色、もう一筋は輝かしい空間を典雅に引き締める紫色。その二筋の雲に挟まれた、雲が高台を形作っている場所に、一人の女性が立っている。
いつものごとく、その女神の美貌を歪め、だばだば涙をこぼしながら。
「もおっ……もおっ、ホント、もおぉぉぉぉぉ~っ………!」
ずざざっ、と高台から滑り降り、エベクレナは雲の上にばったりと泣き伏す。助け起こすべきか放っておくべきか、数瞬悩んだロワの前で、エベクレナはいつものごとく泣き喚いた。
「ホンットそーいうとこですよぉぉっ……! ホンットそーいうとこ! わかってますけど! そーいう人だってわかってますけどぉ~っ………! もうこっちとしては泣くしかないじゃないですかっ! 泣くこともできない推しの代わりに涙するしかないじゃないですかっ………!」
「はぁ……」
「推しの過去回って諸刃の剣っていうか、推しがクローズアップされるのは本当に嬉しいしワクワク感も半端ないですけど、情緒が半端なくぶん回されるのみならず、推しの暗い過去が現在の幸せさえ崩壊させてしまう、そういう展開さえ生じちゃうのがホント、泣くしかないというかっ……! 切ないなんてもんじゃないですよっ、仲間と別れて一人誰もいないところで目を閉じる、そんな推しを誰か幸せにしてあげて! できれば推し剣の子が! ってひたすら神に祈るしかできないんですよ私たち神次元の存在としては!」
「はぁ」
「次元を越えて慰めに行ってあげたい! って思ったことも一度や二度じゃないですからね!? でも私たちみたいな、しょせん神次元の存在でしかない連中が、人次元でキラキラ輝いている子の前に現れるとか、一ファンでしかない奴が推しの心を慰めようとしゃしゃり出るとか、ガチで解釈違いがすぎるというか……!」
「……はぁ」
「なのでこうして目の前で泣き喚くしかできない私が本当邪魔で邪魔でしょうがないんですよ! 今ここにヒュノくんが、せめて他の仲間の子たちが現れてロワくんの心を癒してあげてと思わずにはいられないのに、今目の前にいるのは私というのが本当もう、なに考えてやがんだと神の胸ぐらひっつかんでわからせてやりたいとしか……! これも推しと推し剣の、あと仲間の子たちとの仲をより深めるための試練と思って必死に祈りながら耐えてますけど、これでそのまんま別れるみたいな展開になったらと思うと……! ガチでマジで神を呪うしかないんですが!? いろんな方向に情緒ぶん回されて本当泣くしかないんですよ私たちとしては……!」
「……はぁ……」
そんな風にいつものごとく、なにを言っているかロワにはまるでわからないことを喚きながら泣きじゃくるエベクレナの前で、ひたすら相槌を打つこと半刻ほど。エベクレナはとりあえず落ち着いて、「すいません、お見苦しいところを……」と言いつつ立ち上がってくれた。ロワもさすがにほっとして、「いえ、お気になさらず」と首を振る。
「いや本当、いつもいつも申し訳ありません……今回なんて特に、私みたいな鬱陶しい代物なんぞと会わなくちゃいけないとか、クッソ迷惑以外の何物でもないでしょうに……」
「いえ、別に迷惑じゃないですよ」
「えっ」
「エベクレナさまもご覧になってたと思うので、おわかりだとは思うんですけど。俺、ちょっと落ち込んだっていうか、気分が沈んでたんですよね」
「は、はい……だからその、そんな時に私なんぞと会うなんて、チャーハン食べてる時にブルーベリージャムぶちまけられるような、調和をぶち壊しにする暴挙なのではと……」
「いえ、そんな時だから、っていうか……落ち込んだ気持ちが、エベクレナさまのいつも通りの反応を見ていて、少し浮上したっていうか、気分転換になったっていうか。もちろん、エベクレナさまとお会いできるっていうのは、いつもありがたいことには違いないんですけど、そういうのとは別に、エベクレナさまのおかげで気持ちが楽になったっていうか……だからむしろ、俺としてはお礼を言いたいんです。俺を呼んでくれてありがとうございます、って」
ロワの言葉にエベクレナは数瞬ぽかんと口を開けてこちらを見つめ――たかと思うと、頭を抱えて絶叫した。
「解釈違いがすぎるッッッ!!!」
「え……?」
「なんなんこれなんなんですかこれ神さまなに考えてんですかこれ!!? 公式に夢女登場させるとか本当正気の沙汰じゃないんですが!!? やめてくださいよ勘弁してくださいよ私作品世界をぶち壊すような勘違いファンになるのとか絶対ごめんなんですけど!!? 私に媚びるつもりがあるんなら落ち込んでる推しを慰める推し剣を一刻も早く登場させてほしいんですが!!? それなしでこの展開とか神さま私のこと嫌いなんですかマジで!!?」
「ええ、と……」
「いやもちろんわかってますよ物語の展開的に起承転結とか序破急とか大事ですもんね、落ち込んだ心があっさりホイホイ慰められてるようじゃ絆の深まり具合がどうしたって浅くなっちゃいますもんね、理解してますよもちろん! でもそれって人次元でちゃんと関係を結んだ相手に慰めさせてこそですよね!? ぽっと出の夢女を公式の物語の展開にぶち込むとか本当、ガチでマジで勘弁してほしいし許せないし公式が解釈違いもはなはだしいし、しかもその夢女が私とか本気で自裁案件なんですけどこれ!!?」
「…………」
「これは本気で神さまに抗議のメールとか送るべきレベルなんじゃないですか!? いや届かないってわかってますけど! でもこれをっ、この圧倒的に容赦のない解釈違いを放置するわけにはっ……! 本当に、これは、いくらなんでも、勘違いのレベルが天元突破してますよ真面目に……! これをなんとかしないことには、申し訳なさすぎて推しと会話することすらはばかられるっ……! すいませんロワくん、ちょっと待っていただいていいですか!? お茶とかお茶菓子とかお出ししますんで! あ、あと退屈でしたら娯楽本でも! もちろん一般人でも読んでて楽しい、ごく健全な、かつ人次元で普通に販売されてるものをお出ししますんで!」
「あ、いえ、お気遣いなく……」
そんな風に唐突にあれこれ動き出したエベクレナを、ロワはお茶とお茶菓子を味わいながら一刻ほど見守ることになったのだが、当然のことながら(出してくれた娯楽本はそれなりに面白かったけれども)、それは相当に退屈な時間ではあった。
「す、すいません……長々お待たせしちゃって。なんというか、私なりに、できる限りの手を打っておかないと、本当あまりのいたたまれなさで息もできず……冷静になってみると、神がそんなもんに配慮してくれるわけないっていうのは本当、わかりきってるんですけど……」
「いえ……エベクレナさまが大変だった、っていうのはわかってますから」
というかそもそもロワとしては、ここまでずっと『エベクレナがなにを言っているのかさっぱりわからない』という状態がほとんどだったため、エベクレナがなにをそんなに荒れ狂っていたのかまるでわかっていないのだが。なんであれ、エベクレナが落ち着くのに必要だというのならば、ロワなどが文句を言えることではあるまい。
というか、ロワとしても今日はエベクレナが荒れ狂っているだろうことはほぼ確信できていたので、むしろこの程度で……一刻半ほど待たされる程度で落ち着いてくれたのならば、むしろ僥倖という気もしていた。ことによると、狂乱が度を越して託宣の間にやってくるやロワたちの世界に強制送還される、という展開もそれなりに覚悟していたのだ。今日はできれば、エベクレナにも意見を聞きたいと考えていたことがあるため、少しでもお話ができたらいいな、と期待してもいたので。
「………こんだけさんざん振り回して迷惑かけられておきながら、あっさり許すというかそもそも怒る気さえない、というのが見捨てられてたり距離を置かれてたりするんじゃないかって複雑だったり、そこまで覚悟して私たちにつきあってもらってる事実を再確認して申し訳なさといたたまれなさのあまり平伏せずにはいられなかったりしますが……そういう想いよりも先に……なんです突然のこのご褒美!? 本当いきなりすぎるというか、アップダウンが激しすぎるんじゃないですか!? 推しに推し剣との間の感情のもつれの相談されるとか、全推想女子垂涎のシチュじゃないですか! え、なに、本当なんなんですこれ……!? 私そんな善行積んだりしました!? 前世も含めてそんな覚えないですけど!?」
「ええと……エベクレナさま?」
「はっはいぃっなんでしょうかっロワくんっ? うわぁどうしよう今日も推しの顔がいいっ、この顔のいい推しに推し剣への想いを目の前で語ってもらえるとか正直あまりのありがたさに昇天しそうなんですが! こんな幸運与えられちゃったら、今生どころか来世まで使って徳積みまくっても相応の代償払える気しないんですけども!」
「ええと……なにか、俺に聞きたいこととか、言いたいこととかおありなんですかね?」
「っ、いえいえいえっ、そんなことはまるでまったく! ご迷惑かけて申し訳ないとは思ってますが、正直今すぐ平伏して許しを請いたい気持ちは山積してますが、何度も何度も似たようなことで謝られても鬱陶しいってことは理解してますので! むしろロワくんの話を聞きたいっていうか、なにかご相談でもありましたら、どうぞご遠慮なくって気持ちなんですが! 私これでも人生経験八百年ちょいはありますのでどうぞお気軽に!」
「そう、ですか? なら遠慮なく……相談させていただいても、いいですかね?」
「はい喜んで! いつでもどこでもどなたのことでも!」
まだこちらからなにも言いだしていないのに話の進みが早いったらないが、神々はこちらの心が読もうとしなくとも読み取れる以上、当たり前のことではあるのだろう。神々の御力に素直に甘えさせてもらうことにして、ロワは心の中の屈託を女神さまに打ち明けた。
「実は、ですね。相談したいことっていうのは……」
「はいっ!!」
「ビュセジラゥリオーユの人々が、現状をどのようにとらえているかってことについて、なんですけど。俺たちじゃ情報を集めるのも難儀することはわかりきっているので、神々の掟に罪とされない範囲で、教えていただけたらありがたいなって……あの、エベクレナさま、大丈夫ですか!? なんかすごい勢いで倒れ込みましたけど!?」
「いぃえぇー……なんでもないですよぉー……わかってましたもんどうせ……公式のサービスが微妙にファンの求めるところとズレてるのとか、今に始まったことじゃありませんし……深刻な解釈違いで私にガチのダメージ与えてくるよーな公式が、私が狂喜乱舞するようなサービスとか、してくれる道理ないですもんねぇー……」
「は、はぁ………?」
「いや、まぁいいです。そういうあれこれも、しょせん神次元の一ファンのたわごとでしかないわけですし。私なんぞがどれだけ情緒ぶん回されて落ち込もうが、それを人次元で輝く推しに影響させるとか、それこそ許されざる行いですもんね……」
よっこらしょ、と立ち上がり、エベクレナはふぅと息をついてから、改めてロワに向き直る。
「ええと、それで、なんでしたっけ? ビュゥユの人間が、現状をどのようにとらえているか、でしたっけ?」
「あ、えと、はい。現状に対してどのくらいの人が満足して、どのくらいの人が不満に思っているかってことを知りたいな、と……問題があるようでしたらもちろん撤回しますけど」
「んー、どうなんですかねー……神の視点で知りえたデータって、人次元の相手に明かしちゃっていいんですかね。いや、まぁロワくん以外にそんなこと聞いてくる人次元の子とか存在してないわけですから、法律的に規制されてないのは確かだと思うんですけど。そーいう神次元ならではのデータ明かすのって、神次元から人次元への介入になっちゃわないのかな……」
目の前にいつもの水晶の窓を浮かべ、なにやらあれこれしばらくいじっていたエベクレナは、まだ悩んでいるかのように眉間にしわを寄せながらも、顔を上げて小首をかしげてみせた。
「今とりあえず、この部屋のデータ取りしてくれてる技術部の人に相談してみたんですけど、ぱっとすぐには判断できないみたいで。保留、ってアリですかね? 明日までに法務部の人に相談して、問題がないか考えてもらうっていう……」
「あ、はい、それは全然……というか、少しでも問題があるようでしたら却下してもらって大丈夫なので。お手間でしたらここで断っていただいても全然かまわないですよ?」
「うーん……というかですね、まず気になるのは、そんなデータいったいなにに使うんですか?」
「俺としては、ラィアへの授業をする時に、そういう情報があるとよりやりやすいだろうな、って思ったんです。ビュゥユって国の国民が、この国をどう見ているかっていう客観的な情報があれば、向こうが反撃してきても言い負かしやすいって思ったので」
「………あの女の子への授業、ですか」
エベクレナは小さく息をついたのち、考えるように腕を組んで小首をかしげた。そんな仕草もいつものことながら麗しいことこの上ないが、エベクレナはそんなことよりもこの話題にいろいろ思うところがあるようで、もの思わしげな表情で何事か呟いている。
「本来なら推しに偉そうな態度取るメスとか処するのみなんですけど、今回はちょっと手心を加えないわけにもいかないんですよね……相手の年齢とか精神的な幼さとか環境とかはとりあえずさておくとしても、あの子がきっかけでロワくんの過去話が展開されることになったのは確かだし……もう推してる側としてはせめて推しの代わりに泣くしかないってくらいの不幸話でも、推し対象の過去回想見落とすなんていうのは真面目に推し活として片手落ち感ありますし……」
「あの……エベクレナさま。もしかしてエベクレナさまは、ライシュニディアに俺が授業するの、こころよく思ってらっしゃらないんでしょうか?」
「えっ!? い、いえいえいえそんなことは! 神次元の者が人次元の相手にあれこれ指図するのは大厳禁……ってまぁそういう原則は置いておくにしても、ですね。ロワくんらしいなぁっていうか、背負う必要のないものまで背負い込んじゃう一途なところは、自分を大事にしてーと常に思い叫び祈っている私ですらも、ロワくんの魅力のひとつでもあると思いますし」
「み、魅力……ですか」
「えっ、ちょっ、まっ……私の今の発言セクハラでした!? 八百歳越えが青少年に言う言葉として不適切でした!? 違うんです私はあくまで純粋に人間的に……いやまぁ聞こえないのをいいことに正直に言いますがやましい気持ちもそれなりにありますけど! 基本的には人間的な、いうなれば魂の魅力について言っているだけで、私がそれをどうこうしてやろうとか誓って微塵も思っていないので……! 推し剣にはぜひともどうこうしてほしいですけども!」
「は、はい、わかってます、大丈夫です。単にちょっと恥ずかしかっただけで……」
ときおりこちらに伝えたくない言葉を口走るのが気になるところではあるが、エベクレナがあくまで女神としての視点から言っているだけなのは、ロワにもむろんわかっている。照れくささにわずかに視線を逸らしながらそう伝えると、エベクレナはばっと両手で顔を覆った。
「照れっ……推しの、照れ顔っ………! もうホンット、こーいうサービスだけはしっかりしてくれるのよくないですよホントに……! 私あくまでこういう顔は推し剣の前でしてほしいんですけど、ホントにもぉ~……! 私はあくまでそれを遠くから見守りたいだけなんですけどぉ……!? まぁそれはそれとして今のたまらん可愛い照れ顔はきっちり保存しましたが!」
「え、ええと、エベクレナさま……?」
「いえはい大丈夫ですなんでもないですよ!? ええと、その……そう! それにですね、ああいう特殊な環境下にある子供に対して、できることなら手を差し伸べたいって思うのは、人として普通っていうか、まっとうなことじゃないですか? ……まぁあんな態度悪いメスガキにまでその広大無辺の優しさを発揮しちゃうっていう点については、その天元突破した慈しみの心に目頭を押さえつつも、私としては自分を大事にしてくれと言い聞かせたくてたまらなくはあるんですが……」
「いやその、俺は別に、そんなきれいな気持ちでやってることじゃないですけど……というか、エベクレナさまとしては、ビュセジラゥリオーユっていう国の在り方って、どういう風に思われてるんでしょうか?」
「……ビュゥユの在り方ですか。んー……うーん………」
エベクレナは眉間にしわを寄せ、再度考え込む。女神さまにとっても、これはそれなりに重い質問なのだろう。少なくとも、神々の常識においてさえ、女を上位者、真なる人間として絶対視し、男を徹底的に世界の枠外に置いて迫害するビュセジラゥリオーユの在り方は、やすやすと受け容れられるものではないということだ。
そこに住まう人々でさえ、女たちでさえ、女性同性愛者たちですらも、おそらくは完全には受け容れられていないのだから。




