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人次元では最推しです  作者: 聿八路彰
第八章 女王国の第十七王女
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8-36 出立

 ロワたちは五人全員で、またもかつて訪れたビュセジラゥリオーユ後宮の、男が住まわされている一角の庭のあずまやにやってきていた。そこでこれまた以前同様、簡素な服に身を包んだヒレーナキュディオラが待っているからだ。


 といっても、別に重大な話があるわけでもない。ビュセジラゥに対して行った質問の答えを報告するという用事があるだけなのだが、曲がりなりにも神に行った質問の答えを聞くというのだ、余人に知られるのは決して歓迎できる事態ではないし、ビュセジラゥリオーユの人間がこぞってロワたちのことを見ないふりをしようとしているのに(ヒュノたちの強さに恐れをなしたことも、男の強さや存在価値を認めなくてはならないということも、この国の一般的な国民にとっては嬉しくない話なのだ)、女王陛下が自分たちを国賓のごとく丁重に扱うのはよろしくない、という判断もあったらしい。


 こちらとしても特に丁重に扱ってもらいたいとは思わないし、報酬をきちんと支払ってもらえるのなら細かいことにまで文句をつけるつもりはない。ビュセジラゥリオーユ国民の男に対する態度には文句をつけたい仲間もいたが、依頼人が内密に話をしたいというのなら応えるのが冒険者の仕事だ。


 ライシュニディアとジュディオラン、そしてキジャレオーネも同行している(今回はきちんとキジャレオーネを連れてきてもいい、と連絡をもらっている)。ビュセジラゥに対する質問の答えを聞くためというのもあるが(他の面々の質問の答えも聞きたい、という陛下のおおせだったので)、ヒレーナキュディオラに対して質問の答えを報告したあとは、自分たちはすぐに出立する予定だったので、別れの挨拶をするため、というのもあるのだそうだ。


「あなたたちには、結果的にはずいぶん世話になったしね。私の人生をある意味大きく変えてくれたわけだし。挨拶くらいはさせてもらわないと」


「……まぁ、妹がここまで世話になった相手に、別れの挨拶もしないというのは礼節を欠くだろうしね」


 そんなわけで、以前同様ジュディオランの先導で、後宮の最奥(国民に見せたくないものを隠している、という意味で)にまでやってきたわけだが、女王陛下は前回にもまして面倒くさげだった。鬱陶しげに顔をしかめながら、ぐでぇとあずまやの椅子に身体を預け、全身で脱力している。


 それを見咎めて、ライシュニディアがさっそく文句をつけた。


「なんなの、その態度は。人を呼びつけておいて、見苦しい。ただでさえ品性が下劣なんだから、最低限の礼儀ぐらいはわきまえたらどうなの?」


「言ってくれるじゃないの。一国を治める人間には、少しくらい気を抜く時間がないともたないくらい、苦労が次々押し寄せてくるもんなのよ。自分の能力の不足を棚に上げた、騎士連中の無駄な結束とかね」


「無駄な結束……なんなの、それは」


「昨日、そこの冒険者連中がその強さをいかんなく発揮するところを見せられたでしょうが? それが面白くないっていう騎士は山ほどいるし、私がこの国に男を引き入れるんじゃないかって無駄な心配してる連中も山ほどいるのよ。そいつらが結託して、私に文句を言いにきたわけ。女王国の正しき伝統を守れとか、汚らわしい男の跳梁を許すなとか、しょうもない無駄な文句をね」


「……確かに、無駄ね。有能な他国の冒険者に嫉妬するくらいなら、自分の腕を磨けばいいのに」


「それはちょっと文句としては筋違いね。言っておくけど、そこの冒険者たちみたいなとんでもない強さを持った連中なんて、女王国の外にだってそうそういるもんじゃないのよ? それなりの大きさの国が、切り札として数人抱えているかどうかってところでしょう。小国の騎士にそんな連中を見習われても困るのよ。もちろん同様の強さを身に着けてくれるというならありがたいことこの上ないけど、神の加護もないのにそんな強さそうそう身に着けられるものじゃないわ。そもそもの環境や条件やらが違いすぎる相手を参考にされても、国軍としては厄介なだけなわけ」


「それは……そうでしょうけど。なら、なんのためにこの人たちが戦うところを見せたの? あなたはその連中にどうしてほしかったのよ?」


「基本的には、この冒険者たちに金を払うことを納得させたかっただけ。もちろん、他国の強者の力を見せつけられて、発奮して自分も頑張ろうって思ってくれるならそれにこしたことはないけどね。正直それは高望みだと思ってた。まぁそう感じた人間が皆無ではないんでしょうけど、どんな時も目立つのは声の大きい人間だから」


「……それで、その目的は果たせたわけ?」


「おおむね、ね。国費を費やして男を雇うなど、っていう連中を黙らせることはできたわ。じゃああんたがあれやってよ、って言えばすむわけだし。それでも国の伝統やら誇りやらを前面に押し出してああだこうだ言う連中はいなくならないもんよ。ま、どうとでも吹き散らせる相手ではあるけど、そんな奴らのために無駄に時間を浪費した、って思うと精神的な疲労がたまるわけ」


「同情はしないわよ。あなたは自分から望んでその役目を買って出たんだから」


「買って出たっていうか、あたしの男とあたしの人生を守るためにはこの選択が一番マシ、って思っただけだけどね……ま、同情を求めてるわけじゃないのも確かだわ」


 そう肩をすくめてから、ヒレーナキュディオラはロワの方へと向き直った。


「さ、それじゃ、報告してもらいましょうか。……正直、自国の護国神に問いかけた質問の答えを聞く、なんていうとんでもない状況を、まさかあたしが経験するとは思ってもみなかったけどね」


 そう言いながらヒレーナキュディオラが口元に浮かべた笑みは、だいぶ自嘲の色が濃いようにロワには思えた。ビュセジラゥに対して特に篤い信仰を持っているわけでもない、それどころかビュセジラゥリオーユという国に対しても特に愛着を持っているわけでもない、そんな自分が国の根幹にかかわる役目を果たすことになったことに、それなりに思うところがあるのだろう。


「はい。……でも、俺はその役回りを果たすのが、陛下でよかったと思ってます」


「……どういう意味?」


「ビュセジラゥさまに対し、冷静な視点でものが言える人が、この情報を取り扱うべきだ、っていう意味です」


 そう告げてから、ロワは説明を始めた。


「まず、申し上げておかなくちゃならないのは、ビュセジラゥさまは、そもそもが男の性を持つ者について、存在価値を認めていない神だ、ということです」


『………は!?』


「え、それは……どういうことだ。意味がわからないんだが……」


「っつかさ、男なんてみんな殺しちゃえーとか思ってるって、それ邪神っていわね?」


『………!』


「いや、邪神というわけじゃない。男を滅ぼしたいとは思ってらっしゃらない。自分と関係のないところでならば幸福に生きていてくれてかまわない、と考えられているそうだ。ただ、女性と愛の神であるビュセジラゥさまは、女性、特に女性同性愛者をなによりも重んじ、加護を与えることが、神としての存在の根源に刻まれているんだそうだ。だから男は、神としての視点からすれば塵芥。視界に入れることすら不愉快な代物なんだそうだよ。だからビュゥユ国内に、男が存在すること自体、本来ならば許したくはないことなんだそうだ」


『…………』


「それは……ええと、つまり……ええと、だな、つまり、ビュセジラゥさまは、ビュゥユ国民の方々が、できる限り男をいびり出そうとしていることを、歓迎している、ということなのか?」


「いや、そういうわけじゃない。神としての在り方は別として、ビュセジラゥさまは神の世界人の世界、それぞれの倫理観も持ち合わせていらっしゃるんだ。だから、男を蔑むことも、嫌がらせや意地悪をすることも、決してよしとはされていない。むしろはっきり忌避されているんだ」


「えぇ……? 男のこと目障りだとか思ってんのに?」


「神としての在りようと、ご自身の倫理観は別だってことなんだと思う。人を蔑んだり、いじめたりすることは、誰がどう言いつくろったって『悪いこと』だし、そんな真似をした奴の価値を下げるだろ? ……だから、ビュセジラゥさまは、ビュゥユの今の在りようも、決してよしとはされていなかったよ」


『っ………!』


「男に対する行いももちろんだけど、ビュセジラゥさまは愛の神でもあるわけだから、心からの愛を伴うことのない性行為が常態化しているビュゥユの性風俗については、だいぶ苦々しく思っておいでのようだった。ビュセジラゥさまの重視する心からの愛を貫くに易いように創り出した術法である女聖術が、ただお互いの美しさと若さを高めるための道具として扱われている現状も、歓迎されていなかったのは確かだ」


「そっ……それなら! なぜ、その御力を振るわれないの? 現状に不満があるなら、どうとでも好きにお変えになればいいじゃない! 神さまなんだから、その力があるんだから!」


「神としての倫理においても、人としての倫理においても、それはできないんです。神々は、俺たちの想像よりずっと、いろんなものに縛られている」


「なにを……」


「まず、神としての規範を重んずるならば、神々が自分の思うように人界を改変すること、これがまずご法度です。ビュセジラゥさまが加護を与えた人間を導いてこの国を創らせた際にも、できるだけ問題が起こりにくい、国を創りやすい道へと人間を導く加護を与えることはしても、ご自身の思うがままに国を創らせるということはしなかったはず。人界の問題は人間が解決するのが当たり前で、神々が自らに許しているのは、道を進む人に加護を与えることのみなんですから」


「そっ……れは、そう、だけど……」


「そして、人の視点から見ても、ビュセジラゥさまが自分の思うがままに国を改変できない、大きな理由があります。……責任が取れない、っていうことなんですよ」


『は………?』


 この答えはよほど予想外だったようで、ヒレーナキュディオラも、キジャレオーネも、ジュディオランも、ライシュニディアも、全員が口を揃えて、呆けたように気の抜けた声を発する。


「まず知っておいてほしいんですが、神々も完全に未来がなんでも予測できるっていうわけじゃないんです。完全に未来が予測できるなら、神界を揺るがすような問題や事件なんて、そもそも起きるはずがないですよね? あらかじめ予防策を打っておけばいいだけなんだから」


「っ……」


「これを放置しておけば間違いなく世界が滅ぶ、ないし揺らぐ、というほどにはっきりと予測できる重大事であるなら、神々も介入をためらいはしないでしょう。でも、『人間に解決できる問題に神が介入したことがとんでもない結果を招いた』なんて事態が否定できない以上、人界への介入を神々が極力避けたがるのもわかりますよね?」


「そ、れは……」


「しかも、扱うものが国なんて大きなものになると、影響力も甚大になることは確実。それに歴史を紐解いてみれば、当初大外れを引いたと思っていた選択が、あとあと振り返ってみると最上の結果を招き寄せるのに欠かせない過程になっていたり、最善の選択をしたつもりが最悪の結果を招き寄せる端緒になっていたり、なんてこといくらでもあるでしょう?」


「……そうね。確かにそんなこと、山ほどあるわ」


「はい。たとえ神々が最善と思われる方法と動機で人界に介入したとしても、そういう結果になることを否定はできないし、それ以上に問題なのは、『神々は、人界で失敗を犯した際に、責任が取れない』っていうことなんです」


「………『責任』ね」


「はい。そもそも、国を導くなんていう大仕事に、まともに責任が取れる者などどこにもいないだろう、とビュセジラゥさまはおっしゃっていました。結果を見てあとからわめきたてるのは誰にでもできるけど、そんな連中に国の舵を取らせてもろくなことにならない。本来なら、その国を少しでも正しく導こうという気概を持って、最善を尽くしたならば、それ以上の責任など誰にも取れない。それ以上はそれこそ運を天に任せるしかないはずだ、と」


「……ビュセジラゥさまが、そんなことを?」


「『運を天に任せる』って……神さまご自身に言われるとはね……」


「そして、神が国を動かして失敗したならば、事態はさらに悪い結果を招くでしょう。よくない方向に責任が取れてしまうんですよ。神々には従うしかないという理由で動かされた者たちは、その不満と憤懣を神を呪うことで解消しようとするでしょう。『神々に従う』という大義名分を守るために、今現在の問題、苦難に見ないふりをしたまま。それは、神に盲従する奴隷を作り出すことだ、と……だいたい、そんなようなことを、ビュセジラゥさまはおっしゃっていました」


『……………』


「これで、みなさんのご質問の答えにはなったでしょうか? ビュセジラゥさまは男に存在価値を認めていないし、できるならビュゥユからいなくなってほしいとは思っているけれど、迫害していいとは思っていない。人界の営みに神が口を出すことを忌避しているから、ビュゥユ国民の国の出入りや、現状のビュゥユの問題について、あれこれ注文をつけるのも、強権を発動して好ましくないところを変えようとすることもしようとは考えていない」


「っ……」


「女王陛下のご質問に対する答えも、さっき申しあげた通りです。ビュセジラゥさまは、女性と愛の神。女性、特に女性同性愛者をなによりも重んじ、加護を与えることが、神としての存在の根源に刻まれている。自らが男性神でありながら女性同性愛の守護神として存在することへの、女性同性愛者の方々の拒否感もきちんと認識してらっしゃるようでしたが……そういう存在として誕生した以上、ご自身としてはそれを肯定し、受け容れていらっしゃるように、俺には見えました」


「……そう」


「ただ、あの方には、女性同性愛者の方々に対する罪悪感もあるようでした。男性神でありながら女性同性愛者に加護を与えることに。女性同性愛者の方々に嫌悪感を抱かせてしまう存在であることに。自らの守護する対象に、疎んじられることを受け容れている神というのは、きっと大陸でも数少ないでしょうが……あの方はそれを当然のことと考え、人間たちにむしろ申し訳ないことだと思われていた」


『……………』


「あの方の生来の在りようとして、男や同性愛者ではない女性に対し、見る目が厳しいというより、まったく興味を抱けない性質ではあられるようでしたが、それでもあの方は、神としても、人としても、尋常な倫理観を持ち合わせ、興味を抱けない存在と守護する存在が相争うことも、一方的に傷つけることも、決してよしとはされていなかった。それでもなにも口出しせずに、自分が加護を与えている人々の営みを見守り続けてきた。……少なくとも俺には、一方的に敵視されていい神であるようには見えませんでした」


「………そう。……そうね……」


「……ビュセジラゥさまが、それほどまでに、我々人間を……」


『……………』


 ヒレーナキュディオラも、キジャレオーネも、ジュディオランも、ライシュニディアも、もの思わしげな顔で感慨を噛みしめているようだ。――それを認識し、ロワは内心で、深々と息をついた。


 なんとか、かろうじて、やり遂げた。全力で言動を忖度し、万事をできる限りいい方向に解釈して、嘘をつかない範囲内で、かつ柔らかいというより異常な量の砂糖をぶち込んだかのように甘く口当たりのいい言葉に置き換え、なんとかそれなりにビュセジラゥに悪印象を抱かせないようにできた、と思う。


 ビュセジラゥに好意を持ってはいないロワですらも、神が加護を与えている対象から蔑まれるという状況はさすがに見るに堪えない。気の毒というか、必死に働いて神音かねを費やしている神が哀れすぎる。……それに、そんな事態は、エベクレナすらもが蔑まれているような気がしてしまう。考えるだけで苦しくなるような、そんな光景が現実にならないよう、できる限りのことをするのは、ロワの中ではごく当たり前のことだった。


 一応自分の感想含めて嘘はついていないはず、と心の中で再確認していると、ふいにヒレーナキュディオラが顔を上げ、ロワに向き直る。そして、真正面から端的に告げた。


「あれやこれやとあったけど。依頼した仕事は、無事完了させてくれたようね」


「あ……はい」


 パーティ全員で受けた魔物を間引く仕事も、ライシュニディアに対する教育を施すという仕事も――後者はロワのおかげというより幸運とライシュニディア自身の強さのおかげではあったろうが、いい結果に終わったのはたぶん間違いない。ライシュニディアの決めた一生の仕事がどれほどうまくいくのかはわからないし(現段階で考えるだけでも至難を極める仕事だ)、そもそもまだ幼いとすらいっていい年頃であるライシュニディアの将来がどうなるかまるで不明なのも確かだろうが、少なくとも一歩を踏み出すきっかけにはなったし、彼女を見守る兄が一緒にいてくれることことも定められたのだろうから。


「あなたたちに対する報酬は、冒険者ギルドの口座振り込みでいいんでしょ? 好きな時に確認して。で、これが領収書。なんかの手違いで振り込まれてる金額が少ないとかいうことになってたら、私に連絡して。伝達系の術式で、私個人を選び出して通話するってこともできるんでしょ?」


「え、そりゃまぁできるけど、お城の中とかに直接伝達系の術式繋げるとかよくないんじゃねーの? お城ってなんか秘密とかいろいろあるから、そーいうの禁止する結界とか張ってあるって聞いた気がする」


「はっ、この貧乏国でなに言ってんの。そもそもが侵略受けたら即土下座する以外の選択肢ないんだから、機密情報の秘匿だなんだってことに金使えるわけないでしょうが。そんな金があったら少しでも農地広げるのに使うわ」


「そ、そうなんだ……」


「とにかく。報酬はもちろん支払うけど……これだけ見事な仕事ぶりを見せてくれた上に、護国神ビュセジラゥさまに直接質問をして答えを持ち帰ってくる、なんて真似をしてくれた以上、それだけですませるってわけにもいかないでしょうね」


「え、報酬の増額ですか!?」


「悪いけど、うちの国家予算からすると、これ以上の報酬の支払いは負担がでかすぎるからね。そもそもあんたたちは、邪鬼封印の仕事の時に、とんでもない大金をゾヌからもらってるんでしょ? あんまり意味ないでしょうが」


「あー、それもそっか」


「……俺たちの手に入れた報酬の総額を、ご存知だと?」


「誰かから教わったわけじゃないけどね。単に、市場の動きを見てざっと計算してみただけ。それでもその桁外れっぷりは理解できたからね」


「市場の動きって……え、そんだけで!? それ、なんつーか……めちゃくちゃとんでもない仕事じゃないっすか!?」


「当然。私が赤字経営の借金国を、曲がりなりにも黒字経営まで持ち直した女だって知ってるでしょ? 自分で言うのもなんだけど、並大抵の経済感覚じゃそんなことできないわよ」


「並大抵じゃない、という言葉の範疇からも大きく飛び出ているような気しかしませんが……」


「だから、そんな私の経済感覚を貸してやるっつってんの。特別報酬としてね」


『えっ……』


 思わずぽかんとした声を上げた仲間たちを、ヒレーナキュディオラは眺め回して再度告げる。


「あんたたちが今後、経済の達人を雇いたいって事態に陥ったら、あたしが力を貸してあげる。もちろん、相応の報酬はもらうけどね。だけど、報酬さえ支払われるなら、その仕事の最初から最後まで全力で力を貸してあげるわ。どう?」


「ど、どうとおっしゃられましても……俺たちが経済の達人を雇いたい、なんて思う事態そうそう訪れる気がしないのですが……そもそも女王としてのお仕事はどうなされるおつもりなのですか?」


「あと十年もすれば譲位するつもりだったし、その仕事をきっかけにしてもいいでしょうからね。誰のための、どんな仕事でも構わないわよ? 報酬さえきちんともらえるなら、どれだけひどい経済状態も改善させてみせるから」


「わかりました。ありがとうございます、ヒレーナキュディオラ女王陛下」


 ロワが深々と頭を下げるのに、仲間たちもつられたように頭を下げていく。頭を上げたロワがじっとヒレーナキュディオラを見つめると、相手はいつものようにふんと鼻を鳴らしながらも、口元にわずかに苦笑をのぞかせていた。彼女の意思がロワに伝わったことを、きちんと相手に伝えることができたようだ。


「……さ、それじゃ、挨拶も伝達事項も伝えられたことだし、私は仕事に戻るわ。あんたたちも、挨拶するならするでさっさとしておきなさい。後宮のこの区域は、いくら女王の子だろうと、長居していい場所じゃないからね」


 言うやさっさと立ち上がり、足早に中庭を出て行くヒレーナキュディオラの後姿を見やりつつ、ライシュニディアが忌々しげに舌打ちした。


「まったく、偉そうに。あの人にあれこれ上の立場から命令される筋合いこそ、それこそ欠片もないってのに」


「でもまぁ、少なくともあの方がお前のこれからの学費と生活費を支払ってくれるっていうのは確かなんだ。無理に仲良くしようとする必要はないだろうが、少なくとも喧嘩してもいいことがないのも確かだろう?」


「それは、そうだけど。親としての最低限の勤めを果たしただけで偉そうな顔をされるのは、正直釈然としないのよね」


「『親としての当然の勤め』っていうのは、一般的な世の中じゃけっこう贅沢品だからね。運がいい人間は手に入れられるけれど、少しでも運が悪ければ一生をそれに出くわすことなく終えることの方が多い」


「……あの人に感謝しろ、ってこと?」


「『感謝しなきゃ』と思う必要はないけど、『当然のことだ』と思うのもやめた方がいい、ってことかな。それこそそんな代物の持ち合わせがない人間から、贅沢者とそしられる」


「……はぁい」


 仏頂面で肩をすくめるライシュニディアの頭を、ジュディオランが笑顔でぽんぽんと叩く。うるさげにそれを払いつつも、ライシュニディアの顔にも次第に笑みが浮かび始める。


 この二人は本当に仲がいい兄妹になったな、と内心で一人うなずく。ここまでしっかりこの二人が結びついたのならば、残す心残りはあと二つだけだ。


「……キジャレオーネさん」


「っ! な、なんだっ!」


 ライシュニディアの後ろで、苦虫を嚙み潰したような顔でうつむいていたキジャレオーネは、ロワに声をかけられるやあからさまに警戒した顔で身構える。俺なんかを警戒しても大して意味ないだろうに、と思いつつも、言うべきことをさっさと言っておこうと言葉を続けた。


「キジャレオーネさんは、今回の一件で、いろいろとご自身の考え方を揺らがされるようなものを見聞きしたと思いますが」


「っ……」


「それを心に刻むか、なかったことにして忘れてしまうかは、あなたご自身で判断してください」


「なっ……」


『は!?』


 何人もの声が揃ったが、ロワはあくまでキジャレオーネ一人だけをまっすぐ見つめて言葉を続ける。


「昨日の話の中で、出たでしょう。『自分は間違っているかもしれないと思い続けるのは、とても大変なことだ』って。それとも、もう忘れちゃいましたか?」


「おっ、覚えている、が……」


「あなたはこれからも、この国の中で生き続けるんでしょう。ビュゥユから出て行った、ビュゥユの常識にそぐわない王女殿下の守護騎士として、色眼鏡で見られるとしても。そういう、『自分たちは正しい、間違えない』と当然のように思っている人たちの中で、『自分は、自分たちは間違っているのかもしれない』『この世界の在り方はおかしいのかもしれない』と思い続けることは、本当に疲れる上に報われないことです。自分の苦しみに共感してくれる人が誰もいない、そんな地獄が終わりなくえんえんと続く。そんな苦しみを強要するのは、それこそ傲慢にすぎる、と思います」


「だっ……だが」


「ええ、だからといって、あなた方の、ビュゥユの在り方の正しさが証明されたわけでもなんでもない。むしろ、ビュセジラゥさまご自身から、正しいとは思われないことを伝えられてしまっている。だから、あなたが、あなた方が今の生き方を続けたとして、その在り方を他国の人間や、この国を出奔する人々から軽蔑され嫌悪されたとしても、文句は言えないんです。いや、正確には文句を言っても誰も聞いてはくれない。今の生き方を続けるということは、心の安寧のために、正しさを――他者に正当性を認められる権利を、投げ捨てたってことなんですから」


「っ………」


「でも、正しさと心の安寧、どちらを取るかは本当に、その人自身しか決められません。そもそも、基本的には、どちらだって程度問題だ。正しさを追求した結果心の潤いを忘れて貧しい人生を送るのも、自身の安寧だけを求めて他者に迷惑をかけ倒し見苦しい人生を送るのも、自分にとって価値がないことには変わりがない。結局はその場その場で取捨選択しながら、万事ができるだけうまく収まるよう、塩梅していくしかない、と俺は思うので」


「っ……っ………」


「……まったく。本当に、最後の最後まで、楽をさせてくれない人ね」


 自分を見つめながら固まってしまったキジャレオーネに代わるかのように、ライシュニディアが一歩前に出て声をかけてくる。今度はロワもちゃんとライシュニディアの方を向いて、会話に応じた。


「すいません。でも、これもきちんと伝えておかなくちゃと思ったことなので」


「それはわかるわ。私にしてみれば面白くないことだけど。要するに、こういうことでしょう? 『自分の正しさが誰にとっても通用すると思うな』っていうね」


「まぁ、一言で言ってしまえばそうなりますかね……」


「ふふ」


 育ちのいい少女らしく、小さく笑ってみせてから、ライシュニディアはロワに向き直り、改まった顔つきで別れの言葉を告げる。


「ありがとう。あなたのおかげで、私の人生は変わったわ。それこそ、人生が色づいた、ようやく生き始めたとすら言っていいんじゃないかと思う。心から感謝するわ。お返しできるものなんて今はろくにないけど、それでも心からの感謝ぐらいはあなたに伝えたかったの」


「……それを言うなら、俺も同じですよ」


「え……?」


 すでにロワはライシュニディアと向き合いながら話していたが、それでも顔つきを改め姿勢を改め、真っ向からの誠意と気合をもって、ライシュニディアに向かい合う。


「ライシュニディア王女殿下。あなたは、俺の過去を救ってくれました。仲間に迷惑をかけて手助けされて、それでも俺は見捨てた過去を救うどころか、影響を与えることさえろくにできなかったのに、あなたはご自分の人生を懸けて、俺の過去を含む貧しい国々を救うために全力を尽くす、と言ってくれた。それは、俺にとっては本当に――人生を救われたのと同じような、ありがたい衝撃だったんです」


「っ……」


「ありがとう。本当にありがとうございます。あなたがこれから直面する難事に、たとえ負けてしまっても。なにもかもがうまくいかず、失意のままに人生を終えたとしても。少なくともあなたは一人の人生を救ってくれた。誰も助けようとしない存在に救いの手を伸ばそうとしてくれたことは、すでにもう俺の過去を救ってくれているんです。――だから、本当にありがとう」


 精一杯の誠意をもって投げかけた感謝の言葉に、ライシュニディアはぐっと言葉に詰まったようだった。だがそれでも目を逸らすことなく、うつむきもせず、毅然と顔を上げて、正面から凛然と言い放つ。その姿は実際、まだ十一歳の少女だというのに、見惚れるに足るものがあるとロワには思えた。


「どういたしまして。私にどこまでできるかはわからないけど、全力を尽くすわ。もしできなかったとしても、私の人生は無意味なんかじゃない。あなたは、そう保証してくれたんでしょう?」


「はい」


「それについても、ありがとう。正直、心が励まされたわ。……こんな風にお礼の言葉を交わし合うのって、私今までこの国の人間の口説き文句ぐらいしか聞いたことなかったから、すごくべたべたしていてうざったいもののように思ってたけど……悪くないわね。心の底からの正直な気持ちを交わし合うことが、お礼の言葉を交わすことになるっていうのは」


 そう笑ったライシュニディアの目尻はわずかに赤らんでいたが、それを指摘するような真似は、さすがにジルディンでもしなかった(単に気づいていなかっただけなのかもしれないが)。

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