9-14 灰色の聖女・3
翌朝十四刻。いつも通りの約束の時間、約束の場所。だが、現れた神官たちは、あからさまにこれまでとは違っていた。
これまでは神職らしいというか、基本的には落ち着いた面持ちでしずしずと動く人々で、不快や怒りを表す時でさえ礼儀正しく大声でしかりつけることもしない人々だったのに、今朝は目にも表情にも動きにも、明らかに動揺と狼狽の色が見える。
どうやらイキシュテアフは無事、かどうかはともかく、仕事をしてくれたらしい、と思いつつも、あくまで顔は平然とした表情を保ち、神官たちの先導に従っていつもの場所―――ジリオシャクラの私室に向かう。その間も、神官たちの顔色は変わらなかった。
というか神殿中が(はっきり騒がしい、と言えるほどではないにしろ)、どうにも落ち着かない、というか、そこかしこで小声で激しく言葉が交わされているような、ざわめいた気配で満ちていて、これまでの森閑とした、息をするのもためらわれるような神殿とは、雰囲気が明らかにまるで違う。仲間たちも、ジルディンも、それには気づいているようで、ちらちらとこちらに視線を幾度も投げかけてきた。
だがまぁ当然ながら神官たちに案内されながら神殿の雰囲気について喋りたおすわけにもいかず、ジリオシャクラの私室にたどり着くまで無言を通させてもらったのだが、ジリオシャクラの私室もあからさまに昨日までとは違っていた。
というか、人数がまるで違う。これまではジリオシャクラの側近や護衛なのだろう神官たちが四、五人というところだったのに、今日は部屋の中にいる人間が十人以上に増えている。しかも、やたらと年を食った老年の男性ばかりだ。
おそらくは、イシューニェンタ聖国なり、イキシュテアフ教団なりの幹部職にある人間なのだろう。そんな人々すらもが、明らかに顔色を変え、騒いでこそいないものの動揺した気配を漂わせ、右往左往している。イキシュテアフからの託宣が彼らに与えた影響は、それほどに大きかったのだと否応なしに理解できた。
そして、その老年男性たちに囲まれた、ジリオシャクラもあからさまに顔色が悪い。というか、愕然とか、衝撃から立ち直れていないとか、蹌踉としたとか、そういう言葉をあらかた組み合わせないと形容しきれないぐらいには、憔悴している上に雰囲気も暗かった。
これはジルディンも予想外だったようで、思わずびくっと震えたが、ここで気弱なところを見せたらつけこまれると思ったようで、逆に偉ぶって胸を反らし、用意された椅子に着こうとする―――が、その前にジリオシャクラから制止が入った。
「申し訳ありません………少し、お待ちを。我々は、まず誰よりも、〝女神の巫〟たるお方にお話をうかがわなくてはならないのです」
「へっ………」
「俺に、ですか。なんのお話でしょう?」
静かに問いかけると、ジリオシャクラはわずかに逡巡したようだった。その数瞬の隙に、堰を切ったように、怒濤の勢いで背後の老年男性たちが喚きたて始める。
「あっ、あれは、君がやったのかね!? 君が!? 我がイシューニェンタ聖国の存在意義を否定するようなっ………あのようなことをして、君には倫理や道徳というものの持ち合わせはないのかね!!」
「なにを言っておられるのです! 我らが受け取ったのは明らかに神の御言葉、それを人の身で動かすことができるなど、不遜というのも生易しい!」
「そ、それはそうだがっ、あれは、あれは、あまりにも………! イキシュテアフ神の御言葉を疑うわけではありませんがっ、我らのこれまで積み上げてきたこと、為してきたことが、まるで意味がなかったと、害悪であったと言われたも同然ですぞ!?」
「神の御言葉を否定されるのか!」
「我ら神の信徒に許されることは、その御言葉を己を空しくして受け止め、ひたすらに行いを正す、それのみでしょう! それはっ………確かに、ならば、なぜ、最初からそうおっしゃってくださらなかったかという、疑念を抱きかねないおっしゃりようでしたがっ………!」
「イキシュテアフさまは、そのことについてもおっしゃられてはいなかったですか? 俺から直接に訊ねられたから、答えることができるのだ、と」
喚きたて、言い争う老年男性の一人の言葉尻を捕らえて口を挟むと、老年男性たちは揃ってすさまじい形相をロワに向け、またもいっせいに喚きだす。
「まさか君が指示をしたとでも言いたいのかね! 我らが神、イキシュテアフ神の行いに指図をしたと!?」
「不遜にもほどがある! 決して許されぬ行いだぞ!」
「まさか。ただ、神々のお話し合いを横で聞いていただけです。俺がどれだけ口を出していいか、出せるのか、ということについては意見を出させてもいただきましたが」
『っ………!』
「き、君は自分の言っていることがわかっているのかねっ! 君は、自分が、神の世界に呼ばれたと宣言したのだぞっ!」
「身の程知らずもはなはだしい………!」
「君は自身が神であるとでも言いたいのかねっ!?」
「ご冗談を。俺はただ、神々がこの世界の不具合を調査なさるのに、協力させていただいているだけです。調査を詳しく、正しく行うために神々と言葉を交わすことを許されているだけのこと。というか、『なぜ言葉を交わすことができるのか』ということを神々は調べられているので、俺が神々とお話をさせていただかなければ、むしろ神々にとっては不都合なわけですが。その辺りについては、みなさんもご存じのはずなのでは?」
『……………っ!』
揃って絶句する老年男性たちの前で、ジリオシャクラは力なく首を振った。
「みなさま………落ち着いてください。曲がりなりにもイキシュテアフ神から聖国の名を授かった私たちが、このように見苦しくうろたえては、それこそイキシュテアフさまの不名誉となりましょう」
『ははぁっ………!』
ジリオシャクラがそうか細い声で告げるや、老年男性たちも部屋の外からこちらを見つめていた側近たちも、揃ってその場に平伏する。あまりの鮮やかさに目を瞬かせてしまったのだが、ジリオシャクラは特に驚いた様子もない。
なるほど、聖女のお叱りの言葉となれば、即座に平伏して受け取るのが反射になってしまうぐらい、聖女崇拝の念を常日頃から叩き込まれているわけか。そりゃ他者と切磋琢磨して己を高める、成長する、というのは難しいだろうなと思いつつ、のろのろとこちらを見上げてくるジリオシャクラと向き合う。
「〝女神の巫〟………ロワさま。イキシュテアフ神は、他には、どのように………?」
「まず、あなた方がどんな御言葉を賜ったのか、うかがってもいいですか?」
「………私が賜ったのは、端的で、短い御言葉でした。私たち、イシューニェンタ聖国の聖女が行う、感与術を使った自傷によって魔物たちを鎮める儀式は、決してイキシュテアフ神の望むところではないこと。聖女たちに感与術を授けたのは、そんなことをさせるためではなかったこと。これは〝女神の巫〟が自分に問いかけることによって、ようやく発することができた言葉であること………他の方々もおおむね同じです。違いは、神の世界に招かれたかどうか、ぐらいで………」
どうやらイキシュテアフの託宣は、無事終えることができたようだった。託宣なんてしたら絶対嚙む、噛んじゃいけないところで嚙みまくると断言したイキシュテアフは、自費で神界の護符―――あらかじめ定めた言葉をよどみなく明瞭な発音で述べることができる、という効果のある代物を入手すると言っていたのだ。ただその効果時間はあまり長くないため、長々としゃべることはできない、とも言っていたが。
ゾシュキアは『そもそも神次元の奴が人次元の子と話す時なんて、デフォでそーいう効果かかってるも同然なのに、どんだけ小心者なんだか』などと言っていたが、イキシュテアフはその効果時間内に会話を終えることにしたらしい。
「その上で、今後儀式を行うか否かは、みなさんの考えに任せる、とおっしゃられてはいませんでしたか?」
「っ………確かに、そのようにも、おっしゃられていましたが。それでも………あの儀式を、今後も続けることが、許されるとは思いません。我々は、イキシュテアフさまの御心に、誰より沿わなければならない立場の者たちです。そうでなければ、たとえ神事や立ち居振る舞いに限ってのこととはいえ、大陸中の神職の方々の、模範として扱われることなど、許されるはずがない………」
まぁ、確かにそういう反応になるだろう、というのはわかっていたわけだが。ロワとしては、その言い分を諾諾と受け容れるわけにもいかないわけで。
「イキシュテアフさまの御心に沿わなければならないから、取りやめるわけですか? 実際には、これからも行い続けることを望んでおられるのに?」
「我々の望みなどに………意味があるとは思えません。我々は、崇める神の、イキシュテアフさまの御心に沿わぬ儀式を、これまでずっと続けてきてしまったのです。それこそ、神をも恐れぬ所業、断固として断罪しなくてはならない大罪です。そのようなことを……我々は、得々と、これこそイキシュテアフさまの御心に従う行いなのだとばかりに、得意満面に………私などは、曲がりなりにも、イキシュテアフさま直々に加護を授かった人間だというのに………!」
ジリオシャクラは掌で顔を覆い、うっとうつむきながらそう呻く。信心深い、というより信仰にその身を捧げた人間、しかも一宗派の首座として扱われてきた人間だ、その反応も当然だろう。いかに自分たちなりに神の意に沿うべく、懸命に考えて行ってきた儀式であろうとも、神ご自身がそれを望んでいない、と明言された事実の前では、その意義も価値もあまりに軽い、ように思われるのが普通だ。
しかもイキシュテアフは信仰と神事の神、大陸中から模範とされてきた自分たちの信仰の形が、誤りであったというのはこの上ない衝撃だろう。………実際には、イキシュテアフもそのほかの神々も、別に誤りだったと考えているわけではないのだが。
「私は、私などが、もはやこの地位に在ることなど許されるはずがありません。位を返上し………いえ、放逐されるべきです。いいえ、そんな扱いで足りるわけがありません、死をもって少しでも罪を贖わなくてはなりません。斬首されねば………いいえ、その程度で足りるわけが………! 車裂でも、炮烙でも、ありったけの苦しみをもって償わねば、イキシュテアフさまに申し訳が立ちません………!」
「………ばっっっかじゃねーのっ!? お前、それ本気で言ってんのかよっ!!」
唐突に叫んだのは、ジルディンだった。まるで意識を向けていなかった相手に怒鳴られて驚いたのだろう、目を瞬かせて身を引くジリオシャクラに、いつものようにぎゃんぎゃんと喚き散らす。
「俺にあーだこーだってえっらそーに言ってたくせにさっ! 自分らのやってたことが、神さまの好みじゃなかったってだけでうろたえちゃってさっ! その程度の根性しかねーんだったら、最初っからえらそーな口利いてんなって話だろ!?」
「なにを………! その不遜に過ぎる言いようで、私たちの行いにまで口を出すのはやめてください! 私たちは、今は自分たちの犯した罪を償うことに必死なのです! あなたの罪についてまで、背負う余裕はありません!」
たぶん初めてだろうことに、視線に心底からの敵意を乗せて、ぎっと睨みつけながら怒鳴るジリオシャクラに、しかしジルディンは微塵も退く様子を見せなかった。こちらも明らかな怒りをこめて、真っ向から相手を睨みつけまくしたてる。
「だってそーだろ!? 俺最初っから言ってたじゃん! お前のやってることおかしーって! 普通に魔物倒して間引きゃいーのにって! そん時は無視したりしたしさ、大陸中のいろんな人の意見とか気持ちとか集めてお前に伝えた時だってさ、それでもやめる気ないって言いきってたくせにさ、神さまがやってほしくないって言ったらいきなりそれかよ!? そんなん、偉い人の言うことだったらなんでもへーこらする下衆野郎と、どっこが違うってーんだよっ!?」
「っ……、それはっ………!!」
絶句するジリオシャクラに、ジルディンは容赦なく言葉を叩きつけていく。普段のジルディンからすると珍しいほどのその苛烈な勢いは、ジリオシャクラの周囲で平伏していた老年男性たちにも口を挟ませない。
「よーするにお前は、神さまの言うことだったらなんでもただしーって思ってんだろ!? 神さまの言うこと聞いてれば、自分はいつでもいい子で、偉い子で、ほめられる側にいられるってさっ! そんで今叱られる側になったからめちゃくちゃうろたえてるだけなんだろ!? ばっっかじゃねーのっ、ガキかよ!? 神さまみてーな偉い人にほめられてなきゃ、ちゃんと立ってることもできねーとかさっ!」
「っ……っ……っ………!!」
「神さまだって別にお前のことほめるためだけに生きてんじゃねーんだぜ!? お前がなに考えてどーいう風に生きるかとか、そんなことまでいちいち指図してやるほど暇じゃねーよぜってー! だってのにお前、神さまになんもかんも預けっぱなしにしちゃってさっ! そのくせえらそーな口叩いて、神さまの言うこと聞いてる自分偉い、みてーなこと考えるなんてさ! ほんとの、本気で、ばっっっっかじゃねーのお前っ!!」
「………そんなこと。そんなこと、わかっています! 私がどれだけ愚かで、見苦しい醜態をさらしていたのかぐらいっ!!」
ジリオシャクラがふいに顔を上げ、濡れた瞳でぎっとジルディンを睨みつけた。まくしたてるジルディンと真正面から相対し、涙をぼろぼろこぼしながら、ジルディンに劣らぬ勢いで言い返す。
「だからこそ少しでも責任を取ろうとしているのでしょう!? イキシュテアフさまの御心に背いてしまった責任を! あなたは私たちを好き勝手に責めていればそれで満足なのかもしれませんけど! 私たちは自分たちの行いを償わなくてはならないんです! そんな時に横から好き勝手に責め立てられて、私たちがどんな気持ちになるかわかってるんですか!? 自分たちの償いで必死なのに、重い岩をもう背負っているのに、そこにさらに刃を突き立てられる気持ちが! 償いをする余裕すらなくなりそうな苦痛を与えて、あなたはそんなに楽しいんですか!? 曲がりなりにも神の信徒だというのに!!」
「先に文句つけてきたのお前じゃん! えらそーなこと言ってきたのお前じゃん!」
だがジルディンも一歩も退かない勢いでさらに言い返す。二人の顔はどんどん近づき、間近から視線と言葉をぶつけ合う。二人の間でぶつかり合う熱気は、それこそ火でもつきそうなほどだ。
「先にえらそーなことあーだこーだ言っといてさぁ、自分が責められる側になったらそれかよ!? それでよく自分のこと偉いだのただしーだの言ってられるよなぁ、脳味噌どーかしてんじゃねーのっ!?」
「あなたの方こそよくもまぁ自分のことを棚に上げて人のことを好き放題に言えますね!? あなたのように『自分は別に正しくない』という立場なら確かに生きるのは楽でしょうね、なにをしても責任を取らずにいられるから! でも本来人間社会に生きるなら、誰もが自分の言動に責任を取らなくちゃいけないんです! あなたが責任から逃げた分は、他の人が、あなたのお仲間や周囲の方々が、肩代わりしてくれているからあなたはまともに生きていられるんですよ!? それに気づきもしないで、よくもまぁ人のことを言いたい放題、それこそ恥知らず、常識知らずの振る舞いじゃないですか!!」
「っ………お前には関係ねーだろっ!? 俺の人生えらそーに勝手に決めつけてんじゃねーよっ!」
「あなたの人生に向き合おうとした私を、好き勝手に言いたい放題いたぶって、まともに向き合おうともしなかったのはあなたじゃないですか!! 人が誠実に振る舞おうとしているのを嘲弄する人間はね、その場その場では有利に立ち回れるかもしれませんけど、いずれは周囲から爪弾きにされて、嫌われて、疎外されるんです! まともに付き合うだけ損をする相手だって、自分で触れ回っているようなものですからね! あなたは単に子供だから、未熟だからと甘やかされて、大目に見られているだけ! それで一丁前の口を叩いているなんて、それこそ見苦しさに身震いしそうな醜態ですよ!」
「っ……っ……おっお前だって人のことえらそーに言えた義理じゃねーだろっ!? 神さまの気持ちとか勝手に思いこんで、決めこんで、じょーしき知らずの変な真似してさっ! そんで神さまに『そんなこと考えてない』って言われたらみっともなくうろたえてさっ! そんで勝手に死ぬとかなんとか、そんなんそれこそ責任から逃げてるだけじゃん! 神さまがそんなことしてほしーわけねーじゃん! そんなこともわかんねー奴にえらそーにあーだこーだ言われたくねーよっ!」
「っ………!! あっ、あなたのように自分のことを棚に上げることだけはうまい人種に、ああだこうだ言われる筋合いこそありませんっ! その身勝手な言動と棚上げと好き放題の振る舞いの責任を、全部お仲間の方々に押しつけているあなたのような人にっ!」
「っ………なんだよそれっ!!! えらっそーに、勝手にっ………!!」
「私は間違ったことを言っていますか!? それなら、お仲間の方々にうかがってみたらいかがです!?」
「………とりあえず、一度そのへんで休憩しませんか。どちらも、言ってることがただの口喧嘩になってきてますし」
ロワが口を挟むと、ジリオシャクラははっとこわばらせた顔を、さっと一瞬羞恥に赤く染めてから、ざっと絶望に青く染める。ジルディンはぐっと奥歯を噛みしめた顔をカッと赤く染めて、「〝祈天―――〟」と術式で逃げ出そうとしたが、あらかじめ打ち合わせていた通りに、カティフが即座にその身体を捕まえ、ヒュノが目にも止まらぬ速さで「〝――――〟」と剣を振るうことで、術式の発動は妨害された。
ジルディンは愕然とした顔になってばたばたと暴れるが、それでも術式をうまく発動させることはできないようだ。ネーツェの発案だから見当違いな提案ではないだろうとは思ったが、ヒュノの絶剣術とはこうも見事な働きをするものだったのか、と内心感心する。
ともあれ、今にも消え入りそうな、処罰を待つ罪人のような顔で蹌踉と立ち尽くすジリオシャクラに、ロワは極力穏やかな声をかけた。
「ジリオシャクラ猊下。別に自分を責めることはないと思いますよ。あなたの言っていたことは、どれも正論だったと思いますし。だからジルもうまく反論できなくて、あなたのことを責めることで、自分の失点を補おうとしたんだと思いますから」
「ちょっ………む、むーっ!」
「いいから、ロワが話してる時は邪魔すんな。あとできっちり言いたいことは言わせてやっから」
「っ……ですが、あれは………私は、あまりにも………」
「まぁ、ジルの言っていたことが正論じゃないとは言いませんし。自分のこと棚に上げ放題に上げた言い分だとも思いますけどね。ジリオシャクラ猊下の反応が、口喧嘩をする子供みたいに、とにかく相手を叩きのめすための言葉選びをしてたってことも、確かだとは思います」
「っ………」
「でも、別にそれで困ること、どこにもないでしょう? ジリオシャクラ猊下の言葉に、ジルは痛いところを突かれた、って反応してましたから。俺たちがこれまで言わなかったことをはっきり真正面から口に出してくれた、っていうのは仲間としてはありがたいことですし………ジリオシャクラ猊下としても、自分の中にああいう、口喧嘩に勝ちたい、目の前のこいつを叩きのめしたい、って自分がいることを知るっていうのは、悪くない経験じゃなかったですか?」
「む………っ」
「………いい経験、といっていいものでしょうか。私は、曲がりなりにも、イキシュテアフさまより加護を授かった人間だというのに………」
「ジルだってゾシュキアさまから加護を授かった人間ですよ。まぁどんな神から加護をいただいたかでそれなりに違いはあるでしょうけど、基本的には神の加護は、人を成長させるために与えられるものです。つまり、未熟な人間が経験を重ねて成長していく、っていうのは、加護を与えた人間にとってもごく当たり前、というかむしろなくてはならない経験なんじゃないですか?」
「………それ、は………」
なんと言っていいかわからない、という顔でジリオシャクラはうつむく。ロワの言葉に反論はできないようだが、同時に『自分の振る舞いにも正当性がある』というようにも思えてはいない顔だ。
まぁ、その気持ちもわからなくはない。自分たちがこれまで続けてきた儀式が神の御心に沿わないものだと崇める神ご自身に断言された上に、相手を責め返すことでしか反論のできない痛い言葉をいくつも浴びせられた直後だ。
なによりジリオシャクラは『この上ない』と言ってもいいほどに信仰心豊かで、自分に厳しく、常に正しく在ろうと自信を律し続ける聖女。他人に『あなたはそれなりに正しい』と言われても、素直に受け容れられるものでもあるまい。
だが、少なくとも彼女の崇める神は、彼女がそんな風にうつむいていることを肯んじてはいない。
「ジリオシャクラ猊下。あなたは、イキシュテアフ神からうかがっていませんか? なぜ神々が人間を直接教え導いてくれないのか、という、あなたの疑問に対する答えを」
「っ………それは………一応、うかがいはしましたが………」
「あなたの満足いく答えではなかった?」
「いえっ、そのようなっ………私のあのような、瑣末な疑問になど、意味も価値もなかった、と思っただけのことです。我々は、そのような疑問などとは、比べ物にならないほど重い過ちを犯していたのですから………」
「あなたがそんな風に考えることを、心から恐れていらっしゃったがために、イキシュテアフ神はこれまで直接言葉を下されることがなかったのだそうです」
「えっ………」
「イキシュテアフ神が、あなた方がこれまで行ってきた自傷により魔物を抑制する儀式を、苦々しく思っていらっしゃったのは事実です。そんなことのために感与術を授けたわけではないのにと。この世の誰より愛おしんでいらっしゃる、加護を与えた聖女が、自分を傷つけ苦しめていることが、自分の授けた術法がその後押しをしてしまっていることが心苦しく、悲しまずにはいられなかった、と」
「っ………! ですから、私はっ………!」
「だけど、これまで一度も、ご自身のそんな想いを人界の人間に告げられたことはなかった。何代も聖女が代替わりをし、そのたびに新たな聖女の方を神界に呼び寄せられてきたにもかかわらず。―――それは、人界の人間が、自身の意志で思い決めて行うことを、なにより重視していらっしゃるからです」
「………――――!!!」
数瞬かけてロワの言葉を理解するや、ジリオシャクラは大きく目を見開いて絶句する。たぶん、自分がこれまでに告げられてきた言葉が、心の底から身に沁みてわかった、という気持ちになったのだろう。
「神々にも、御心というものがある以上、嗜好というものが存在します。だからこそ、神の教えというものが伝えられている。ですがそれ以上に、神々はご自身を法と規範という重い鎖で縛り、戒めているんです。どれだけ自分たちの嗜好と、言い換えれば欲求と、かけ離れたものであろうとも、人間たちが自分で考えて、決めて行動したことに、口出しはしない、と。それは、俺たち人間を、一個の人格として尊重し、その尊厳を侵害しないように考えていることの現れです」
「……………」
「たとえ神々がすべて指示して人間という種を導く方が、命が多く救われる選択であっても。たとえ神々ご自身の嗜好からすれば、考えられない、ありえない、嫌悪感しか感じない儀式を行っていようとも。その人間が自身の心と考えによって定め、自分の責任において行った行動であれば、否定することはない。絶対的に支持するわけではなくとも、一個の人格として尊重する。手出し口出しをすることがあるとすれば、神々がご自身を縛っている法で許された範囲のみ。………神々は、そうやってご自身を律してらっしゃるんだと思います」
「……………」
「さらに言うならば。神々は、決して、ご自身を完全な存在だとは考えていらっしゃらない」
「え………!?」
さすがに仰天して目をみはるジリオシャクラに、ロワはあくまで冷静に続ける。神々の意志が、それ以上に感情が、人間にわかりやすい形で伝わるように。
「神々がこの世界を管理している方々なのは間違いないですが、神々はだからといって、ご自身をこの上なく尊崇されるべき存在、だとは考えていらっしゃらないんですよ。単に立ち位置が違うだけ、役割分担、人界の人間より偉いわけでもなんでもない、そんな風に考えていらっしゃるようなんです。これは俺が勝手に考えたことじゃなく、神々ご自身からはっきり言われたことですからね。まぁ、俺は当然すべての神々にお会いしたわけではないので、すべての神々がこう考えていらっしゃるわけじゃないでしょうけど………これまでにお会いした神々は、そのように考えていらっしゃいました」
「…………本当に、ですか」
「こんなことで嘘はつけませんよ。だからこそ、神々はご自身を厳しく律してらっしゃるんです。神々は世界を動かすことができるけれど、神々の行いすべてが正しい、と神々ご自身は考えていらっしゃらない。だからこそ、人界の人間という次元の違う存在に対してすらも、その人格を尊重し、神々の価値観からすれば間違っている行いをしようとも、正してほしいと考えていようとも、神々の御力を振るって正そうとはなさらない。正そうとする行いが、常に完全に正しいとは考えていらっしゃらないから。人の行いを正すのは、人と同じ視線で向き合える、人であるべきだと考えておられるから」
「……………」
「だから、儀式を行うかどうかをあなた方の判断にゆだねたのも、決して嘘やごまかしではないんですよ。イシューニェンタ聖国の聖女の方々と、神職の方々が、懸命に考え、悩み、こうすべきだと考えて儀式を創り出した、その想いを、懊悩の重みを、軽んじてらっしゃらないからです。たとえご自身の価値観からすれば、受け容れられないものであろうとも。自身の身を傷つける聖女の方々に、心底からの悲しみを抱いていようとも」
「………ああ―――」
ジリオシャクラは天を仰いだ。室内なので当然ながらその視界に映るのは天井だけだろうが、彼女の心は神界のイキシュテアフを仰いでいるのだろう。
「私は………本当に、未熟者ですね。加護を賜った人間であるにもかかわらず、イキシュテアフさまの御心をうかがい知ることもできず、女神の巫直々に言葉をいただかなければ、自分が誤解していることにすら気づかないなんて………」
「お気持ちはお察ししますが………失礼を承知で申し上げれば、ジリオシャクラ猊下の御年でおっしゃるべきことではないかと。むろん、聖女にまで至った方を凡百の人間と一緒にするつもりはありませんが……それでも、まだ成人もしていないのに国を背負っている方に、自らの未熟さを嘆かれては、それこそ年を重ねた人間の立つ瀬がありません」
「そう………でしょうか?」
首を傾げるジリオシャクラに、大きくうなずきを返す。
「はい。ジリオシャクラ猊下は本当に、よく頑張っていらっしゃると思います。………イキシュテアフさまはおそらく、こう申し上げても自身を賞することなく、謙虚に厳しくご自身の誤謬と向き合う方だからこそ、あなたに加護を与えられたのだと思うので、あまり偉そうに口出しはできませんが………」
「まぁ」
そう言って、おかしそうに笑うジリオシャクラの姿は、ごく一般的なその年頃の少女と、さして変わりはしなかったろうが―――彼女が背負っているのは、彼女たちの暮らす国を護る、大陸中の神官が模範とするほど厳しく修行を行う神官たちの崇める、神の意志だ。あらゆる意味で、ただの少女として扱うわけにはいかない人間ではあるのだろうと思う。それが彼女にとって、幸いであるかは別問題だけれども。
いまだに仲間たちに押さえ込まれた状態で、ジリオシャクラをじっとりと睨む、同様に神の意志を背負っていると一定数の人間には言われるだろう、自分たちの仲間の神官のことを思いながら、ロワはそんなことを考えたのだった。




