10-2 不幸な少女
自分たちの身詰める先、ジルディンの探った情報を組み立ててネーツェが映し出した映像の中で、ヒュノは通りを小走りで進んでいた。道を歩く人は少ないし、そもそも足の速さがまるで違うしで、ヒュノはあっという間に間合いを詰め、少女に後ろから声をかける。
『待った。ちょっと、いいか』
『え………?』
ヒュノの視線の先で少女は足を止め、のろのろとヒュノの方を振り向く。その動きには活力がなく、絶望に満たされた人間特有の倦怠に満ちていることに気づき、ロワは映像のこちら側で一人眉を寄せる。
『あんたに、ちょっと聞きたいことがあんだけどさ』
『………、なんでしょう』
『あんたって、不幸か?』
その言葉に、少女は大きく目を開いて固まった。ロワも正直そうなんだろうなと考えていたことではあったが、それを真正面から口にするヒュノに、呆れと感服の感情を半分半分に覚える。
「うっわ、ヒュノの奴、のっけからそれかよ………女口説くのにんな言い方でいいと思ってんのかねぇ」
「少なくとも、あいつ自身には口説いているつもりはない、ということだろう。まぁそうなると、よけいになんでわざわざあの女の子を追っていったのか、というのがわからなくなってくるわけだが」
『………、どういう、意味でしょう』
わずかに顔をうつむかせたまま言葉を返す少女に対して、ヒュノの口ぶりはあまりにも軽い、上に単刀直入だった。
『ん? だからちょっと聞きたいんだって。絶対答えたくねぇってほど大した質問でもねぇだろ?』
『………私が、不幸だったら、あなたになにか、得があるとでも?』
『得っつーか………まぁ、そうだな。俺にできることがあるかもしれねぇって思ったんだよ』
『え………?』
戸惑ったように顔を上げる少女に、ヒュノは真っ向から向き合った状態できっぱりと告げる。
『俺があんたと不幸の縁を切れるかもしれねぇってことさ。少なくともあんたの損になる話でもねぇだろ?』
『―――――!』
「おいおいおいなんだこれなんだこれなんだこれ、ヒュノの野郎なにいきなりまともに口説くような話抜かしやがってんだぁ!? ふざけんな許されっかよんなこと俺がまだ娼館にもまともに相手されてねぇってのに、あの野郎だけこんなとこでいきなり童貞捨てられるってか!! 許さねぇ許されるわけねぇだろ絶殺だ絶殺っ、絶対なにがなんでも断固としてぶっ殺す以外の選択肢ねぇっ!!!」
「いきなりでかい声を出すな! いやというかだなそもそもだな、なにもこれは別に女を口説くとかそういう話じゃないかもしれないし、だってヒュノだぞ? あの女の子と話をするよりも剣を振っている方がずっと有意義だとか普通に女の子に言う奴だぞ? それにもし口説いていたとしたって、初対面でいきなり童貞を捨てるとかなんとか、そういう方向に行くのはいくらなんでも、まともな良識を持ってる男なら……!」
「うわ、うっせ。二人ともいきなりでっかい声出すなよー。……っつーかさー、これってヒュノの奴、いきなり女漁りし始めたってことなん?」
「女漁りとかんな非童貞の優男にしか許されねぇような真似俺の仲間がするとか許されるかぁぁぁっ!! もし本気でそんな真似し始めやがったってんなら、俺は命を賭してもあいつを殺して残した金全額使って娼館無理やり買い上げてでもお姉ちゃんたちに相手してもらうわっ!」
「いやそれは普通に犯罪だからな!? というか娼館を無理やり買い上げるくらい、お前の持ち金を使えばできるんじゃないのか!? 殺した仲間の金を使う前に、普通に自分の金を使うことを考えろ!」
「は? おいこら待てや。で、できんのか、本気で、そんなこと? しょ、娼館無理やり買い上げりゃ、ゾヌの超上級娼館の、美人のお姉さんたちにみっちりしっぽり相手してもらえんのかぁっ!!? そんなことできるってんなら早く言えやっ、こんなことしてる暇ねぇとっととゾヌに戻って無理やり娼館お買い上げしねぇと………!!」
「えっ、いや待てそうじゃない、まぁ確かに金にあかせて無理やり娼館を買い上げることは、冒険者ギルドに相応の金を積んで伝手を紹介してもらえばできるだろうが、そして今の今までその事実に気づかなかったお前の思考回路に正直だいぶ疑問を覚えるが、お前は娼婦の方々に普通に相手してもらいたいんだろう? ゾヌの娼婦の方々がお前の相手をしたくないと言っているのに、無理やり娼館を買い上げて相手をさせるというのは、相当反感を買うぞ。金で相手の横っ面をひっぱたくも同然だからな。たぶんゾヌ中に噂が広まって、お前に対する評判が悪印象一色になると思うんだが………」
「それがどうしたってんだっ!! 本職の娼婦なんだったらそれでも俺にはちゃんと夢見せてくれんだろ? ちやほや甘やかして童貞卒業させてくれんだろ!? そんならもうなんでもいいっ!! どうせゾヌ中で俺ぁ今でも二十歳越えてんのに童貞だなんだってクッソミソに言われてんだっ、いまさら悪い評判が立ったってなんだってんだっ!!」
「娼婦の人たちからの、印象は、だいぶ違うと、思うけどな………どこでも娼婦の人たちの、大半は、金でがんじがらめにされて、無理やり働かされてる人たちだ。それを、店を買い取って、どうしたって逆らいようのない状況にされた上で、無理やり相手をさせられる、っていうのは、ただでさえ自分の意志を捻じ曲げられながら生きてる人たちからすれば、悪夢でしかない。たとえ一見、本職の人間として、男を蕩かせるような手管を使ってくれたとしても、内心では、殺したいほど憎まれるだろうし、そういう気持ちをちらりちらりと、一見なんでもない素振りで、わからせるぐらいのことはすると………」
「があああロワてめぇなんでそういうこと言うんだよっ、そんなこと聞いたら絶対これからお姉さんたちの素振りとか深読みしちまうじゃねぇかぁっ、俺姉ちゃんたちの裏事情とか絶対知りたくねぇのにぃっ!!」
「もーっ、カティうるせー! まだ話続いてんだから、黙って聞けよな!」
「ぅぐっ……ジルに正論で叱られるとか……ち、ちくしょう、これはさすがに人として反省しないわけにはいかねぇじゃねぇか………」
「ホントだよ、反省しろよな!」
「そこでそういう反応になるか……まぁいろんな意味でお前らしいとはいえるな………」
そんな画面のこちら側でのすったもんだなど当然ながら気にもせず、ヒュノと少女は見つめ合う。いつも通りの、なんというか飄々とした表情で見つめてくるヒュノを、少女はしばしまじまじと見つめていたが、やがてすっと視線をそらしてうつむいた。
『………どういう、つもりで、そんなこと、言うんですか』
『へ? どういうつもりって………』
『私の体目当てですか? だったら申し訳ありませんけど、私の一存じゃどうにもなりません。私はもう、娼館に売られた人間ですから。今日も見習いとして、使い走りをさせられているだけで、本来なら娼館の外に出ることも許されないんです』
『――――!』
『ふーん。そうなのか』
「いやいやいやおい待て待てやおいこらヒュノ、そこはそういう反応するとこじゃねぇだろっ!! こ、こ、こんなところに普通に娼館に売られた女が歩いてるとか………! ま、まぁガキだしな、それなりに可愛い顔してるからって別になんとも思わねぇけど?」
「カティ、お前の方こそその反応はだいぶどうかしてるぞ、お前の頭の中には男女の営みについてしか詰まっていないのか、しかも夢を見まくった類の。しかし………ゾヌからまだ数国しか離れていないというのに、もう娼館に売られた人間が存在しているとは。娼館に勤めるのはほとんどの場合金に困っているせいだ、というのはわかっているが、それでもそこには本人の自由意思があってしかるべきだろう。他者の利益のために身売りされるなどというのは人身売買以外の何物でもない、そんな犯罪が当たり前のように行われているとは………この国の貧しさは思っていた以上、ということなのか………?」
「え? この女、誰かに売られたの? 自分で売ったんじゃなくて?」
「そうでなければ『売られた』という言い方はしないだろう。まぁ、ロワが彼女に同調できるならよりはっきりとわかるだろうが……」
「さすがに、それは。ジルの集めた、映像と音を、ネテが構成した幻像の、向こうにいる相手と同調する、なんて神業は、俺にはできない」
「そうだろうな。むしろそんな変態的な絶技、できる方がおかしい」
「? なんでネテこっち見ながら言うわけ?」
「これだけ直截に表しても意味がわからないのか……まぁいいが、それこそいまさら言ってもしょうがないしな」
画面の向こう側では、こちらのいつも通りの騒ぎとは正反対に、重苦しい雰囲気が漂っていた。というか、うつむいている少女がまき散らす気配だけで、普通ならとっとと退散しているだろうほどの重圧を(画面のこちら側にいるロワさえも)感じ取れるのだが、ヒュノはそれにまるで頓着することなく、平然と、かつ当たり前のように言ってのける。
『まー、俺別にあんたの体目当てってわけでもねーしな。っつーか、別にあんたになにかしてほしいとか思ってねーよ。単純に、俺があんたの、不幸との縁を斬ってやれるかもしれない、って思ったから声をかけただけだし』
『だから、なぜ、そんなことを。第一……あなたみたいに、どこからどう見ても普通の冒険者としか言いようのない人に、私の不幸なんてものを、どうにかできるわけがないでしょう。たとえそんな夢みたいなことが、なにかの奇跡で現実に起こるにしたって………そんなものが、私の身に訪れるわけがない。そんな幸運は、絶対に、私を避けていくんです。私はいつも、誰からも、なにも与えられない、なにも得られない。不幸な人生に、これからもずっと、耐え続けていくしかないんです………』
『ふーん? つまり、あんたは不幸な人生をこれからもずっと続けていきてーってことか?』
『っ、そんなわけないでしょう。なにを聞いているんですか。私は、これからも、ずっと………』
『ずっと不幸な人生が続く、って言ったじゃねぇか。不幸な人生を選ぶ、ってことじゃねぇの?』
『っ………そんなわけないでしょう!? 私だって、できるものなら幸せになりたい! そんなものがこの世界にあるっていうなら! でも、だけど………私の人生には、私の周りには、どこまでいっても、不幸せしかないんだもの! なにをしてもどう頑張っても、幸せなんて手に入れようがない! それなのに………あなた、みたいにっ、当たり前みたいに、私の人生にないものを、手に入れようのないものを、手に入れられるなんてっ、夢みたいなことを言ってっ、結局、私の不幸を増そうとするようなっ、そんな人はっ………!』
少女は涙目になってヒュノを睨みつけるが、ヒュノはあくまで飄々とした顔で、わずかに首を傾げてから、ぽんと手を打った。
『ああそっか、あんた今お使いに出てるんだもんな。あんまり長話してたら叱られちまうか』
『っ……そう、ですよ。私は、娼館の主には逆らえない、逆らいようがない………それがわかったなら、もう、私のことは………』
『とりあえず、お前の店まで送ってくわ』
『っ………!? なっ……なにを、突然………! 意味の、分からない、ことを………!』
『いやだって、俺が話しかけたせいでお前に無駄にイヤな思いさせるとか、さすがに気が咎めるしな。送ってって、店の方にちょっとでも金を積みゃあ怒られたりはしねぇだろ。それに、お前の店がどこにあるかとか、ちゃんと知っとかねぇとだしな』
『………なんで、そんな。わざわざ………』
『いやだってよ、お前とまだ話したいし。行儀見習いだからって、それなりに金積みゃあ話すことくらい許してくれんだろ。店の上の奴らにも、きっちり話通しとかねぇとな』
『だから、なんでそんなことを! そんなことをされたって、私にはなにも返せるものがないって言ったでしょう!? なんで、そんな、意味のないっ………』
ばっと顔を上げて、ぎっとヒュノを睨みつけながら、今にも泣きそうな顔でまくしたてる少女に、ヒュノはやはり飄々とした顔であっけらかんと告げる。
『だって、お前が、今にも押し潰されそうってくらい、不幸で不幸でしかたないって顔して歩いてたからなぁ』
『………っ………』
絶句する少女に、ヒュノはあくまでしれっと、『そろそろ行こうぜ。道案内してくれよ』と言ってのける。だが、少女は絶句したまま呆然とヒュノを見つめて動かない。おそらく、これまでの自分の人生に存在しなかっただろう類の優しい言葉をかけられて、混乱しているのだろう。
ヒュノはまた、わずかに首を傾げて肩をすくめ、少女の手を取って歩き出した。
『…………!』
『ここでぼーっとしてたってしかたねぇだろ。この先どっち行くんだ?』
『っ………、…………』
『なぁ、教えてくれって。どっち』
『………、三つ先の角を、左です』
『はいよ』
言われるままに少女の手を引きながら進むヒュノを、画面のこちら側にいる面々は、おおむね呆然として見送った。カティフは特に愕然とするほどの衝撃を受けたようだが、ネーツェもロワ自身も、だいぶ驚いているのは間違いない。ジルディンは特に衝撃を受けた様子はないが、むぅっと唇を尖らせてあからさまに不満の感情をあらわにしている。
というかこの映像を見続けるのが嫌になったようで、唐突に術法を打ち切って幻像を消したが、それに文句を言う仲間は誰もいなかった。全員、仲間が少女を口説き落とすところを監視するなどというのはごめんだ、と考えてしまったのだろう。
無言になってしまった仲間たちの中で、一人カティフだけはいつものように、すさまじい勢い怨嗟の言葉をで喚き散らす。
「ふざけんなぁ………ふざけんなよあのクソ野郎がぁぁぁ………!! っだありゃ、んっだってんだ、当たり前みてぇに女の子と手繋ぎ!? 家まで送る!? 家までの道を聞き出すだぁぁぁぁ!? っだそりゃてめぇいつから色男になったってんだあのクソ野郎、脳味噌全部剣の鍛錬に使ってる剣狂いだと安心してりゃ調子に乗りやがってぇぇぇぇ!!! 許せねぇ、絶対に許されねぇぞクソ野郎、命を捨ててでもあいつ討ち取って首晒してやらぁぁぁぁ!! 俺の仲間の分際で、俺より先に女作れると思ってんじゃねぇぞぉぉぉぉ!!!」
「いや、おい、待て、いいから落ち着け。お前の言いたいことがわからないわけじゃないが………それでも、さすがに、仲間が女を口説いたからってさらし首にする、というのは理不尽に過ぎるだろう。まぁ、正直、驚いたのは確かだが………僕もヒュノが女の子を口説くなんて、まるで予想してなかったし………だがだからといって、いくらなんでもだな………納得できない気持ちは、その、わからないわけじゃないが………」
「つーかさー、カティってヒュノと戦って勝てんの? 俺、カティがどんな手使ったとしても、ヒュノに勝てる気しねーんだけど」
「うるっせぇわそんなんわかっとるわそんでもそんくらいしなきゃ気持ちが治まんねぇっつってんだよ俺はぁっ!!! ちくしょうちくしょうどちくしょうっ、俺より先に………俺より五歳も年下のくせにぃっ………! 俺より先に女作るとかぁぁぁぁっ!!!」
「いやだからお前は少し落ち着け! ……というか、珍しいな、ジル。お前がこの手の話でむっとしたところを見せるとは。いつもどうでもよさそうな顔で流していたくせに」
「へ? んー………まー、別に、どーでもいいっつー気持ちがなくなったわけじゃねーんだけど………なんか、納得いかねーっつーか………ヒュノが勝手に女作るっつーのが、なんかムカついたっつーか………」
「えっ………」
「だよなだよなそうだよなぁぁっ!! っしゃジル、俺と一緒に帰ってきたヒュノの野郎シメようぜ!? お前が手ぇ貸してくれんならちっとは勝機出てくるかもしんねぇし………!」
「いや、お前ら二人がかりでも、まず間違いなく負けると思うが………」
「うっせぇわネテやりもしねぇで諦めてんじゃねぇわ、つかお前も参加しろや! お前だってムカつくだろうが、俺らがまるで女に相手されず童貞街道貫いてるっつーのに、いきなりあっさり女口説くとかよぉ! 勝手に抜け駆けするとか絶殺以外の選択肢ねぇだろうが、あぁん!?」
「いや、だから、たとえ仲間だろうが個人的な事情には深入りしないのが冒険者の鉄則で………抜け駆けもなにも、協定を結んでいたわけでもなし………そもそも仲間が女を口説いたからって、文句を言える筋合いはどこにも………、………。…………まぁ、確かに、イラッとこなかったかというと、嘘になるわけだが…………」
「っっし! よっしゃ決まりだ、帰ってきたヒュノの奴全員でシメようぜ、仲間の分際で哀れな男どもを馬鹿にするふざけた野郎には死あるのみだっ!!!」
「いや、さすがに死とまでは………まぁ、少しくらいなら、参加するのもやぶさかではないが………」
「まー、いーけどさぁ。その代わりヒュノがブチ切れたら、矢面に立つのカティだかんな?」
本気でヒュノを締め上げるという方向に向かい始めた仲間たちに危惧を覚えつつ、ロワは一人考え込んだ。もちろん、ヒュノが少女を口説いたところで、なにか問題があるわけではない。娼館の見習いだからといって、それはもちろん娼館からの横やりは入るだろうが、そちらにも筋を通せば、親しくなるのになんの問題もないだろう。今では自分たちはそれこそ腐るほど、豊富な資金を有しているわけだし。
ただ、その。ヒュノらしくないというか、これまで自分が抱いてきたヒュノの印象にそぐわないというか、奇妙な感じがするというか、いやまぁヒュノの言動自体に違和感はなかったのだが、ヒュノが女の子を口説くという状況については、全力で違和感を感じざるをえないというか………。
………結局のところ、自分も単に、なんとなく面白くない、というだけかもしれないな、と嘆息し、ロワは盛り上がる仲間たちの会話に加わった。自分が加わろうとヒュノと対峙した時の勝率を上げる役にはまるで立たないだろうし、ぶっちゃけヒュノの刈る首が一つ増えたというだけでしかないだろうが、仲間の勢いに流されたいと思ってしまったのだからしかたがない。少なくともやりすぎを控えさせて、ヒュノが本気で自分たちの首を刈りにくる可能性を下げる役には立つだろう。




