一章:祭典のはじまり③
謁見はどんどん進んでいく。
アナベルは地方官僚たちが順番に応接室を訪れ、挨拶をしていく様子を忍耐強く見守っていた。正直、知らない中年の男性たちの話を聞くのは面白くもなんともない。ジークハルトは一人一人の長い挨拶を聞いては労いの言葉をかけている。話を聞くかぎり、全員の顔と名前、それと近況まで把握しているようだった。アナベルにはとてもではないが、真似できない。
アナベルも今回の戴冠式に向けて、官僚たちの名前を覚えようとはした。教師役はディートリヒ。彼は頼みやすいし、説明が上手いから適任と思ってお願いをした。しかし、アナベルは――そして、ディートリヒの二人は挫折をした。
そもそも、アナベルは記憶力に大分バラつきがある。興味があることは覚えられるが、興味がないことはまったく覚えられない。まず、エーレハイデの地名を覚えるのが大変だった。ディートリヒはアナベルの気を引くためか、各地の名産と絡ませながら話をしてくれた。そのおかげでいくつかの地名は覚えられた。
しかし、そこからはもう無理だった。それぞれの土地を任されている官僚の名前はどう説明されようが、覚えられなかった。会ったこともない、興味もない相手のことを覚えるのは、今まで他人の名前と顔を覚える努力を放棄してきたアナベルには難易度が高かった。
『俺、教えるのは下手じゃないと思ってんたんだけどね……』
最後に、ディートリヒは白旗をあげた。完全に傷心した様子に、アナベルは「すみませんでした」と深々と頭を下げるしかなかった。
結局、官僚たちのことを覚えられなかったアナベルのために、ディートリヒはメモを作ってくれた。
代表的な官僚の名前と特徴が書かれたものだ。小さな紙のため、アナベルは有り難くその紙を軍服のポケットにしまっている。何かあったときはそれを確認しようと心に決めたものの、未だに活躍の出番はない。謁見の最中では紙を取り出すことも出来ない。
だから、アナベルは誰かもわからない相手の話を延々聞き続けることになった。真面目に話を聞こうとはしたが、全く頭に入ってこない。そのため、言われた通り、すまし顔をしていることにした。謁見の間はずっと関係ないことを考えている。
真面目な顔をして話を聞かないのは得意だ。一時期、教師の説教をこれで乗り越えていた。――フラヴィにすぐ話を聞いていないのがバレ、それを教師にも教えてしまったため、役には立たなくなかったが。
隣のディートリヒも同様に感情の読めない表情で謁見を見守っている。普段と打って変わって、無表情に近い顔は冷たく、少し怖く感じる。中々の役者だとアナベルは彼の横顔を盗み見て、感心した。
謁見に来る者たちは多くが四十代以降の年配ばかりだ。戴冠式に招かれているのは高い役職に就いている者たちばかりだからだろう。中には家族を連れてくる者もいたが――途中でアナベルは気づいてしまった。
彼らは妻や跡取りである子息を連れてくる。しかし、たまに令嬢を連れてくる者もいたのだ。父親に同伴する令嬢たちはこれ以上なく、身なりを整えていた。そして、父親たちは娘を紹介する。話を振られた娘はどこか恥ずかしそうに名を名乗る。しかし、ジークハルトに向ける視線には熱がこもっている。父親も何か期待するような眼をジークハルトに向ける。
どういう意図かは説明するまでもないだろう。
(なんとも、まあ、わざとらしいですね)
アナベルはその露骨さに呆れを通り越して、感心した。
彼らの思惑としてはどうにか王子とお近づきになりたいのだろう。しかし、来賓の思惑どおりに話が進むことはなかった。
「ご令嬢にも、わざわざ王都まで足を運んでくれたことに感謝する。ゆっくりしていくといい」
ジークハルトは誰に対しても平等に歓迎の言葉を伝える。しかし、社交辞令的なこと以外を口にすることはない。口調も非常に淡々としたものだ。
王子に袖にされた親子は時間になるとやむなく部屋を出ていく。その際に――これは他の臣下にもいえることだが――アナベルに意味ありげな視線や敵意を向けてくることも多い。娘たちのほとんどが後者であった。
しかし、敵意を向けられるぐらいはアナベルには全く堪えない。好奇の視線を向けられるのも、敵意を持たれるのも慣れっこだ。こうもあからさまに睨まれたことは少なかったが、アナベルにとって人の視線はあってないようなものだった。
令嬢を紹介され、ジークハルトが社交辞令を返す。そんなやり取りを何度も繰り返される。官僚たちは露骨な発言をする者はいない。しかし、とうとう直接的に話を切り出してきた者がいた。
今、挨拶をしているのは西部にあるどこかの州の局長と、その娘だ。父親の顔を見る限り娘を売り込む気満々で、娘を見る限りジークハルトに明らかに気がある。取り留めのない話をし、もうすぐ謁見も終わりかと思われたその時――彼はとうとう直接的な発言をかましてきた。
「実はですね。娘は先日、十八歳になりまして」
男は揉み手をし、媚びた笑みを浮かべる。ジークハルトは娘のほうに顔を向ける。その表情は後ろに立つアナベルからは見えない。
「そうか。おめでとう」
「ありがとうございます。それでですね。私としましては、そろそろ娘に良い縁談を考えているのですよ」
――場の空気が変わった気がした。悪い方向にだ。
視界の端でディートリヒが僅かに動いたのに気づいた。視線だけ向けると、どこかピリピリした空気を出しているのが分かった。普段温厚な彼がこうも不機嫌になるのは珍しい。アナベルは何も見なかったことにし、視線をすぐに戻した。
「御覧の通り、ウチの娘は非常に器量もよく、気立てもいいんです。父親としては、娘に相応しい相手をぜひ探してやりたいと思っているのですよ」
確かに彼の娘は美人だった。だが、同性の目から見て、とても性格が良さそうには見えない。気の強さ、あるいは性格の悪さが顔立ちに反映されている。器量の良さならヴィクトリアに、気立ての良さならリーゼロッテに軍配があがるだろう。これは決して身内びいきの意見ではない。
「そうか」
ジークハルトの相槌はいつも通り、淡々としたものだ。
「ご息女に相応しい相手と巡り合えることを祈っている」
だが、続く言葉は、官僚の『うちの娘どうですか?』という遠回しな提案を拒絶するものだった。局長が更に言葉を重ねる前に、ディートリヒが口を開く。
「ギーゼン局長。大変申し訳ありませんが、元帥はこの後もご予定があります。謁見は以上とさせていただいてよろしいでしょうか」
言い回しとしては確認だ。ディートリヒは笑みを浮かべている。しかし、彼からは「いいえ」とは言わせない圧力を感じた。ギーゼン親子はすごすごと応接室を出ていった。そうせざるを得なかった。そうとしか言いようがなかった。
(いやあ、すごい豪胆な人ですねえ)
彼らの後ろ姿を見送りながら、アナベルは呑気にそんなことを考える。
これまでの人物もそうだが、恋人と報道されているアナベルが同席しているにも関わらず、よく娘を引き合わせようと考えるものだ。そのうえ、縁談まで持ち込もうとするとは。その厚顔さには感心してしまう。
先ほどのギーゼン局長の退出後、一度、謁見は中断することとなった。ディートリヒが外にいるだろう見張りに「しばらく休憩にする。誰も通さないでくれ」と伝え、扉を閉めた。
四人だけになると、ジークハルトはすぐに姿勢を崩した。先ほどまでは背筋を伸ばして座っていたのに、体を前に倒し、足の上に腕を乗せる。そのまま、額を押さえた。
重たく、長い溜息がこぼれる。




