11-2 昔見た女・2
「会いたかった……ずっと、会いたかったの! 私、カティにもう一度会いたくて、会いたくて……どうしようもなくて、ここまで……う、うぅっ、ぁあぁ………」
うっくうっくとしゃくりあげてみせる、カティフに抱きついたその女性を、仲間たちはぽかーんと見つめていたが、カティフが固まったまままるで反応しないので、さすがにこのまま放置するわけにもいかないと思ったのだろう、まずネーツェがおずおずと声をかけた。
「あの……どこのどちらさまかは存じませんが。うちのパーティの戦士の、お知り合いでしょうか? どういうご関係なのか、うかがっても?」
だが、ネーツェのかけた声にもその女性はまるで反応しない。全力でカティフに抱きついたまま、ひたすらにしゃくりあげるばかりだ。困った顔を見合わせてから、仲間たちは今度はカティフに声をかける。
「おい、カティ。この女性はお前の知り合いなのか? それならそれで紹介なりなんなりしてもらわないと、こちらとしても反応のしようがないんだが」
「知り合いじゃねーってんなら、とっとと離れたらどうだ? お前、なに固まってんのか知らねーけど、そのまんまじゃ相手がなにしてきても反応できねぇぞ」
「このねーちゃんが邪魔だってーんならさくっとどかしてやっからさー。とりあえず、なに考えてんのかくらい言えよ。黙りこくってるまんまじゃ、俺らだってどーしよーも……」
ジルディンの言葉に、カティフはびくっと反応した。低く、暗く、震える声で、ジルディンに向けて言葉を放つ。
「………ジル」
「ぉ? ぉ、ぉお、なに?」
「今すぐ俺を宿に戻してくれっ! 今すぐだっ!!」
悲鳴にしか聞こえない叫び声に目を白黒させながらも、ジルは素直にうなずいた。一瞬で魔力を練り上げ、術式を展開して発動させる。
「う、うん、わかった! 〝祈天転〟!」
声が響いた、と思うや一瞬で景色が切り換わる。そこはフィケリニアシュの中ではまぁ普通の格だろう宿の一室、自分たちが取った部屋のうち、ネーツェとカティフの方の部屋だ。転移してきたのは自分たちだけで、カティフに抱きついていた女性の姿は見えない。
「………いや、転移してきてしまってよかったのか? まぁあの女性と話すかどうかはお前が決めることだが、いきなり転移して戻ってきては、今後あの女性と話すつもりになった時に不都合が………」
「別に同じ街にいる相手だったら、一度会ってりゃ簡単に探し出せるじゃん。ネテだってできるし、俺だってできるしさ。ロワだってできんじゃなかったっけ?」
「それはそうだが、なにやら複雑な事情がありそうだっただろうが。無理に聞き出すつもりはないが、そんな相手との会話を一方的にぶった切ってしまっては、今後の関係に支障が出ないか、と……」
「支障もなにも、あるかよ………」
ぼそぼそと、力なく呟いたカティフの声は、仲間たちの耳にはよく聞こえなかったようで、全員怪訝そうな顔になってカティフに耳を向けてみせる。
「ぁあ? なんだって? よく聞こえねぇよ」
「………支障もへったくれもあるかよっ! 俺はあの人と、今後二度と、絶対に話す気なんてねぇんだっ! あの人は……あの人はっ、俺のことなんて、なんとも……なんとも思っちゃいねぇんだからっ!!」
唐突にそう大声で怒鳴り散らし始めたカティフの顔は、血を吐くようにと表現してもさほどかけ離れてはいないほど、苦痛と絶望に満ちていた。いまだ癒えぬ傷に、無遠慮に指を突き入れられた者の苦悶。再び開いた傷口から、命の根源をこぼし続けている者の生々しい痛覚。それを否応なしに感じ取ってしまったのだろう、仲間たちは目を瞬かせて黙りこんだ。
ロワも、あえて口を開くことはできなかったものの、同調術を基本常に全開にしている関係上、カティフとあの女性の関係は、おおむね察することができてしまっている。いまさら同調術を切ってもほぼ意味がないくらいに。まいったな、どうしよう、これちゃんと伝えておかないとまずいだろうけどどう言えばいいかな、と迷っていると、ふいにカティフがぎろりとこちらの方を睨みつけてくる。
「ロワ……もしかしてお前、俺の今の心とかも、きっちり読みきっちまえてるのかよ」
「ご、ごめん。読みきった、というか、ある程度、察することができた、ってだけなんだけど……なにせ、突然のことだったから、同調術を切る、暇がなくて……」
「どんな風に察したのか言ってみろよ。ごまかすんじゃねぇぞ、ごまかしたらはっ倒すからな」
「う、うん………」
そう言われるとさすがに、正直に答えないわけにはいかない。ロワは覚悟を決めて口を開いた。
「あの女の人は……カティの故郷、フィカにある、カティの所属してた、騎士団で、従者隊の、男たちから、憧れられてた女性、なんだよな? カティも、その例に漏れず、フィカにいた頃は、憧れてた、女の人」
「………そうだ」
「フィカにいた頃、同じ隊にいたから、何度か、話しかける機会は、あったけど……そのたびに、すげなくあしらわれてた、というか、相手にする価値を、まるで認めてもらえなかった。その他大勢の一人、どころか口を利く家具、それも、お気に入りでもなんでもない代物、みたいな扱いを、されてた。そのたびに、カティは―――」
「昔の俺の気持ちにまで触れなくていいんだよっ! っつかな、そこまでわかんだったら今俺がなにを考えてるかもわかんだろうがっ!」
「わかる、というか、想像する、だけだけど。カティは、あの女性が、カティを利用、するために、待ち受けて、いたんじゃないか、って考えたんだろ……? 邪鬼を、封滅して、英雄候補とまで、呼ばれるようになったカティを、色仕掛けで、利用して、いいように、操るつもり、なんじゃないか、って………」
「………そうだよ。その通りだよっ! それ以外にねぇだろあんな人がわざわざこんなとこで俺に『会いたかった』なんぞと抜かす理由っ!」
カティフはぎっとロワを睨みつけるが、その瞳にうっすら涙が浮かんでいたのは仲間たち全員わかっていただろう。そんな顔つきのまま、カティフはほとんど泣き喚く勢いで溜めこんでいた文句をぶちまけた。
「あの人がどんな人かなんて俺ぁきっちりわかってんだよっ! 騎士団で働いている女の人らの中でも、とびっきりきれいで、男にモテて、だから正騎士連中しかまともに相手にしねぇ人だって知ってんだからっ! そんな人が俺に声かけてくるとかっ、俺が女神さまの加護を受けて、ちっと名が売れたからってんで、色仕掛けして自分のいいように使ってやろうって腹じゃなけりゃ、絶対ありえねぇだろうがっ!」
「そ、そーなんだ……」
「そうだよ、わかってんだよ俺は。わかってんだけどっ……抱きつかれて、乳押しつけられたら……揺らいじまうんだよぉっ!! あの人の腹積もりなんてわかってんのにっ! あの人押し倒したらそれ盾に取られていいように使われて、利用され尽くしてカスッカスになったらなんにも返さねぇまんまポイッ、て捨てられるってわかってんのにっ! 色仕掛けされて、嬉しいだのもっとしてくれだの喜んで誘いに乗りたいだの、そういうこと思っちまうんだよぉっ………!!」
血を吐くような叫び声を上げたのち、カティフはわっとベッドに縋りついて泣き伏す。仲間たちは全員戸惑った顔を見合わせて、泣き喚くカティフをしばし黙って見つめた。
カティフの泣き声が落ち着いてきた頃、ネーツェがおずおずと問いかける。
「えぇと……だな。結局、お前はどうするつもりなんだ? あの女性がお前を利用するために色仕掛けをしていることはわかっているんだろう? どう対処するつもりなんだ。まぁ、転移で戻ってきた以上、また出くわす可能性は低いだろうが……」
「………どうすりゃいいんだろうな………。あの人、騎士団で働いてた……っつぅか、噂じゃどっかのお貴族さまの娘だかなんだかでよ。行儀見習い、っつぅか将来の婿を探すために、騎士団で事務とかなんかやってたらしくてよ。だから、騎士団で働いてる女の人の中でも、ぶっちぎりで有能だって褒められまくってる人だからよ。その有能力で、あっちゅう間に俺のこと探し出しても全然おかしくないからよ。なんか、考えなきゃ、とは思うんだけど、よ………」
「いや、お前のその有能さに対する盲信っぷりはなんなんだ。女性だからなのか? 一国の首都で人一人を探し出すのは、ちょっとやそっとでできることじゃないぞ。まぁ、手段を選ばなければ、一瞬邂逅しただけの相手でも、探し出す方法がいくつもあるのは確かだが……」
「っつか、会いたくねぇんだったら、俺があの女との縁斬ってやろうか? 少なくとも探し出しにくくはなると思うぜ?」
「いや待てやめろ、お前また死にかける気か。絶縁術は気楽にほいほい使う術法じゃないというのは、僕たち全員身に沁みているからな。また死にかけたとしても、また蘇生行為がうまくいくとは限らないんだぞ。それどころか今度は前回よりもさらに手ひどい衝撃を受けて、一発でお亡くなり、という可能性だってあるだろうが」
「んー、そこらへんも何度もやってけば感覚つかめてくると思うぜ? 少なくとも前回よりは上達してるんだ、死にかけると決まったもんでもねぇだろ」
「いややめろや……いっくら会いたくない人だからって、そのために仲間の命費やすとか真面目にシャレになってねぇわ。っつか、前回と違って俺の方が落ち込んでんだから、またお前が死にそうになったら、前回ほどまともに動ける自信欠片もねぇからな……。人が落ち込んでる時に深刻な強制労働させんなや……」
「ふーん? ま、カティがそう言うならいいけどさ」
「っつかさー、絶対に会わないようにしてーんだったら、どっかに転移しちゃえばよくね? ゾヌとかさ。ロワは数日休ませなきゃなんないっつっても、ここで休ませ続けなきゃなんない理由とかねーじゃん。どっか別のとこ行って休んで、休み終わったらこの街に戻ってきてまた旅再会するとかしたら?」
「そう、だな。それはいいかも、しれない。俺も、今回は、そこまで深刻に、疲れきっているってわけでも、ないし……」
「そりゃ少し加減したからな。今回はそこそこ移動距離長かったから、長丁場の体力の配分のしかたってもんを身に着けてもらいたかったからよ」
「……そういう、ことだから。このくらいの、疲れ方なら、今日明日、ずっと休んでいれば、また動けるようになると思うし。明後日にこの街に転移してきて、出発すれば、いいと思うぞ?」
「……………」
『?』
急に黙りこむカティフに全員首を傾げる。も、ロワはすぐにカティフの内心を同調術で感じ取ってしまい、思わず「えっ……」と声を上げてしまった。それに気づいたのだろう、仲間たちはしばし怪訝そうに絶句するロワと無言のカティフを見比べていたが、ふいにネーツェがハッとした顔になって問いかける。
「おい、カティ。まさか、とは思うが……お前、探し出してほしい、とか思ってるんじゃないだろうな? 自分が利用されようとしていることを承知の上で、女性に探される、見つけ出されるということに、その、喜びを感じたり、探してほしい見つけ出してほしいとこっそり願ったり、なんてことはないだろうな?」
「……………」
「……はぁ!? ホントにそーなの!? なんだよカティ嬉しがってんのかよっ、ばっかばかしー、だったら最初っからこんな話すんなよなー! わざわざ転移させなくてもさっ、あの女に抱きつかれて嬉しかったってんなら、あのまんまあの女に好きなよーにされてりゃよかったじゃん!」
「………うるせぇよ。お前にゃわかんねぇよ……わかるわきゃねぇんだよっ! 二十歳越えでまだ童貞の男にとってっ、女に探される、抱きつかれるって経験がっ、どんだけ貴重かっ、どんだけありがてぇかなんてのはなぁっ!」
カティフはベッドに縋りついたまま、顔だけをこちらに向けて、据わった目でこちらを睨み怒鳴り散らす。だがその目尻にはうっすら涙が浮かんでおり、カティフ自身が自分の感情に傷ついていること、苦しんでいることを、同調術を使うまでもなく悟ることができた。
「俺だってわかってんだよっ、ホントにわかってんだよっ! あの人は俺を利用するつもりだって! 俺がちっと英雄みたいな扱いされたからってんで、また自国に取り込んでうまいこと使ってやろうって腹だって! フィカにいた頃と同じで、俺を大事にしようなんてつもり欠片もねぇって! わかってんのにっ……乳押しつけられたら嬉しいし、体投げだしてくれんなら喜んでいただきたくなっちまうし、色仕掛けしてくれんなら、ちゃんと最後まで食わせてくれんならなんでもやる、なんて思っちまうんだよっ、二十歳越えでまだ童貞の男ってのはっ!」
「え、や、あの……」
「俺だって悔しいし嫌で嫌でしょうがねぇんだよっ! あの人も、フィカにいた頃俺の周りにいたどんな女だって、少しも俺に、優しくしても認めてもくれなかった! そんな人らに、ちょっと英雄じみた扱い受けただけで掌返されて、嬉しいわけねぇだろ!? 悔しいし腹立つしふざけんなってぶん殴ってやりてぇよ! それなのにっ……俺、あの人に色仕掛けされたら、本気で体投げだしてこられたら、絶対負けるって、即いただきますして体と引き換えならなんでもやっちまうって自信あんだよっ……! あの人は今だって、俺を大事にする気これっぽっちもねぇってわかってんのにっ!」
「ぉ、おう……」
「え、なんでだ? ぶん殴ってやりてぇのに負けるって意味わかんねぇよな? 殺すまではいかなくてもぶん殴ってやりてぇ奴が突っこんできたら、迎撃する以外の選択肢なくねぇか?」
「そこは人それぞれだろう……お前ほど単純な理屈、というか普通の人間社会の埒外の理屈で動いてる奴ばかりじゃないということだ。まぁ、それはそれとして、嫌悪感を抱いている相手に色仕掛けされてもひっかかる自信がある、というのも正直どうかとは思うが………」
「しょうがねぇだろっ……何度も何度も言ってるけどなっ、二十歳越えで童貞の男の性欲と見栄なめんなやっ! 生まれてこの方一人上手しかしてこなかった男になぁっ、全力でこっちのこともてなしていい気分にさせまくってくれて体思う存分使わせてくれる美人の姉ちゃんが、どんだけ死ぬほどありがてぇもんかなんぞっ、二十歳過ぎまで童貞やってる男にしかわかんねぇんだよっ………!!!」
女性をまるで人間扱いしていない、男の傲慢と身勝手さに満ちた台詞を、半泣きになりながら喚くカティフ。その台詞には正直苛立ちや腹立ちを覚えるのだが、それでも愚か者と断じて軽蔑することもロワとしてはしたくなかった。同調術で否応なしに感じ取れてしまうカティフの感情が、カティフ自身にとってもどれだけ情けないか、呆れ果てるほどに見苦しいか、泣きたくなるほどに卑小か、身に沁みて理解してしまっている身としては、ここまで自分がみじめでみじめでしかたないと感じている仲間を、これ以上鞭打つのも正直気が引ける。
「……カティとしては、あの女性の、思うようには、されたくない、んだよな?」
「そりゃ………まぁ。そうでは、あっけどさ………」
「それなら、俺たちの、方針としては、関わり合いに、ならないように、避ける、ってことで、いいんじゃないか。わざわざ、別の街に行くほど、積極的に、避けるとまでは、いかなくても、こちらから、探そうとはしない、関わろうともしない、っていう、やり方で。あの女性が、カティを、探し出したんなら、その時はその時、ってことでさ………」
「ロワ、お前そんなにしんどいくせに長話してんなよ。話するだけで息が荒くなるくらい疲れてんだったら、黙って体力回復しとけばよくねーか?」
「……それは、そう、なんだけど。ひたすら、黙って、いるのも、精神衛生上……」
「まぁ……あまり意味のない方針というか、単なる状況の一時的な棚上げという気もするが、実際そこまで深刻な問題でもないんだし、別にいいか。そういう方針で」
「深刻な問題じゃねぇ、だとぉっ……!? てめぇ、俺の、二十歳過ぎで童貞っつぅ状況の重さ、まるでわかってねぇっ!! 十代の童貞と、二十代の童貞ってのの重みが、どんだけ違うか、これっぽっちも………!」
「いや……そう言われても、だな。個人的な問題の、重み軽みについてはおいておくとしてもだ。それをパーティ全員で重大視すべきじゃないだろう。誰かが落ち込んでいる時につられて落ち込んでいたら、助けの手を差し伸べることもできなくなるわけだし」
「そりゃ……そう、かも、しれねぇけどよ………」
「だから……カティは、ゆっくり休んで、余裕を作って、考えて、みたらどうだ。あの女性が、また目の前に現れた時、どうするかってことを。自国のために、自分たちの都合、のために、いいようにカティを、利用しようと、してる相手と、どう向き合うか、ってことを。身体を投げ出してきたら、本当に誘いに、乗って、自分の、なにもかもを、差し出してもいい、と思ってるのか。そういうことを、一人で、ちゃんと。相談相手ぐらいには、なる、からさ」
「………おう」
力なくうなずき、うなだれるカティフを、とりあえずそっとしておくことにして、他の仲間たちについて部屋を出る。ネーツェも、一人でちゃんと考えようとしているカティフと同じ部屋だから、という理由で居残るのは気まずいと思ったようで、自分たちについてきた。
いい機会だな、と思ったロワは「なぁ」と声を上げる。怪訝そうにこちらを向く仲間たちに、か細い声で頼みを告げた。
「今後の状況、しだいだと、思うんだけど。話の、転がりようでは、面倒な、ことに、なるかもしれないし。今のうちに、やっておいた方が、楽なんじゃ、と思うことが、あるんだけど………」
もちろん、今後の状況次第でどうとでも変わる、とは思うのだが――実際にカティフの心を『身に沁みて』わかってしまっているロワからすれば、その未来が訪れる可能性は相応に高いと思えたのだった。




