8-27 問答
ジルディンの転移術で、ビュセジラゥリオーユ女王国の、ジュディオランの屋敷の応接間まで一瞬で転移してくるや、真っ先に深々と安堵の息をついたのはキジャレオーネだった。やっとまともに息がつけた、という表情で、ライシュニディアに話しかける。
「では姫さま、王宮に帰還いたしましょう。男どもの穢れも、街の汚れも、すべて落として体を美しく磨かなければ」
「その前に、やらなくちゃならないことが、いくつもあるのよ」
ぎっ、と鋭い視線で睨みつけられ、キジャレオーネはびくっと体を震わせ、怯えたように身を退かせる。が、ライシュニディアは、そんなキジャレオーネに、苛烈な厳しさに満ちた声で、きっぱりと命令した。
「キジャ。あなたに聞きたいことがあるの。あなた、さっきまで私たちがいた街のことを、どう思った?」
「は……?」
「今ここで、はっきり話して。私だけじゃなく、他の人にも聞こえるように」
「は……はっ。承りました」
顔を白黒させながらも、キジャレオーネは口を開く。戸惑いなく、遠慮なく思うところを口にする。
「有体に申し上げれば……この世の地獄、かと」
『…………』
「男どもが見苦しく蠢いているだけでも充分その名に値することでしょうが。それのみならず、女たちすらも男どもに毒されて、見苦しく汚らわしい存在に成り下がっている、と私には思えました。女として生まれながらまともに身づくろいすらせず、いかに女聖術がないとはいえ、あのように醜い姿をさらすなど、まっとうな女性としての心があるならば耐えられぬ所業のはず。そのような愚行を為して恥じるところもない、そんな輩など『女性』と呼ぶに値しますまい」
『…………』
「ゆえにこそ、我がビュゥユ女王国のすばらしさを再認識いたしました。このようなすばらしい国は、大陸中どこを探しても二つとあるまいと。道行く女性たちはすべて真っ当な、女性同士愛し合うことのすばらしさを知る人々ばかり。そして薄汚れた他国の女どもなど比べようもないほど美しく、誇らしやかに道を闊歩している。そのすばらしさ、ありがたさ。私も騎士の端くれとして、この美しい、すばらしい国を、これからも守り続ける一助とならなければ、と心底痛感いたしました。この国があのように、汚らしい女どもで満ちる未来など、想像したくもない。断固として戦わねば、護らねば、と」
堂々と言いきったキジャレオーネに、ライシュニディアは厳しい表情を崩さず、ぎろりとキジャレオーネを睨みつけて言い放つ。
「……あの人たちが、どれだけ貧しいのか知っていて、それを言うわけ? あの人たちよりはるかに安穏とした環境に生きているあなたが。安全地帯から、あの人たちを批判していい、と? 明日食べるものにも事欠くことが日常的な人たちに、美しく身づくろいができない女になど生きる価値はない、と一方的に?」
「それはっ……」
キジャレオーネは一瞬口ごもったが、それでも大きく胸を張る。
「だからこそ、我らがビュゥユ女王国をあのような国にせぬように努力せねばならぬのでしょう! 私は女王国の騎士です、美しい女性たちを守る美しい騎士であり続けたい! そのための努力を惜しむつもりはありません!」
「私はそんなことを聞いてるんじゃないの。あなたには、罪悪感はないのか、って言ってるのよ」
「っ……」
口ごもったキジャレオーネに、ライシュニディアは畳みかける。
「あの人たちが自分で選んであんな環境にいるとでも? 生まれた時からあんな貧しい国しか世界を知らず、教育を受けることもできず、生きるだけでも必死にならなくてはならない、そんな環境で生き抜いている人たちを、真面目に働いていれば食べるに困らない国で、女性同士の性交なんて安易な手段で若さと美しさと強さを保てるなんて術法すら与えられている、私たちに蔑む資格があると、見下げていいと、本当に思っているの? 罪悪感の欠片も感じない、と? 申し訳ないとすら思わないわけ?」
「………っ、そんな、ものは……私たちが感じる必要なんてないものでしょう」
「感じる必要が、ない。そう言うのね、あなたは」
「っ、だってそうでしょう!? 私たちが幸せな環境に育ったからといって、罪の意識なんて感じる必要がどこにあるんです。私たちが彼女たちからそれを奪い取ったわけでもなんでもないでしょう!? まるで関係ない話じゃないですか、それとこれとは!」
「だから、蔑んでもいいと?」
「っ………! だって、私は!」
「あなたは?」
「っ、私は………」
うつむいて、言葉を途切れさせるキジャレオーネに、ライシュニディアは鋭く言葉を叩きつける。
「どう思っているというの。はっきり言葉にしていってみなさい。あなたは自分を騎士だと言ってのけたのよ? 自分の思ったことを口にする勇気もない人間が、偉そうに言っていい言葉じゃないなんて、私よりもあなたの方がよほど知っているでしょう」
「っ………!」
かっと顔を、おそらくは憤激で赤くして、キジャレオーネは顔を上げライシュニディアに叫ぶ。その眼差しは苛烈で、睨んでいると言っていいほどで、これまで姫に仕える守護騎士としての職分をできるだけ果たそうとしてきた彼女が、初めて見せた、ライシュニディアに対する激情だった。
「だって私は! あんなもの……あんな世界! 見せられたくなんか、なかったんですよ!」
そこから堰を切ったように、わめくように、罵るように、怒鳴り散らすようにまくしたてる。その瞳の端には涙がにじみ、声は震えていた。さっきまで見ていたものが、彼女にとっても、どれだけ重かったのかを知らしめるくらいには。
「だってそうでしょう!? 私たちは幸せなのに! ここにいて、ビュゥユにいてこんなに幸せなのに! あんな醜くて汚らしい世界を見せられてなんになるっていうんですか!? ただただ嫌な思いをするだけじゃないですか! 潰れた虫の死体を見せられたようなものですよ、見るだけでぞっとして吐き気がして、近づけられただけで叫んで逃げたくなる! あんな、あんな世界がこの世にあるなんて、知らない方がずっといいじゃないですか!」
「実際に存在するものをなかったことにするというの? それが現実の災害に立ち向かわなくてはならない騎士が言う台詞?」
「だって! あんなもの見せられても、私にはどうしようもないじゃないですか! 大陸のはるか彼方であんな不幸な女たちがいるって見せられたって、私になにができます!? 祈ったところで、哀れんだところで、あの女たちが幸せになるわけでもなし! ただ私が嫌な思いを引きずるだけじゃないですか! それならさっさと忘れて、なかったことにしてなにが悪いんです!?」
「なにかできたらしていたというの? 実際にできることはあるのよ、いくらはるか東方にあるとはいえ、船が通じていないわけじゃない。あそこにいる人たちを心の底から哀れむなら、あの地まで船で向かって、環境の改善に人生を捧げればいい。やれないなんてものはただの言い訳でしょう?」
「っ……っ! ええそうですよそれが悪いですか!? 私はたとえできたって、あんな場所のために、あんな女たちのために指一本だって動かしたくない! あんな汚い、気持ち悪い、醜い女たちのために! そんなことをするよりこの美しいビュゥユを守ることの方がずっと」
「心地いいんでしょう? この国の『美しい』女たちとも、毎日楽しくいやらしいことができるものね。それが気持ちいいから、楽しいから、それ以外のことなんてやりたくない。それが本音でしょう?」
「っ…、っ……、っ! 悪いっていうんですか!? それのなにが悪いんですか! 正常な女だったらそちらを選ぶのが当たり前ですよ! あなたみたいにおかしな考えにとりつかれていない、まともな女だったらそちらを選ぶのが普通でしょうが!」
「笑わせるわね。正常? 女性同性愛が正常ですって? この大陸中で、ビュゥユ以外でそんな言い草が通ると本気で思ってるの? 現在ほとんどの国家で女性同性愛は犯罪ではないわ、だけど他の国々で女性同性愛者であることを明らかにして、有形無形の差別を受けないとでも? 大陸のほとんどの国家で『正常』なのは異性愛であり、同性愛は後ろ指を指されるのが普通。それを無視して、どこでもまかり通る違えないようのない事実であるかのように、女性同性愛が正常、だなんてよく言えたものね」
「いや、ライシュニディア王女、それは――」
ライシュニディアの言いように人倫的な問題を感じたのだろう、こういった複雑な問題に敏感なネーツェが口を挟もうとしたが、ライシュニディアに鋭い――そしてどこか狂おしげな瞳で睨まれ、気圧されて口を閉じる。
「あなたたちは黙っていて。私は彼女と話をしているの。――女性同性愛者を蔑む連中だって、今現在この大陸には厳然として存在しているのよ。それなのに、女性同性愛が正常? 国際的な常識というものを、あなたはまるで知らないようね」
「っ! あなたは、そんな連中の味方をするんですか! このビュゥユに、すばらしき女たちの国ビュゥユに、王女として生まれておきながら!」
「別に味方をする気はないけど、あなたの知性の低さには心から呆れ果てているわ。自分がどれだけ狭い世界にいるか知らない、知ろうともしない。そしてその狭い世界さえ幸せであれば足れりと、世界はすべて正しく運営されていると思い込めるその考えの浅さ、心根の醜さ。さっきまであれだけ強烈な衝撃を受けながら、それをさっさと忘れることしか考えていない。そんな人間がこの世すべての男を蔑む? 笑わせないでよ。あなたのような人間こそ、世界中の人間に蔑まれるのが当たり前なのに」
「あっ……あなたにそんなこと言われる筋合いありませんよ! 正気を疑うのはあなたの方でしょう!? この美しきビュゥユに生まれ、王女として育ちながら、女同士で愛し合う正常な営みをけなす!? それこそ頭がおかしいとしか」
「『女同士で愛し合う営み』をけなしてるんじゃないわ。あなたたちの知性の低さをけなしてるのよ。『女同士で愛し合うのが美徳』という考えを当然のこととして、それに馴染めない人間を『頭がおかしい』と非難する。それこそ女性同性愛者をそう非難した、『当たり前』の『一般的』な人間たちのようにね。自分たちがやられて嫌だったことを人にはやらない、その程度のことも覚えていられない頭の悪さで、非難されないなんてよく思い込めたものね。そんな国を創り上げてしまった私の先祖たちも、よほど頭がどうかしていたとしか思えないわ」
「太祖さますらも非難されるんですか! このっ……この国を、この美しきビュゥユを否定するんですか!」
「ええ否定するわよ。私が私の生きたいように生きられない国を、否定してなにが悪いっていうの。かつての女性同性愛者たちだって、そうやって自分を迫害する人たちを否定してきたんでしょう? それなら私だって同じことをして、なにかおかしなことがあるとでも? かつてこの国を創った人々もやっていたことだというのに?」
「そっ……れと、これとは話が別でしょう!? 私は……ビュゥユは、すばらしい国だって……世界で一番、美しい国だって……」
「要するに、あなたは『自分たちは正しい』と思い込みたいだけ。『自分たちはすばらしい』と思い込んで、現実に存在する理不尽や不幸に見ないふりをしたいだけ。『自分たちだけ、自分たちの理屈で、すばらしく幸せ』でいたいだけ。そのためなら他人をいくらでもけなすし、否定するし、蔑む。その理不尽を当然のように見ないふりをしながら、他人に攻撃されればその理不尽に憤り、全力で叩きのめそうとする。理不尽な理屈で、理不尽な行為で。これを最低と言わずなんと言えというの?」
「っ………!!」
「もう一度言うわ。あなたは、最低よ。世界で最低の女たちの一人よ。あのはるか東国で苦しみながら生きながらえ、かつて傷つけた少年のことをまるで覚えていないくせに、他人から奪えるものは必死に奪おうとする女たちよりもね」
「っ………、っ……、っ………!!」
「――――」
「反論があるなら言ってみなさい。ビュゥユは最低の女たちの集まりだ、という私の言葉が間違っている、っていう自信があるのならね」
「あなたは―――!!」
キジャレオーネは拳を振り上げ、ライシュニディアにつかみかかる。が、警戒していたこともありロワでも反応を間に合わせることができた。間に割って入って、キジャレオーネの拳を体で受け止めながら、懸命に押さえ込もうとする。
キジャレオーネは感情を抑えきれない、というか抑えるつもりもないようで、全力で暴れロワを振りほどこうとしながら喚き散らした。
「なにが悪いっていうんですか! ビュゥユのどこが! 正常な女たちの、世界一幸せな国のどこが! なんで非難されなきゃいけないんですか!」
「あなたたちが自分の犯している罪を棚に上げて、人を非難しているからよ。自分たちだけの世界を創って、その外にあるものに見ないふりをしているからよ」
「それのどこが悪いんですか! 私たちは、私たちだけ、幸せであればそれでいいのに! それのなにが悪いんですか! 女同士愛し合うことを非難するような、外の連中と断絶したい気持ちが間違ってるっていうんですか! 外の世界と、あんなに醜くて汚らしくて、しかも私たちを否定するような連中と、関わり合いになりたくないなんて、当たり前の気持ちじゃないですか!」
「外の世界があなたを否定した、ですって? あなたは外の人たちと、話すらもしていないのに?」
「私はずっと否定されていた気分でしたよ! 道を歩いているのは男たちか、醜い姿を無様にさらした女たちばかり。女同士愛し合うのを当然としない連中ばかり! そんな奴らが当然のように眼前をうろついているっていうことが、どれだけ苦しいか、どれだけ辛いか! ビュゥユが、この美しきビュゥユが、女同士愛し合うことを当然としてくれる世界がどれだけありがたいか、幸せな世界か!」
「…………」
「そこに戻ってこれた時の、ほっとした気持ちが、自分を否定しない、受け容れて愛してくれる世界に戻ってきた時の気持ちが、あなたにわかりますか!? 自分にとって当然以前の、人生に密着した在り方を、世界のなにより正しいと認めてくれる国のありがたさが! それ以外の世界を見たくないなんて当然じゃないですか、私は、私を否定する世界なんて、断じて見たくも、関わりたくもないっ! ぜんぶぜんぶ、滅びてしまえばいいっ!!!」
絶叫して、それ以上言うべき言葉が見つからなかったのだろう、脱力して荒い息をつきながらうつむき喉の奥で呻き声を上げるキジャレオーネを、ライシュニディアはじっと、静かに、冷徹さすら感じる眼差しで眺めつつ、訊ねる。
「言いたいことは、それで終わりでいいのね?」
「っ………」
「それなら、たぶん、私の望みはかなうわね」
「え……」
力なく顔を上げるキジャレオーネをよそに、ライシュニディアはジュディオランに向き直った。
「お兄さま。私、女王陛下に面会の申し入れをしたいと思うのだけれど、どれくらいの時間でかなうかしら」
「……少なくとも一週間はかかるでしょうね。女王陛下は、親子の情理よりも国策を優先させる方だから。そしていつも、毎日毎日、朝から晩まで忙しく仕事をしていらっしゃる方でもある。そこに面会を横入りさせるのは、よほどの理由がないと……」
「そう……そう、でしょうね。できれば、この人たちがまだこの国にいるうちに、話をしたかったのだけれど……」
ため息をつきながら眉を寄せるライシュニディアの、その眉間に寄った皺を見た瞬間、ロワは息を呑んだ。その皺の寄り具合が、ロワの中に、はっきりと苦痛を刻んだのだ。彼女の苦痛、そして執念と我欲とそれ以外の想いを、ロワの心魂は丸ごと受け取った。
だから、今回迷惑をかけ放題にかけた自分がこんなことを言っていいのか、と震え怖気づく心に蹴りを入れ、必死に顔を上げて仲間たちに問うた。
「………みんな。せっかくだから、この国でも、仕事をしていかないか」
「へ……?」
「仕事って……なんの?」
「冒険者の仕事だよ。魔物退治さ。そのための売り込みを、させてくれないかな」
「………というと?」
ロワは今にも震えそうになる顔を懸命に上げながら、きっぱりはっきりと言いきる。
「ビュセジラゥリオーユの女王陛下に、この国の魔物を一時的にでも大幅に減らす作戦に興味はないか、と誘いをかけたいんだ」




