11-1 昔見た女
前線国家のひとつ、フィキティンレサの首都、フィケリニアシュ。そこは意外なことに、ロワがこれまで幾度も通り過ぎてきた街とさして変わらない、ごくごく平和な街だった。
「そりゃ、前線国家っつっても、前線と接してるのは普通、国境線の一部ぐらいだからな。首都だったら、普通の国と変わらねぇ、当たり前に平和な暮らししてるのも当たり前だ」
カティフが肩をすくめながら、どうでもよさそうな顔でそう解説する。
「特に、フィキはゾヌから直接的に、食料やらなんやらの支援を受けてるわけだし。首都の連中がその上前を撥ねるのは確定だろうしな。そりゃそれなりにいい暮らしもできるだろうよ。その上、フィキはそれなりに国土があって、畑やら牧場やらも持ってるんだ。前線で殺し合いしてる連中からすりゃ、『何不自由ない暮らし』って言えるぐらいの生活を満喫できる、金と余裕も持ってるんだろうさ」
「つかさー。気になってたんだけどさー。『前線』って、なんなわけ? 今はフェド大陸って基本戦争なくって、邪鬼が出てきた時とかを除けば、害になるのは魔物とかぐらいなんだろ? そー教わってたのにさー、前線国家っつーのはずーっと戦やってるとか言うしさー、意味わかんねーんだけど」
「『前線国家』というのは、戦争をしているわけじゃない。大規模戦闘が頻発する国家を、前線国家と呼ぶんだ」
ジルディンが首を傾げて発した問いに、ネーツェがいつものように説明を始めた。
「『前線』がどういうものか、というのは場所によっていろいろだが。基本的には魔物生息地帯だな。人が住んでおらず、魔物が土地の主となっている場所だ。その多くでは邪鬼の眷族が大規模な集落を作っていて、容易に攻め落とせない上に、そもそも攻め落とすことができても、開拓して人の住む土地にするには、費用と手間がかかりすぎる土地であることが多い。邪鬼の眷族たちの散発的な襲撃……といっても大規模な襲撃が頻発する時もあるそうだが、ともかく人間の敵たる相手の襲撃に、軍事力で対抗することが、一番安上がりな結果に終わる、という土地が『前線』と呼ばれるんだ」
「あー、邪鬼の眷族がいんのか! そりゃ確かに戦争じゃないかもだけど、戦い終わんねーよな!」
「………フィカとかフィキの場合は、それだけじゃなく、小さな国が興っては滅び、ってのをくり返してる場所とも接してるから、ちっと話がややこしくはあるけどな」
カティフがどうでもよさそうな顔のまま、淡々と元地元民らしく補足説明をする。前線でずっと戦っていた身として、前線国家の現状について、思うところがあるのは想像に難くない。
「へ? どーいうこと? 小さな国が興っては滅び、って……」
「もともと、フィカとフィキは、フィクってでかい国の一部だった、ってのは覚えてるか? そんで、フィクの首都に邪鬼が襲来して、国が滅びた、ってえのも」
「えっと……うん。パンでなんかそーいうこと言ってたよな」
「フィカとフィキは、フィクの外周、首都近郊を取り囲むようにしてできてる国のひとつなんだよ。フィカとフィキだけじゃなく、そういう国は他にもいくつかあんだけどな。で、その首都近郊が魔物生息地帯なんだ。邪鬼の眷族は、邪鬼が英雄に滅ぼされたあとも、その辺りに居座って集落を山ほど作ってる。っつうか、その邪鬼っつうのが周囲の環境を自分たちに有利に、使いやすいように変えてっちまうっつぅ代物でな。首都近郊は今じゃ、っつぅか滅ぼされたのはゾヌができる前だから今じゃもくそもねぇけど、腐った森やら沼やらばっかの、人間にゃとても暮らせねぇ土地になっちまってるらしいぜ」
「あー、なるほど。邪鬼の眷族みんなぶっ殺しても、全然お得感ねーってことか」
「そういうこったな。で、小さな国が興っては滅び、ってのは……首都近郊と、フィカやらフィキやらの間には、まだ人間が住める土地があって、普通に人が暮らしてたりもすんだよ」
「へ、そーなの? そーいう人らはなんで邪鬼の眷族に襲われねーの?」
「……偉い学者さんが言うことにゃ、『人間をより深く、長く苦しめるため』らしいぜ」
「………どーいうこと?」
「邪鬼の眷族にはな、『人間種族全体の苦痛を増すために一部の人間を見逃す』という習性があるんだ。見逃すというか、自分たちの目的、人間を苦しめるために有用なら放置することがたまにある、という感じかな」
ネーツェが説明を買って出る。おそらく学術的な問題に詳しくはないだろうカティフより、自分の方がこの話の解説役としては適正だと思ったのだろう。
「問題の土地は、もともとはフィカやフィキのように、フィクの有力貴族が王家の血族を擁立して成立した国家があった場所なんだ。フィカやフィキより規模の小さい、小国ではあったけどな。フィクは大国で、王家の縁戚も相応の数がいたから。大公のように力ある王家の縁戚が、フィクの首都近郊からできるだけ離れた場所に居を構えようとした結果、内側の土地で興した国が小国ばかり、ということになったんだろうな」
「ふーん………?」
「で、そういう小国は、当然ながら邪鬼の眷族の絶え間ない襲撃に晒されて、次々滅びた。滅びた国の民は、生存のためにフィク外縁に築かれた、相応の土地と戦力を有する国に逃れた。難民としてな。たぶん、邪鬼の眷族は、その様子を見て『味をしめた』んだろう」
「え、どーいうこと?」
「難民が流入した国というのは、それだけで大量の問題を抱え込むことになるんだよ。難民と住民の軋轢、治安の低下、食料の不足。人心は国府から離れ、国勢は混乱する。ただでさえ普通の国より軍を維持するため重い税を取らなくちゃならないのに、そんな状態に陥れば生活は困窮し、国を出る人たちも増えるだろう。それを押しとどめる国府と人民の間には争いが生じ、不幸な事態が幾度も拡大再生産される。そういう状況を意図的に幾度も起こすために、邪鬼の眷族はフィクの内側の小国家群を、『養殖』することにしたんだろうと言われている」
「よーしょく………?」
「よりおいしい思いをするために、ひと思いに滅ぼさないことにしたのさ。フィクの首都近郊に居を構える邪鬼の眷族たちは、頻繁にフィク外縁の国家に襲撃をくり返している。内側の国家は無視して、だ。もしその遠征にちょっかいをかけるような国があったのなら、即座に襲いかかって国民の半数ほどを惨殺、あるいは繁殖に利用する。そして残りの半数――もちろん軍事力もろくに残っていない国民たちは、難民となって、周辺国家に不幸を生じる要因となるしかない」
「うわ……」
「だがちょっかいをかけなくとも、邪鬼の眷族たちの大群が自国を通過して、他の国を襲撃しようとしているのを放置せざるをえない人々の心が、苦しみに軋み壊れていくだろうことも、想像に難くない。その状態を脱するために内側の国家全体の力を合わせ戦おうと考える人間も、これまでに何人もいたようだが、そもそも難民が寄り集まってできたような国ばかりな上に、度重なる襲撃で国力を増すこともろくにできてはいないんだ、国体そのものが貧弱で、人材も豊富とは言えない。そんな国同士が寄り集まろうとすれば、すぐに戦争状態に陥り、目の前の邪鬼の眷族を無視して争い合う羽目になる」
「うわぁ………」
「外縁の国家との仲は基本的に最悪だから……なにせ邪鬼の眷族の襲撃を横目に眺めて自国の安寧を図ろうとしているわけだからな……それらの国にも頼ることができない。八方ふさがりのないない尽くし。その閉塞感、絶望感から暴発して、外縁の国家に襲いかかろうとする国もあるくらいだ。結果、邪鬼の眷族の襲撃がなくとも、常に緊張状態を強いられる、前線国家の出来上がり、というわけさ」
「わー……なんつーかもう、それってめっちゃくちゃめんどっくさくね? ただでさえ邪鬼の眷族とずっとやり合わなきゃいけないのにさー、人間も警戒しなきゃいけないとか……しかも、難民の面倒もみてやんなきゃなんねーんだろ? よくそんなことやってられんな」
「やんなきゃ生き延びられねぇんだからしょうがねぇだろうが。生活が苦しかろうが、毎日死ぬ思いしなきゃならなかろうが、それ以外に生きる場所のねぇ奴は、なんとかかんとかやってくしかねぇんだよ。俺みてぇに、全部投げ出して逃げ出す奴もそれなりにいるだろうけどな」
カティフの表情は、どうでもよさそうな顔から揺らがない。ロワとしては、その内に秘めた、というか凍結させたまま知らないふりをしていてる感情が、いつ暴発するかとずっとひやひやしていたのだが、今のところその気配はなかった。カティフの凍らせた感情の硬度が、それだけ高いということなのだろう。
「ふーん……ってかさー、そんな面倒な土地なんだったらさ、英雄の人らがばーんって全部やっつけてくれりゃいいのにな。英雄の人らだったら、邪鬼の眷族が何万いようが、あっちゅー間にやっつけられんだろーにさ」
「………それは」
「それならお前がやってみたらどうだ?」
「えー、なんで俺が。まー仕事として金払ってくれんだったらちゃんとやっけどさ」
「同じことだ。たとえ英雄だろうと、対価の払われない仕事は普通やりたくない。そもそも、前線国家が協力して大金を出し合えば、英雄に仕事を頼むための対価ぐらいは絞り出せるはずなんだ。だいぶ財政は厳しくなるにしろな。それなのにそんなことにはなっていないというのは、どこもババを引きたくないから、損をしたくないから、懸命に他者に負債を押しつけようとした結果、現状が維持されているということなんだよ」
「………そっか」
「それに、フィクの首都跡地に手を出すということは、首都跡地近辺の小国家群……と言っていいほど国家の体を成しているところは少ないだろうが、ともかくそういう人々に対しても介入を期待されることになる。たとえ邪鬼の眷族がいなくなろうとも、彼ら彼女らとフィク外縁の国々との関係が最悪なのは変わりない。自分たちの安寧のために、邪鬼の眷族が、他国を襲撃すべく自国を通り抜けるのを座視してきた連中だ、と蔑視され続けるだろう事態も、だ。実際にそういう状況に置かれたならば、彼らよりマシな手段を選べる人間なんて、そうそういるものじゃないだろうと思うがな」
「えっとつまり、それって、これからもそいつらと、フィカとかフィキとかは、喧嘩し続けるだろうってこと?」
「そういうことだ。今は邪鬼の眷族への対策のためにそこまで手の回らない国々が、その軍事力を自由に動かせるようになった結果、人間同士の戦争という、最悪の事態を引き起こす恐れさえありうる。前線国家は基本的に、冒険者ギルドの影響がそこまで強くない。軍が魔物を狩るだけの余力を持てるほど、軍事力に資金を注ぎ込んでいるからな。冒険者ギルドの介入が遅れた結果、大陸中が問題視するような、最悪の戦争が引き起こされる可能性は、否定できないと僕は思う」
「うわぁ………」
「そんなややこしい、面倒な、労多くして功少なしを絵に描いたような案件に、進んで関わりたい人がいるはずがない。自分が介入したことで、戦争が引き起こされる可能性のある仕事なんて、引き受ければ嫌な気持ちで終わると宣言されているようなものだ。だからこそ、英雄の人たちも、こんな焦げくさい問題には手を出さないようにする。まず自分の安全を確保する、というのはどんな状況でも絶対の鉄則だからな。その判断はごく当然、というよりむしろ仕事に際してわきまえておくべき義務だろう」
つらつらと説明するネーツェの心境としては、カティフに対して気を使う気持ちがないわけではないが、仲間の心境に気を使って言うべきことを黙っているのは間違っている、という理屈がまずあるのと、カティフに対して言い聞かせるいい機会だ、という気持ちがあるようだ。フィネッカンから逃げ出したことを、気に病む必要は微塵もないのだと。どんな英雄も手を出したいとは思わない状況の中で、自分を守るために取ったごく当たり前の選択なのだと。
ただカティフの心境をつぶさに感じ取ってしまっているロワとしては、ひやひやどころかびくびくせずにはいられない状況だった。カティフは顔にはどうでもよさそうな表情しか浮かべていないが、内心では相当に嵐が吹き荒れているのだ。フィネッカンのことを思い出しただけでも冷静ではいられない節があるというのに、自分の置かれていた状況を、別の場所から上から目線で解説されるというのは、気に入らない人間は死ぬほど気に入らないはずだ。暴発してもおかしくない。そしてカティフは間違いなく、そういう行為が気に入らない人間だ。
だが、カティフはそういう今にも暴発してもおかしくないような感情を抱えているというのに、自分でそれに気づいていないというか、『どうでもいいこと』『自分にはもう関係のないこと』と、無理やり思いこもうとしているように感じられる。半分はもう故郷のことを考えて傷つきたくないという気持ちから、もう半分は捨ててきた故郷に対する罪悪感に気づきたくないという想いから。
どちらにせよ、うまく表層意識で考えないように、気づかないようにできたところで、心の底ではきっちり考えているし気づいているのだ。それを無理やり気づかないふりをしたところで、精神状態が不安定になるのは避けられない。
まぁ、きっちり意識上でも考えて向き合ったところで、カティフの心が多大な負担を抱え込むのも間違いないことなわけで。よそからああだこうだと口を挟むのも、カティフにしてみれば不快この上ないだろう。仲間としては、できる限り寄らず触らず、礼儀正しく無視をするのが一番マシなやり方だ―――とロワ自身は思っているのだが、ネーツェは自分なりの『正しい』理屈でもって当然のように、むしろ意図的にその話を口に出すし、ジルディンは基本なんにも考えずになんでもかんでも口を出すし挟むし聞きほじるし。ヒュノは――興味のないことはまるで聞かない口にしない奴なので、まだいいが。
そんなわけで、ロワとしてはどうにもこの国に入ってから、ひやひやびくびくのし通しだった。自分がそんな感情を抱いていることもカティフにとっては気に入らないことだろうから、できる限り表面には出さないようにしていたけれども。
「ってかさー、この街で見るもんって、あんまねーのな。なんかフッツーの街って感じ。パンみてーにびんぼったらしーっつーわけでもねーけど、あんま『これスゲー!』って感じのもんが、街の中にねーっつーか……」
「そもそも、万人に『これはすごい』なんて思わせる代物がある街や国、なんてそうそうないぞ。そんなものを持ち合わせているのは相当な大国か、さもなければよほど特色の強い産業なりなんなりを保持している国ぐらいだ。フィキは前線を維持することに国力の大半を費やしているから、他のことに手を出している余裕があまりないんだよ」
「ふーん……なんか、つまんねーな。せっかくこーやって街ん中うろうろしてんのにさ」
「どんな街だろうが国だろうが、お前に面白がってもらうために存在してるわけじゃないからな。自分たちが生きるために必死になっている国、というのが今のフェド大陸では大半なんだから」
「それはわかってっけどさー」
そんなことをぐだぐだと喋りつつ、街の中をうろつく。フィケリニアシュはそこまで規模の大きな都ではなく、仲間たちが早足で巡れば一日で一周できてしまえるほどの広さしかない(ロワはいつものごとく、身体にまるで負担のかからない、寝転がって休んでいるのと同じ状態でジルディンに運んでもらっているので、仲間たちの足を引っ張るという羽目には陥らなくてすむ)。今朝フィケリニアシュに到着して、宿を取って、うろつきまわって昼食を取って、またうろつきまわって、すでに時刻は夕刻近くになっているが、めぼしい場所はおおむね見て回った、と言ってしまえるだろう。
そしてジルディンの気を引けるほど面白いものは特に見当たらなかった。というか、それなりに多くの街を見たことがあるロワたちにとっても、目を惹かれるほどのものは特になかった。なにか悪いものが存在しているということはなく、普通に平和で、住んでいる人々がおおむね飢えることなく暮らしていけているというだけで、十二分に大したことをしている街ではあるのだが、それとこれとはまた別の話、ということなのだろう。
どんどんと陽が落ちてきているのを見て取って、ロワはあまり力の入らない身体を(なにせここ一巡刻ほど、毎日走りながらヒュノの鍛錬指導を受けていた身なので)、小さく震わせて声を上げる。
「そろそろ……宿に、戻らないか? とりあえず、見られるものは、だいたい見た、と思うし……」
「んー、ま、そーだな。そろそろ宿に戻るかー。あんま面白いもん見られなかったけど」
「ゾヌ育ちのお前が面白がれるほど大したもんがそうそうあるわきゃねぇだろうが」
「ふーん、そんなもんか? 東に向かって転移しまくってる時には、そこそこ面白いもんあったけどなー」
「それは街から街に転移していた時よりも、街と街の間の印象の強い場所を間に挟む時の方が多かったからだな。街ではない印象の強い場所というのは、普通景観が見事な場所だ。目を引いて心を楽しませることができるのも、道理というものだろう」
「あー、なるほどなー。ちょっと納得した。んじゃ、さくっと宿に戻ろうぜー。転移すっから、全員近くに寄れよ」
言われるままに、仲間たちがジルディンに近寄る。ロワも(ジルディンに運んでもらっている身なので)当然ながらジルディンのそばに、すぅっと近寄った。
ジルディンが「〝祈天……〟」と唱え始める――やいなや、ばっとこちらに人影が近づいてくる。すでにその気配を察していたのだろう、仲間たちはばっと散開し、人影に向かって身構えた。
が、仲間たちはすぐに、揃って気の抜けた顔になる。こちらに駆け寄ってきたのは、悪漢でも掏摸の類でもなく、普通の衣服を身にまとった、普通の町娘のように見える女性だったからだ。
いや、正確には、カティフだけは気の抜けた顔にはならなかった。むしろ愕然とし、呆然として、その女性がこちらに突っ込んできて、カティフに勢いよく抱き着いても、麻痺したように動かない。
「カティ……会いたかった………!」
その女性がそう叫んでも、カティフは硬直したまま、まるで動こうとはしなかった。―――頭の中で、幾度も幾度も、『なんで、この人がここにいるんだ?』という問いをくり返しながら。




