9月の花火
街角を曲がれば、いつもの景色がやけに色付いていた。
だだっ広いただの河川敷。
いつもは何もないその場所に、白をメインに、赤や黒、青などの屋台が軒を連ねている。
左端にある仮設ステージでは、どこかのミュージシャンが賑やかにパフォーマンスをしている。
マイクを通した歌声の大きさに、美琴は少しだけ眉を潜めた。
耳を貫くような音量は苦手だ。
少しだけ目線を下にして、歩く速度を早めた。
少しずつ小さく遠ざかる歌声は、知らないもののはずなのに、何故だろう、何となく懐かしいような気がした。
ステージの奥にある屋台はどこも大盛況だった。
とても長い行列があちこちにできている。
友達同士やカップル、子供連れの若い夫婦、それぞれが楽しげにはしゃぎながら、順番を待っている。
一人で歩く美琴は、浮いているような場違いなような気がして、どことなく落ち着かない。
長い列に並ぶのも戸惑われて、一番短い列を探した。
お好み焼きや焼きそば、かき氷やクレープ等、どこも人気だが、まだ人が少なめの焼きラーメンを見つけて並ぶ。
携帯を弄りつつしばらく待ちながら、花火大会を見に来たことを、少しだけ後悔していた。
美琴はここしばらく、季節感も何もない過ごし方をしていた。
春は花見もしなかったし、夏になってからも、夏らしいことは1つもなかった。
平日は毎日仕事詰めで、早く週末が来ないかと思いながら過ごし、ようやく来た週末も、疲れてのんびりしているだけであっという間に終わる。
それを4~5回繰り返すだけで、もう月は変わっているのだ。
平日は速く終われと思うのに、気がつけば季節は自分を置き去りにして過ぎ去っていることに驚く。
「時が経つのは速い」を通り越して、空しくなるくらいだ。
何かを楽しむことも、成し遂げることも満足に出来ない日々。
そして気が付けばそんな状態に慣れてしまいそうな自分が、怖かった。
ただ時が過ぎていくのを、何も感じなくなることに不安を覚えた。
何か、その季節を過ごしたんだと言う証が、欲しくなった。
今はもう9月。夏ももうすぐ終わりを迎える。
美琴の住んでいる街では、9月に小さな花火大会をすることは知っていたが、日程なんてチェックしたこともなかった。
いつも知らないうちに終わっており、すぐに忘れ去る。その程度のものだった。
だけど今年は、たまたま見たSNSのニュースで、今日行われることを知った。
夕方に差し掛かる今、ふと窓の外を見ると、薄い水色の空が、とても透明に澄んでいた。
今日は疲れて家の中に閉じ籠っており、外の空気を吸っていない。
空の淡い色合いと眩しさに引かれるように、美琴は小さなショルダーバッグだけを持って、外へと出掛けた。
思いの外速く焼きラーメンを受け取り、美琴は河川敷の端っこの方で空いているスペースを探した。
なるべく目立たない場所を選び、ジーンズのまま何も敷かずに草の上に座った。
小規模な大会だけあって、回りにいる人達はほとんどが地元民だった。
以前は大きなお祭りだったようだが、時代の流れで自然となくなってしまっていた。だけど最近になって、再度復活させようと、町起こしの意味も込めて、市の取り組みとして再開したものだった。
大々的には公表していないため、参加者で大混雑するほどではないが、それでもかなりの人が集まっている。
この中の人達は、どんな夏を過ごしたんだろう。
思い切り満喫した後の締めくくりなのか、美琴のように、最後に夏を味わいたいという駆け込みなのか。
それぞれの思いを抱えながら、皆この場所に立っているのだろうな、とぼんやり考えた。
食事をし終え、温くなったペットボトルを飲んでいると、場内アナウンスが流れ始めた。
もうすぐ花火が始まるというその声に、会場の人達が少しだけざわめき、そして静かになった。
少しの静寂の後、一筋の光が空に向かって駆けあがっていく。
はっと息を飲む気配の中、夜の闇に一輪の大花が咲いた。それを皮切りに、次々と光が夜空を割き、眩しい輝きを放っていく。
パァン、パァン。
大きな音を響かせながら、咲き誇る花火。
赤。
緑。
黄色。
たくさんの色が、瞬いては散っていく。
キラキラとした溢れんばかりの輝き。
真ん丸や楕円形。
すすきのような長い尾を引く形。
ハート形の花火が浮かんだときには、わぁ、と言う甲高い声がどこからか聞こえた。
皆が空を見ている。
同じ方向を見上げ、同じ色に瞳を染めて。
一瞬で消え行く光を、ただひらすらに眺めていた。
パラパラと落ちていく光の欠片を目で追いかけながら、夏が終わっていく、と、美琴は急に強く感じた。
「皆様にお願いです。今から警備員が帰り道を誘導します。信号が変わるのが早いため、青でも通行を止めさせていただくこともあります。ただ、これは皆さんの安全のためです。何卒、ご協力ください。」
ほんの10分ほどで花火は終わり、夜空には暗闇だけが残されていた。
眩かった光の欠片はどこにもなく、燃え尽きた後の煙がゆったりと流されている。
美琴はしばらくその場でその空を眺めていたが、やがて立ち上がり、引き上げる人々の後に続いた。
「子供達は、皆さんの背中を見ています。信号を無理に渡ったら、どう感じるでしょうか。子供を育てるためにも、皆様にはマナーを守り、誇れる姿を見せていただけましたら幸いです」
係員の誘導アナウンスは、ただの棒読みではなく、呼び掛けるように、語り駆けるように、穏やかで、だけど感情のこもった声だった。
良い街にしたいと、地域に訴え駆けるような言葉。
優しい街だと思った。とても優しくて温かい街。
そんな優しさは、美琴には少し辛かった。
人との関わり。季節の思い出。何かを楽しむこと。
気が付けばそれは、自分から遠いところになっていた。
知らない間に過ぎていく時間。
だけど、自分は今こうしてここに立っている。
9月の花火。
夏の終わりに、小規模でも綺麗な思い出をくれる街。
その中に、今自分もいる。
終わる前に、夏と向き合えた。
それだけで、十分だと思った。
明日からまた仕事が始まり、日常に戻るけれど、それでもこの夏の思い出は、この場所にちゃんとあるのだから。
小さくなる屋台の光を一度だけ振り返り、街灯の少ない暗闇の道へ、美琴は歩き始めた。