9-6 白の神殿・2
「それでは、今日から三日間、よろしくお願いいたします」
「……はい。こちらこそよろしくお願いいたします」
「うぅー……」
翌十五刻、白の神殿。約束の数短刻前に神殿正門前にやってきた自分たちは、待ち構えていた神官に殺気立った形相で誘導され、神殿奥の一室――ジリオシャクラの私室へと連れてこられた。神官たちの言うところによると、この依頼が信徒たちに広く知れ渡るのは、誰にとっても不都合でしかないので、今後は約束の時間よりも一刻は早めに、神殿近くの目立たない場所にやってきていてほしいのだそうだ。そうすれば自分たちが探し出して、ジリオシャクラが待っている場所へ連れていくから、と。
そういうことはきちんと最初に言っていてくれないかな、とロワは内心思ったのだが、同調術で感じ取ったところによると、イシューニェンタの常識からすれば、信仰の頂点たる聖女さまの依頼なのだから、礼儀としてそのくらいの対応をするのは当然以前の話で、そういう対応をしようと考えない人間などそれこそ想像の埒外だったらしい。まぁ、自国のみならず他国に出向いても、イキシュテアフ神官は丁重に扱われるそうだしな、ととりあえずの納得はした。
ただちょっと厄介だなと思ったのは、神官たちから同調術で感じ取った限りでは、自分たちの存在はイキシュテアフ神殿上層部に知れ渡り、かつ相当な悪印象を抱かれている、ということなのだ。
神官たちとの会話から手に入れた情報も含めて推察してみた限りでは、どうやらイキシュテアフ神殿の上層部――それはすなわちイシューニェンタの上層部でもあるわけだが、その人々は基本的に聖女崇拝団体でもあるらしい。イキシュテアフご自身が聖女を心より慈しみ、大切に育てようとしている神なのだから当然なのかもしれないが、聖女を穢す存在を断固として許さず、時には過激な手段に訴えることも辞さない人々なのだとか。
だが同時に、聖女の意志を神の意志に近しいと考えるほど、聖女の意志を最優先する人々でもあるそうで、ジリオシャクラ自身がジルディンの教誨を為すと決めたのなら是非もない、と考えてはいるらしい。なので依頼自体に文句をつけてくることはないと思うが、この事実を考えに入れておかなければ痛い目に遭いかねないのも確かだろう。あとで仲間たちにはこの話を伝えておかなければならなかった。
だが、当然ながらジリオシャクラは、自分のそんな思考など気づいた風もなく、ジルディンに椅子をすすめ、自身もその対面の椅子に座って向き合った。自分たちも椅子をすすめられるかと思ったが、そんな気配はない。というか、この部屋にはろくに家具がなく、女の子らしいものといえばろくに細工もしていない簡素な姿見くらいで、ジリオシャクラとジルディンの座っているもの以外に椅子がない。
その上くつろげるような敷物の類もまるでなく、この部屋の主はこの部屋にいても少しも気を抜いたりしていないことがはっきり伝わってくる。曲がりなりにも一柱の神への信仰の最上位に位置する人なのだから当然なのかもしれないが、なんとも疲れそうな生き方だな、とつい心配になってしまった。
そして、そんな生活を続けているせいで、この部屋に呼んだ他人が疲れるかもしれない、というような発想がそもそも存在しないのだろう。ジリオシャクラのお目付け役の神官たちはジリオシャクラの背後に胸を張って屹立し、気を抜く様子がまるでない。
つまりジルディンの付き添いである自分たちも、同様に背後で立ちっぱなしになっていろということなのかと理解して、少しばかりげんなりしていたところに、ネーツェがちょんちょんと椅子に座ったジルディンをつついて、数語耳打ちした。ジルディンはきょとんとした顔になったものの、すぐに小さく呪文を呟いて、自分たちに向けて術式を発動する。
とたん、身体にかかる負荷がまるでなくなった。この最上質の布団の上に寝転んでいるような感触は、昨日自分にかけてもらった飛翔術によるものだ。思わず感謝の眼差しをジルディンとネーツェに送ったが、二人はどちらも軽く肩をすくめてすませる。どちらにとっても、本気でごくささいな手間でしかなかったのだろう。
だが、ジリオシャクラはそれを見咎めて声をかけてきた。まぁ目の前で謎の術式を使われれば、たいていの人は気になる。背後の神官たちが一瞬で警戒態勢に入ったのも、警護役を兼ねているのなら当然だ。
「今、なんの術式を使われたのです?」
「え? 飛翔術の……立った状態で人を持ち運べるようにする術式だけど」
「なんのために、今そんな術式を?」
「え、ネテが自分たちに使ってくれっつったから」
「……あなたは、他人に願われれば、その目的や結果を考えることなく気軽に術式を使うのですか?」
「うっさいなー、どーでもいーじゃんそんなこと。ネテが使ってくれっつーんならなんか意味があんだろーし、いちいち考えるだけめんどいじゃんか。なんでいちいち文句つけられなきゃなんねーの?」
「言ったはずです、私はあなたに教誨を為したいのだと。あなたのその、まともにものを考えるということのない姿勢そのものが人として、神に加護を与えられた者として誤っているのだと、まず自覚してください。真面目にものの道理を考えれば、神々のご意思を勝手に放埓に解釈するという行為の不遜に気づくはずです」
「つかさー……それより先にさー、なんであんた、そんなにえらそーなの?」
「はっ……?」
ぽかん、と口を開けたジリオシャクラに、ジルは耳を小指でほじりながら鬱陶しげに言い放つ。
「あんたがこの国でどんだけありがたがられてんのか知らないけどさー、それ俺と全然関係ねーじゃん。俺別にあんたありがたがる筋合いも理由もねーし。あんた拝んだところでなんか得があるわけでもねーしさー。なのにあんたにそんなふーにえらぶられる筋合いねーんだけど。人にあーだこーだ言う前に、自分のそーいうとこ直せよなー」
「なっ………」
ジリオシャクラは数瞬絶句して、それからかぁっと顔を赤くした。きっとジルディンを睨みつけて、必死の形相で言い募る。
「そ、それこそあなたに言われる筋合いはありません! あなたのような、神々に対してさえ不遜な方相手に、行いを正せというのはむしろ人として当然の振る舞いでしょう!? あなたの方こそ人に言う前に自らの行いを省みたらどうなのです!」
「俺のほーは別にあんたに文句つけたりしてねーじゃん。あんたが俺に文句つけてこねー限りは、どーぞご勝手にってえらそーでもムカついてもほっといてんじゃん。それなのにあんたがわざわざ文句つけてきたりすっから、いちいちめんどくせーことになったんだろ? それこそものの道理ってやつじゃん。自分ができてねーのに、人にあれこれ文句とかつけてくんなよなー」
「…………!」
ジリオシャクラは顔を真っ赤にして、瞳に涙さえ浮かべ、きっとジルディンを睨みつけている。まぁそういう反応になるよな、とロワは内心嘆息した。ジルディンのような、クソガキと呼ばれるだろう存在を、清く正しく生きている人が大真面目に説得しようとすれば、言いたい放題勝手放題に言い負かされるだろうことは目に見えていたのだ。
だが、自分たちは、それでもジルディンに、ジリオシャクラの感情をおもんばかってしおらしくふるまえ、とは言わなかった。どれだけ言い聞かせてもジルディンではすぐに地金が出るだろうと思ったし、ジリオシャクラが『行いを正す』ことを目的としてしまっている以上、うわべだけしおらしい態度を取り繕わせても、それはそれで不興を買うだろうと思ったのだ。
なので、本人がやるって言い出したんだし横から嘴を挟むのもなんだろう、という正論を盾に取り、ジルディンが暴言も放言も言いたい放題言うだろう未来を甘受することにしたわけだ。まぁ、そんな選択ができたのは、『どうせこの国に長くとどまるわけじゃないんだし』という腹積もりがあったせいなのも確かだが。
ともあれ、そんな自分たちの放置放任をいいことに、ジルディンはジリオシャクラに、背後の神官たちの殺気立った視線に気づきもせず、好き勝手に適当な口を叩きまくる。
「つーかさー、あんたのその『正しい道を教えてあげる』みたいな上から目線、っつーの? すっげーうっとーしい。なんであんた、そーいう風に、自分がいつでも上の立場だ、とか思いこめんの? そっちのほーがどうかって思わねーの?」
「正しいことを為し、誤った道に迷い込んでいる者を導こうとする人間が、過ちを犯している人間よりも上の立場になるのは当然でしょう!? あなたの方こそ、なぜ自分はいつでも正しいとでもいうように、そのような傲岸な口を叩けるのです!」
「えー、なにそれ、意味わかんねー。っつかさー、俺が間違ってるかどうかなんてさー、あんたにえらそーに決められる筋合いねーんだけど。自分の正しさなんて、自分で決めることだろ? それを横からえらそーにあーだこーだ上から目線で口出しするとかさー、それこそ間違ってんじゃん。あんた教団のトップとして恥ずかしくねーわけ?」
「あっ、あなたに我がイキシュテアフ教団の倫理観について口出しされる筋合いは……!」
「ほらなー、そー言うだろ。上から目線で横から口出しされたら、なに言ってんだこいつってムカつくだろ? なんでそれわかってんのに、自分ではやっていいとか思いこめんの? すっげー迷惑」
「…………!」
「自分の方だけは言っていい、やっていいとか思いこめちゃうとかさー、そんな奴に上に立たれるとこっちとしちゃもー迷惑なんて次元じゃねーんだけど。偉いっつーんだったら、ちっとは頭下げさせるだけの価値あることやれよな。下の奴に迷惑かけることしかしねー偉い奴とか、もー邪魔だからどっか行ってとしか言いようねーよ、真面目に」
「………っ……」
ジリオシャクラの瞳がじわりと潤み、涙の膜が盛り上がる。だがジルディンはあくまでうっとうしげに、言いたい放題暴言を叩きつけた。
「なにそれ、泣きゃいいとか思ってんのかよ? 俺女のそーいうとこすっげー嫌い。泣かせた方が問答無用で悪もんとかさー、理不尽ですませられる話じゃないじゃん。ぎゃんぎゃん喚くくせにちょっと言ったら泣いてこっち悪もんにしてくるとかさー、そのくせ自分は一人前だ、自分は正しい、なーんて顔してこっちにそーいう扱いさせよーとするとかさー、ホンットサイテー。よく恥ずかしくねーよなー、頭悪ぃんじゃねーの?」
「っ…………!」
「俺の方は別に文句とかつけてねーのに、そっちから文句つけてきて、ちょっと言ったら自分はヒガイシャだ、みてーな顔して周り味方につけて、よってたかってこっちにいやがらせしてくるとか、うっとーしーったらねーよなー。邪魔くさいしめんどくせーし、そばにいるだけで迷惑って感じ。あんたの方こそ、少しは自分のやってることちゃんとしたら?」
「っ……、………!」
ジルディンがそこまで言ったところで、背後の神官たちがばっと割って入った。ジリオシャクラの前に出て、ジルディンの視線をさえぎり、冷たく厳しい、苛烈な憎悪と敵意がこもった言葉を叩きつけてくる。
「お時間です。お話はそこまでにしていただきたい」
「ジリオシャクラさまにはこれより視察の予定が入っておりますので。一度退室させていただきます」
「あ、そう? じゃー俺らもう帰っていいの?」
あっけらかんと問うたジルディンに、神官たちはジリオシャクラに数語耳打ちしたのち、小さく首が振られるのを確認してからジルディンに向き直った。
「いえ、ジリオシャクラさまは視察ののちこちらに戻られますので、それまで別室で待機をお願いいたします」
「どうか無断で部屋の外に出ることなどなきようにお願いいたします。むろん、あなた方がむやみに我々の要求を反故にすることなどないと存じてはおりますが、万が一無法な行為に出られた場合、こちらも相応の手段を取らせていただきますので、ご承知おきください」
「あーはいはい、わかったわかった。部屋ん中で大人しくそいつ待ってりゃいーんだろ? わかってるって」
「………よろしくお願いいたします」
聖女さまを『そいつ』呼ばわりしたことに、神官たちから猛烈な苛立ちと腹立ちと憎悪の空気が漂ってきたが、ジルディンはそんな気配にまるで気づきもせず、手で追い払うようなしぐさをしてみせる。神官たちはすさまじい顔でジルディンを睨みながらも素直に退室し、そのあとすぐ別の神官が部屋に入ってきて、自分たちを別室へと案内してくれた。
簡素というか、物置を中の荷物をどかして掃除したところなんじゃないか、という感じの、椅子が数客置いてあるだけのそっけない部屋だったが、風通しがいいのでとりあえず不快は感じない。部屋の外には見張りらしき人間が残っていたが、室内には自分たち以外誰もいない、という状態になってから、ネーツェは小さくため息をついてジルディンに告げる。
「まったく……ある程度までは覚悟していたとはいえ、予想以上にかましてくれたものだな」
「はぁ!? だってネテもみんなも、俺の好きなよーに言いたいこと言え、っつったじゃん! いまさらなんで文句言われなきゃなんないわけ!?」
「別に文句を言っているわけじゃない、愚痴を言ってるんだ。文句というのは相手に行いを正すことを要求する言葉だが、愚痴は言っても無駄だと理解しながらも、精神的負担を軽減するために漏れださせざるをえない言葉だ。相手にああしろこうしろと言っているわけじゃないのが大きく違う」
「え、そぉ? そんならいーけど……」
いいのか、と内心ため息をつきながらも、ロワはなにも言わずに流す。ジルディンがこういう反応をするだろうことは、ロワ自身わかっていたのだから、それこそ文句をつけてもしかたがない。
「なんというかもう、相手の反感を買おうとしてるとしか思えない言いたい放題っぷりだったからな。純粋培養の聖女さまが泣くのも当然だ。まぁこちらはそれを覚悟で一緒に来たわけだが……ああいう反応をした以上、途中で依頼を放り出すことは絶対に許されないからな? どんなに嫌がられようと、三日間の依頼は最後まで完遂しろよ?」
「やー、まぁ、依頼請けちゃった以上は最後までやるけどさ。でもさっきみたいに言いたいこと言っていいんだったら、最初っから別にあの女相手にする必要なかったんじゃねーの? 失礼度合いじゃそっちの方がずっとマシじゃね?」
「ほう、お前にもそんな判断力があったとは驚きだな」
「バカにすんなよなー! 俺だってそんくらいの状況読めるっての! まーそんでも悪いこと言ったとかは全然思ってねーけどさ」
「行為の是非は置いておいて、だ。言っただろう? 向こうが求めてるのは、謝罪でも賠償でもなく、お前の教誨……言い換えれば、説得だ。大陸全土に名を知られるほど、真面目に信仰を鍛えることをよしとする神から加護を受けている人間が、自分で定めた期限内に説得がかなわなかったから、という理由で相手を害そうとするわけがない。そんな真似をすればそれこそ神の加護を失いかねない」
「それだったら、最初っから逃げ出しても結果おんなじだったんじゃねーの?」
「聖女さまの納得の度合いが大きく違う。自分の力を試す機会さえ与えずに逃げ出した人間と、自分の全力を振り絞っても教誨がかなわないほどの愚者、どちらも悪印象を抱くのは同じだろうが、俺たちを自分の前に引きずり出すために積極的になる度合いが強いのは、間違いなく前者だろう」
「あー、なるほど! そりゃ一度喧嘩して自分より強いって思った相手を、わざわざまた喧嘩するために引っ張ってこようとしたりしねーよな! そりゃそーだわ、納得した!」
「納得してもらえてなによりだ。まぁそれはそれとして、お前の横で見ていて頭が痛くなるほどのクソガキっぷりは、正直仲間扱いを拒否したくなるほどの低劣さだったがな」
「はぁ!? なにそれ、なんで俺が悪いってことになってんの!?」
「いい悪い以前に、お前と聖女さまが話しているのを見ていて、お前の方が人間として下劣だ、と思わない人間はいないだろうという話だよ」
「なんだよそれー! ロワはどーなんだよっ、俺とあの聖女どっちの方が人間としてゲレツだって思うわけ?」
「……どっちかをあえて決めるなら、ジルの方だと思うけど。本当に、ジラさまからすれば、話が通じないって思うほどのクソガキっぷりだったし。ただ、聖女さまの方も、ジルの言葉が当たってるところもないわけじゃなかったから、お互いさまの話なんじゃないかな」
「お互いさまー? なんだよそれー、納得いかねー」
「お前とお互いさま扱いされる聖女さまの方がはるかに納得いかないと思うぞ。……さて、それじゃとりあえず、聖女さまが戻ってくるまで鍛錬でもしているとするか。この三人でできる鍛錬となると、まぁ魔力の押し合いで魔力制御の鍛錬をしつつ、術式展開の速さと安定性を鍛えるのが安牌か……」
「えー、仕事請けたのに鍛錬とかすんの、めんどくっさいなー……まー、ここでぼーっと待ってんのも暇だし、いーけどさ」
「……俺じゃお前らのまともな相手にはならないからな。お手柔らかに頼むぞ」
そんな風に時間を潰しているうちに、ジリオシャクラが『視察』から戻ってきた、と自分たちはジリオシャクラの私室に呼び戻されたが、そのたびにジルディンが言いたい放題に暴言を吐いてジリオシャクラを泣かせたので、その日は十度近くも、ジリオシャクラの私室と物置とを往復する羽目になった。




