9-2 灰色の聖女
「入っていいのかよ? 叱られねぇ?」
「礼拝所なんだから入っていーに決まってんだろ。どっこにも立ち入り禁止とか書いてねーし。っつか、礼拝所なのに立ち入り禁止にしてたら、それ神職としてなってねぇって叱られるとこだから」
「一丁前のことを言うじゃないか。神官見習いにしかなれなかったくせに」
「はあぁぁ!? それ俺のせいじゃなくね!? 神官の資格がどうとかいうの、決めるのは神殿の司祭の人らだし、その人らが孤児院で俺の行動がどうとかいう話持ち出して、勝手に俺の言い分無視しただけむぐぐぐ」
「礼拝所に入ろうって時にわめくんじゃねぇっての! あと言っとくけど、お前のその言い分からしても、お前が神官になれなかったのは、疑問の余地なくお前のせいだかんな!?」
そんな風にいつものように入り口で騒ぎながらも、めいめい少しだけ背筋を伸ばしながら、白い神殿――イキシュテアフ信仰の中枢、大陸中の神職が規範とするイシューニェンタの神職の中でもよりすぐり、と呼ぶべきだろう大神殿へと侵入する。別に全員この神殿の中がなんとしても見たい、というほどの好奇心は持っていなかったのだが、せっかく間近まで来てしまったというのに、中に入らずに宿に帰るというのもなにかもったいない気がする、という心境も全員共通していたのだ。
重厚な扉は、誰の訪れを拒む気もない、という思想の表れなのか、開かれた状態で固定されていた。人が行き来している様子もなかったので、少しばかり緊張しながらも、まぁ立ち入り禁止って書いてるわけじゃないんだし、という常識論を頼りにそろそろと中へと入っていく。
『うぉ……』
礼拝堂の中は、思ったよりもがらんとして、人がいなかった。たいていの礼拝堂ではそうであるように、いくつも横に長椅子が並び、祈りを捧げる人が長居しやすいようになっている。その一番奥に数人、人だかりとはいえない程度の数が群れているだけで、他には誰一人として人間がいない。
なので入り口から中をほぼすべて眺め回すことができたのだが、この礼拝堂の中は実際一見の価値はある眺めだった。ここまで大きな礼拝堂というものにもロワは初めて入ったのだが、自分のような素人にもその芸術性の高さというか、しっかり金をかけて美しく作っている、ということがよくわかってしまう。
ただの白壁という部分がほとんどないほど、入り口から最奥まで石材部分にはほぼすべて、おそらくは専門家の手による見事な彫刻が彫り込まれているし、採光用の窓にも、灯りの術法具を置く場所にも、見事なステンドグラスが嵌め込まれて、美しく色づいた光を周囲に投げかけている。ひどく高い天井にも、通路の脇のそこかしこにも絵画が描かれており、腰かけの横を歩いているだけで、美術館かなにかを歩いているような気持ちにさせられた。
芸術性のかたまりというか、芸術性が押し寄せてくるというか。これまでこんな場所に近づくことのなかった自分としては、ひどく場違いな場所にいるという気分をぬぐえない。
「……なんつぅかよぉ……金かかってんなぁ、って感じだなぁ。これ、教義的に大丈夫なんか? 文句言われねぇ?」
「扱いとしては、寄進で建てられた場所になるんだろうからな……華美に走らなければ問題ない、ということなんだろうが……神官としてはどう思う?」
「借金してねーんだったら、別にどんなもん建ててもいんじゃね? 神殿としちゃ信徒がこーいうのを建てたい、こーいう神殿がほしい、っつーのに応えるのが基本だけどさ。汚されたりしてねーってことは、どっからも文句出なかったってことじゃねーの?」
「そ、そうか……けどよ、金持ち感がすげぇっつーか、貧乏人には居心地悪さしかねぇんだけど、神殿的にはそれ、ありなんか?」
「いや知らねぇけどさ。金持ちの信徒しか来てねーっつーのはフツーありえねーし、文句が出てねーんだから貧乏人の信徒もこーいう神殿がいい、って思ってたってことだろ?」
「うへぇ……よくわかんねぇなぁ、そういう感覚……」
ぼそぼそと小声でそんなことを話しつつ、そろそろと歩を進めて礼拝堂の奥へと向かう。ただ眺める分には素直に美しいと思える造形ばかりなのだ、きょろきょろとあちこちを眺めやりながら進むのは、決して不快ではなかった。
と、ふいにがたり、と音がする。誰かが腰かけから急に立ち上がった音だろう。さして大きな音ではなかったが、礼拝堂の中は静まり返っていたのでそれなりに大きく響いた。
反射的に音のした方に視線を向ける。礼拝堂の最奥、神像のすぐ前の長椅子に集まっていた人々が発生源のようだった。なにやら小声でぼそぼそと、けれど早口で激しい口調で言葉を交わしていたその人々は、やがて結論を出したようで、しかめっ面をしながらも、まだ青年と呼んでいい年頃の男が二人、群れから離れて静かな足取りで、けれどできる限りの早足で、まっすぐこちらに近づいてくる。
なんの用かと戸惑いながらも、逃げる気にもなれず素直に足を止めて待っていると、二人の男は自分たちから少し離れたところで止まり、深々と頭を下げてきた。
「突然お声をおかけすることをお許しください」
「申し訳ないのですが、少しお時間をいただけないでしょうか」
「は、はぁ……なんのご用でしょうか?」
たまたま一番その二人の近くにいたロワが、代表してとりあえず聞き返すと、男たちはなにやら思わせぶりに視線を交わしたあと、小さくうなずいて囁くように告げる。
「そちらの――〝女神を知る者〟の方々の中の一人である、ゾシュキア神官」
「ジルディン殿と、少しお話ができないか、と我らが聖女が申しておりまして」
「このようなぶしつけな形で声をおかけしたこと、心よりお詫び申し上げます。ですが」
「この稀なる行き会いをよい契機となしたい、と我らが聖女は申しておりまして……いかがでしょう」
「どうかご了承を賜りますよう、お願い申し上げます」
「ジルと……?」
言葉の内容にも、自分たちの顔と名前が知られていることにも、そのやたらと丁重な態度にも驚いたものの、少なくとも向こうが話してほしがっているのはジルディンで、自分ではない。どうする、と普通に疑問を込めた視線を投げかけるが、ジルディンの反応はだいぶ素っ頓狂だった。
「え、つか、なに言ってんの? 何語?」
「いやお前なに聞いてたんだ普通の共通語だろうどう考えても! というかどんな神の信徒だろうと神聖言語を同じ神を崇める相手以外に使うわけないだろうがっ!」
「えー、だって俺ら相手に聞かれたくない話する時とかに、よく神聖言語使ってたぜ? まー司祭連中に知られたらめちゃくちゃ叱られたけどさ」
「当たり前だろう曲がりなりにも自分の奉ずる神にまつわる言語だぞ、内緒話に使っていいわけがないだろうがっ! 僕たちの使う魔術言語だって、非常時でもないのにそんな使い方したら叱られるぞ!」
「えー、だってさー、このおっさんたちなに言ってんのかさっぱりわかんなかったんだもん。何語か疑ってもおかしくなくね?」
「いや聞いたことないわけないだろう、ごく当たり前の敬語だぞ!? 単にお前が聞きなれない言葉を脳に入れず、意味を考えようともしていないというだけだろうがっ!」
「どっちでもいーよ! どっちにしろ俺はなに言ってんのか意味わかんなかったの! 声かけてくんならこっちにわかる言葉で話せって感じじゃんか!」
「その言葉自体は正しいが、この場合はお前に非がありすぎる! 共通語で普通に敬語使って話しかけただけで、文明社会の人間が『なに言われてるのかわからん』って反応するなんて、普通に生きてて考えるわけがないだろうがっ!」
「むーっ、だっからぁっ、そーいうのどーでもいーだろ!? 今大事なのはこの人らが俺に話しかけてきて、俺は意味がわかんなかった! そんだけじゃん! 細かいことぐだぐだ言うなよ、目の前に話しかけてきてる人がいるってのに!」
「言っていることは間違いではないが、それならそれで少しは悪びれろ! 自分の馬鹿さを棚に上げてそっちが悪いと臆面もなく言い放つなんぞ、クソガキ扱いどころか人間扱いされるかも怪しくなるところだぞ!」
「ぐぬぬぬ……!」
いつものように、唐突にすさまじい勢いで言い合いを始めたジルディンとネーツェに、男たちはだいぶ驚いたようだった。言いたいことを言い終えて睨み合うジルディンとネーツェの前でしばし顔を見合わせ、こくりと互いにうなずいてから、改めてジルディンに向き直り頭を下げてくる。
「では、改めてお願いいたします。ジルディン殿」
「我らが聖女が、あなたとお話ししたいと言っています」
「どうか、我らの聖女の願いを聞いていただけないでしょうか」
『…………』
まさか、『いい大人』と称されるだろう年齢の立派に働いている人間が、ジルディンの露呈した子供っぽさに、真正面から合わせてくるとは思わなかった。誰よりもまずジルディン自身が驚いたようで、目をぱちぱちと瞬かせながら、首を傾げて問いかける。
「えーっと、我らが聖女、って……イシューニェンタの、イキシュテアフさまの聖女、ってことだよな?」
「はい」
「……なー、イシューニェンタの聖女ってなんだ?」
「イキシュテアフさまから加護を与えられた女性のことだよ。イキシュテアフさまは、だいぶ珍しい加護の与え方をされてるというか……イシュニの国民の中から、だいたい十年に一人、少女を選出して加護を与え、イシュニの信仰の象徴とする、っていうやり方をなされてるんだ」
「へー、そりゃ本気で珍しいな。たった十年しか加護を与えられてないってことは、強さも英雄級にゃどうしたって到達できないってことだろ? それで加護与える意味とかあんのか?」
「神々の御心についてまで僕が知るか、せめてロワに聞け。まぁ、一般的にはイキシュテアフさまの説く教義……信仰のあり方を正しく示すという教えからすると、加護により卓越した力を身に着けてしまった――普通の人間から乖離した存在になってしまった者を信仰の象徴とし続ける、というやり方がそぐわないからだろう、と考えられているが」
「ふーん……っつか、代替わりしたあとの、聖女? って人はどうなんだ? 還俗すんのか?」
「詳しくは知らないが……還俗する人もいるにしろ、少数派だったと思う。たいていはそのまま聖職者を続けていた、んじゃなかったかな……まぁ、イキシュテアフさまの与える加護には、加護を期間限定にしているせいか、極端に特定の術式に対する感度を高めるという特徴があって……聖女の役割の中には、その力がないと果たせないものがあったはずだから、代替わりすれば本当に、聖女とは関係ない、一般の聖職者でしかなくなるそうだけど……」
ぽそぽそとそんなことを囁き交わすヒュノとネーツェ(ちなみにカティフはどうでもよさそうな顔で黙っていた。聖女はたいてい二十歳前で代替わりするそうだから、年上好きのカティフにとってはほぼ範疇外の話題だからだろう)をよそに、ジルディンは真剣な顔でしばし黙って考えていたものの、やがてうん、と一人うなずき、顔を上げて答えた。
「わかった。話すよ」
「ありがとうございます」
「それでは、こちらに。神殿の奥に席を設けさせていただきますので。お仲間の方々は、申し訳ありませんが、こちらでお待ちいただけると……」
「あ、それ困る! みんなも一緒じゃねーと、この話受けらんねーから!」
きっぱり言い放つジルディンに、男たちは戸惑ったというか、いぶかったようだった。眉を寄せ、いかにも困惑しているという顔を作って、探るように問いかけてくる。
「それは、なにゆえでしょうか。我らが聖女は、できれば余人を交えず言葉を交わしたい、とお考えのようなのですが」
「だって、聖女の人とおしゃべりするんだろ? そんなん俺、いつドジ踏むかわかんねーもん! 聖女の人や、周りの人に怒られるよーなことつるっと言っちまったりしちまったり、みてーな可能性めっちゃありまくるし! だから失敗した時に助けてくれる奴がいねーと、そんな偉い人と話すのとか無理だから!」
堂々と情けないことを言い放つジルディンに、男たちは本気で困惑して顔を見合わせる。仲間たちも『それこんなに偉そうに言うことか?』とは思ったものの、ジルディンを一人で偉い相手とおしゃべりさせるために送り出す、なんていう状況ははっきり言って死の予感しかしないために、あえて口は出さずにジルディンの背後で、ひそやかにうなずいて同意を示す。
そんな自分たちの反応にも男たちは心底困惑していたものの、聖女とジルディンとの対話を実現させるという第一目的はなにより優先すべき、と判断したようだった。一人が聖女たちへと足早に報告に向かったものの、もう一人は自分たちに向き直って告げる。
「では、こちらへ。応接室までご案内します」
白の神殿の応接室というのは、当たり前だがおそろしく豪奢な部屋だった。そもそも部屋のつくりからして精緻な彫刻や飾り彫りがいくつも施されているし、腰掛けるソファや目の前のテーブルなども、品はいいが相当金がかけられている代物だと誰にでもわかる。
そのわりに出されたお茶菓子は質素というか、小麦粉を練って揚げ、砂糖をまぶしただけのごく簡単な菓子だった。お茶の葉っぱも、たぶんゾシュキーヌレフで一番安い部類の葉を使っている。
客に清貧っぷりを見せたいのか財力を見せつけたいのか、よくわからないな、と思いつつロワはお茶菓子をつまんだ。質素で簡素ではあるにしろ、湿気ていない揚げ菓子は、普通にちゃんとおいしい。
仲間たちもお茶菓子をぱくつきつつ、とりあえず神妙な顔をして聖女の到着を待つ。自分たちの見張り役としてか、応接室に案内してくれた人が居残って、目を伏せながらもしっかりと自分たちに注意を払っているので、遠慮会釈なくおしゃべりすることも、呪文を唱えて念話を行うこともできないのだ。
ロワの同調術式により心話状態になることはありうるが、あれはいまだにロワの意志だけで発動できる代物ではなく、たまたまとかその場の勢いとか流れとか、そういうものが必要になってくる。そして今のところ、そういった巡り合わせがやってくる気配はまるでない。
なので自分たちにしては珍しく、全員黙りこくったまま聖女を待っていたのだが、幸いなことにジルディンあたりが我慢しきれなくなって口を開くより先に、応接室の扉が、ごごっ、と重々しい音を立てながら開かれた。
「――お待たせしました」
同時に、しとやかで品のいい声がそうおとないを告げる。反射的に扉の方を向いた自分たちの目に飛び込んできたのは、灰をかぶった少女だった。
一見してそんな印象を与えるほど、その少女は全体の色調が灰色で統一されていたのだ。おそらくは髪色に合わせてなのだろう。頭にかぶったベールも、高位の神職らしい重たげな衣服も、すべてが結い上げて一部を背中に垂らすという複雑な形に結われた自身の髪色と同じ、銀と呼ぶには重すぎる色合いの灰色に染められている。
服飾には詳しくないロワでさえ、ここまで灰色で統一しちゃうと印象が重たすぎないかな、などと考えてしまうような服装だったが、その少女は重い印象を背負いながら静々とこちらに歩み寄り、一礼してから自分たちの対面のソファに座って、真正面から自分たちと向き合った。小さく頭を下げたのち、こちらに告げる。
「お初にお目にかかります。私は、今代のイシューニェンタの聖女、ジリオシャクラと申します。どうぞジラとお呼びください」
ジルディンとさして変わらないだろう年頃のその少女は、ジルディンとは似ても似つかない落ち着いた面持ちで、ジルと似たような響きの名を、そう名乗ってみせたのだ。




