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人次元では最推しです  作者: 聿八路彰
第八章 女王国の第十七王女
109/213

8-28 問答・2

 先導するジュディオランのあとについて、ロワは仲間たちと共にビュセジラゥリオーユの後宮を歩く。今回通る道は前回の謁見の時とは異なり、地味というか簡素というか、装飾らしい装飾がほとんど見当たらない。


 というか、ほとんど手入れすらされていない場所らしいのだ。ここは下宮、後宮の中でも男が住まわされる領域であり、そこの手入れはビュセジラゥリオーユでも珍しい、『後宮に上がることができる男』に任せられているという。


 当然、人手が足らず、後宮の他の部分のように、隅から隅まで美しく磨き上げるなんてことはできない。なので、きちんと手入れができているのは、前回自分たちが通されたような、外国からの来客が通される場所、そして今代のように、ヒレーナキュディオラが後宮に囲っている男や、女王が男との交わりによって産み落とした子息たちが住む部屋の近辺ぐらいで、他の場所はほとんど手が入っておらず、国主の住まう後宮の一部なのに、廃墟のようなありさまになっているらしい。


 だからこそ、今回のように、誰にも見られたくない、気づかれたくない会談を行う場所というのも、相応に得やすくなっているそうで。


 ほとんど廃墟のような道を進むことしばし。きちんと掃除され、ある程度磨き上げられている領域に入る。その領域は扉によってしっかり区切られているようで、扉自体とその周辺だけは掃除されているが、そこを外れると少しも手が入れられていない。


 その扉をジュディオランは軽くノックし、半短刻(ナキャン)ほどの時間無言で待ってから、扉に鍵を差し込み、静かに開けた。その先に広がっていたのは、幽玄の宮だ。黒を基調とする建築の中に、要所要所に生け花、庭、樹木、細工などが配置してあり、見る者を静かに圧する凄みすら感じさせるような、単純に美しいというよりは芸術性が高いというべきだろう空間が出来上がっている。


 もしかすると、最初に自分たちが後宮に来た時見せられた、豪華絢爛な空間よりも、ここの方が金はかかっているかもしれない。そんな気さえするような見事な部屋の連なりを自分たちは進み、壁に囲まれた大きな庭(これも隅から隅まで計算し尽くされた形に樹々や庭石が配置された、芸術性の高いものだ)の中のあずまやにまでたどり着いて、足を止める。


 そこには、一昨日にも会った、この国でもっとも高貴な女性――ビュセジラゥリオーユ女王、ヒレーナキュディオラ陛下が、一昨日とは違うごく簡素な服をまとって、座していた。


「………っ」


 自分の隣を歩いていたライシュニディアが、その背後のキジャレオーネと一緒に、小さく息を吸い込む。二人とも、ヒレーナキュディオラのこんな、ごく身内向けの、ざっかけない姿を見るのは初めてだったのだろう。


 ヒレーナキュディオラは近づいてくる自分たちの姿を見るや眉をひそめ、ジュディオランに鋭い一瞥をくれる。ジュディオランは軽く肩をすくめ、あっさりとした口調で弁解した。


「ライシュニディア王女殿下の守護騎士殿は、是非にも同行させたいとライシュニディア王女殿下ご自身が強く望まれましたゆえ。本人もご異存はないとおっしゃられたので、同行していただきました」


「…………」


 ヒレーナキュディオラはじろりとライシュニディアを睨み、冷たい声で告げる。


「ライシュニディアよ。そなた、なにゆえその娘をここに連れてきた。そなたはまだ幼いが、いかに守護騎士といえど、王族間の機密として扱われるべき情報まで、軽々に知らせてよいと思うほどのもの知らずではあるまい。そのようなことをすれば、むしろその娘自身を損なうことになろう。その判断がつかなかったとでも?」


「……いいえ、陛下。この話し合いは、むしろ彼女が知るべきことであると私は思います。自身の進退が、自分とはなんの関係もないところで定められてしまう理不尽を、せめて自分自身で成り行きを見届けることで軽減するためにも――彼女の心が、人として成長するためにも」


「ふん……人の心の成長をうんぬんできるほど、そなたが人の心を詳しく知っているようにも思えぬが? そのような智慧はよほどの賢者でも持ち合わせぬ類の代物であろう」


「ええ、そうですね。私の勝手なこだわりが入っていることは認めます。ですけれど、私は――この話し合いの結果がどう転ぼうと、この国を出るつもりでいます。彼女も守護騎士の任についているわけにはいかなくなるでしょう。それなら、ことの成り行きをまるで知らないまま、一方的に結果だけ伝えられても納得もいかないでしょうし……その記憶がどうしても不都合になるというのでしたら、消し去ることはできる、と〝女神を知る者〟の方々が請け合ってくださいましたから」


 ジルディンが得意そうに胸を反らす。正直、ロワは浄化術にそんな使い方ができるなんて今日までまるで知らなかったのだが、相応の技術があればさして難しいことでもないのだとか。忘れたい記憶は心の澱、すなわち穢れに通じるものとみなされるらしい。ジルディン一人がおぼつかない記憶でやってのけようとするなら不安を禁じえなかっただろうが、ネーツェの知識の中にも存在する話なのだから、当てにしても問題はないはずだ。


 ヒレーナキュディオラはじろりとキジャレオーネを睨む。キジャレオーネはびくりと震えたが、それでも懸命に胸を張った。同調術で感じ取れた限りでは、ライシュニディアに対する反感と対抗心――あれだけ言いたい放題言ってくれたライシュニディアに舐められたくない、という想いが彼女に意地を張らせているらしい。言われっぱなしでいられたくないという想いと、そして少し自棄になっているところもあるのだろう。


 ヒレーナキュディオラもそれを感じ取ったようで、ふん、とまた鼻を鳴らしてから、キジャレオーネに厳しい口調で宣告する。


「ならば、第十七王女ライシュニディアの守護騎士たるキジャレオーネ・シュジゥンよ。この国の女王としてそなたに命ずる。この会見については、会見に同席した者以外に、今後一切漏らすことを禁ずる。同席した者に対しても、盗聴に対して十分な備えをした場以外ではなにも口にしてはならぬ。よいな」


「………はっ!」


 敬礼するキジャレオーネにうなずいて、ライシュニディアに向き直り――それからヒレーナキュディオラは、唐突に身体から力を抜いた。のみならず、みなぎらせていた気迫のようなものも一瞬で雲散させ、あずまやの寝椅子にぐてぇ、と身を預けながら、いかにも面倒くさげに問いかける。


「でぇ? 話ってなに。どうせまたくっそめんどくっさい話持ち込んできたんでしょ?」


『………はっ?』


 思わずといったように声を揃えたライシュニディアとキジャレオーネに、ヒレーナキュディオラはうっとうしげな視線を向けながら、やる気というものがまるで感じられない口調で続けた。


「『家族の話し合い』ってジュンが言うから、それ相応のてっきとーな服で待ってたっつーのに、家族以外の人間とか連れてこないでくんない? ま、そこの冒険者連中はうちの国の連中じゃないからどーだっていーけどさ、守護騎士とかやめてよね。あとの処理がくっそめんどくっさいでしょうが。一応、今回はあんたの顔を立ててやるけどさ、今後連絡なしでこーいう真似したら、それ相応の対応するからね。あーっとに、くっそめんどくっさぁ……」


「え……な、は……」


「………なに。その、態度は」


「ラィア。言いたいことはわかるけどね。これが母上の『素』だ」


 ジュディオランが女装をしたままで、仕草や声で女性をまねるのをやめ、それこそ『素』の、ざっかけない態度になって苦笑する。


「基本的に母上は、自分の産んだ子供たちに対しても女王としての態度を崩さない人だけどね。『家族』や『母親』として対応しなければならない、という時にはこういう態度になるんだ。女王としての振る舞いで取り繕うのではなく、思ったことを正直に、素直に言うために。もちろん言いたいことを言いたい放題言うから腹の立つことは何度もあるだろうけど、子供扱いしたりごまかしたり、みたいな『まともに話し合うつもりがない』態度は取らないという宣言でもある。ここはそれを受け取って話し合いに移るべきだと思うよ。こんなことで目くじらを立てていては、母上とはまともに話し合えないよ?」


「…………」


 唇を噛みながらも、ライシュニディアは兄に対してうなずいて、ヒレーナキュディオラの対面に座った。ヒレーナキュディオラはいかにもうっとうしげに鼻を鳴らすものの、一応は話し合う姿勢を見せて繰り返す。


「で? 話ってなによ。さっさと言ってくんない? 私仕事終わったんだからさっさと自分の時間に戻りたいんだけど?」


「………っ、あなたは……本当に、まともに親をやる気がまるでないのね。親子の大事な話し合いの時ですらその態度。曲がりなりにも女王と、この国でもっとも高貴な女性と呼ばれながらその振る舞い。恥知らずにもほどがあるわ」


「なぁにぃ、あんたそういう話したいわけ? それなら私今すぐ帰らせてもらうけど?」


「逃げるつもり? これだけこちらに醜態を見せつけておきながら?」


「そんな話をする気はない、って言ってんのよ。あたしは明日も早くから仕事の予定がみっちり詰まってんの。死ぬほど忙しいのよ、あんたと違って。そんな時にそういう、どう転んでもあたしにとってまるで得のない話をする気なんて、あたしにはまるでないってこと。あたしと話をしたいってんなら、こちらにも相応の利得のある話をしなさいよ。そうでないならあたし帰るから。そういうことが言えるくらいには、あたしは国全体に対して、替えの効かない仕事をしてるんだからね」


「………っ!」


 ライシュニディアは、ぎっと殺意すら込めてヒレーナキュディオラを睨みつけてから、一度目を閉じて深呼吸をし、再び目を見開いてヒレーナキュディオラを睨みつけ、決然とした口調で告げた。


「私の要求は、私の教育のために、あなたの持っているお金と伝手を有効活用してくれ、ってこと。その代わりに、教育期間が終われば、私はこの国に戻ってきて、官吏となり、私のために使ったお金を倍にして返すまで働き続けるわ。その旨を契約書に記してもかまわない。少なくとも、あなたに損がある話ではないと思うけど?」


「ふぅん……ま、確かにこちらに損があるようには聞こえないけどねぇ……」


 ヒレーナキュディオラは考えるようにゆっくりと頭を巡らせながらも、鋭い指摘を投げかけてくる。


「あなたが、官吏となれるほど優秀なのか、ってところにまず疑問符がつくわね。娼婦を装って国民から金をだまし取ろうとした子供が、曲がりなりにも一国の官吏となれるほどに賢明かどうか。単純な印象だけなら、たいていの人は『否』って言うと思うけど?」


「少なくとも、私はもう他国の法律書を普通に読めるくらいの知識はあるわ。知識があるから賢明ってわけでもないだろうけど、木っ端役人と比べれば私の方がまだ国の役に立てると思う」


「なら、二つめ。あなたは女嫌いでしょう? あ、女性同性愛者嫌いって言った方がいいのか。そんな人間が、この国で官吏として働くには、相応の苦労があるってことくらいわかるでしょ? 私くらい並外れて優秀っていうんじゃなければ、周りからは足を引っ張られるしいやがらせも受けるわ。そんな人間をわざわざ官吏として雇う必要性が、あなたにあるとでも?」


「それは、私のこれからの働きを見て判断してほしい、と言うしかないわね。それに、私は女性同性愛者が嫌いなんじゃない、この国の女どもの慎みのなさが、女ならば誰彼かまわず誘いをかけて、いやらしい目で見て寝台に誘い込んでいい、なんて考えている連中が嫌いなのよ」


「この国ではどっちだって同じようなもんでしょ?」


「そうね。だけどどちらにしろ、私の問題になる話じゃないわ。私がこの国の女どもを嫌っていることは、今のところほとんど知られていない。それなら私が我慢して、嫌悪感を表に出さなければそれですむ話よ」


「――そうまでして、あなたがこの国で働く必然性ってものは、どこにあるわけ?」


 ヒレーナキュディオラの口調に、わずかに真剣さが混じる。だがライシュニディアはそれに気付いた様子もなく、仏頂面でヒレーナキュディオラを睨みつけながら答えた。


「私は別にこの国で働きたいわけじゃないわ。できることなら、あなたのそばで働きたいって考えてるだけよ。ヒレーナキュディオラ今上陛下」


「どういう意味?」


「あなたの経済感覚を身に着けたいの。ビュセジラゥリオーユ女王国の経済状況を一変させた、あなたの並外れた経済感覚を自分のものにしたいのよ。私がこれからしたいと思っていることには、お金がいるの。とてもたくさんのお金が。受け継ぐ財産のない一個人がそれを得るためには、卓越した経済感覚を身に着けた上での投機が一番手っ取り早い、とそう思ったから」


「あなたのしたいことって、なによ。それを教えてくれないと、こちらとしても身動きが取れないんだけど?」


 ヒレーナキュディオラの面倒くさげな一言に、ライシュニディアは言葉に詰まった。顔をしかめ、表情に感情を乗せないよう注意しながら、ヒレーナキュディオラを睨みつける。


「そんなこと、あなたが聞いてどうするのよ。別に興味もないくせに」


「興味のあるなしと、情報の要不要は別の問題でしょうが。あなたのしたいこととやらが社会倫理にのっとっているかどうか、他の人間や組織に迷惑をかけないものかどうか、っていうのもそれに必要な教育の金を出す側としては確認しておかなきゃならないしね。あなた自身では気づけないところで、とんでもない迷惑行為に加担する可能性がないか、きっちり監査しておくのは金を出す者の義務でしょ。とっとと言ってよ」


「…………」


 しばしライシュニディアは黙り込んだものの、ヒレーナキュディオラの告げた言葉が正論だというのは理解できたのだろう。いかにも渋々という顔で、ぼそりと告げた。


「……救済よ」


「は?」


「個人的な資金で、支援活動をしたいのよ。ユディェアハックナタをはじめとする、はるか東方の貧しい国々にね」


「……つまり、あなたは、大金を使って慈善事業をしたいってこと?」


 ヒレーナキュディオラの返した声音には、いくぶん硬いものが混じっていた。だがライシュニディアはそれに気づきながらも意に介した風もなく、決然と言いきる。


「そうなるわね。だけど、ただの慈善事業で終わらせる気はないわ。最終的な目標は、極東の国々が自力で、国民すべてにまっとうな暮らしをさせられるだけのお金を稼ぎ出すこと。まだどうやってそこに至るか、っていう方策を決めきれてはいないけど、これからの勉強でなんとか相応のやり方を考え出すつもり」


「そのために人生を費やす気なの? 見も知らぬ他人しかいない貧しい国々のために?」


「別に貧しい国々のためでも、貧しい人々のためでもないわ。これはあくまで、私の問題なの。私がどう生きたいか、っていう話なのよ」


「貧しい国々のために人生を費やしたいって思ったわけでしょ? どう違うっていうわけ?」


「単純よ。私は、私の人生を費やす価値があることのために命を、人生を使いたいって思ったの。心から『自分は素晴らしいことをしている』『生きる価値がある人生を送っている』って思える人生を送りたいって思ったのよ」


「――――」


「少なくとも、それはこの国で、さして目的もないままに、ゾヌに寄生しておこぼれをもらいながらの、享楽的な人生を送ったところで得られるものじゃないわ。これこそが自分の人生の目的だ、と心から言えることに苦心惨憺して、ようやく得られる感慨だ、って私は思ったの。だから、私は、私が今日見せられた、これまでの人生でなにより人生を費やす甲斐のある、価値のある仕事を成し遂げることに全力を費やそうって思った。貧困に苦しむ国々を救うなんていうのは、誰にとっても、文句なしの善行で、この上なく価値のある仕事でしょう?」


「…………」


「だから、そのために必要な教育を受けたいの。経済的な感覚のみならず、博学多識というにふさわしい広範な知識を身に着けたいのよ。貧しい国々が活計をえるためには、そういった学識も必要でしょう?」


「それが、私にとってなんの得になるっていうわけ?」


 低い声で問うたヒレーナキュディオラに、ライシュニディアはきっぱりと言い放つ。


「さっき言ったでしょう。私はあなたが私に費やしたお金を倍にしてあなたに返す。国庫にじゃないわ、あなたに返す、って言ってるのよ」


「…………」


「あなた――本当は、この国がどうなろうとも、どうだっていいんでしょう?」


「――――」


「なっ……! なにを――!」


 いきりたちかけたキジャレオーネを、ライシュニディアは一睨みで制し、ヒレーナキュディオラにたたみかける。


「存続してほしいとは思ってるでしょうね。豊かに栄えてくれればいいとも。だけどそれはあなた自身を守るためで、国を想ってのことじゃない。そうでしょう? あなたは実際には、あなたの夫と楽しく心地よく安楽に暮らせればそれでいいと思っているだけで、他のことはあなたにとっては些事にすぎない。あなたとあなたの夫の安楽な生活を守るために女王としての職務に励み、国家の安寧を導こうとしているだけ。だってあなたがこの国に好感を抱く理由なんて、なんにもないですものね? しいて言うなら、女聖術のためにビュセジラゥさまの守護するこの国で生きていきたい、という程度でしょう?」


 苛烈な想いを込めた言葉と視線を、ヒレーナキュディオラはしばし無言で受け止めてから、堂々と胸を張り、視線と言葉を返してみせた。


「そう、その通り。よくぞ見抜いた、と褒めるところ、ここは? 確かに、私はこの国に愛着があるわけでもなんでもない。単に、自分たちの生活に必要な仕事をこなしてるだけ。でも、あんただって別にそれに文句があるわけじゃないんでしょ?」


「ええ。私はこの国が大嫌いだもの。慎みのない、性指向を押しつけてくるこの国が。だからこそ、私はあなたに目をつけたの」


「………ふぅん」


「あなたはこの国を愛してるわけじゃない。自分たちの生活さえ守れればそれでいい。だからこそ、私がいずれ国を捨てることも、自分たちの利得になりさえすれば咎めはしないだろう、ってね」


「へぇ……」


「もう一度言うわ。私に教育の機会と、時間と、そのために必要なお金をちょうだい。それにともなってあなたが得られる利得は、かかったお金を私が倍にしてあなた個人に返すこと。そのためには単に給料をもらうだけじゃ追いつかないから、投資でお金を儲けられるだけの、卓越した経済感覚も教え込んでほしいの」


「なるほど?」


「……そのために必要なことなら、私はなんでもするわ。私はあなたが大嫌いで、すごく腹を立ててもいるけれど、やれというならひざまずいて靴を舐めてもいい」


「あーいらないいらない、そんなもん。好きな男でもない相手に靴舐められたって、単に汚いだけだっつーの」


 うっとうしげに手を振ってから、ヒレーナキュディオラは膝の上に肘をつき、じろじろとライシュニディアを上から下まで眺め回しながら問う。


「他に要求は? あとから何度も呼び出されるのめんどいし、どうせならここで聞くだけ聞いときたいんだけど? 全部聞き入れるかどうかはまた別の問題だけどね」


「……そうね。できるなら、あとひとつ……お兄さまを、ジュン兄さまを私にちょうだい。出向するという形でいいから、私が極東の国々に向かう時に、ジュン兄さまがついてきてもらえるようにしてほしいの」


「………はい!?」


 これまでそんな話まるで聞いていなかったのだろう、仰天した顔になるジュディオランの方をライシュニディアは振り向いて、懸命に説明する。


「あの、もちろんジュン兄さまがいやだったらそんなことしなくていいの。ジュン兄さまの人生は、ジュン兄さまの好きなように使うべきだもの。でも、その……この国で働くことが、ジュン兄さまにとって幸せだとは、私には思えなかったから。新しい人生の選択肢をあげたい、っていうか……もしジュン兄さまが私についてきてくれるなら、すごく助かるっていうか、この国で一生ヒレーナキュディオラの使い走りとして生きていくより、ずっとまともな人生が送れるんじゃないか、って思ったものだから」


「…………」


「ジュン兄さまの能力をすごく活かせるっていうか、今みたいに飼い殺しにされることはないっていうか。だってジュン兄さまくらいに優秀な人を、ただの情報収集要員としてしか使わないなんて、それこそ宝の持ち腐れでしょう。私と一緒に来てくれたら……仕事はすごく大変になると思うから、軽い気持ちで一緒に来て、とは言えないんだけど……なんていうか、少なくとも、この国よりも私の方がよっぽど、ジュン兄さまを必要としてるって思うっていうか……」


「…………」


「……その。今は単に、ジュン兄さまがうなずいてくれた時に、この国の方から待ったをかけられた時のために、許可を得ようとしてるだけで、ジュン兄さまが断る権利とかも当然あるから、その……」


「いや。いいよ。わかった」


「えっ……」


 ジュディオランは苦笑しつつ、やれやれと肩をすくめながらも、拒否感を示すことなく、ライシュニディアにうなずいてみせる。


「僕の正直な気持ちを言えば、この国に使われていること自体にはさして不満はないんだけれどね。僕は別に、勤労意欲に満ち満ちた人間っていうわけでもないし。ただ、まぁ……妹が、こんな風に必死になって、『助けてほしい』と言ってくるんなら……兄としては、手を差し伸べないわけにもいかないさ。王宮を飛び出した君が、僕に保護を願った時と同じようにね」


「お兄さま……!」


 ジュディオランに向けていた瞳を輝かせるライシュニディアに、ヒレーナキュディオラはやれやれと肩をすくめた。


「私にとっても、ジュンは役に立つ部下ではあるんだけどねぇ……ま、そこらへんはごく当たり前に、本人の意思を優先するべきか。それにどちらにしろ、まだまだ先の話だしね。あんたが自分の夢に必要な資金を得て、この国を出奔する段階まで至れた時に、また改めて話をするってことでいいね?」


「……ええ。それでかまわないわ」


 自身に対しては、あくまで硬い態度を崩さないライシュニディアを気にした風もなく、ヒレーナキュディオラはあっさりと告げる。


「なら、この話は終わりってことで。あんたの夢……というか目標か、に関しても、とりあえずは終わりでいい? それを叶えるというか、準備段階が終わるまでにだって、まだまだ時間はかかるでしょ?」


「それは……そうだけど。でもね」


「あんたの言いたいことはわかったわよ。でも、とりあえず今の段階であんたが必要としてるのは、教育の機会と、それに必要な金でしょ?」


「……ええ」


「なら、来年度からゾヌの学校に入学させてあげる。ゾヌは、金銭を取り扱うのに必要な教育については、教える側の人材それなりに豊富だからね。だけど、ゾヌで受けられる教育だけじゃ、ゾヌで大金を稼げるようにはなれない。だから、きっちり受けた教育を自分のものにした上で、何年か飛び級をして、成人までにこっちに戻ってきなさい。それができたなら、あたしの時間がある時に、ある程度は『経済感覚』ってやつの授業をしてあげる。主に実地でね」


「………! 私の要求を、受け容れてくれる、ということ?」


「あんたが有能だってことを示せれば、ね。現段階であんたが要求してるのは、学費と国外での生活費くらいでしょ。その程度なら、別に他の子供にだって、やる気と誠意……費用を利子付きで返却するぐらいの気概を示せば与えてあげてるもの。それに、あんたが本当に有能な財政管理能力を持つことができたんなら、あんたが国にいる間は私の負担が減るわけだし。断る理由ないでしょ?」


「…………」


「それに。あんたが、ゾヌの英雄と懇意にしてるっていうんなら……そして、その縁を活用するだけの頭があるっていうんなら、このくらいの特権を与えるのは当然でしょうよ。少なくとも、『この国の魔物を一時的にでも大幅に減らす』なんてことができるっていうんなら、できると英雄さまが主張するっていうんなら、英雄さまにも、彼らと縁を結んだあんたにも、相応の便宜を図る義務が、私にはある。騎士連中がどれだけ騒ごうと、国の舵取りを任された者として、騒ぐ連中を黙らせて、あんたたちを優遇する義務がね」


 言いながら視線をライシュニディアたちから、その背後に立つ自分たちの方へとずらし、ヒレーナキュディオラは問いかけた。


「もちろん、その言い分が駄法螺だ、なんぞと抜かすんならそれ相応の対応をさせてもらうけど。どうなの? 本当に、国中の魔物を減らすなんてことが、あんたたちにはできるわけ?」


「……勘違いしないでほしいんですが……国中の魔物を全滅させるなんてことは、僕たちにはできないし、できたとしてもしてはならない、と冒険者ギルドにも禁じられています。魔物という種の定義は、『魔力を操作することができる、あるいは魔力が生態の根幹にまで関わってくる場合を含めた、魔力に強い影響を受けている生物』のことですから、邪鬼の眷族でもない限り、その存在は環境構築要因に含まれている。人類の生存圏をおびやかす可能性が高いからといって、むやみに殲滅しては、生態系が狂い、かえって人類の害になることにもなりかねない」


 ネーツェが一歩前に進み出て、得々と説明を始めた。最初にこの話をした時は、突然すぎて戸惑う仲間もいたが、相談と術法による下調べを経て、今はもう仲間たち全員、冒険者の仕事の一環として、女王にその依頼をさせるために動いてもいい、と意見を一致させている。


「ただ、国全体を走査した限りでは、現在のビュゥユはいささか魔物の数が過剰です。アーィェネオソク平野に国がある以上、適切に魔物の間引きを行わなければそうなるのが当然でしょうが……現段階では、むしろできるだけ数を減らさなければ、魔物の大発生と暴走を招く危険さえある。それを防ぐために、大物を狙い討って国内の魔物の勢力を減衰させるということならば、冒険者の為すべき仕事としてはごく当たり前のものですし、僕たちの力で充分可能な範囲内の仕事といえるでしょう」


「ふん……勢力を減らすことはできる、と。で? そちらとしては、報酬はいかほどをお望み?」


「まずはそちらから値段をつけていただきたいですね。僕たちはこの国の魔物の勢力を大きく減衰させることができる。少なくとも、大発生と暴走を十年ほどは起こさないだろうくらいにはね。その仕事に、あなたはいかほどの値段をつけます?」


「……一人につき、百万ルベトでは?」


「ほう……本当にその値段でよろしいんですね? 大発生と暴走を十年間防止するという仕事に着ける値段がそれで?」


「さすがにこの値段じゃ無理か。……一人につき三百万ルベトでどう?」


「五百万ルベトくらいはいただきたいですね、こちらとしては」


「あなたたちの実績は邪鬼を一体倒しただけでしょうが。実績のない冒険者に払う報酬としては、三百万は破格でしょ?」


「『邪鬼を一体倒す』という功績を有している冒険者が、この大陸にどれだけいるか理解していただきたいですね。国防のために費やす資金として考えれば、合計二千五百万ルベトというのも破格の部類に入ると思いますが?」


 それからしばしヒレーナキュディオラとネーツェは丁々発止とやり合って、最終的には一人四百二十万ルベトを支払う、とヒレーナキュディオラが確約するに至った。ただしすべて成功報酬で、かつ魔物を倒している最中の光景を魔術でビュセジラゥリオーユ王宮に中継する、というのが条件だ(騎士たちを説得するのにその方が楽だ、と考えたらしい)。


 ネーツェは予想よりもはるかに高額の報酬を得られた上、それだけの大金に気圧されることもなく交渉をやり終えられたことに内心満足していたが、ヒレーナキュディオラの方も支払う報酬を予想よりはるかに少なく済ませられたことに内心喜んでいる、とロワにはわかった。


 ヒレーナキュディオラの考えるところによれば、自分たち(というか、ロワ以外のパーティの面子)のように、邪鬼を一パーティだけで倒すことができるような連中は、それこそ安全保障条約に匹敵するほどの安心をもたらすことができる存在であり、国家予算を費やして育成する国防軍と同等の戦力であるらしいのだ。なので、国家予算の単位で考えれば、小国かつ貧乏国家のビュセジラゥリオーユにとってさえ、一年で消費する防衛予算の百分の一以下で国防軍と同等の戦力を動かせる、という話になる。それは確かに、これ以上ないほどおいしい話に違いない。


 そんなヒレーナキュディオラの思惑をロワはおおむね感じ取っていたが、特に交渉に口を挟むことはしなかった。冒険者の報酬額としては相場通り、というかむしろ高めなくらいだし(普通にギルドを通した依頼の報酬の中では、だが)、なにより自分が仲間たちと同じ、英雄並みの報酬を自分がもらってしまうことは、申し訳なくてならないというかいたたまれないというか、頭を擦りつけて詫びねばならないような気持ちになってしまう話だったので、ロワとしては報酬が安くなる分には(自分たちが生きていくだけの金が稼げるならば)むしろありがたい、というのが正直なところだったのだ。


 自分だけ安い報酬で仕事を請けようという提案は、みんなに『仲間の中で一人だけ安い報酬で働かされるのを見るのは気分が悪い』『報酬の計算が面倒くさくなる』などとよってたかって否定されたので、しぶしぶあきらめてはいるが。今回のように、逆に、仲間たちが安い報酬で働かされるというのは、申し訳ない気もそれなりにするものの、急激に力をつけたからといってほいほい高額の報酬を払われる身に甘んじるというのはよろしくない、というロワの価値観とも相まって、『座視すべからず』とまでは思わないのだ。


 不当廉売になっていないか、という点については気になるが、受け取る報酬としてだけ考えれば相場よりも少し高いのは確かだし、あとでみんなに種明かしをして注意を促しておけばいいだろう。学びというのは、痛い思いをするのが一番覚えやすいのだ(今もってギルドの口座に一人一千億という額が預けられている仲間たちにとって、あまり痛い目にはならなそう、というのがなんなのだが)。自分が仲間たちにさんざん怒られれば、一応の落とし前はつくはずだ。


 そんなことを考えているロワの前で、ヒレーナキュディオラとネーツェは商談をまとめ、契約書を交わす(それを見たカティフがあからさまに怯えうろたえていたが、どちらにも無視された)。それが終わるや、ヒレーナキュディオラはすっくと立ち上がる。


「じゃ、話は終わりでいいね? 私さっさとジクトのとこに帰らせてもらうけど、他になんか言っとくこと、聞いとくこと、ある?」


「ジクト……?」


「父上だよ。ジッケッカニマト・ビィージェン」


「……ああ。そうね、一言言わせてもらいたいことがあるわ」


 ライシュニディアはきっとヒレーナキュディオラを睨みつけると、すっくと立ち上がり、十一歳の少女らしくまだ薄い胸を張った。全力でヒレーナキュディオラと対等に向き合おうとしていることが、誰にでもわかるほどに、気合と気迫を振り絞りながら。


「私は、あなたを軽蔑しているわ。憎悪すらしている。無計画に子供を作りながら、その子供たちに愛情を与えるどころか会うことすらろくにせず、大切に思っているという体裁を繕うことさえしない。頭にあるのは金を儲けることと、ただ一人愛する男と遊ぶことだけ。そんな親のことなど、まともに親だと思えるわけがないでしょう」


「…………」


「だから、私は、あなたなんかにこれ以上かかずらってあげない。あなたの有する価値あるもの、女王としての手腕、経済感覚、金を儲ける技術、すべて吸い取って、私は先に進んであげる。干からびたあなたの死骸を踏みにじって、私は私の行きたいところへ行くの。どうぞあなたはこれからもいつまでも、この女王国の歪みを、醜さを、見ないふりをしながら、なかったことにしながら、男と浮かれ遊んでおられればいいわ。あなたが死んだあとに、なにか残るものがあるのか、価値あるものを残すことができるのかについては、保証なんてまるでできないけれど」


 ふんっ、と鼻を鳴らし、半ばふんぞり返るほどの勢いで胸を張るライシュニディアを、ヒレーナキュディオラはしばし無言で見下ろし、こちらもふんっ、と鼻を鳴らした。


「あんたに保証してもらう気なんぞまるでないから。私の人生をああだこうだ品評できるほど、あんたは偉くもないしね」


「っ、曲がりなりにもあなたたちが作った子供でしょう、そのくらいの権利はあるわ。愛情なんてまるで注ぎもしなかった子供だけど。いえ、そうだからこそ、と言うべきかしら」


「ま、私たちがあんたたちに愛情なんてものを注がなかったのは確かだけどね。だってあんたたちは、私たちにとっては排泄物にすぎなかったんだから」


「っ!」


 ぎっ、と睨みつけるライシュニディアを見下しながら、ヒレーナキュディオラは堂々と言い放つ。


「まだ聞かされてなかったんだったら、張本人の一人である私がはっきり断言してあげる。私たちにとってあんたたちは、まぐわいの結果生まれた、不必要な排泄物よ。私がジクトに『孕まさせた』時の快感を味わいたいがために、避妊をしなかった結果できてしまっただけのね。あとは、妊娠している時のまぐわいを楽しみたかったから、ぐらい? ま、女聖術を使えば、妊娠期間は大きく短縮できるものね」


「……子供を作る理由として、これほど最低最悪な代物もそうないでしょうね。よくそんなことを、その子供当人に言えること」


「遠慮なく、正直に、忌憚のない言葉を聞きたいんじゃなかったの? それでも作ってしまった以上、産んでしまった以上、最低限の責任は果たしてきたつもりよ。親としてできる限りのことをした、なんて口が裂けても言えないけど、あんたたちがあんたたちなりに、まともに生きられるだけの環境づくりくらいはしてきたと思ってる。落伍する奴にまで手を差し伸べるような、親としての優しさだの愛だのなんてものには、縁のないやり方だったとしてもね」


「……そうね。私も、それは認めるわ」


 ライシュニディアがいかにも嫌そうにぼそり、とそう言うと、ヒレーナキュディオラは表情を変えないまま、一瞬わずかに気配を緩ませた。だが口に出す言葉はあくまで居丈高に、叩きつけるようにライシュニディアに放たれる。


「だから、あんたがそのやり方についてどう思おうが、私たちを嫌おうが憎もうがかまわないけど。私たちの方も、あんたに容赦はしないから。学費ぐらいはともかく、金を稼ぐ方法の教授なんてものは、あんたが優秀じゃなければ即打ち切るし、借金の取り立てについても遠慮をする気はまるでない。少しでも返済が遅れれば即契約不履行の罰則を適用させてもらう。それでいいのね?」


 鋭く厳しい言葉だったが、ライシュニディアはあくまで傲然と胸を張り、叩きつけられる言葉に、真っ向から立ち向かって跳ね返す。


「望むところよ。あなたなんかに容赦だの遠慮だのをされても、嬉しくもなんともないわ。言ったでしょう? 私はあなたの干からびた死骸を踏みにじって先に行くんだから。あなたはせいぜい愛する男妾と、いやらしいことをして時間を浪費していればいい」


 その言葉を聞くや、ヒレーナキュディオラはさっと顔をしかめ、声音の鋭さ厳しさは変わらないながらも、指導をする教師のような丁重さでもって、ライシュニディアに告げた。


「それはやめておきなさい」


「……なにがよ。あなたには私に命令する権利なんてなにも」


「親として言ってるんじゃない、年長者として子供の見苦しい振る舞いに注意をしてるの。相手の生き甲斐が、生きる楽しみが、たとえどんなに無価値で無意味なものに見えようと、それを蔑んだり、見下げたりする真似はやめなさい。心の中でならともかく、相手にそんな見解を告げるなんてもってのほか。それは相手の人生を否定することよ。どれだけしょうもない人生を送ってきたとしても、無意味で無価値な生だったと本人が認めていたとしても、それでも生き延びてきた人間の生を、上の立場からああだこうだ批判できるほど偉い人間なんて、どこにもいないわ」


「っ……」


「あんたの『貧困にあえぐ国々を救いたい』っていう人生の目的だって、『したいこと』っていう観点じゃ私の性衝動の解放と変わらない、っていう見方もできるしね。ま、どれだけ他人にいい影響を与えるか、って観点から見れば大違いだけど。ただ、その大違いってとこに……人生の目的の価値に自分の価値をゆだねるのはやめときなさい。それはむしろ自分の魅力を、自分の価値を下げることになるから」


「……ご忠告、どうも」


「どういたしまして。親と呼ばれる資格なんてない、一人の大人として、義務を果たしただけよ。……それじゃ、また、この国を出る時に」


 言ってさっさとヒレーナキュディオラはこちらに背を向け、足早に立ち去っていく。その背中が庭を出て建物の中へ入っていくのを見届けてから、ライシュニディアは苛立たしげに息を吐く。


「ほんっとうに……腹の立つ女」


「ラィア……」


 口を開きかけるジュディオランに、ライシュニディアは慌てたように首を振る。


「あ、勘違いしないでね。私はあの女が大嫌いだけど、それはあの女の人格が軽蔑に値すると思ってるだけで、親として子供をもっと愛するべきだ、愛してくれなんて少しも思ってないから。むしろ逆ね。心の中に子供に向けた愛がみじんもないくせに、愛しているふりや愛そうと努力しているところを見せられたって、嬉しくもなんともない。むしろ腹が立つし鬱陶しいとしか思えないわ。味のない実を一生懸命作ったからという理由で食べろと急かされたって、嬉しいわけがないし、そんなことをして好意が獲得できると考えてる相手には、苛立ちしか覚えないでしょう?」


「まぁ、確かにね……」


「……その年でよくそんなことすらすら思いつくなぁ……あっやべ」


 ぽろりと正直な気持ちがこぼれ出てしまったのだろう、カティフは思わずといったように漏らしてしまってから、慌てて隠れる場所を探し始めた。だがパーティ内で一番体の大きいカティフが、庭のあずまやなんて場所で隠れられるところなどどこにもない。いかにも身の置き所がない、という様子で冷や汗をかきつつ必死に視線を逸らしていたが、そんなカティフにライシュニディアは傲然と胸を張って答えた。


「私も、こんなことを自分が感じていただなんて、初めて知ったわ。不満のようなものはずっとあったけれど、言葉にすることがなかなかできなかったから。それをこんな風に形にすることができたのは、あなたたちが私を極東に連れていって、強烈な衝撃を与えてくれたおかげと……腹は立つけれど、あなたのおかげ、ということになるのかしらね、キジャ」


「は……はっ? 私が、なにを……?」


 唐突に話を振られて動転するキジャレオーネに、ライシュニディアはあくまで見下すように胸を張りながら詳しく解説してみせる。


「私は、この国が、女王国ビュゥユが大嫌いだった。だからどこか別の場所に行きたかった。でも、どこに行きたいのか、っていう気持ちはまるで定まっていなかった。だって私は、この国以外の場所をろくに知らないんですもの。ただ、書物や伝聞で、おとぎの国を夢見るように思うことしかできていなかった」


「っ………」


「それが、極東のあの国々を見て。人生で初めて、っていうくらいに強烈な衝撃を受けて……そして、自然に思ったの。こんな国を少しでも豊かにして、民人の幸福を導くためになら、私は自分の人生を費やせる、って。私がずっと求めていたのはその、自分の人生を費やせる、打ち込めるだけの価値があると思える挑戦だったのよ。このために生きていると言いきれる、全霊を賭して悔いのないと心から信じられる、それほどの価値のあることに自分の人生を使うことを、私はずっと求めてた。それを自覚した時、私がこの国とこの国に生きる民に対して、抱いていた気持ちの行き所も自然に定まったわ」


「……っつーと?」


「私はこの国の女どもが大嫌いだった。私のような子供をいやらしい目で見つめてくる連中が。だけど私はそれ以外の世界を知らなかったから、『私の方がおかしいんじゃないか』っていう想いにずっと怯えていたの。だから拗ねて、逃げて、癇癪を起した子供のように暴れることしかできていなかった」


「暴れてたんか、このお姫さま?」


「いや、道義に外れた振る舞いをすること全般を、そういう風に例えてるんだと思うけど……」


「あー、なる……」


「だけど、あの極東の国々の光景に、圧倒されていたキジャを見て……圧倒され、怯えながらも、そこから逃げることしか考えていなかったキジャを見て……私が怯えていた、私を打ちひしごうとする私の周りの世界には、この国の女どもには、私を圧倒するほどの力なんて、本当はまるでないんじゃないかって気づいたの」


「っ………!」


「へー……ってかむしろ、それまではなんで『ある』って思い込んでたわけ?」


「だって私はそういう連中しか知らなかったんだもの。そういう連中が圧倒的多数を占め、それ以外を迫害する世界しか。そんな世界が『当たり前』で『正しい』のが私の生きる環境だったのよ。威圧感を感じて当然でしょう」


「ふーん……そりゃま、そうかもな」


「私を打ちひしぐものとして、私をいやらしい目で見てくるこちらを攻撃してくる敵としてしか見えなかった相手が、その実さして世間を知らない、根性なしの小娘でしかなかった。この国の他の連中だって大同小異だろう。それなら、私の方が強いんじゃないか? 極東の国々のあの貧しさを見て、このままにしておきたくない、この世界を変えたいと思うことができた私の方が、人として強いんじゃないか? って、そう思うことができたのよ」


「へ? それ、どーいう理屈?」


「単純よ。あの貧しい国々を見た時の感じ方はもちろん人それぞれだろうけど、私は少なくとも天地がひっくり返ったみたいな衝撃を受けたわ。私のこれまでの人生が否定された……というか、あの貧しい人たちを踏みつけにして自分が生きている、みたいな気持ちになって、とても苦しかった。そしてキジャ、あなたも同じように感じた、と私には思えたわ。そしてあなたは、その上で、その気持ちに『見ないふりをした』。自分の心の安寧のためにね」


「っ!」


「? それがなんでつえーとかよえーとかの話になるわけ?」


「……別に私は見ないふりをするのが悪いとは思わないわ。自分の心身を守ることを最優先にするのは、生きる上でごく当たり前のことなんだろうと思う。ただ、その上で、自分が死に物狂いになれば助けることができるかもしれない人を助けないのは、見捨てるのは、ほっぽって知らないふりをするのは、怠惰で、惰弱な、根性なしのやることだ、って思うだけ。自分だけでも安楽な場所にいたい、苦しい思いをしたくない、っていうね」


「え、それ悪いって言ってんじゃないの?」


「違うわよ。私は弱いことが悪いことだ、とは思わないもの。怠惰で惰弱で根性なしで、っていうそんな自分の弱さを自覚して、自分を棚に上げることなく他人の弱さを責めることなく生きるのなら、それはそれでまっとうな生き方だと思うわ。単に、血を吐きながら現実と向き合っていく生き方よりも『弱い』っていう事実を言ってるだけ。強い人間と弱い人間がぶつかり合ったら、強い方が勝つのはごく当たり前のことだ、っていう事実もね」


「うーん、そりゃまぁそーか……」


「キジャはこの国の、ごくごく一般的な女の一人よ。それがこの程度の強さしか持っていないのならば、私はこの国のどの女と戦ったって充分以上にやり合えるって、『戦える』って確信したの。頭よりも、心が先に。そんな風に昂る自分の気持ちがどこからどうやって生まれたのか、自分の気持ちを整理していくうちに、さっきまでみたいな言葉を形にすることができたわけ」


「ふーん……」


 納得したようなしないような顔をしながらうなずく仲間たちをよそに、ロワは内心大したものだと感心していた。一応それなりの教育を受けているとはいえ、まだ十一歳にしかならない少女が、ここまできっちり自分の感じたことを言葉にできるというのは正直尋常ではない。


 ジュディオランとの生活の中でいろいろ感じることはあったのだろうが、ライシュニディア自身の才覚が優れていることは間違いないだろう。海千山千の商人がひしめくゾヌでそう簡単に国を救えるほどの金を稼げるかどうか、それは定かではないが、少なくともまるで見込みがないとは誰も言えまい。彼女自身の前途が明るいかどうかはともかく、彼女は一歩を踏み出したのだから。周囲を巻き込んで、大人の手を借りながらも、自分の意志で。ジュディオランも、やれやれと肩をすくめてはいるものの、不満そうな顔をしてはいなかった。


 ただ、振り回されいいように使われたあげくに、特に救いの手を差し伸べられることもなかったキジャレオーネは、一人うつむいて、自分の激情を抑えかねているようだったが。ライシュニディアはそれに気づくこともなく、あるいは気づいていても助けてやる気はない、という主張の表れなのかもしれないが、ひどくすっきりした顔をして、全員に向けて宣言した。


「さ! それじゃ、お兄さまの家に戻ってご飯をいただきましょう! あなたたちは明日大仕事があるんだから、今日の疲れをしっかり回復してもらわないとね!」


「お、もう飯できてんのか? ねぐらに戻ったらすぐ飯ができてるってーのは便利でいいよな」


「……時間的にはまだ少しかかるかな。基本的にうちの食事は、後宮の下宮の官吏をしている下男に作ってもらってるから、時間の融通を利かせてもらうわけにもいかないし」


「え、そーなの? だったらさ、もういっそゾヌまで転移して、そこで飯食わねー? ジュンの家の飯ってあんまうまくねーし。ゾヌの安くてうまい店とか教えてやってもいーぜっ」


「あら、いいじゃない! 来年には私はゾヌにいるんだし、ぜひ教えてほしいわ! ゾヌは美食の街としても有名だものね、懐に優しくておいしい店をあらかじめ教えてもらえるなんてすごくありがたいもの!」


「よーっし、んじゃさくっと転移するかー!」


「いや待て、その前に料理番の人に連絡しておかないと駄目だろうが! 作ったご飯が無駄になるだろう!」


「あそっか。じゃ、ジュン、さくっと連絡してー」


「……連絡はするけど、その前に魔術なりなんなりで変装しておいた方がいいんじゃないのかい? 君たち、ゾヌでは顔もしっかり知られているんだろう?」


「あっやべ。顔知られてるとか、こーいう時めんどくせーよなー。おいロワー! なにぼっとしてんだよ、早くこっち来いって!」


「……ああ」


 にぎやかに騒ぐ仲間たちのそばへとロワは歩み寄りながら、さりげなくキジャレオーネに顎をしゃくってみせた。こっちに来い、と。ここにいろ、と。まだお前は必要なのだと、想いを伝えようとする意思を込めて。

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