二章:王子の信者②
アナベルは医務室へ真っすぐ向かった。途中、バタバタと走り回る使用人や、警備にあたる兵士の姿を見かける。しかし、軍医や衛生兵は仕事が少ないのだろう。医務室は患者の姿も少なく、いつも以上に落ち着いた様子だった。
「あら。いらっしゃい、アナベル」
一番最初にアナベル達に気づいたのはリーゼロッテだった。彼女は首を傾げる。
「今日はどうしたの? 元帥閣下の護衛は?」
「部屋を追い出されました」
アナベルは手紙を持ち上げて見せる。
「ボニファーツ先生はいらっしゃいますか? これを渡すように言われたんです」
リーゼロッテは戸惑いながらも、奥に案内してくれた。診察室の向こう、事務所の一番奥にある、書類や薬品に囲まれた机の前にボニファーツは座っていた。こちらに気づいた医務局長はどこか人懐っこい笑みを浮かべる。
「おや? アナベル君じゃないか。何か御用かい?」
「ディート副官にこれを渡して欲しいって頼まれました」
アナベルは先ほどの手紙をボニファーツに手渡す。彼は太い指で器用に紙を開ける。
「なんでも、極秘任務だそうです。重要機密で読んじゃいけないそうですよ」
「なるほど」
ボニファーツは手紙に目を通し、楽しそうに笑った。半眼のアナベルに、彼は手紙の文面を見せる。そこには走り書きがされていた。
『ボニファーツ医務局長へ。大変申し訳ありませんが、アナベルちゃんの相手をしばらくしていただけませんでしょうか。お礼は必ずいたします』
予想通りの内容にアナベルは「やっぱり」と呟いた。ボニファーツは楽しそうに言う。
「ずいぶんと重要な任務を頼まれてしまったみたいだ」
「……あー、別に私の相手しなくても結構ですよ。なんなら、そこらへんで遊んでますから」
医務局長が忙しい仕事であることはアナベルも理解している。以前、ニクラスとの試合で怪我をしたアナベルを対応してくれたのは特別待遇で、本来彼はジークハルトのように事務が主な仕事だ。将軍たちに比べれば仕事に追われていないことや、医務室にはリーゼロッテがいるという点でアナベルの相手役に選ばれたのだろうが、もっとうまい方法はなかったのだろうかと思う。
しかし、ボニファーツは首を横に振る。
「いいよ、いいよ。今は訓練もないから、怪我人もほとんどやってこないしね。若い子とお喋りするなんて貴重な機会だ。よかったらゆっくりしていきなさい」
ボニファーツはそう言って、リーゼロッテに「お茶を四人分お願い出来るかな」と指示する。アナベルは勧められるまま、丸椅子に座る。結局、アナベル、ヴィクトリアとリーゼロッテ、ボニファーツという不思議なメンバーでお茶をすることになった。
改めて、アナベルは簡単に経緯を説明する。
「会議について来ないでほしいと思われたみたいです。えっと、エーリク副官? が迎えに来てくれて、エルって人がいるからなんとかって」
「ああ、なるほどね」
それだけでボニファーツにも、リーゼロッテにも伝わったらしい。アナベルは先ほどからの疑問を目の前の二人にぶつけた。
「その、エルって誰ですか?」
「エルメンガルト・I・オーベルシュタット。エーリク君の妹さんだよ」
ボニファーツの返答は淀みなかった。
「階級は尉官。お兄さんと一緒にお父さんのヘルマン将軍の副官をやってる。軍では珍しい女性士官だね」
アナベルは目を瞠る。
確かに軍で女性士官とは珍しい。エーレハイデ軍にいる数少ない女性兵は多くが衛生兵や炊事兵などだ。一般兵にもいなくはないが、指揮官教育を受けないとなれない士官以上の女性ははじめて聞いたかもしれない。
「その、エルメンガルト副官はね」
リーゼロッテが遠慮がちに口を開く。
「なんというか、その」
相当言葉に迷っている様子だ。絞りだすようにリーゼロッテは言った。
「……元帥閣下に心酔しているのよ」
「つまり、ジークに思いを寄せていると」
大分控えめな表現を、アナベルは直球で表現し直した。リーゼロッテは困ったように俯く。否定の言葉は出てこなかった。
「その、とってもいい人なのよ。正義感が強くて、親切で、真っすぐで――ただ、とても真面目な方だから」
そこで一度、リーゼロッテは言葉を区切る。
「だから?」
「……アナベルが直接会うのはやめておいた方がいいかもしれないわ」
それ以上は彼女でも婉曲した言い回しが出なかったのだろう。項垂れて、そう言った。
「なるほど」
アナベルはお茶に口をつける。
正義感が強い。親切。真っすぐ。とても真面目。聞いたかぎり、アナベルとは真逆の人間のように思える。それにしても、リーゼロッテはずいぶんとエルメンガルトの人となりを知っているようだ。
「リーゼはその人と仲が良いんですか?」
「いいえ。あまり接点がないの」
てっきりよく知っているのかと思ったら、全然違う答えが返ってきた。リーゼロッテは言葉を続ける。
「一緒の場所で働いた期間が短いの。私が王城に配属になって、エルメンガルト副官がヘルマン将軍と一緒に東部へ異動するまでだから……二、三か月ぐらいかしらね。ただ、オーベルシュタット家もレーヴェレンツと同じで古い家系だから、そういった意味ではお互いのことは知っていたわ。異動するまでの間も、私のことも気にかけてくれていたのよ」
どうやら、リーゼロッテはエルメンガルトという女性に好感を抱いているらしい。先ほど聞いた人物像を聞くかぎり、責任感が強く倫理観の高いリーゼロッテとは相性が良かったのだろう。反面、アナベルがエルメンガルトと友好な関係を築けるかは疑問だ。性格もだが、それ以上に立場が悪い。ジークハルトの恋人と信じられているアナベルは彼女にとって恋敵だ。リーゼロッテの言うように、騒動を避けるためには会わないほうがいいようだ。
――それにしても、と思う。
ジークハルトが女性に人気、というのは知っていた。しかし、それは伝聞の上でだ。今まで、実際に彼を好きという女性に会ったことはなかった。各地から人が集まり、実際にジークハルトに好意を抱く人間と対面するようになり、アナベルもようやくそのことを身に染みて理解した。
アナベルは溜息をつく。
「モテるのも面倒なんですね」
「何事もほどほどが一番だね」
ボニファーツはリーゼロッテが持って来てくれたお菓子に手を伸ばす。椅子の上に皿が置かれ、その上に数種類のクッキーが置かれている。しかし、それをリーゼロッテが制止した。
「医務局長。これはアナベルとヴィーカ用ですわ。甘い物を控えるようにと、言われているでしょう?」
「……少しぐらい、駄目?」
「駄目です。我慢してください。ナッツがありますでしょう」
リーゼロッテはボニファーツの机に置いてある小さな小鉢を指さす。中には少量の木の実が入っている。彼はしょんぼりと肩を落とす。クッキーの代わりにナッツを口に運んだ。それを横目にアナベルはクッキーを口に運ぶ。
「ほへにひへも」
「アナベル。話すならきちんと食べてからになさい」
アナベルはクッキーを食べ終えてから、改めて口を開く。
「それにしても、――今まで、ジークに婚約とか結婚とか話は出なかったんですか? 王子でしょう? 政略結婚とか、縁談とか。それこそ血が流れるほどのことが起きてもおかしくないと思うんですけど」
アナベルの指摘に妙な沈黙が流れた。リーゼロッテがなんとも言えない顔をしている。
「なんですか」
「……なんでもないわ」
リーゼロッテが首を横に振った。その表情はどこか諦めたようなものだ。ボニファーツがアナベルの疑問に答えてくれる。
「縁談を山ほど来てたみたいだよ。全部、陛下が断っていたけどね。誰と結婚するかは元帥の自由にさせてあげたかったみたいだよ。陛下自身も、自分の愛するお相手と御成婚されたからね」
それが誰かなんてアナベルでも知っている。先代シルフィード、エマニュエル王妃だ。
ボニファーツはどこか懐かしそうに遠くを見つめる。
「あの時はとても騒ぎになってたねえ。なんせ、ようやく国王陛下が結婚を決められたというのに連れてきたのは異国出身の女性だからね。周囲は大反対していたよ」
「たしか前例がなかったんですよね?」
エーレハイデ王族に他国の血が混じったことがない。アナベルにそのことを教えてくれたのは国王エドゥアルトだった。
ボニファーツは「うん」と頷く。
「後々調べたんだけど、王族分家には過去に異国の女性が嫁いだ例はあったよ。ただ、二人とも表向きに問題は起きなかったみたいだね。一人目の女性は子宝に恵まれなかった。二人目の女性は第一子が女の子を出産し、……第二子を懐妊中に亡くなったんだ。確認するすべはないけど、きっと身籠った子供が男の子だったんだね」
ボニファーツは悲しそうに俯く。
おそらく、その女性は魔力欠乏で亡くなったのだろう。ただ、誰も魔術に詳しい人間がいなかったから、その答えに行きつくことはなかった。なんとも悲しい話だ。
「……悲しい話ですね」
「そうだね。魔力を持っていても、持っていなくても、僕らはみんな同じ人類だ。僕らには誰を愛してもいい権利があるはずなのに、初代国王アダムの男系子孫にはその自由がない。人を愛した結果、悲劇が生まれるのはつらすぎるね」
彼の言い回しの前半はアナベルにはあまり共感しにくい。誰を愛してもいい権利、というがよく分からない。それでも、後半部分は同意出来る。その実例を知っているからだ。
西方の国々でもそうだが、基本的に国境を越える人間はそう多くない。そのため、王族や分家の男性が異国の女性に恋をすることも多くはないだろう。だが、そういう悲劇が一度生まれた以上、これからも起きないという保証はないのだ。
「その、王族の体質ってどうにか出来るものではないんですか?」
アナベルはボニファーツに訊ねる。
王族のその体質をどうにか出来れば、これ以上つらい思いをする人間は生まれなくなる。そんな安易な発想だ。
医務局長は曖昧に笑う。
「難しいね。そもそも、どうしてエーレハイデの王族が魔術解除の能力を持っているかも解明できていないんだ。理由が分からなければ、解決手段も探りようがない。医学的なアプローチでは限界があるんだ」
きっと、ジークハルトの体質発覚後、色々な調査をするのにボニファーツも絡んでいたのだろう。そして、十五年以上経っても未だにその答えは見つけられていない。
「そもそも、エーレハイデ人とそれ以外の人の違いもよく分かってないしねえ。どちらかというとそちらの解明の方が先かな。人数も圧倒的にそちらの方が多いからね。少なくとも、王族の魔術解除の能力について解明することを陛下はそれほど優先したいと思っていらっしゃらない。王太弟殿下や元帥も同じだね」
その解明を目指しているのがボニファーツの息子、フェルディナントか。以前、死後の解剖許可を求められたことを思い出す。
今の話を聞いていると、彼の頼みを受け入れておくべきだったかと後悔も浮かぶ。しかし、アナベルは早死にするつもりはない。老衰で死ぬ予定だ。アナベルが老婆になっている頃、とっくにフェルディナントは亡くなっているだろう。どちらにせよ、変わりはないかと考え直す。
「もし、王族の特性について解明できたとしても、実際にその問題が解決出来るのは一体いつになるんだろうね。僕にも想像がつかないな」
どの学問においても、探究は時間がかかる。一代で分かることの方が少ない。この問題の解決はボニファーツどころか、アナベルが生きている間も無理かもしれない。少し、アナベルは憂鬱な気分になった。
「うん。ちょっとつまらない話になってしまったね。せっかく、新国王の即位なんだから、もっと楽しい話題をしよかった」
アナベルの気持ちを敏感に察したのだろう。ボニファーツが話を変える。それから、アナベル達はボニファーツに先日のお茶会のことを報告し、しばし和やかな時間を過ごした。
致命的な誤字をしていたので修正しました。リーゼロッテのエルメンガルトに対する評価は「いい人」です。「悪い人じゃない」と最初書いていたのを一部修正し忘れていました。(2021/12/17)




