01 始まり
レグナトアと呼ばれる、その地方は、ユリタザイン王国とザンガルト帝国の国境に位置する。
レグナトアは河があり、水に困ることなく、温暖な気候により、作物を育てやすい地方であった。
ザンガルト帝国は、周辺への武力制圧による恒久の平和を謳い、兵站の供給量を増やすためにユリタザイン王国の領土であるレグナトアへと、侵略を試みていた。
だが、ユリタザイン王国の守りは予想以上に堅かった。
レグナトアを防衛出来たのは、ナザレ・グアートの奮戦あってのものだった。
ナザレ・グアートはレグナトアで生まれ育ち、両親を野盗に殺されたことから、あらゆる方法を用いて自らを鍛え上げ、槍術と魔法を巧みに操り、一騎当千の活躍でザンガルト帝国軍を退けたのであった。
しかし、ザンガルト帝国の目的はレグナトアの侵略だけではなかった。
ザンガルト帝国のもう一つ目的は、大量の死体と、戦争により生まれた多くの呪力、それらを使い大規模な儀式を行う事であった。
レグナトアはまさしく屍山血河である。
至る所に人の死体が転がり
剣で槍で弓矢で傷つけられ、
痛みと苦しみの中で死に絶えた兵。
死体の顔は恐怖と絶望の表情に塗れていた。
彼らは、国のために、領土のために戦ったその身体を弔う事すらされず、烏にその身体を啄まれていた。
周辺には武器や防具が血によって朱く染め上げられ、戦争がいかに凄惨なものであったかを物語っていた。
レグナトアの血に死体と血と呪いが満ちた。
レグナトアの戦場を見渡せる場所にザンガルト帝国の軍服を着た兵士6名と、黒のローブを纏った者6名、そして、縄で拘束され連行される白のローブを纏った聖職者1名の計13名が訪れていた。
黒のローブを、纏ったものの1人が戦場を見渡すと、
「すばらしい!どこもかしこも見渡す限り死体と血だ!」
大きく、歓喜の感情を含んだ声で喋り出した。
「これならば、儀式はうまくいく事間違いない!あぁ、今日はなんて素晴らしい日なんだ!我が帝国軍人とユリタザイン王国兵に感謝しなければならないな」
黒のローブを纏った男の声が捲し立てるが、周囲の人間は聖職者1人を除いて平然としている。
そんな中、1人の軍服を纏った軍人が黒のローブの男へと声をかけた。
「博士、早く儀式を始めましょう。戦場から少ししか離れていないのです。極秘作戦のため、我々警護の者も6名しか居ません。ユリタザイン王国のものに気づかれる前に儀式を終わらせてください。」
軍服の男の声が、黒のローブ纏った男を博士と呼んだ。
声をかけられた、博士と呼ばれた男は軍服の男の声に適当に返事をして、作業を始めた。
「はいはい、分かりましたよ〜。それじゃ、聖職者さんはこちらへどうぞ〜」
博士が指示を出すと、今まで控えていた黒のローブを纏った者が拘束されている聖職者を引き摺り、博士の前に跪かせた。
「それでは〜、この私が、懐より取りだしたる〜ナイフを使って〜聖職者、アリクトア・マカベルさんの首を切っちゃってくださ〜い!」
博士は指示を出すと、軍服の男へとナイフを渡す。
博士が懐から取り出したナイフは、刃の部分が朱くなっており、そこに黒の幾何学模様が刻まれていた。
「それで、サクッとやってもらえれば儀式は発動しますよ〜」
博士の簡単な説明を聞いた、軍服の男は、聖職者の後ろに立ち、聖職者のうめき声と恐怖に歪んだ顔を無視して髪を鷲掴み顔を上に向かせると、ナイフを首に押し当て切り裂いた。
聖職者の咽び泣く声が次第に弱まり、勢いよく噴き出した血が噴水の様に見える。軍服の男は掴んでいた髪を離すと、聖職者は地面へと崩れ落ち、2つ目の口からゴポゴポと血を流した。
その様子を、静かに眺めていた、帝国の者達であったが、聖職者が息絶えると同時に変化ぎ訪れた。
聖職者から流れた血が動き出すと、ナイフに描かれていた幾何学模様となった。
「ふひっ、ふひひひひ!さぁ、始まりましたよ!呪血の創造が!今、この地でこの私の研究結果によって!」
博士が口を開くと汚い笑い声をあげ、自らの功績に酔いしれる様にして話し出す。
「私が研究した、呪力を用いてナイフに陣を刻み、ナイフによって殺された者の血と遺体を使い、儀式が発動するのです!発動された儀式は更に多くの血と遺体を吸い上げ、呪いが!
いや、溢れる血が呪いの核となり、呪いを振り撒く生きた血となるのです!更に、殺す者を聖職者にした事で、私の予測が正しければ聖職者にのみ与えられる力である、聖力すらも併せ持つ、人造呪物となる事でしょう!」
博士の叫び声が、狂気と歓喜を含み吐き出される。
ひとりでに動いていた血が幾何学模様の陣を作成すると眩く輝き、重力がなくなった様に幾千の死体と夥しい量の血が宙に浮かび陣の元へとゆっくりと収束していく。
博士はその様子を子どもの様に目を輝かせて、いつの間にか取り出した紙束に儀式の経過を書いていた。
儀式ぐ始まり、5分が経過した頃更なる動きがあった。
軍服の兵士であり、儀式が始まってから周辺の警戒をしていた兵士の1人が声を上げた。
「隊長!ユリタザイン王国の部隊が1つこちらに近づいてきています。」
近くで警戒をしていたユリタザイン王国の部隊が儀によって起こった異変に気づかれたのである。
ユリタザイン王国の部隊が近づくなか、博士は口元に弧を描き
愉快そうに頷いていた。
「ユリタザイン王国はどうやら〜、我らの人造呪物"呪血"の試運転に付き合ってくれるらしいな〜」
博士の発言に周囲の者達が息を呑む。
隊長と呼ばれた、聖職者殺害犯は博士の発言に、怒りの表情を示した。
「博士今の状況が見えないのですか!まだ、儀式は終了しておらず警護は我ら6名のみなのです。儀式がいつ終わるかもわからない中、あなたとあなたの助手達を儀式終了まで守ることは到底出来ない!今すぐ、退避すべきです!」
隊長から投げかけられた言葉に対して、博士は耳を両手で塞いでいた。
「ああぁ〜!聴こえない!き〜こ〜え〜な〜い〜!
第一、私の計算ではもうそろそろ儀式は終わるはずだ!
大人しくそこで見ていれば、私の研究成果をその目でみることができるはずだ!」
子どもの様な態度と返事であったが、実際に博士の発言のすぐ後に陣が大きく輝くと全ての遺体と血が光り輝き陣の中へと凄まじい速さで吸い込まれた。
そして、陣の中には朱い液体状の何かが人型となっていた。
人型の輪郭は蠢く液体で形成されていた。朱い液体、今までの状況から考えれば血液であろうと予想されるそれは、まるで生きているように動いていた。
人の形をした血、それからは黒く禍々しい力が無差別に放出されていた。黒く禍々しい力、博士が呪力と呼ぶものは、呪血より際限なく解き放たれていた。
博士はその光景に満足そうに頷くと、ゆっくりと呪血へと近づいて行った。
一歩ずつゆっくりと近づき、触れ合えるほど近くになった時、
博士は笑みを浮かべ手を伸ばした。
「呪血よ、我が研究の成果よ。私に宿れ!
その力を受肉して振るうのだ!私の!我の意志の元で!」
数々のおかしな言動をしていた博士であるが、その場にいた全ての者が耳を疑った。自らのことを私と我の2種類の呼び方をすることは帝国の者であれば知っていたが、あろうことか、人造呪物という新たな試みの成果を自らの肉体に宿そうという底知れない狂気に皆が慄く中、博士が呪血と触れ合った瞬間
呪血は大きく口のようなものを開けると、博士を一口で食べたのであった。
生々しい肉と骨を砕く、呪血の咀嚼音が眼前の光景を受け入れきれていない帝国軍人と助手達に現実を突きつける。
儀式の失敗。呪血は完成したが、制御は出来なかった。
咀嚼をやめ、ゴクリと嚥下した呪血は、口を耳元まで裂き
ゆっくりと、帝国軍人たちの方へと身体を向ける。
現状に気付き、逃げなければと考える帝国軍人達であったが、身体を動かそうとするも全く身体は動かなかった。
状況を理解できずにいる帝国軍人達に向かいゆっくりと近づいた呪血は1人、また1人と喰らい帝国軍人達を全員喰らうと呪血はその身の中にある核となった聖職者の呪いと聖力、最後の願いに導かれ、レグナトアの戦場と自らが産み落とされた場所に自らを形成する血を染み込ませ、消えぬ呪いを残すと黒い靄となり消えたのであった。