表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
統一地方選挙と手榴弾-2  作者: もずみ 吟
1/1

統一地方選挙と手榴弾の続き

外回り


「さて、行きましょうか? おいおい。支持者を前にしてコートを着ていてはいけませんよ。体中にカイロを貼って対策してくださいね」

「え~」

「うそ~」

「この寒さでー」

「はいはい。ゴチャゴチャ言わない。ピシッとしていた方が見た目もいいし、誠実さが伝わるでしょ。営業は気合と根性も必要って事。さて、タダスさんの方はどうなっているかな? オレ達も負けないように、しないとね。まず、オレが十件飛び込みをやって見せるから、参考にしてくださいね」

 ゆっくり車を走らせているうちに、今日の予定の現場に到着する。ド田舎なので駐車禁止になっている所の方が珍しいぐらいだ。とはいえ、住宅街になりつつあることと、誰が見ているか分からない事もあるので、駐車場所には気を払う様に全員に伝えてある。

「寒い」「寒い」と、言いながら学生二人は車を降りる。

「太郎さん。本当に飛び込みするんですか?」

「当たり前でしょ。だから、ここに居るんでしょ!」

 青い顔をした二人を連れて一軒の家の前に立つ。後ろから学生二人の緊張が感じられる。しかし留守。二軒目も留守。三軒目のチャイムで五十代ぐらいの主婦らしき女性が「はーい」と出てきた。

「お忙しい所恐れ入ります。わたくし、伊藤正の後援会事務所の山田太郎と申します。この度、四月に行われる椿町町議会議員選挙に出馬するにあたって、ご挨拶にお伺いたしました」

「伊藤さん? 三ヵ月前に引っ越して来たばかりだから、椿町の事全然知らないんですよねぇ。いきなり選挙の挨拶って言われてもねぇ」

「そうかもしれません。しかし、四月の統一地方選挙はもうすぐ行われます。そして、こ

のままではほとんど何の情報も持たずに投票所へ行かれる事になるのではありませんか?」

「そうかもしれないわね。でも、引っ越してきてあんまり経っていないし…」

「情報としましては、椿新聞、広報誌、公民館前の掲示板、回覧板、町のホームページ各政治家のホームページ等でいろいろ発信されていると思いますが、伊藤正は現職の政治家ではありません。ですので町の広報誌には載っておりません。それでこうして伊藤正の事をお伝えしに、回っております。伊藤正は『§ΔΘΞΨΦΣ』をやろうとしています。椿町がモデルケースにになって、日本中に広がる可能性のあるスケールの内容を考えております。これからネットの方でも様々な事を発信して参ります。ぜひ今後ともよろしくお願いたします」

「分かったわよ。応援してあげる。頑張ってね」

 太郎は、ありがとうございますと深々と頭を下げる。後ろに並んだ学生二人も揃って一礼する。

 五十メートルぐらい移動したところで手持ちの地図に、何月何日に誰に会ったかを書き

込み、OK、NG、NICE、そして他の政党や候補者を応援しているか? 無意味に嫌わ

れているか等、全て記入していく。今の場合1¦19 ⓜ記入しOKを意味するマーカーを

引く。直接OKと文字に起こしてしまうと、誰かに読み取られてしまう可能性があるから

だ。四軒目。やはり出てきたか。

「ウチはオヤジの代からの付き合いのある公公党を支持している! 総統教の信者じゃ!

帰れ。」

「そうでしたか。それはそれは失礼しました。また何かありましたらよろしくお願いしま

す」と、四軒目を後にし、しばらく歩いたところで苦笑いする。

「何か、見るからにケンカ腰でしたね」

「公公党の看板出しときゃいいのにね。ま、それほど大物じゃないのかもねぇ―」

 学生二人はゲラゲラ笑っている。

「さぁさぁ。次へ行きましょう」

 次々と回っていくが、十軒目まで全て留守だった。まぁいいか。

「それじゃあ後ろにオレが控えているから、大久保君行ってみようか」

「あ…はい」

 一軒目。初めてチャイムを押す緊張感が伝わってくる。そして二、三軒目まで留守だった。四軒目。ピンポーンとインカム機能付きのドアホンで「お忙しい所恐れ入ります。わくし、伊藤正後援会事務所の大久保と申し…」と声をかけた所、反応があった。

「なに~! 今行く。待ってろ」と怒鳴りながらインカムを切り、八十代と思われる男性が杖をついて出て来る。老人は大久保と横に立っていた太郎を睨みつけ食って掛かる。

「おい! お前」

「は、はい。何でしょう?」

「お前! 選挙で個別訪問が禁止になっているのを知らんのか?」

 黙って見守っていると、大久保は勇気を出して答える。

「個人と書く個別訪問は禁止です。でも、トビラの戸と書く戸別訪問は問題ありません。今の所何の問題も無い上にこちらは、投票依頼もしていません!」

「何だと小僧!」と言っている所を太郎は制止する。

「まぁまぁ。我々は直接投票依頼をした訳でもありませんし、個別訪問もしていません。警察でも選挙管理委員会にでも通報してもらって結構です」

「じゃあ今、写真を撮る」

「そうですか。じゃあ、ご主人もご一緒に写真に映りますか?」

「お前! バカにしとるのか?」

「いえいえ。失礼ながらひ孫みたいな人間に法律で論破されて腹を立て、ただ単に冷やかしで我々にケンカを吹っかけておられるんじゃないですか? ですが、せっかくお目に掛かれたんです。よろしければ伊藤正をよろしくお願い致します」

 太郎はわざと深々と頭を下げ、門を出た。

 その後、一区画別の道で太郎は地図にOKとマーカーを入れる。

「何で今のがOKなんですか?」と二人に尋ねられる。

「こちらの言う事に対して、強く出てやり返されて、怒って反論してもまた半分馬鹿にされたみたいになって、つまりただ遊び相手が欲しかっただけだと思うよ。オレが思うに。

だから、オレは今回はOKにしておくよ。次に行って同じ調子ならBADにするけどね。さ、次行きましょうか」

 その後、全員が七、八軒、政策の説明を伝えることが出来たのを最後に初日の飛び込みは終わった。

 そして、伊藤家で休憩後ミーティング。やはり、初めてチャイムを押してから、出てきた人と話すというのが思っていたより本当に怖かったという意見が多かった。一旦、考えや伊藤正やその政策情報を統一した後に、太郎が口を出す。

「情報に関しては、自分たちが無知なだけです。でも今日、飛び込みをやって改めて思ったことがあります。物を売り込む営業マンではなく、伊藤正を売り込む営業マンだって言う事です。伊藤正に関することは可能な限り知っておかなくてはならないけど、外交の事や憲法の事は町会議員の仕事じゃないから、お答え出来ませんって言ってもいいと思うんだ。どう思う、タダスさん?」

「確かにお前の言う通りだ。これからの椿町の行く末や、十八議席ある議員がどの会派に入るかは、知っておいてもらわなければならんな。今、皆に伝えておこう。私は無所属で行く。ろくな結果も出せん名誉欲の塊とは組まん。前にも言っただろ。私の政策を。超ド級の大馬鹿政治家が出ない限り、私の政策は通用するはずだ」

 学生たちはうなづきながら、真剣に聞いている。皆の顔を見渡しながら、タダスさんは続ける。

「中身のない現職議員とは違うと言ってくれればいい。七百五十人の友達が出来れば、椿町の町議会議員になれる。四月の第三日曜日の午後八時以降に皆で万歳三唱をしような。あ… それで皆の疲れを早く取ってやりたくて、冷蔵庫より冷たい外に五百㎖のビールが入ったケース出しておいた。着替える前の今、皆で飲もう。おい太郎。そこの窓の外にビールがおいてあるから、ケースごと持って来てくれ」

「はいはい」と言うと学生たちは爆笑する。

「タダスさんは、いつも何かがズレているのがいいわー」

 ビールを配り「オツカレ」と言いながら全員で飲み始めると、それぞれの話が出て来る。

「やはり今日の●〇はよかった」

「△▲はよくなかった」

「□■に変えてみよう」

 いい調子だ。仲間という意識で協力しあって行ける。頃合いを見て太郎は自宅へ帰る事にした。今晩は風呂、遅くなりそうだな。皆、湯冷めしなければいいけど。古い家だから隙間風強いぞ。風邪ひかないでくれよ。と思っているうちに寝入ってしまった。


無風選挙


弱音を吐きながらも全学生が何度か、丸一日飛び込みをこなした頃に椿町の八割の家を一度以上は訪問済みという結果につながっていった。日中会えない住人には土・日に行ったり、夕方六時から八時に行くという手段も取った。そして、平均して一軒の家に三回以上行って面談出来た家が四千件を超えた。もちろんタダスさんの同行も含めてだ。つまり七百~八百票は取ることが出来るのではないかという票読みが出来るようになった。仕事が終わったある夜、明るい雰囲気でしかも明日は全員休みという気楽な状態の時だった。伊藤家の仏間で全員がくつろいでいた。そこにピンポーンとチャイムが鳴り、南舞夏が玄関に出る。

「タダスさんにお会いしたいって、お客さんが見えました」

「そうか。お通ししてくれ」

 南は「散らかってますけどどうぞ」と茶の間の中央のちゃぶ台の前に一人の女性客を案内してきた。

タダスさんは「お座りください」と、促す。

 三十代前半くらいの長身の美人だ。いかにも高級そうなブランド物と思われる紺色のスーツを着ている。スタッフ達は遠慮してそのまま仏間にいた。もちろん話は丸聞こえだ。女性はタダスさんと相対する状態で座り、見つめている。

 話はスーツの女から切り出された。

「遅くに恐れいります。よろしければ、一緒に手伝っていらっしゃる方達が揃っておられる時に話を聞いて頂きたくて、お伺いさせて頂きました。私は加藤と申します。宮島麗子という人物の代理と思って頂いて差支えありません」

「あぁ、宮島麗子さんか。いつかこんな形での話し合いがあると思っていたよ。で、加藤さん。名刺ぐらい出したらどうなんだ」

「私は立会人のため、名刺は持っておりません。申し訳ありません」

 あくまでも静かで、落ち着いた物言いだった。

「なるほどねぇ。立会人。で、何を立ち会うんだ? こちらにはあんたの様な人には用は無いけどねぇ」

「伊藤様のような集票活動は、今までの人がやってこなかった方法です。しかも椿町のほとんどの住宅を訪問しておられます。一か月後には、投票日が来ます。今、椿町町議会議員選挙に出馬しようとしている人は、二十一人います。そのうち二人は、まず勝つ見込みの無い新人です。しかし、現職の十八人に伊藤様が加わって選挙をするとなると、当然金と時間と手間がかかります。ですので、現職一人当たり百万円の見当で千八百万円、持参いたしました。もちろん領収書のいらない金です。何とか、無風選挙という形にしたいのです。身を引いて頂けませんでしょうか? お願いいたします」

「無風選挙だと! 私に金を渡して、選挙に出ないようにしてくれ、というのだな。冗談じゃない」

「そう言わずに、何とか千八百万円で引いて頂けませんか? 現金は今、私が持参しております。すぐにお渡し出来ます。決して悪い話では無いと思います」

 そこに太郎が「直感で今の会話を録音したけどさぁ、椿町の町議会議員って腐りきっているなぁ」

 タダスさんは「千八百万円という金は大金だ。しかし、一度受け取ると二度と政治の世界には参加できんだろう。しかし無風選挙の話まで出るとは思わなかった。この後の事を私が指示を出すと、何かあった時に問題が起こる。太郎、後はお前に判断を任せる。私はこれで失礼する」と、その場を出て行く。

 加藤と名乗る女は「交渉は不成立ですね。仕方がありません。帰らせて頂きます」と、外へ出て行く。

 やれやれと皆で顔を見合わせている時に、いつの間にか外に出ていたらしい西が、そっと戻って来た。

「大変です。これを見てください」と、携帯を差し出す。

 そこには先程の女性の免許証が二枚と小型の拳銃が写っていた。

「これはー」

「免許証は偽造だな」

「拳銃は何のためだ」

 太郎達は混乱して、しばらく口もきけないでいた。気を取り直し、西に問い掛ける。

「これは、どうしたんだ?」

「僕、車の鍵程度なら開ける事出来るんです。加藤って女、怪しいと思ってソッと抜け出して車の中を調べました。そしたら御覧の通りの物が見つかりました。だから携帯で写真撮って来ました。現物、持ち帰ってきたらマズイと思って…」

「なるほど、よくわかった。この件は任せてくれ。皆疲れているだろうから、するべき事をしたら休んでくれ」


 翌朝太郎は、アミに相談する事を決めて店に顔を出す。

 アミは動じず、静かに言う。

「う~ん。銃だけじゃなく運転免許証の偽造品まで持っている相手となると太郎ちゃん達、かなり危険かもしれない」

 アミはうつむいて何かを考えているようだ。少しして、顔を上げる。

「太郎ちゃんに、銃の使い方を教えてもいいけど、肝心な時に引き金を引けそうにないから渡さない。代わりに防弾チョッキ、全員分売ってあげる。じゃあ、チタンのハンコ何本んにするか計算しておくね。明日の午後にでも取りに来てね」といわれ、店を出る。

 太郎は胸に重い物を抱えたような気持で、椿町に戻る。

 伊藤家に行くと、タダスさんが考え込んでいた。

「あの女も言っていたが、おそらく宮島麗子が絡んでいると思う。目的が何かは分からん。宮島? ん? そういえば隣のかなん市にバカでかい田んぼやアパートを何ヵ所も持っていたな。椿町にもだ。もしかして、中央省庁を動かしてその土地に途方もない何かを作らせようと考えているんじゃないのか?」

 大久保がハッとした顔で言う。

「あ、それってよくある話ですよ。北陸新幹線だって、そういった事でもめましたから」

 太郎は学生達一人一人を見て声をかける。

「思いの他、危ないことに向かっている様です。君達を危険に晒す方向に進んでいる様に思えます。降りたい人は、遠慮なく申し出てもらっていいよ」

「そんな~。僕達最後まで見届けたいです。誰か降りる人いる?」

「ううんー」と皆、首を振る。

「そっかー。皆ありがとう。宮島麗子を直接訪ねてみようかな、と思う。相手が命まで狙う必要があるとは思えないし、こちらも思い当たることは無い。しかし、身元の分からない女が銃を車に隠し持ってやってきたことは事実だ」

 太郎はお茶を一口飲んで続ける。

「それと念のためと思って全員の分の防弾チョッキを注文しておいた。これからは必ず身に着けて出歩いてくれ。なんだか、ここは本当に日本かって思うぐらい色々あって不思議な気がする。でもこのまま皆に自宅に帰ってもらっても、やはり危険な気がするんだ。とにかく今日、明日は予定通り休みにした方がいいと思う」

 タダスは「そうだな。意図的に、椿町の選挙に直接関係のない正体不明の女を送って来たことからして怪しい。宮島麗子の代理と言っていたが、証拠もない。投票日までもうあまり時間がないが、とにかく太郎。防弾チョッキ以外にも身を守る物を、少しは用意してこい」

「いくらかかるのか、知らないよ」

「そんなもん、お前に任せる」

「分かったよ。まだ、防弾チョッキを取りに行くには早いけど、あえて今日はスーツじゃないカジュアルな服装に着替えて出かけて来る。とにかくみんなはわざとでもいい、バカやって気を紛らわせてくれ。じゃあ、オレ行ってくるから」

 自宅で黒のPコートに着替えた後、アミの店へ向かう。


「こんにちはー」と店に入る。

「いらっしゃい。今、店を開けたところよ。まだ防弾チョッキ、届いていないわよ」

「それは分かっています。今日、叔父の所で防弾チョッキ以外にも何か身を守る物は無いか、っていう話をしていたんです。後、念のためオレに相手を負傷させられる武器をください」

「一番簡単で合法なのは、催涙スプレーかな? シューってボタン、押すだけだしね。他には閃光弾とかかなぁ。殺傷能力は無いけど、逃げるには役に立つと思うよ」

 そしてアミはちょっと首をかしげて続ける。

「それと太郎ちゃんの言う相手を負傷させるってどれぐらいのレベル? 軽く傷を負わせるっていう物? 一発当たれば死ぬようなも物もあるし、一回うまく使えば何人も同時に殺せるような爆弾まであるよ。ウフフ。後、近距離、中距離、遠距離って言うのも大事かな。どうする? 前に肝心な所で引き金を引けないんじゃないかって言ったけど、その辺りの心構えは大丈夫?」

「腹くくりました。大丈夫です。ほんの少しの練習で、ある程度効果が上がりそうな武器は何ですか?」

「そうねぇ。やっぱり手榴弾と45口径のオートマチックのデザートイーグルかなぁ。ただ拳銃には慣れないと、弾が出る時の反動で腕が持っていかれるから、練習は必要。もう察しがついていると思うけど、この店の地下は武器庫兼試射場。銃、撃ってみる?」

「撃つ! 使うことがあるかどうか分からないけど」

「そ。ちょっと待ってね」

 アミは、業務用コピー機兼プリンターを動かす。

 床には人一人入れるぐらいの切込みの入った蓋があった。蓋を開けると、ハンコの材料を入れた箱があった。その材料を入れた箱を取り除くと、また蓋が出て来る。その蓋を開けるとダミーの金庫が出てきた。そして次の蓋を外すと、下に通じるハシゴが見えた。

「声をかけるまでそこに居てね」と、と下から言われる。

 アミが地下へ潜る前に明かりをつけたのか、真っ暗ではなかった。それから一旦、アミは地下から店の方へ上って来た。

「太郎ちゃん、下に降りて。こんな時にお客さんが来ると大変な事になるから」と、言い店のシャッターを下ろす。

「ウワー」と、自然に声が出る。

 地下を見回し、太郎は驚きまくっていた。軽くめまいがした程だ。ここにあるだけの武器で、県内の警察機関を抑えられるのではないだろうか? やっぱりアミさん、どこかの武装派組織と繋がりがあるんだろうな? と改めて思わされた。

 しばらくすると、アミが下に降りてきた。

「どう? 太郎ちゃん。ここには滅多に人は入れないんだけど、太郎ちゃんなら秘密守れそうだから入れてあげたの。どう? 美女とロケットランチャー。イケてるでしょ」

「ま、ま、まぁ」

「あ、そうそう。それで目的の手榴弾はこれね。一個見せてあげる。ここで爆発させないでね。で、何個欲しい?」

「ウーン。十個かなぁ?」

「分かったわよ。それじゃあ、まずお勧めの45口径は」と言いながら、木箱をずらしたり積み上げたりして出してきた。

「これよ。それと交換用の弾。練習用も含めて三十セットあるわ。早速やる? イヤープロテクターはしてね」

「うん、やる!」と言って、イヤープロテクターを付ける。

 その後、太郎はアミから銃と弾を受け取り、取り扱い方の説明を受け、的に向かって撃ってみる。

 アミの説明通り銃の発射の反動で腕が持っていかれた。

 思わず「うわぁー」と声が出る。

「今撃った銃の反動って、本当は前に飛んでいく力なんですよね?」

「そうよ」

「という事は、全力で体に当たったら大怪我するって事じゃないですか」

「そういうのが欲しいんでしょ。一つ面白いことを教えてあげる」

 アミが悪戯っぽく微笑む。

「相手と自分の距離が十メートルだとするね。そして自分は9ミリの銃を持っているの。それで相手は格闘専用ナイフを持っていたとするね。二人とも訓練は受けている。いざ戦うとどちらが勝つと思う?」

「9ミリの銃だと思う」

「どうして?」

「そりゃあ、ナイフより銃の方が攻撃力があるでしょ」

「キャハハハハ。太郎ちゃん。模範的大間違い。もちろん格闘した者同士のレベルが揃っていればの話だけどね」

 太郎は「?」となる。

「まずね。九ミリの弾って頭か心臓にでも当たらなきゃ死なないんだよ。弾が小さいから破壊力も弱いの。それに十メートルの距離ってかなり近いよね。つまりナイフを持って向かって来る相手に弾を撃てて一発。ナイフも一振り。どっちが相手に先にダメージを当てやすい?」

「ナイフ」

「そうだよね。切りつけられる部分が点じゃなくて面だもんね。だから必ず銃を持っている方が有利という訳じゃないの。一発目にどういう当て方をしたかで決まるっていう話。

ナイフの扱い方を身に付けるにはかなりの練習が必要なの。今の太郎ちゃんじゃ無駄に近い。だけど装備しておくことは悪くない」

 太郎は黙って聞いている。

「とにかく、45口径をちゃんと撃てるように練習しておいてね。何かあれば壁にある内線で呼んでね。じゃあ、アタシは仕事に戻るね。当然だけど、ハッチは閉じておくからね。他の武器には絶対に触らないでよ。絶対だからね」

 何度も念を押してアミはハシゴを登って行った。

 45口径のデザートイーグルか。


 宮島麗子。五十七歳。独身。推定資産二兆三千億円。自宅、かなん市下六角。あくまでも噂話。地上に出ている建物は、ごく一部。地下にシェルターがあるのでは無いかという話。

 そんな奴に狙われているとしたら、丸腰ではいられない。とにかく練習、と思い十五分程撃ってみたが肩も肘も手首もめちゃくちゃ痛くなってきた。喉も乾いた。

 今は、これまでにしようと試射場にある内線電話で上に上がる事を伝えてハッチを開けておいてもらう。自分の体重を支えるのがツラい。やっとのことで店内に戻る。

「銃撃つのって大変だったでしょ。あのさ、防弾チョッキの件といい、銃の件といい、どこかへ強引に乗り込もうとしてるの?」

「かなん市にある宮島麗子の家」

「え、うそでしょ! 太郎ちゃん、止めときなよ。あれは家じゃなくて要塞。銃の一丁や二丁でどうこうなる所じゃないって。核シェルターになってるっていう噂だよ」

「そんな気はしてた。でもやられるかもしれないという不安を抱えてはいられない。まず、相手に会わなきゃ本当に敵なのかも分からない」

「じゃあ、先に宮島麗子の目的を調べてみたら? かなん市と椿町への極端な執着の理由もわかるかもね。と言っても太郎ちゃんの人脈や情報網じゃ何も分からないと思うけどね。調査代だけなら、三十八、五ミリのチタンのハンコを…」

「あーーー。分かった分かった、買う!」

「きゃー、太郎ちゃん素敵よ~。じゃあすぐに依頼をかけておくから、下で銃の練習でもしてたら? その後、食事にしましょ」

「わかった」といって再度練習を始める。

「これはブレずに撃つのはなかなか難しいものだな。ただ当たればいい、って言うのならなんとかなるかもしれないけど」

 独り言を言いながら、小休憩をはさみカートリッジの入れ替えも含め練習する。

 しかし疲れてきたので終わりにし、はしごを登り店に出る。

「どう? 少しは成長した?」

「的から大外れという事は無くなったけど、ただ中心に撃ち込む事はなかなか出来なくて苦労してる。しかし、腕がしびれてきたよ」

「上達、早い方だと思うよ。もう三日ほど、毎日練習してたら? その間に情報収集も出来るだろうしね」

「しかし、腹減って来たなぁ」と太郎が言うとアミが、指を差した。

「あの交差点から五百メートルぐらい言ったところに寿司屋があるの。一人前、千九百八十円のランチセットよ。太郎ちゃんのおごりに決まってるけど、今から行くよ。いいわね?」

「…はい」


「お、アミちゃん。お連れさんも一緒かい? 珍しい。でさー、さっそく例のアレやってよ」

「はいはい。『ん♡』」

「オー。相変わらず色っぽいね。いくら一つサービスしておくよ」

「え。本当~。嬉しい。『ん♡』」

「オー。いいねぇ。ウニもサービスしちゃう。まぁ、座りなよ」

 …バカすぎる。

 アミは太郎にだけ聞き取れるように小声で話し出す。

「太郎ちゃんねぇ、宮島麗子の情報はアタシが必ず仕入れておいてあげる。太郎ちゃんは明日もウチに銃の練習しにおいで。今日はこれ以上しない方がいい。体を痛める。今後のため。ね。多分明日、店に戻ったら防弾チョッキも届いていると思うから、それ持って帰りなよ」

「わかった。従う」

「ただ、もしかするともう叔父さんの周囲にダニがいるかもしれない。ウチにある全部の催涙スプレーとさっきまで使っていたデザートイーグルは渡しておいてあげる。でもまだ触りたての銃なんだから簡単に使わないでよ。今の太郎ちゃんだったら一発撃つ間に、相手が十発撃ってくると思っておいてね」

「分かってる。でも確かに嫌な予感がする。しっかし日本って国はちゃんとした法治国家なんじゃないのか? 絶対おかしいでしょ。この状況…」

 そこへ「ランチ二つとサービス二貫付きね」と言ってランチが出てきた。

 アミは軽い調子の声で食事を楽しもうとしているように言う。

「さ、太郎ちゃん。お寿司たーべよ」

「いや、のんびりとは…」

「分かってないわね。慌てて、変わる状況? 本当に慌てなきゃいけない時は水も飲めないんだからね。ここは中東じゃ無いのよ」

アミは小さく笑う。

「いくら、宮島麗子と言っても装甲車は出せない。今の太郎ちゃんが出来る事は叔父さんの周囲に取り付きかけているかもしれないダニを取る事だけ。後は銃の練習をしなさい。いいわね!」

「分かった」と言って、鰆を一貫食べる。

 山沢市のアミの店から椿町に帰って来た太郎は伊藤家の駐車場に車を停め、仏間に行き防弾チョッキと催涙スプレーをそれぞれに渡す。

 渡された全員は「本物だー」と感心している。

 もちろん太郎は自分が銃を持っている事は言わない。

 そして、宮島麗子については情報収集を始めているから二、三日待つように伝える。この二、三日でしっかり休みを取りながら公選はがきのあて名を全て手書きにして用意する事を提案する。公選はがきとは、告示日後に有権者に宛てて自分の事を書いたり写真を載せたりしたはがきである。

 自分が書いてはいけない内容(買収目的等の違法な内容以外)の記入が終わると選挙管理委員会に提出し、自分ではなく選挙管理委員会が郵便代を受け持ってくれて郵送される。

 なお、このはがきの枚数は選挙の種類と有権者数によって変わってくる。椿町町議会議員選挙の場合三百枚である。某衆議院議員選挙区は五万枚である。七万票から十万票取らなければならない選挙なのにはがきの数が圧倒的に足りないという現実に対して、太郎なりに感じることがあった。


 翌日、太郎はアミの所でひたすら、銃の練習をしていた。自分なりに上達してきたと感じていた。今日のランチは、お好み焼き。『ん♡』とやるとエビ玉がミックス玉にサービスで変更になった。

 食事が終わりお好み焼き屋から出て、店まで徒歩十分くらいの所でアミが急に立ち止まった。

「?…」

 辺りをキョロキョロ見回している。突然アミは太郎の手を取り店へと走った。店の中に入る扉の前で周囲を確認すると、アミの緊張は解けたのか、太郎の手を離した。

「もう大丈夫みたい。店に入ろう」

「あ、あ、はい」

 二人で中に入る。アミは店のカウンターの奥にある冷蔵庫の中の缶コーヒーを太郎に渡すと、コピー機をズラし下へ行った。わずかだが声が聞こえる。どうやら、ハッチの蓋は閉まっていないらしい。十五分程経った頃アミが下のハッチを閉めて戻って来た。

「太郎ちゃん、携帯鳴らなかった?」

「あれ~、無い! しまった。車の中だ」

「大久保君から、こっちに知らせてきたの」

「ん。何を?」 

「太郎ちゃんかなりマズいかも。叔父さんの家の庭で煙草を吸っていた西太陽っていう学生が、さらわれたみたい。こんな場合警察って訳にもいかないしね。でね。『山から山へ続く県道で待つ』ってメモを残して行ったんだって。太郎ちゃん。場所分かる?」

「分かるも何もウチの山の橋の事だよ。ウチには山が三つあるんです。で、山から山へ移動するために橋が架かっているんです。なぜか理由は分からないけど、その橋だけが県道なんです。『山から山へ続く県道ってやつ』くっそー。助けてやりたいけど一人で行く訳にはいかない。そもそも何人待ち構えているかすらわかんねぇー」

「太郎ちゃんの気持ち、よく分かるよ。でもアタシは武器商人ではんこ屋さんだから動けない」

 太郎は手を握りしめる。

「二時間後に叔父さんの家に行ける人間、一人なら行かせてあげる事出来る。これはお金取らない。汚い事沢山見てきたけど、なぜかな? 太郎ちゃんの感情が移ったのかな? 何か許せない。デザートイーグルと弾、手榴弾とナイフも持っていきな」

 アミは武器を取りに再び下へ降りていく。太郎は何もしないで待つ。そしてしばらくして下から声が聞こえた。

「じゃあ、太郎ちゃん用の武器も持って上がるよ」

「分かった」

 

誘拐


 アミから武器を受け取った太郎は、椿町の伊藤家へ向かう。しかし完全に銃刀法違反だな、と思わず苦笑いする。

 念のために伊藤家から下る坂道の中腹に車を停める。家の前だと、他の車に挟まれた時に動けなくなるからだ。

 太郎は内胸ポケットに入っている銃を確認しながら、チャイムを鳴らす。いつも開けっ放しになっている玄関が閉まっていたからだ。

「太郎です。開けてください」

 中に入ると仏間に皆が集まっていた。

「おぉ~」と安堵の息が漏れる。

 そして同時に西太陽の話になる。そこで太郎は西を助けるために、自分の家の山に行く事。もうしばらくで助っ人が来ることを伝える。

 

 それから全員の分の閃光弾と催涙スプレーを、何かあった時にはうまく使う様に言う。

 その後、自宅へ行き母親に山に変なのがいるから行ってくるよ、と伝える。

 表に出ると一台の白い5ドアの小型車が近づいて来て少し離れた所に停まる。太郎は思わず左胸ポケットに手を入れる。すると運転席からゆっくり男が出て来て、太郎の前に立った。黒いジャケットとデニムを着て、身長は百六十五㎝くらいか? 年齢は四十歳くらい。細い縁の眼鏡をかけている。ぱっと見、オタクに見えるような東洋人の男だった。

「君が山田太郎君かい?」

「誰?」

「冷たい挨拶だな。アミに頼まれて来たゼロ・イチだ。よろしくな」

 ぜろ・いち? 変な名前。しかしアミさんがよこしたんだから使える人なのか?

「イチさん。すぐ山へ行きますか?」

「行こうか」

 それから、伊藤家には何も告げず山に向かう。

 太郎の案内で橋の方へと急ぐ。標高百メートルで田んぼ二十枚程あるかどうかの小さな、山だが、人が隠れるには、大きすぎる山だ。太郎自身、子供の頃、遊び場だった三つの山だが、今は戦場だ。

 自宅から一番近い山の橋には誰もいなかった。そのまま二つ目の橋に向かって歩いていく。進んでいくと長さ二十メートル程の橋の欄干の真ん中に西が口にガムテープを貼られた上にガムテープでぐるぐる巻きに縛り付けられていた。罠だよなぁ。えらく古典的なやり方だ。太郎はアミが言ったナイフとデザートイーグルの話を思い出した。

 スッとイチが左足首から格闘用のナイフを出した。太郎は、敵が潜んでいると思われる所から死角になりそうな所を選んで回り込む。そう。敵は太郎が潜んでいる事に気が付かなかった様だ。一人が山の斜面から勢い良く滑って来ながら一気にイチに飛び掛かって来た。黒ずくめの服装をして格闘用ナイフでイチともみ合いになる。太郎はもみ合いになっている相手の背後からナイフで切りつける。相手が倒れたスキに西を救出。

「太郎さん。ありがとうございます。すんげー怖かったっス。でも助けに来てくれると信じてました」

 ポロポロ涙をこぼす。

「こうしてはいられないよ。とにかく西君、逃げるんだ」

「足がガクガクしてます」

「敵は一人じゃないようだ。どんな武器、持ってるかも分からないし。さぁ、しっかりして!」

 背後から追って来ようとする敵を、ゼロ・イチが食い止めているようだ。西が転びそうになるのを何度も支えて、太郎は走り続けた。とにかく、西君を無事に戻さなくては。今はそれだけだ。ふと、胸の銃を抜く暇も無かった事に気が付く。先程まで、後方でゼロ・イチが戦っている様子が伝わってきていたが、ここまでくれば敵の気配はもうしない。

「もう大丈夫みたいだ」

 西を見ると、ガタガタ震えている。

「西君、怖いな。こんなの選挙じゃ無いと思う。気分転換にタバコでも吸ってみたらどう?」

「そうですね」

 タバコを一本くわえてライターで火を付けようとするが震えているため、なかなか火が点かない。静かに見守るうちに、ようやく落ち着いて来たようだ。

「西君この選挙降りたかったら遠慮なくそうしてくれていいんだよ。誰も君を責める事はしない」

 西は、大きく息を吸い込み太郎の目を見る。

「降りません。太郎さんこそ殺されるところだったじゃないですか。命がけと言うけど本当の命がけって、初めてです」

「うん。危うくオレも犯罪者になるところだった。しかし、そうなるとタダスさんは仮に当選しても連帯責任を取らされる可能性がある。オレは名実ともに、選挙事務所の責任者だからね。どんなにキレたとしても自己防衛に留めておかなくてはならない。とにかく、今はタダスさんの思いが実現出来る様に進むんだ。そうなれば、日本全体が変わるかもしれない。オレ自身は、そのための人柱になってさえいいと思っている」

 そうしているうちに、ゼロ・イチが戻って来た。とにかく、先に西君を帰そうという事になり、伊藤家の前まで移動する。太郎は一緒に降りて西が伊藤家に入って行くのを見届けてから、ゼロ・イチと山に戻る。

 伊藤家から少し離れた場所で太郎はゼロ・イチに問い掛ける。

「あの、後の始末を任せてしまったけど、どうなったか聞かせてもらえませんか?」

「やることはやった。詳しく聞かない方が、あんたの身のためだと思うけど。一つだけ伝えておく。あの時の中にガキの時からヤバイ事を繰り返して地元を長い間離れていたヤツがいたんだよ。なんでそんな事、分かったかって? ご想像に任せるよ。そいつ修というんだが、町議の坂下の甥なんだ。そいつにアルコール飲ませて気を失わせて、坂下の門の脇の木に縛りつけておいた。ガムテープで口、塞いでな。まぁ頭打ってるくらいだし、おまわりが駆けつけてきても、本人は酔っぱらって喧嘩して反対にやられた位の言い逃れするだろうし、あんた達に飛び火はせんよ。これでオレは頼まれた事は済ませたから引き上げる。アミには、連絡を入れとく」

 伊藤家から離れた所でイチの車に乗る。走り去って行くのを見送り、太郎は伊藤家へ向かった。

 スッと車が近づいて来て三人の男が現れた。黒づくめで、銃を持っている様な感じだ。うかつだった、と思っても遅い。三人に取り囲まれてはどうしようもない。黒いCROWNに押し込まれ目と口を塞がれ、気が遠くなった。

 かなりグルグル走ったようで、連れ込まれたのがどこかは分からない。ドアを開ける音がして、人が入って来た気配がする。目と口を塞がれた状態のまま椅子に縛られた太郎は、音のした方に顔を向け沈黙を守る。低いが腹に響く様な声で男が話を始める。

「たかが、椿町の選挙だ。ここまでするつもりはなかったんだがな。初めに伝えておくが、今回の事は宮島麗子氏に指図された訳では無い。宮島氏が絡んでいるのは、無風選挙の件だけだ。スタッフの拉致などこちらはしていない。そっちは信じないかもしれないが。

どうしてここへ連れてきたか、説明しよう。どうも勘違いがあるようだからな。こちらは、君の後ろに選挙とは関係のない影を感じている。その影に当方は危険を感じている。それで、下の者一人を君に張り付けておいた。すると、訳の分からない、運動員の拉致が起こった。そしてその時、プロとみられる男一人が混じっていると見張りの物が知らせてきた。こちらが、その男を確認するため、こうしてすぐ現場へ向かって来たのだが結局、君しか捕まえられなかった。当方は、そのプロに用がある。鍵は、君が握っている。選挙の邪魔はしない。君を含めて関係者に危害を加えるつもりはない。なお、ここは名義登録の無い別荘だ。数人を除けば誰も知らない。しばらくここで考えをまとめていてくれ。拘束は解いていく。水も置いていこう。穏やかに話し合おうじゃないか。くれぐれも脱出など考えないように。どちらにしても無理だが。では、また後程」

 黒づくめ、サングラスの男が無言で拘束を解き、目隠しとさるぐつわを外して出て行った。鍵のかかる重い扉の音が響く。周囲は、コンクリートむき出しの壁だった。

『殺すつもりはない。鍵は君が握っている。話し合おう』なんて言ってたな。太郎は思考をめぐらすが、混乱するばかりだ。

『話し合う』誰と? 宮島麗子が出て来るというのか? まさかな。しかし、考えてみれば、タダスさんは宮島麗子の敵ではない。政策も対立する案ではない。犯罪に手を染めてまで倒さなければならない理由がない。オレにしても、西君が拉致されたから救出しただけだ。それに、拉致には関与していないと言う。それは本当か? じゃあ、誰が何のために…。もしかしたら、アミさんが情報収集ため、探りを入れているのを感づかれて…。

 頭の中がグルグル回って、体全体が揺れている様だ。疲れた。身に着けていた武器は、ひとつ残らず抜き取られている。当たり前か。水を置いていってあるのは気が利いているな。これを飲んで、少し眠ろう。


殴り込み


 ドッゴーン。ドカーン。バーン。

「ん? なんだ、あの破壊音は」

 チュドーン。音がどんどん近づいて来る。パパパパパパー。チュドーン。パキューン。と聞こえたと思ったら、窓さえない部屋のドアが開く。重装備したアミだ。

「ヤッホー、太郎ちゃん。怪我してない? 助けに来たよ」

「アミさん。ありがとう。無事だよ。でもどうしてこの場所が分かったの?」

「アタシの情報収集力を舐めてる? 急いで! はい、デザートイーグルと弾と手榴弾とナイフ。タイミングを見て使い分けて!」

「ねぇ、ここはどこ?」

「ここは宮島麗子の別荘の地下。やっと、突き止めた。ほら、わらわらと敵が駆けつけて来たわよ。とにかく、暴れるだけ暴れて脱出するよ」

「分かった」

 アミは人が向かって来る方向に、肩撃ち式ロケットランチャーで撃ちまくる。無茶苦茶だ。もちろん、太郎も参戦する。アミは替え玉をどのくらい持っているんだろう? と、太郎は驚く。ロケットランチャーとサブマシンガンを主装備として、手榴弾とコンバットナイフを二本持っているという程度は太郎でも分かった。もう体力の限界か? と感じた時、アミから声が飛ぶ。

「太郎ちゃん。そろそろ引き揚げよ」

「うん。分かった。でもどうやって?」

「大丈夫。道作るから」

「?」となる。

 アミは、天井に向けてロケットランチャーを撃ち込む。ドカーン、という音と共にぽっかり穴が開く。縄ハシゴが上のフロアにしっかりかかったのを確認した後、声がかかる。

「太郎ちゃん。行くよ」

 アミはあっという間に登って行く。太郎も続いて上る。それをもう一回繰り返したのか、二回繰り返したのかもう太郎も分からなくなっている。頭の中が真っ白だ。

 

 ようやく地上に出た。山の中というか、森の中だった。

「太郎ちゃん。車探して。白のLE✕US IS 300」

「アミさん、あそこ」と左前方を指さす。

「先に行って」と、車の鍵を渡される。

 走ってIS 300の運転席に乗る。エンジンをかけた所に、アミはドカン、ドカン、ドカーン、と三発ロケットランチャーを撃ち込んで車の助手席に飛び込む。

「車出して。モタモタしてると、追手が来る」

 太郎は慌ててアクセルを踏む。

 アミの指示通りに走らせ、やっと国道に出た。

「アミさん、これからどこに向かえばいいんスか?」

「アタシの店」

「分かりました」

「何でオレのいる所?って思ってるでしょ」

「うん」

「ゼロ・イチが教えてくれたの。ゼロ・イチは太郎ちゃんを降ろしてからも、帰ったふりをして潜んでたの。それですぐに連絡くれた。急いで装備を揃えて、別々に攻め込んだの。アタシたちより先にゼロ・イチの方が先に脱出したみたいね。そもそも、アタシの太郎ちゃんを拉致したのが向こうの命取よ。アタシ、キレたもん」

「キレたらロケットランチャーを撃つんスか?」

「うん。普通かな」

「そうっすか…」

「太郎ちゃんには、まだまだ扱えない道具だから、触らないでね」

「もちろんス。出来れば触りたくないっス」

「でもね、もしかしたら、やらざるを得ない事、あるかもねぇ。あ、そうそう。もうすぐ山の中の別荘、テレビに映ると思うよ。あれだけ派手にやったからね。楽しみ♪」

 アミは車のナビの画面をテレビに変えると、黒煙を上げた山の中の家の状況が放送されていた。

『御覧頂けますように、煙が上がっております。建物の損壊が激しいですが死傷者の確認はなされておりません。現場はパトカーや消防車でいっぱいです。未確認情報では、銃撃戦があったとの事です。犯人の目的についての情報は、今の所、一切入っておりません。以上、現場からの中継でした』

「うふ。犯人は、アタシと太郎ちゃんとゼロ・イチでーす」

 アミの店に到着すると、すぐにテレビのスイッチを入れる。移動中に見ていた内容とほとんど変わっていない。どのチャンネルも、山の中の別荘破壊を伝えるニュースのオンパレードだ。

 アミはニュースをみて「きゃははははは。慌ててる。慌ててる。これで宮島麗子は本気で牙を向けて来るだろうね。私を探し出そうとして。いくら何でも、叔父さんや太郎ちゃんがこんな事出来ないし、する理由無いもの。向こうもバカじゃないから。今回の事は叔父さん達の選挙とは無関係だって、ハッキリわかったと思う。でも、ごめんね。太郎ちゃん自身はこの後、狙われる可能性高いよ」

 アミは少し悲しそうに太郎の目を見つめる。

「あ、そうそう。太郎ちゃんに言っとかなきゃ。宮島麗子が国政から町政まで、とことん政治家に手を付けているのは、椿町とかなん市にまたがる広大な土地にカジノを誘致しようとしているからなの。横浜に建設するかどうかって揉めてるやつの、三倍以上の巨大なものをね。もちろん、カジノの周りには道路も出来る。店もホテルも自前で作れば、毎日ドカドカ儲かるだろうね。町も栄えてくれば、更に自分の所に金が落ちて来る。金の亡者だね。二兆三千億円も資産があるのに、何に使うんだろうね?」

「なるほど。カジノか。カジノの誘致なら納得できる。だからって椿町町議会議員をかき回さなくてもよかったと思うよ。たぶん、カジノの件をタダスさんは知っていると思って、宮島麗子は動くだろうね。こんなド田舎なら、派手にカジノが出来たぐらいが丁度いいのかもしれない。治安が悪くならないかが、心配だけどね~って、手榴弾を投げた人間の言う事じゃないよね。これからどうしたらいいんだろう?アミさん、どう思う?」 

「多分叔父さんや運動員に、直接手は出してこないと思う。アタシの存在がそろそろ分かって来ただろうし」

 アミは一口ペットボトルのお茶を飲んで、また話し出す。

「でも、こんなことがあったら、当然警察の取り締まりは厳しくなるだろうし、ピリピリしてくるだろうね。運動員も行くとこ行くとこ、全てに警察官が目を光らせていて道路交通法や公職選挙法をほんのわずかでも破ると、警察署に連れていかれるなんて言う事もあるんじゃないかな。でも気を付けて行動してくれるでしょ。あの叔父さんなら」

 太郎はうなづきながら「みんなで気を付けるよ」という。

「それにしても太郎ちゃん、今日は疲れたでしょ。何もせず、安心して眠っていいよ。私を突き止めるのは、まだ時間がかかるはずだから」

「そう? じゃあ言われた通りにします。弾の補充したら帰ります」

「そうね。アタシも疲れた。太郎ちゃんが帰ったら、アタシも店閉めて帰るね。向こうが動き出すのは選挙が終わってからだと思うよ。アタシの計算では」

 太郎はヨレヨレになって伊藤家へ戻った。


カジノ


 伊藤家ではほとんどのメンバーが揃っていた。

「これからは、直接的な攻撃は無いと思うよ。安心して! それとみんなに心配かけたけど、オレは大丈夫だから。怪我もしていないし。こっちは、何か変わったことはあった?」

 すると、大久保が明るく言う。

「タダスさんのツイッターとフェイスブックとインスタグラムとミクシーの個人のアカウントを変更しました」

「え、そうなの? 見せて見せて」

 太郎は、ちゃぶ台の上に乗ったノートパソコンと自分の携帯の両方を見る。

「これすごいねぇ。デザインも美しいし、アピール満載だね」

 太郎はつくづくと感心する。

「しかもツイッターにもフェイスブックにも入れたカキコに、返信やいいねが付いてる。しかし、誰がこんなプロ並みのページを作ったの?」

「オレっス」

「おお、森田初君、君が作ったんだ」

「はい。ずっと早く作りたいと思って、気になっていたんっスよ。事件があって、待機の時間怖かったですけど、デスクワークいっぱい出来てよかったです」

「デスクワーク?」

「名簿の整理とか、再度の地図の落とし込みミスの修正です」

「いいねぇ、いいねぇ」

 太郎が感心していると、タダスさんが言う。

「ポスター貼りの人間の確保と公示期間中に動いてくれる運動員も集まりつつある」

「へぇ。そうなんだ」

「もちろん椿町選挙管理委員会の説明会にも出てきた」

「あ、オレの友達で、ポスター貼りと電話かけぐらいなら、やってくれる奴、四人いるよ。頼む?」

「おぉ、もちろんだ。多いに越したことは無い。この広い椿町の公営掲示板にポスターを午前中に貼らなきゃならんからな」

「そうだね。百七十二ヵ所じゃなかったっけ?」

「そう、百七十二ヵ所だ。それを実質三時間程でやらなければならんからな。二人一組で動いてもらうから、車が二十台程無いとな。その間、直接の集票活動を私と共にしてもらう人も必要だしな」

「確かに。あ、それはそうと、これからしばらく山の中の事件の関係で、大勢の警察官が町の中をウロウロする可能性がある。公職選挙法と道路交通法には気を付けてくれ」

「あの別荘って、結局誰の物か分からないみたいですね。土地はとっくに亡くなった人の物で、建物は誰がいつの間に建てたか分からないらしいですよ」と、大久保が言う。

「へぇーもうそんな事伝わってるの?」

「土地や建物の名義ぐらいすぐに調べられるそうです。スマホに載ってましたよ」

「そうか、まぁその話は今は置いておこう。オレは今は直接集票活動に参加しないでおく。やっぱり宮島麗子の動きが気になるから。あ、そうだ、そうだ。みんなに知っておいて欲しいんだけど宮島麗子は政府閣僚全員に闇献金をしているんだって」

「やっぱり―」

「そうだと思った」

「目的は椿町からかなん市にかけての自分の土地に、カジノを誘致するためだってさ。それを、タダスさんが邪魔するかもしれないと思っている可能性があるんだ。タダスさんは、カジノの建設についてどう思う?」

「カジノか。非常に難しい問題だな。税金がガバッと入るという意味ではいいことだ。しかし意思が弱い人が、依存症になってしまうかもしれない。破産する人も近所に出て来る可能性があるのも事実だな。一回お試しで作ってみる、という訳にもいかんからなぁ。それでもろくな産業も無い椿町にはカジノはあった方がいいのかもしれんなぁ」

「じゃあ、タダスさんはカジノ建設に賛成って事だね」

「そうだな。ただし椿町とかなん市に駐在の警察官を増やして、という条件は付く」

「分かった。何らかの形で、宮島麗子にそれは伝えなくちゃならないね」

「そうか。それは太郎がやってくれるか? しかし、本当にお前には変な役回りをさせてしまった。すまないな」

「いいって。誰かがやらなかったらもっと酷い事になったかもしれないし。これからだってどうなるか分からないからね。状況は掴めた。さすがに今回は疲れた。今後、オレは集票活動には直接かかわらないけど、何かを考えて動くから。じゃあ、帰る」

 そしてやっと、尋常じゃない太郎の一日が終わった。


前日の疲れが溜まりに溜まってか、翌日目が覚めると午後三時を回っていた。自分の部屋を出て茶の間へ行き、のほほんと「オフクロ飯」と言う。

「あら、おはよう。昨日は随分クタクタだったみたいね。今日は休みなの?」

「後で少し出かける。しばらくの間、タダスさんたちと別行動のつもり」

「あら、そう。気を付けてね。色々、大騒ぎになってるから巻き込まれないようにね」

 美里は台所で手早く太郎の食事を用意して、出してくれた。

 犯人の一人がオレだとオフクロが知ったら、どう思うだろう? と、そっとため息をついた。


みっちゃん


「こんにちはー」

「あら、いらっしゃい。こんな時間になるまで、寝てたんでしょ」

 アミは軽く笑いながら言う。

「初めての戦闘をしたんだから、当然だと思うけど」

「まぁ、そうかもしれないっスね」

「それでも今日は、ちゃんと練習しに来たって訳ね? なでなでしてあげる」

「いえ…結構です」

「そお~? ま、いいわ。下に行く?」

「はい」

 アミと一緒に試射場へ降りていく。デザートイーグルの弾を持った時に気づいた。

「アミさん。今更だけど手榴弾や拳銃の代金って、いくらぐらい支払えばいいんっスか?」

「あぁ、そのことね。実はね、太郎ちゃん。昨日宮島麗子の別荘に押し入った時に、金庫を三つ見つけたの。ちょっと中を見せてもらった。何と、中に十億円づつ現金で入っていたの。つまり昨日三十億円も、もらっちゃったの」

それはもらったとは言わないと思う。

「だから、弾や銃のお金なんていらないわよ。しかし、さすがよねぇ。十億円も入った金庫が三つ。うふふ。あ、そうそう。今日のワイドショーも、昨日の事で持ち切り。でもね、そこに倒れていたはずの死傷者がいつの間にか消えていたんですって。防犯カメラは、スイッチが切られていて犯人の手掛かりは、今の所掴めていないそうよ。そりゃあそうよね。宮島麗子はあの別荘の事、隠し通すのに決まっているもの。隠ぺい工作でも、情報操作でもするわよね。三十億円は痛いだろうけど、国税はもっと怖いってとこかな」

「あ、そうだ、そうだ。カジノの件だけど、タダスさんは賛成派だよ。だから、宮島麗子のやろうとしている事に反対はしない。タダスさんはタダスさんで、自分が考えたことをやり抜きたいだけ。ここらで、相手が引いてくれればいいんだけど。と、言うよりタダスさんのしようとしてる事、宮島麗子にとって全然邪魔にならないんだけど…」

 太郎はため息をつく。

「そうね。そうだといいね。とにかく備えあれば憂いなし。せっかく来たんだから練習していって」


 十九時、伊藤家で学生達と合流。

「南苑花君、今日何か変わった事無かった?」

「ありました。太郎さんが言っていた通り、集票活動中に変な人が付いてきました」

 他の学生も同じ報告をしてくる。

「やっぱり」

「これって大丈夫ですか?」

「大丈夫な様にしておくって。しばらく我慢してね」

「とにかく、後十日で告示日。頑張らなきゃ」

「そうだね。頑張ろうね。じゃあオレ帰って寝るね」

 太郎は台所へも声をかけてから自宅へ帰る。

 自分の部屋で寝るか、と思っていると、町役場に勤めている、あのみっちゃんから電話が入る。

「もしもし」

「ごめんね、遅くに」

「いや別に大丈夫だよ。どうしたの? 急ぎ?」

「あ、ごめん。急ぎじゃないけど、集票活動どうしてるかなって思って」

「順調だよ」

「そうなんだ。何も手伝えないから気になっていたの。ところでね。叔父さんの一番の票田って、どこの地区なの?」

「何を聞いているか自分で分かっている? みっちゃん、何かおかしいよ。普通そんなこと聞かないよね。何があった?」

「ちょっと気になっただけ。こっそり回覧板に記事を載せようと思っただけ。逆に邪魔しちゃいそうだね」

「え、どういう事?」

「ううん。何でもない。ごめんね。遅くに。おやすみ」

「あぁ、おやすみ」

 変なの。回覧板、ありえない。

 

殺意


翌朝。「お、オヒール君。早いね。おはよう」

「おはようございます。太郎さん、すごくいいタイミングで来てくれました。ここで管理しているタダスさんの票の管理データーが盗まれました。その上、壊していきました。クラッキングです。データだけなら別の所にも二か所残っているので、問題ありません。ただ、誰が仕掛けて来たかが問題です」

「データ持っていかれたのはかなりまずいなぁ。盗んでいく時にどの経緯をたどったか、分からないの?」

「分かりません。でも、もしかしたらと思ってGOODとNICEの票とBADと他の候補者を応援している人の数の見方の表を逆にしておきました。単純な方法ですけど、少しは時間が稼げるはずです」

「分かった。こっちで調べてみる。他の人には言わないでくれる? 士気が乱れるから」

「分かりました」

「ところで、朝飯は?」

「まだですけど。そろそろ、皆起きて来るはず。ですから、それまでデータ整理しようと思ったんです。早く目が覚めたのもあったんですけど」

「じゃあ、オレがコーヒーでも入れてあげる」

「いや、それは悪いですよ」

「いいっていいって。あ、それはそうと悪いんだけど、ここから下へ行って県道に警察がいないかどうか見てくれない?」

「分かりました。ちょっと行ってきます」

 オヒール大介は、伊藤家から徒歩三分の県道入口まで様子を見に行く。お湯を沸かしコーヒーを入れた時に、嫌な予感がした。訳の分からない不安で県道入口まで走る。

 そこには右脇腹から出血して倒れている、オヒール大介がいた。

「大丈夫か? 今すぐ救急車、呼ぶからな」

 慌てて携帯から百十九番に連絡を入れる。

「背後から、切りつけられました。多分、ゆっくり近づいてきた車の助手席に乗っていた、女だと思います」

 そこへ自転車に乗った警察官が戻ってくる。オヒール大介を刺した女が乗った車を追いかけたが、逃げられたという事だった。一人で巡回中で偶然立ち去る所に出会ったと言う。ナンバープレートは汚されていて読めなかったが、白いセダンだったと言う。

 そこに救急車が到着する。

 すぐにオヒールを乗せ、太郎も同乗する。

 椿記念病院へ向かい、到着すると同時に緊急手術になる。太郎は、通路のソファーに座り、タダスさんに電話する。

「おぉ、太郎か。お前とオヒール君がいないからどうしたのかと思っていた所だった。さっきの救急車のサイレンも気になっていたからな」

「オヒール君が県道入口で何者かに右脇腹を切りつけられたんだよ」

 タダスさんは「うーん」と、うなる。

「幸いにも命に別状は無いって言われてホッとしている。それとオヒール君から気になる報告、受けたんだ。事件の直前に聞いたばっかりだったんだけど、そっちで管理している票のデータが盗まれた上に壊されたんだって」

「それは大事だな」

「復旧そのものはすぐに出来るらしいけど、盗まれたデータが変な使われ方をするかもしれない。簡単なダミーはかましてあるみたいだけどね」

 タダスさんは驚きながらも聞いている。

「うんうん。それで、私はどうしたらいい?」

「とにかく、オヒール君の着替えと差し入れ、椿記念病院に持って来て欲しいんだ。そして、来たついでにオレを回収して欲しい」

「わかった。すぐに手配する」

「じゃあ、よろしくね」と言って電話を切る。

 一時間後、手術が終わりオヒール大介は病室に移される。もちろん太郎も病室へついて行った。

しかし、腹減ったなぁ。オヒール君、まだ目覚めてないよなぁ。

 急に空腹を覚え、太郎は売店へ行き、総菜パンを四個と烏龍茶二本を購入する。オヒールの病室で、そのうち二個を食べた。もう二個のパンは、オヒールのために残しておいた。

 すると、しばらくしてオヒールが目を開ける。

「オヒール君。大丈夫か? オレだ。太郎だ。分かるか?」

「はい。分かります。ここは病院ですか?」

「そうだ。椿記念病院だ」

「右脇腹切られたから、ここにいるんですね。何があったんでしょうか?」

「見当はついている。犯人と動機についてもだ」

 そう言っていると医師が入って来た。

「オヒールさん、目が覚めたようですね。気分はいかがですか?」

「切られた気分です」

「ははははは。それだけ冗談が言えれば、大丈夫でしょう。幸い、傷口は浅かったので何もなければ、三、四日で退院できるでしょう。しばらくは、安静にしていてください」

 医師は太郎にも会釈して出て行く。

「なんだ。オレが思ってたより元気そうじゃないか。腹減ったか? そう思ってパン、二つ買って来たけど、よく考えてみたら手術したばかりで食べられる訳ないね。置いていくから食べられるようになったら、おやつ代わりに食べて。あ、そういえばオヒール君を切りつけた犯人って、どんな奴かもう一度教えて」

「あれは女です。髪が長かったです」

「そうか。分かった。少し、気がかりな事があったんだ。あ、それと何か差し入れに本でも持ってこようか?」

「差し入れは助かります。荷物のカバンの中に携帯とSWITCHが入っているので、届けていただければ嬉しいです」

「そっか。わかったよ。一回、タダスさんの所に戻ったら持ってこさせるよ」

「すみません。ありがとうございます」

 そうしているうちに、東見太が迎えにやって来た。オヒールの着替えとおやつも少し持っている。

 病院を後にしながら太郎の頭に嫌な思いが膨れ上がる。うーん。何というか、昨日のみっちゃんの電話の後に、事件が起きている…。

 伊藤家に帰った太郎は、タダスさんに事の詳細を説明した。

「それは西君がさらわれた事と、関係しているのか?」と、聞いてくる。

「違うと思う。今朝のオヒール君へのナイフでの切りつけ方は、あまりにもやり方が違う。もしかすると、オヒール君はオレと背格好が似ているから、間違えられたのかもしれない。オレは、その犯人に心当たりがある。ちょっと、そっちの方を当たってみる」

「無理するなよ」

「それと今日から、タダスさんの同行は俺がやる。物騒な事だらけだけど、でも、もう告示日まで一週間になったじゃん。もうひと踏ん張り。公営掲示板の掲示場所を書いた地図、もうすぐ出来るんだろ。それを住宅地図に落とし込む作業だって大変だと思うけど、皆で頑張ってタダスさんを当選させような」

「はい」と、学生達は揃って返事をする。

 その後、その日の午前中だけはタダスさんに休みを取ってもらう。タダスさんも連日の戸別訪問でクタクタだから、丁度いい休みになるだろう。

 太郎はその間に、アミに連絡を入れる。朝の事件の事を話すと、アミが静かに言う。

「そろそろ、宮島麗子の手下が動き始めるかもしれない。太郎ちゃん、こっち来ちゃダメよ。付けられる可能性あるから。椿町近辺にいる限り、手出しはしてこないと思うけど用心してね」

「わかった。気を付けるよ」

 そしてもう一件電話をする。みっちゃんこと、出村美知子へ。

「今から、役場へ行こうと思う。時間取れるよね」

「どうしたの?」

「出村美知子。悪あがきはやめな」

「分かった。待ってる」

 タダスさんに、椿町役場に行ってくると断って、出かける。

 役場の駐車場に車を停めていると、みっちゃんが寄って来た。車を降りると、みっちゃんが話しかけて来る。

「選挙の調子どう?」

「あぁ、何とかね。ただ、みっちゃんが余計な事してくれたけどね」

「やっぱり太郎君、気付いたんだ。アタシね、親の都合で『坂下たかひろ』を応援してたの。でも、坂下の家の前に町の嫌われ者になって出て行った修が気を失って縛りつけられていた。近所中、大騒ぎになって完全にイメージダウンした。あれ、太郎君がやったんだよね? 私にはわかった。だから本気で太郎君を殺してやろうと思って今朝、襲ったの。でも包丁で切りつけた人は別人だったうえに、大した怪我じゃなかったんでしょ。けど今朝の事なんでアタシだって分かったの?」

「回覧板の件だよ。それにオレと背格好が似ているから、間違ってオヒール君を襲ったんだろ。オヒール君は『自分を襲ったのは長い髪の女』と言っていた。その時の運転手は坂下たかひろかな?」

「太郎君、そこまで分かってたんだ。」

「まだあるよ。事務所のパソコンをクラッキングしたのも、みっちゃんだろ」

「…」

「それとみっちゃん、一番大事な事だけど、修を坂下の家の前に縛り付けて行ったのは、オレじゃないよ。オレは西って言う学生が拉致されたから、助けて連れ帰っただけ。坂下は、西君の拉致に絡んでないのか?」

「絡んでないよ。そんなことしたの突き止められたら、当選しても問題になるよね。アタシ冷静さ失って肝心な事忘れてた。太郎君だってタダスさんに迷惑かけるような犯罪犯す訳ないよね。選挙の責任者だもん。そんなことしたら、伊藤の家も山田の家もこの町に居られなくなる。こんな事にも気づかなかった。アタシって最低。警察に突き出さなくてありがとう。選挙終わったら海野君の店で一緒にお寿司食べようね」

「分かってくれてありがとう。でも、多分出来ない。選挙が終わったら、すぐここを離れる事になると思う」

「そうなんだ。もう会えなくなるの?」

「多分。この選挙が終わったら、もうここには戻らないと思う。デートするなら今のうちだよ」

「そうなんだ。だったら今晩にしない?」

「いいよ。でも、オレに殺意を持って近づくんなら、ごめんだよ」

「うん。大丈夫。やだなぁ。悪い冗談、言わないで。じゃあ、午後六時に海野君のお店で大丈夫かな?」

「あぁ、構わないよ。じゃあ行くね」

「バイバイ」

 美知子と別れ、伊藤家に戻る。昼時だったこともあり昼食を採り、一旦休憩する。

 さて集票活動に行くかと思い、もう既にマーカーの落とし込みがされている地図を見ながらタダスさんと動いた。

 一区切りついた車の中で、タダスさんが言う。

「太郎、お前この間の山の中の事件に手を貸したのか?」

「うん。仕方なかったんだよ。西君救出して、ここに戻ろうとしたら、その場でオレが拉致されて山荘に連れ込まれてしまったから。オレあそこにとじ込められてしまって…。助けに来てくれたのが闇社会に通じている人間で…。おれ、もう引き返せないよ。でもタダスさんの選挙だけは、成功させたい。そしてそれが終わったら表の世界から消えることにするよ。もう戻れない」

「そうか。本当にすまなかった。こんな事なら…」

 タダスさんは移動する車の中で泣き出してしまった。「すまない」と言って。太郎は黙って、見守った。

 予定していた目的地近辺で、駐車禁止では無い所を選び車を停めて戸別訪問に回る。

 夕方になり戸別訪問を終え、みっちゃんと約束した海野の店まで森田初に送ってもらう。帰りも迎えに来てもらう様に頼んでおく。

 そして海野の店に入ると、みっちゃんは既に来ていた。

「やぁ、お待たせ」

「全然、待ってないよ。横に座りなよ」

 みっちゃんはカウンター前の椅子に座る様促す。太郎はその通り椅子に座る。

 早速おしぼりで手をふき、ビールを注文する。

「さぁ、何食べようか?」

「紋甲イカ握って」

「オレ、鰤にする」

その夜は特に変わった事も無く食事を終える。みっちゃんを先に返し森田に迎えに来てもらう。


 伊藤家に着くと学生が全員で地図にマーカー落としをやっていた。公営掲示板の位置が書いてある『青図』を見ながら。青図は、立候補説明会に出た時に選挙管理委員会からもらう地図だ。

「これでポスター張りに必要な人数が分かるね

「そうだな。本来は親しい候補者同士がポスターを交換しあって、公営掲示板に貼って行くから人手が少なくて済むのだが、ウチは他の陣営と組んでいないからな。そういえばボランティアの仕事の件だが、食事作りと電話かけをしてもらうつもりだ。どう思う?」

「いいと思うよ。あと、戸別訪問している時に使っている地図の再作成は? 地図はすぐ痛むし」

「それで行こう」

「学生も含め、我々二人も戸別訪問に行こう」

「そうだな。ところで公示期間中に手伝ってくれた人におやつとして、イナゴの甘露煮を出そうと思うんだがどう思う?」

 また出た。タダスボケが。

「うーん。そんなもの出すより煎餅の方がいいんじゃないかな? 安くつくし、箸や皿もいらないし。変に気を使っても皆遠慮すると思うよ」

「なるほど。お前の言う通りだ。じゃあ、面白みに欠けるが、煎餅にするか。確かにな。分かったぞ」

 ふぅ。また変に勘ぐる人が出ることにならなくて良かった。しかしイナゴの甘露煮って結構高いんじゃないのか? まぁいいいや。


 今日の戸別訪問もいつも通りだったなぁ。このまま、過ぎてくれよ、と思いながら告示日を迎える。

 朝九時に候補者の代理人が出馬届を選挙管理委員会に提出する。タダスさんは九番目の届出だった。つまり、公営掲示板の九番と書いてある所にポスターを貼るという事だ。届け出をした人間はすぐに事務所の人間に『九番』と伝え、事務所に戻ってポスターを貼りに行く。

 しかし、候補者自身は一般的に公営掲示板にポスターを貼りに行かない。戸別訪問や個別訪問をする。また、街頭演説をしたり街宣車に乗って回ったりと様々なパフォーマンスをする。

 タダスさんも学生も、今までよりパワーアップした個別訪問をやる。この時、候補者に何かあってはならない。守るという意味で秘書や付き人が二人付く場合が多々ある。しかし、今回は太郎とタダスさんが念のため防弾チョッキを着ているから太郎一人で十分なのだ。それに太郎は密かにナイフを持っている。

 その代わりにボランティアの人達、三十五人を指揮する人間がいなければならない。これがきちんと出来ていない事務所は、余程票田がある場合以外、必ず落選する。

 最初は太郎がやる予定だったが、タダスさんに張り付く事になったため役割を変えた。

 そこで「大学を卒業したら、すぐに自分も政治家を目指す」と言っていた大久保翔の三人でシュミレーションをしてみる。

「皆、初めての選挙だ。どこで、いつ、どんなトラブルが起きるか分からないよ」

 それで大久保から想定外の事が起きて連絡があった時、解決する役割を気が強い北苑花に担当させる事とした。

 タダスさんと太郎で考えられる布陣は全て築いた。

 そして公示期間は様々な温かい言葉やヤジがあったが、物理的攻撃は無かった。


勝利


 一週間が経ち、投票日になった。もちろん、タダスさんの事務所の人間は全員投票に行く。

「終わったね」「やるだけの事はやった」

 そして夜、八時の開票結果を椿市の選挙管理委員会のホームページで見ていた。

 八時二十分。開票率五パーセント。『伊藤正』、え? 五百。八時三十五分。開票率三十パーセント。『伊藤正』千五百。

 シーンとしていた中、大久保がボソッと言う。

「勝ったじゃん」

 伊藤家で待機していた者全員が、歓声を上げる。

「ウォー」「ウワー」「やったー」

 それから近所の人やボランティアの人が次々とやってきて、万歳三唱となる。

 落ち着きを取り戻し、関係者以外帰って行った時だ。

 笑顔でタダスさんは全員に言う。

「心地いいな。これが勝利の美酒というやつなんだろうな。選挙管理委員会の百パーセントの開票率を見ると『伊藤正』が二千五百六十三票になっとる。三位当選だ。私の作戦が的中した証拠だ。みんなありがとう」

 タダスさんは皆にきちんと頭を下げる。

「時には、外に出るのさえ危ない時期もあった。そして政治研究部の皆は歴代の総理大臣の思想や実績も教えてくれた。これは君達がいたから成り立った選挙とも言える。直接、君達に渡せる金が公職選挙法の関係で、一人当たり一日一万円と食事代が一食千円しか出せなくて残念だ。そうじゃないと、事前買収や事後買収になってしまうからな。すまない」

 そこに南舞夏が口を開く。

「お金が欲しくてやったんじゃありません。それに、自分の経験にもなったし。私も大学卒業したら、政治家目指します。タダスさんみたいに画期的な政策は打ち出せないと思うけど、私もやりたいことがあります。当選してからじゃないと、何も出来ないです」

 うっすら涙を浮かべながら更に言う。

「タダスさんの政策、これから広がって行くように期待してます。そして私もタダスさんんにいつか追いつきます」

 南は、言葉を切って下を向く。

「ありがとう。追いつき追い越して行ってくれ。時代を作るのは若者だ。私は若者が歩きやすくするだけだ。皆、明後日まで、お礼の戸別訪問に付き合ってくれ。しかし本当にこの三ヵ月、キツかったなぁ。今晩はゆっくり休もう。さ、ここを片付けるのが今日の最後の仕事だ」

 すると全員がお茶やもらった当選祝いの日本酒を片付ける。そこに東がボソッと言う。

「もらったお酒って買収にならないのかなぁ」

 そこに森田が「東。勉強不足だぞ。陣中見舞いの酒はアウトだけど、当選祝いの酒は合法なんだぜ」

「あ、そうなんだ」

 しばらくで片付けは終わり、めでたく一日が終わった。

 それから二日、お礼の戸別訪問を明るく終える。その後盛大に飲み会をして学生達と別れる。


サヨナラ


 翌日、アミに連絡を入れる。

「アミさん。オレ、これからどうしたらいいっスか?」

「あ、太郎ちゃん。そろそろ連絡ある頃だと思って待ってたよ。よく聞いて。太郎ちゃんも何でこうなるんだ。薄々おかしいと感じてたよね。そう私は最初から宮島麗子の隠し金を手に入れるため、動いてたの。ずっと前から準備して、色々探って。こちらの方が私の本当の仕事なの。でも、太郎ちゃんを巻き込んで人生変えさせちゃった。それで、これからなんだけど、太郎ちゃんはどうしたい? 別の戸籍を作って別の場所で静かに暮らす事もできるよ。それとも、ゼロ・イチみたいに闇の世界に潜んで、全く別の人生送る?」

「もう静かな普通の生活には戻れないよ。戸籍を変えて闇に潜る」

「そう、じゃあすぐにゼロ・ニに連絡入れさせる。アタシもこれから、すぐここを引き払って身を隠すつもり。ちょっと待ってね」

 アミはすぐにゼロ・ニに連絡を取ると、太郎の携帯にゼロ・ニから電話が入った。

「至急身の回り片付けろ。準備できたらこの番号に連絡しろ。後の事はその時指示する」

 太郎は再びアミに連絡し、ゼロ・ニの指示に従う事を告げる。


 タダスさんに最後の挨拶をし、母親には急に転職が決まったと伝える。この古い家に戻ってくることは、もう無いだろう。山沢駅まで車で送ってくれた母親に、心の中でサヨナラをする。

 山沢駅の中から、念のため太郎はゼロ・ニに電話を入れる。

「太郎です。今、山沢駅です。これから電車で東京のアパートに向かう予定です」

「いや。東京に一人で戻るのは、危険だ。そのまま、山沢駅の構内で待っていろ。周囲に人のいる所でだ。こちらから迎えに行く」

 そう、確かに危険かもしれない。ここで、山田太郎とサヨナラだ。みんなさよなら…。今までのオレ、サヨナラ…。


行方不明


太郎が就職が決まったと言って、実家を出て行ってから、半年が経っていた。

その日は母親の美里の所へタダスさんが、顔を出していた。

「リンゴ沢山もらったから、持ってきたよ」

「あら、ありがと」

 言葉のわりに、美里の顔は冴えない。

「姉ちゃん。何か心配事でもあるのか?」

「うん。太郎の事なんだけどね」

「太郎から、何か言って来たのか?」

「全然! 太郎に限って、大丈夫だと思おうとしてるんだけど…。あれから、もう半年も音沙汰無しで…。携帯も繋がらないし、手紙出しても、転居先不明で戻ってくるし。渉さんとも、この間から少し話ししてたんだけど…。警察に捜索願出してみようかな…」

 美里は、涙ぐんでいる。

 タダスさんは何と言葉をかけていいか、分からない。

「私のせいだ。姉ちゃんにも渉さんにも本当に申し訳ない。太郎、頼む無事でいてくれ!」と心の中で叫ぶ。

 その時だ。山田家の電話が鳴り響いた。


「こちら、能村警察の小林と申します。山田さんのお宅ですね?」

「はい。そうですが、何か?」

「山田太郎さんのご家族ですか?」

「はい。母親です」

「実は、能村町の海岸の岩礁から波にさらわれた男性が、山田太郎さんの可能性があります」

「太郎は今、東京にいるはずですが」

「ご本人の携帯と勤務先の電話は分かりますか?」

「いえ、新しい勤務先が決まったら、知らせてくれると思っていたのですが、まだ聞いていません。携帯も番号が変わったらしく、連絡は取れていません。私も少し変だとは、思っているのですが…」

「海に流された男性は、岩礁の上で釣りをしていたそうです。近くで、やはり釣りをしていた人の話では、山田太郎と名乗っておられたとのことです」

「え。 それで海に流されて、どうなったんですか?」

「行方不明です。それで、残されていた持ち物をご家族に確認して頂きたいのですが、出来るだけ早くこちらにお越し頂けないでしょうか?」

「分かりました。至急伺います」

 美里はタダスさんにも事の次第を伝え、単身赴任中の夫の渉にすぐ連絡を入れる。そして相談の結果、タダスさんが一緒に能村警察へ行く事になった。

「姉ちゃん、私の車で行くから。そんなに遠くない。一時間ぐらいで着くと思う」

「悪いねタダス。うちの人、仕事休みもらって一緒に行くって言うんだけど、こっちに戻ってくるだけでも時間かかるから」

「いやいや、太郎や姉ちゃんには選挙で世話になりっぱなしだったんだから、これくらいの事当然だ。それに私もすごく心配だから…」

 美里の暗い顔を見ると、タダスさんも胸が痛い。太郎、選挙が終わったら表の世界から消える事にするって言ってたな。これが表の世界から消えるという事か? 太郎生きていてくれ。たとえどんな形でもいい。頼む、死なないでくれ。

 タダスさんは涙で視界が曇りそうになりながらも泣くのを堪え、隣に座っている美里に気付かれないように、慎重に車を走らせる。

 能村警察では、小林が二人を待ち構えていた。そして現場に残されていたバッグと、その中身を見せられた。

「免許証や財布は身に付けておられるらしく、見当たりません。しかし、バッグの中に名刺入れが入っていました。御覧の通りそこには椿町町議会議員選挙の時、使用されたと思われる名刺が十枚入っておりました。それが、目撃した人の言葉と一致しましたので、ご連絡しました。他にも、ハンカチやボールペンなど、見覚えがありますか?」

「はい…。太郎の物だと思います」

 そう答えた美里はハンカチを目に当て、すすり泣く。

 タダスさんは言葉もなく、美里の肩に手をかけ、涙をこらえている。

 とにかく、一週間くらいは辺りの海を捜索するとの事だ。


 結局、水死体が見つからないまま、更に一年が過ぎた。

 太郎からは何の連絡もない。山田家の家族は悲しさから何とか、立ち上がろうとしていた。

「太郎の事だ! きっとどこかで、生きているさ」

「記憶を失っているのかもしれないね」

「別の名前になって、別の人生送ってるのかも?」

「きっと、元気でいるって信じようよ!」

 美里は、太郎がいつ戻ってきてもいいように、部屋をいつも掃除している。

 時々、太郎の机の前の椅子に座ったり、ベッドに腰掛けたりしている。

 そんな姿を家族は気が付かない振りをして、明るく振舞っている。

 一方、伊藤家では茶の間の棚の上に、太郎を囲んだ写真が飾ってあった。太郎の横にタダスさんが立ち、選挙の時の学生スタッフが笑顔で並んでいる。

「太郎君! やっぱり海に流されていったの?」

 佑恵が、写真の太郎に向かって、低い声で話しかける。

「そんなことあるか! 太郎は必ず、どこかで生きとる。そうに決まっとる」

 タダスさんが自分自身に言い聞かせる様に言う。

 その時、タダスさんの携帯に公衆電話からの着信があった。

「はい、伊藤です」

「…」

「もしもし、太郎か? 太郎じゃないのか?」

 電話は切れる。

 太郎に関わった人それぞれの胸に、さざ波を立てながら、太郎への思いは漂い続ける。


走馬灯


「海斗ちゃん、まだまだねぇ」

 ゼロ・ニを相手にナイフの練習をしていた舟木海斗にアミが声をかける。

『舟木海斗』かつての『山田太郎』だ。長く伸ばした髪を後ろで一つに結び、日焼けして髭をはやした顔は、別人の様に見える。

「今日はここまでにしとこうか? 何か話があって来たんだろう。アミ」

 ゼロ・ニがナイフをしまう。

「そうなの。ちょっと海斗ちゃんにね。海斗ちゃん、ここ来てどれだけ経った?」

「椿町を出てから、もうすぐ一年半っスよ」

「そう。銃の扱いなんかは、期待した以上の上達ぶりだと思うわ。ナイフのセンスもいい。でも、戦闘地域に乗り込むとなるとねぇ…」

「え! 次の仕事は海外なんスか?」

「そう。大きな仕事なの。赴任先は中東。この意味わかる? 海斗ちゃん」

 ゼロ・ニは口を挟まず、二人のやり取りを聞いている。

「残念だけど、今の海斗ちゃんじゃ危険すぎる。ここに残ってもらうしか、ないと思うの」

「期間は、どれくらい?」

「うまく事が運べば三週間、長引けば…二か月ぐらい…悪くすると、もっとかかるかもしれない」

「それじゃあ、その間オレはどう過ごしていたらいいっスか? ゼロ・ニもアミさんと行動を共にするんでしょ」

「そうなの。ゼロ・ニを残して行ければ海斗ちゃんの事、任せられるんだけど。今回は、そうもいかなくって」

「そうっスか。それじゃあオレ、自主訓練しながら待ってますよ」

「そう。そうしてくれる? ただ、これだけは守って欲しいの」

 アミは、真剣に海斗を見つめる。

「私達は、いつ誰に狙われてもおかしくない仕事をしてるの。海斗ちゃんは、ある意味まだ素人の感覚が抜け切れていなくて、用心が足りない」

「大丈夫です。十分、注意しますから」

「現金は百万円。あと、海斗ちゃんの口座にお金を入れてあるキャッシュカードも渡しておくから、ゼロ・ニから教わった事、しっかり思い出して自分自身を守ってね」

 ゼロ・ニが「一つだけ」と言い、忠告する。

「出来るだけ部屋から出るな。中にいる限り安全だ」

「いつ出発するんですか?」

「明後日。買い物するなら、今日だけだよ。ゼロ・ニが一緒について行ってくれるから、安心できるよ」

「そうですか。分かりました。レトルト食品を中心に買って、なるべくこの部屋から出ない様にします。ゼロ・ニさん、買い物に付き合ってください」

「分かった。行こう」

 ゼロ・ニと二人で、タクシーに乗り海斗の希望もあってデパートへ向かう。デパ地下はスーパーと違い、沢山の高級食材が置いてある。当分は味気ない食事でガマンしなければならないだろう。今日ぐらい、新鮮で上等の物が食べたい。

 そして山の様に二か月分の食料品を買い込んだ。

 服もボロボロの物しかなくなっていたから、新しい物を買った。他には日用品もだ。


 アミたちが中東に行ってから二か月。自主訓練はキチンとこなしていた。

 しかし、そろそろ食料品が尽きかけている。レトルト食品などはネットで注文したが、生ものが無性に食べたくなってきた。思い切って、デパートに行こう。

 海斗は防弾チョッキを身に付け、左胸の内ポケットに銃を携帯する。そして右の腰にはナイフを装備した。

 用心深くドアを開き、外部から死角になる所を選んでゼロ・ニのアジトを出る。タクシーを拾って、デパートの地下食料品売り場へ行く。ステーキ肉や焼き肉用のハラミの他に赤ワインのシャトー・カノンを買い込む。ついでに総菜もいくつか買った。

「あぁ、久しぶりに外の空気、吸ったなぁ」

 片手で軽く下げられる程度の量に抑えて、帰りのタクシーを捕まえる。

 行き先を告げ、しばらく走る。荷物にちょっと手を触れていた時だった。左前方の路地から出て来る自転車の影が見えた。運転手がブレーキを踏む。

 フッと車の中の空気が変わったような殺気を覚える。しまった。敵がタクシーの運転手を装って近づいてきていたとは! 海斗がナイフを抜いて運転手の首に突き付けようとしたその瞬間、運転手が銃を発射していた。

 額を撃たれたようだ。

「畜生。あんなに用心していたのに。一瞬のスキを突かれてしまった。クソッたれ。アミさん…」

 急速に意識が薄れて行く中、いくつもの思い出が浮かんでは消える。これが、走馬灯ってやつか。

 幼い時、弟が生まれ、そっちばかり可愛がられているように思えて寂しかった事。

 家の裏山を、みっちゃんと駆けずり回った事。

 中学までほとんど勉強せず、オフクロに怒られた事。

 大学で合コンばかり行ってたこと。

 不動産会社で辞表をたたきつけた事。

 タダスさんの選挙で勝利して、ビールかけ…。


 舟木海斗の死体が見つかったのは、翌朝だった。ゼロ・ニのアジトから、そう遠くない河原の茂みに横たわっていた。免許証だけが、服のポケットから出てきた。額を撃ち抜かれていたが、なぜか右手を振り上げていたと言う。 


エピローグ


中東で傷の痛みを抑えながらアミはアジトに戻って来た。すぐに海斗に電話を入れたが、応答がない。胸騒ぎがして密かに探ると海斗が殺されたことが分かった。すぐにゼロ・ニに連絡を入れる。

「ゼロ・ニ?」

「アミか?」

「中東では迷惑かけたわね。何かそっちで異変起こってない? 海斗ちゃんが殺害された。私達が中東に行っている間に」

「オレのアジトがバレたんだと思う。空港からの帰り、アジトの近くで襲われた。相手は倒したが、オレも深手を負った」

「今、どこにいるの?」

「例の医者の所だ。アジトがバレた以上、オレは隠れる」

「そう。私にも、いつ手が及んでくるかわからないわね」

「そろそろ潮時だな。連絡はこれきりにしよう。縁があったらまた会おう」

 ゼロ・ニの方から電話を切った。この電話番号はもう使えないだろう。


 そう、あれは二週間前の事。中東での仕事は成功し逃げようとした時、アミは突然めまいに襲われ、足が止まってしまった。その時、脇腹に銃弾を受けた。アミはその場で崩れてしまった。

「アミしっかりしろ」

 ゼロ・ニ、がアミを抱えて脱出してくれ、応急処置もしてくれた。

「とにかく非戦闘地区へ行って手当をしてもらおう」

 ゼロ・ニは現地の病院でアミに治療を受けさせ、すぐに帰国の手配をした。

 ゼロ・イチとは別行動で、仕事完了直後から連絡が途絶えていた。

 アミはすぐに日本を離れ、アメリカに渡る決心をした。はんこ屋をたたんだ時から、いずれはと準備はしておいたのだ。

「海斗ちゃん。ううん、太郎ちゃん」

 アミは心の中で、太郎に呼びかける。

「日本を離れるわよ。一緒に来てね。太郎ちゃんは私の心の中に棲んでいるのよ」

 アミの行動は素早い。翌日には、もうアメリカへ飛び立っていた。


 アメリカでの生活に慣れ、落ち着きを取り戻した時、まためまいがした。

「疲れてるのね。ゆっくり休まなきゃ」

 ここまでくれば、誰も追って来ない。アミは、心も体も休め栄養をしっかり摂り、回復に努めた。時々脇腹が痛む。

 しかし、ある朝ベッドから降りようとした時、足に力が入らない。

「こんな事、初めてだわ。どこか悪いのかもしれない」

 アミは以前に調べておいた安心できる病院に予約を取り、検査入院の手続きをする。


「悪い結果が出ています」

「悪い結果とは? どのような病気ですか」

「病名は、血管内リンパ腫と言います。癌の一種です」

「あまり聞きなれない病名ですが、どのような病気なんですか?」

「血管内の赤血球が攻撃され、破壊されるのです」

「どんな治療をするんですか?」

「とても残念ですが、手遅れです。この病気は貧血と間違えられやすく、症状が現れた時はほとんどの場合、末期です」

「そうですか。では、余命はどれぐらいでしょうか?」

「長くて二ヵ月。しかし、もしかすると、一週間しかもたない事も考えられます。激痛が起きることがありませんか?」

「はい、感じる時がありますが怪我の後遺症かと思っていました」

「その痛みはおそらく、この病気のせいです」

 医師は、沈痛な顔でアミを見る。

 病室に戻ったアミは医師の言葉を頭の中で繰り返す。

 自分でも不思議なくらい、冷静でいられる。


「太郎ちゃん。さっきの医師の話、聞いていた?」

 アミは心の中に棲む太郎に話しかける。

「アタシも、もうすぐ太郎ちゃんの所へ行くわよ。でもその前に、太郎ちゃんに話しておかなければならない事があるの。聞いてね」

 アミは目を閉じ、語り始めた。

「太郎ちゃんが東京の会社を辞めて椿町に帰って来た頃、アタシは宮島麗子の所に一時的に多額の現金が集められているという情報を入手していたの。そして、その隠し場所を探っている最中だったの。それと、もう一つ問題を抱えてた! 大きな裏切りをした手先を抹殺しなければならないという件。太郎ちゃんが、選挙の件で相談に来た時、今抱えている仕事に利用できるのではと、感じたの。太郎ちゃんは慎重な面もある癖に、私の言う事は何でも受け止めてくれた。ちょっと変だなと思われる事でも、アタシの口から出ると無条件で、信じてくれた。学生ボランティアの西君の拉致は手下の抹殺を任せられたゼロ・イチが考えた事なの。抹殺されそうになっている事を知らない、つまり自分達のしたことがバレていると気づいていない手下をだまして西君を拉致させ、太郎君に救出させている間に、その手下を処分したの。坂下町議の家の前に縛り付けておいたチンピラの件は選挙に紛らわせて、手下の始末をボヤかすためにゼロ・イチが付け加えた事だと思うわ。太郎ちゃんにはもちろん、皆にも怖い思いさせたわね。でも、宮島麗子の部下が変に思って、太郎ちゃんに事情を聞こうとした。その手段として、太郎ちゃんを山の中の別荘に拉致して行ったのは、大マヌケだったわね。ゼロ・イチは別荘まで太郎ちゃんを乗せた車を尾行して行って、そこが宮島麗子の隠し別荘だと分かった。そして隠し金が、そこに集められていると確信したの。素早く潜入して金庫を探し当てた。ゼロ・イチはその場で、アタシに連絡してきたの。ここまで言えば分かるわね? 太郎ちゃん。私は重装備をして現場に行ったわ。そして、ゼロ・イチが三十億円という、とんでもない現金を運び出すのを助けるため、太郎ちゃんを巻き込んで出来るだけ派手に暴れたの。思った通り、相手方はアタシ達に引き付けられて、ゼロ・イチは現金の運び出しに成功したの。その結果、太郎ちゃんには取り返しのつかない罪を犯させてしまった。でもね、太郎ちゃん! 弁解になるけど、アタシの気持ちを聞いて欲しいの」

 疲れたのか、アミはベッドに横になる。

「アタシは、宮島麗子の件が片付いた頃、そろそろこの闇世界から手を引く時が来ているとは、感じていたの。そして太郎ちゃんさえ良ければ、誰にも知られずにひっそりとアメリカで暮らしてもいいかなぁと思っていたの、ぅ…」 

 その時激痛がアミを襲った。息が苦しくなる。

 医師たちが周囲で何か処置しようとしているのを感じながらも、気が遠くなった。

 アミが目覚めたのは翌日だった。

「アタシ、まだ生きてたのね。太郎ちゃん、もうすぐ側に行くからね。そうそう。話の続きだけど…。アタシは、中東の仕事は受けたくなかったの。でも、どうしても断れなくて。それで、この仕事を最後に身を引こうと…。でも太郎ちゃんを一人で残して行ったのが誤りだったわね。先にアメリカに渡ってもらっておけばよかったのに。太郎ちゃん、ごめ…」

アミは意識が、混濁してくる。

その後二日間、アミは眠り続けそのまま息を引き取った。

誰にも看取られず。


しかしその顔には、うっすらと笑みさえ浮かんでいた。


      終


選挙とういうと国政選挙か知事選挙を浮かべがちですが、本文にも出てきた通り町会議員や県議会議員にも選挙はあります。そして一番身近な政治家でもあります。私の実家の近くに危険な道路があって、そのことを町会議員に「危険だからなんとかして欲しい」と言うと、あっという間にガードレールが出来ました。

やはり身近な政治家は必要だと感じた一件でした。タダスさんはそんな人になりたかったのかもしれません。そして当選票数が七百五十票としますが、田舎の町会議員選挙で当選に必要な票数はどこの街でも似たようなものです。もちろん、市議会議員選挙、県会議員選挙となってくると、もっと票数が必要になってきます。当然票集めはもっと苦労します。参議院議員は県全体が票田なので自分たちで開拓して行くことは不可能です。そこで地元の市議会議員や県議会議員の力を借りてなんとか当選に行き着きます。タダスさんの場合は他陣営の力を借りることがなく当選出来る選挙だったので、他の議員に媚を売る必要はありませんでした。そして、タダスさんを助けてくれたボランティアの存在は絶対です。身内だけで選挙をやろうとすると、必ず失敗します。

至らない小説でしたが人が書かないような、物語を書いてみました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ