8-21 授業・3
二十一刻。応接室に、今朝と違う服だが同様に簡素な装いで、女騎士を従えてライシュニディアは現れた。ジュディオランもいつもの女装で、しずしずとその後について部屋に入ってくる。
どんな顔をすればいいのかわからない、と書いてあるような顔でライシュニディアはロワの向かいのソファに座った。女騎士はその背後で、居丈高に胸と顔を反らせてこちらを見下ろす。ジュディオランはその後ろに立ったままなのでしばし困惑して眉をひそめてしまったが、すぐにこの場の上位者である自分が席を勧めないとこの人は座れないのか、と気づいて「ジュディオラン、あなたも座ってください」と告げる。
いつも通りの配置で顔をつき合わせてから、一度深呼吸したのち、ロワはできるだけ静かで、穏やかな声で話し出した。
「今回は、一度別方向からの授業をしてみたいと思います」
「別方向……?」
女騎士の口がもごもごとうごめく。たぶん、いつものように自分を上の立場から嘲りたかったものの、実際にやるとライシュニディアからお叱りを受けてしまうのでそんな反応になったのだろう。正直助かる。この授業は術法を使えばいいというものではないので、彼女にかまっている余裕がない。
「そうですね……まず、ライシュニディア王女。あなたに聞きたいんですが」
「……なに?」
「あなたの嫌いなものはなんですか?」
「え?」
目を瞬かせてから、疑わしげな顔になってロワに向けて問いかける。
「それ、聞かなきゃならないことなの?」
「はい。少なくとも俺は、必要なことだと判断しました」
「……そう。嫌いなもの……って、どういう分野で? 嫌いなものってだけじゃ、多すぎて言いきれないんだけど?」
「この国で嫌いなもの、っていうのではどうですか?」
ロワの言葉に、ライシュニディアはまた目を瞬かせて、背後の女騎士は射殺しそうな目つきで自分を睨み、ジュディオランは微妙に視線を逸らしつつ口元を扇で押さえる。それでも自分が黙ってじっとライシュニディアを見つめていると、幼い王女はふんっ、と鼻を鳴らしてみせた。
「それこそ多すぎて言いきれないわよ。この国の決まりも嫌い、常識も嫌い、そこに生きてる人間も嫌い。城の中にいる人間も、城の外の人間も、街の外、村にいる人間だって、どいつもこいつも大嫌い。全員死んでくれればいい、って心から思ってるわ」
「姫さま……!」
背後で女騎士が思わずといったように悲しげに呻くが、とりあえずそちらを相手にすることはせずに、続けて問いかける。
「どいつもこいつも全員、というのは本当に全員ですか? 一人残らず、ただひとつの例外もなく?」
「………そこまでは、言わないけど。その、そうね……少なくとも、私の会ったことのある、女の国民は間違いなく全員、って言い換えるわ」
「なるほど。それだと確かに多すぎてぴんとこないので、好きなものを聞いた方がよさそうですね。この国で好きなものは、なにかありますか?」
「えぇ……この国で? 好きなもの、って言われても……。思いつかないわ。私この国には、物心ついた時から悪印象しかないもの」
「それなら、『この国で』と限らずに、単純に好きなものでは?」
「ええ? そうね……うぅん……。甘いものとかは、普通に好きかな。お兄さまが週に一度出してくれる、ゾシュキーヌレフ製の焼き菓子とか。あとは……本とか。他の国の法典とかを読むのが好きなの。この国の常識がおかしいんだ、ってことを教えてくれるみたいで。同じ理由で、社会学の論説とかを読むのも好きよ」
「……あなたは相当頭がいいんですね。庶民からすれば英才教育と呼べるだろうものを受けていることを差し引いたって、そんな難しい本をその年で当たり前みたいに読める人は、そうそういないと思いますよ」
「え? そ、そう? ……と、というか、あなたに褒められても不気味だから、そろそろこの質問にどんな意味があるのか教えてもらえない?」
「俺は、あなたのことを、『あなたにわかるように』『わかる』必要がある、って思っただけですよ。自分のことをまるでわかっていない相手にああだこうだ言われても、苛つくだけでしょう。なにを言うにしろ、あなたに、俺があなたのことを『わかっている』と思ってもらわないと始まらない、ってことです」
「なによ、それ……私がそんなに簡単にわかられてしまうほど単純な性格だと言いたいの?」
「それは知りませんけど、俺には女神さまから授かった術法があるので。人を底の底まで『わかる』のが、すごく簡単になってるんですよ」
「じゃああなたは今私のなにをわかっているっていうのよ。言ってみなさい」
少しばかりムッとした顔で挑戦的に言ってくるライシュニディアに、ロワは少し考えてから答えた。
「なんて言っていいかわからないから言葉にも態度にも現したことはないけれど、生まれて初めて自分の抱いている違和感と拒否感を受け容れてくれて、できる限り力を貸すと言ってくれたお兄さんに、あなたが深く深く感――」
「わかったっ! もうわかったからっ、その話これ以上続けたら許さないからねっ!」
ぱんぱん、と少女の細腕で応接机を叩き、顔を赤くして息を荒げるライシュニディアに、初めて可愛いと思えるところを見たな、と内心心和まされながら、顔はあくまで平然と、「わかりました」とうなずいてみせる。その対応に少しは安心したのか、ライシュニディアはまだ赤い顔をぷいっと逸らしながらも、ぽそぽそと小声でつぶやいた。
「……そんなことまでわかるんだったら、別に私にあれこれ聞く必要ないじゃない。私の心なんて、全部読めてるんでしょう?」
「いえ、俺の術法は、あくまで自分の心と相手の心を同調させる――近づけるためのものです。相手が今どう感じているかとか、どう苦しんでいるかとか、そういうことはわかっても、『なにに』苦しんでいるか、みたいな具体的な情報は、基本的には断片的な想念から想像して間を埋めていくしかない。まぁ、深く同調しきって心と心で話す状態に陥ったりとか、心の声が聞こえたりとか、そういう例外的な事態もありますけどね。だから俺は、あなたが強い嫌悪感と軽蔑を感じていることはわかっても、その気持ちが『なにに』向けられているのかっていうことは、あなたが教えてくれるまでわからなかった」
「あ……」
「だから、俺がわからなかったところを埋めていきたいんです。あなたに伝えるべきことを、正しく伝えるために」
「そ、そう……。………。し、しかたないわね。確かに私のことをなにも知らない相手に偉そうに言われるなんてごめんだし、まぁ、そうね。聞かれたことには答えてあげる」
「ありがとうございます。……じゃあ次の質問いいですか? あなたの将来の夢って、なんですか?」
「将来の夢……? そんなたいそうなもの、別に、ないけど……」
「じゃあ、首尾よく外の学校に入って勉強して、卒業することができたなら、現時点ではどんな職業に就きたいと思ってますか?」
「……現時点で、ってことなら言うけど。とりあえず、私が今手に入れられる情報の範囲内で一番いいな、って思ってるのは、官僚……法務関係の官僚ね。これまで一番読んできた本がその関係だから。でも、まぁ……正直に言うと、この国を出られるなら、この国の外で生計を立てられるなら、なんでもいいっていう気持ちが一番大きいわ」
「なるほど。じゃあ次は――」
それからもいくつも質問を重ねたのち、ロワは小さくうなずいて、端的に告げる。
「なるほど。つまり、あなたはこの国の在り方を嫌うことに人生のほとんどを費やしていて、それ以外のものに目を向ける余裕がないんですね」
「……そう、なるでしょうね」
ライシュニディアはムッとした顔をしながらも、首肯してみせる。これまでの質問の答えのほとんどが、『ビュセジラゥリオーユ女王国に対する嫌悪と拒絶』に基づくものだった、ということはさすがに自覚せざるをえなかったのだろう。
だが、それでもそのまま言われっぱなしのままではいなかった。きっとこちらを睨みつけ、胸を反らして、これまでのように高飛車に言葉を叩きつけてくる。
「だけど、それがなんだっていうの? ひとつの気持ちで人生が支配されているのが、そんなにいけないこと? それならあなたはどうなのよ。あなたは自分の行いが感情から自由になっているとでも言うつもり? 過去の苦痛の記憶のために、小国とはいえ一国の支配者に喧嘩を売っておきながら?」
「俺の場合は、感情というより制約、といった方が当たってる気はしますけど。あなたの言いたいことはわかります。だから別に、俺はそれが悪いとは思ってませんよ。事実を言っただけです」
「……ふぅん……」
「まぁ人生を豊かなものにしているか、っていうと首を横に振らざるをえないだろう、とは思いますけど。そんなのは別に他人に強制されるものじゃないだろう、とも思いますし。その気持ちに対してどう決着をつけるか、っていうのは俺もあなたも、自分で決めることだ。そこに他人を踏み入れさせるとしたら、その他人が人生懸けて自分を想ってくれていて、自分も人生懸けてその人に想いを返したい、って思ってる場合くらいでしょう」
「……っ、つまり、なにが言いたいのよ」
「そうですね。まずは提案です」
「提案?」
「あなたが今代の女王陛下、ヒレーナキュディオラ女王に私的な会見を申し込んでみないか、っていう提案。そしてその会見の中で、外国に留学するだけの学費と生活費を確保できるよう挑戦してみないか、っていう提案です」
「な………」
「バカを言うなっ!!」
女騎士が絶叫し、抜き放った剣をロワに突きつける。ライシュニディアの背後に立っているところから剣を突きつけてきているので、護るべき相手であるライシュニディアの頭上に長剣を架け渡すような形になってしまっているのだが、あまりに激昂しているせいでその辺りのことが頭から吹っ飛んでいるらしい。
「女王陛下に対し、国を人質に王女殿下の身柄を要求する時点でこの上ない不敬だというのに! それに加えて図々しくも、国庫からさらに金をかすめ取るというつもりか! 許すまじ、断じて捨て置けぬ! そのそっ首叩き落として女王陛下に――」
「黙りなさい、キジャ!」
女騎士のわめき声が、ライシュニディアの鋭い一言でぴたりと止まる。それは半ば反射的なものだったようで、女騎士はひどく不満げな顔で、というより王女を非難するようなまなざしで切なげに見つめたが、ライシュニディアはロワから目をそらさず、敵意や殺意と見紛うほどに鋭く真剣な眼差しを叩きつけてくる。
「どういうこと? あなたは、そんな提案に勝算があるとでも考えているの? 私の知らない、女王陛下を動かせるほどの情報を持っているとでも?」
「別に、機密情報を読み取ったとか、そういうわけではないですが。この提案の勝算はそれほど低くない、とは思ってますよ」
「……なぜ?」
「単純な話です。女王陛下は、自分の子供でも、将来の女王になる気もないような子供には、大金をかけて養育するつもりはない。国の役に立たない子供に金をかけるつもりはない。――なら、別に女王になる子供じゃなくても、ビュセジラゥリオーユの役に立ちうる子供ならば、それなりの金は出すつもりがある、ってことでしょう」
「! それって……」
「はい。俺は、あなたに、『一時的に』この国の官僚として働く代償として、他国に留学して快適に勉強できるだけの教育費を請求してはどうか、って提案してるんです」




