一章:祭典のはじまり②
どれだけ嫌と思っていても、時間の流れとは非情である。あっという間に日は過ぎていき、とうとう戴冠式のため、地方から有力者が集まる日となってしまった。
その日。ジークハルトが向かったのはいつもの執務室ではない。城の南側――官僚たちが働く政庁と呼べる場所の近くだ。謁見の間とも程近い部屋に入る。執務室と遜色ない広さの部屋は応接室だ。部屋の奥には分かりやすく、元帥用の椅子が置かれている。ジークハルトは国の各地から集まった地方官僚の挨拶を聞くことになっている。
服装は皆、いつも通りの軍服だが、いつも以上に身だしなみを整えている。ディートリヒは髪をしっかりセットしているし、アナベルも髪を編み上げられ、軽くだが化粧まで施された。いつもと同じでは許されないらしい。
ジークハルトとディートリヒが最終の打ち合わせを行う。その間アナベルは手持無沙汰だ。室内をキョロキョロと観察する。
「アナベル」
「はい」
うろうろしているのが気になったのだろうか、ジークハルトに呼ばれた。アナベルは素直に彼の下へ戻る。
「何ですか?」
「胸飾りが曲がっている」
そう言って、彼はアナベルの彼は首元に手を伸ばした。王子自ら胸飾りを正してくれるつもりらしい。王子がすることじゃないだろうと呆れながらも、アナベルは大人しく為されるがままになる。
アナベルが着ているのは魔術機関の制服ではなく、ジークハルトたちと同じ濃紺の軍服だ。採寸から二週間ほどでルイーゼが仕上げてくれたものだ。彼女は「満足のいく出来栄えよ」と太鼓判を押していた。実際に、アナベルもこの軍服には満足している。意匠も魔術機関の制服に似たワンピース型。着慣れている形だし、着心地も良い。本当にルイーゼはいい仕事をしてくれたと思う。
ただ、まだこの軍服に完全に慣れたわけではない。特に白いヒラヒラした胸飾りはボタンで簡単に止められる反面、よく曲がってしまう。
「これでいい」
「ありがとうございます」
ジークハルトの手が離れる。彼は今度、自身の服の袖を確認しながら、口を開いた。
「今日はおかしな挙動はしないように気をつけてくれ」
アナベルは首を傾げる。
「おかしな挙動とは何のことでしょうか?」
ジークハルトの動きが止まる。しばらく、無言になった。
「周囲からたしなめられるようなこと全般だ」
間をおいて彼が言ったのはそんな言葉だ。アナベルは考える。ハッと目を見開く。
「そんな!! 私に喋るなと!? 動くなと!?」
「…………そういう言動のことを言っているんだ」
ジークハルトは額を押さえる。その反応に思わず、アナベルはむくれた。
「私はおかしな挙動なんてしないですよ! ごくごく、自然な振る舞いをしているだけで!」
「そうか」
「それをおかしいと言われたら、もう、私は黙ってるしかないじゃないですか!」
「……そうだな」
ジークハルトは顎に手を当てて、視線を虚空に向ける。
「今日、君が話す場面はない。黙って、大人しくしておくんだ。今みたいに露骨に感情を表に出さないようにしろ」
確かに彼の言うように、今日のアナベルの仕事はただ立っていることだけだ。口を開く必要はない。
「臣下たちの前で露骨な顔はするな」
「それくらいは分かってますよ」
初対面の官僚たちの前で無礼と取られる態度を見せたときの反感は、会議で欠伸をしたときの比ではないだろう。アナベルはニコリと笑みを作る。
「皆、お疲れなんでしょう? とびきりの営業スマイルでお出迎えしてあげますよ」
最近はめっきりする機会がなくなったが、アナベルは作り笑顔だって得意だ。遠方からわざわざやってきたお偉いさんたちを、アナベルも笑顔で出迎えてやろうではないか。
「そういう意味じゃない」
しかし、何故かジークハルトが眉間に皺を寄せた。
「思っていることが顔から読まれないようにしろ。彼らは私の味方だが、君の味方ではない。弱みは見せないほうがいい」
アナベルはきょとんとする。
「エーレハイデは一枚岩――と言いたいところだが、実際はそうでもない。大きな国だ。それぞれ別の思惑を持つ者も多い。彼らは王族には敬意を持ってはいるが、それ以外に対してはそうとは限らない。重用されている者を蹴落として、その後釜に座りたいと考える者もいる」
なるほど。権力争いというのはどこでも起きるらしい。今まで王城でそれらしいものは見て来なかったし、本来一番争ってもおかしくない王太子と王子が仲良くしているからすっかり忘れていた。エーレハイデも例外ではないらしい。
「下手に笑っていても逆に嘗められる。澄ました顔でもしておくといい。ディートリヒがいい見本になる」
ディートリヒに視線を向けると、「えええええ俺?」と困った顔をされた。ディートリヒは前髪を後ろにあげているせいか、いつもより生真面目そうに見える。時折見せる無表情もなんとも別人のようだ。あれを真似しろと言うことなのだろう。
「……まあ、やってみます」
アナベルは頷く。ジークハルトは満足したのか、自身の椅子へ向かう。アナベルも自身の立ち位置である椅子の右後ろの窓際に立つ。同じように左後ろにディートリヒが直立した。
(君の味方ではない、ですか)
確かに、王城にいてもアナベルの味方でなかった人物はいた。きっと、同じような人は他にもいるのだろう。ジークハルトの言っていることは分かる。
だが、少し引っかかる部分もある。王子の護衛を任されているアナベルを気に食わないと反感を持つ者はいるだろう。だが、アナベルはこの国唯一の魔術師だ。アナベルを陥れても後釜にはなれない。果たして、蹴落とす意味はあるのだろうか。
――どちらかというと。
アナベルが気になるのは『王宮魔術師は王子の恋人』だと表向きには報道されていることだ。ジークハルトを慕う女性は多いと聞いている。その上、地位もある。娘や親族の女性を王子に嫁がせたいという者もいるだろう。そういう者達にとって、アナベルは邪魔で仕方ないはずだ。
そこでようやくアナベルは気付いた。
この二か月間、ジークハルトがあの記事について言及したことはない。だが、彼には新聞を読む習慣がある。実際に読んでる姿は見たことはないが、ディートリヒと二人でその日の記事について話していたのを聞いたことは何度もある。あの報道を知らないというわけがない。
だから、先ほどの発言は、王宮魔術師としてではなく、恋人と思われていることについて言っていたのではないか。ジークハルトの恋人と思われているアナベルの後釜を狙う者に注意しろと言いたかったのではないだろうか。
(――でも、何で)
しかし、それはそれで納得のいかない部分はある。
それはジークハルトがあの記事について何も言わないことだ。彼の性格と過去の言動を鑑みれば、事実と異なる報道の撤回を真っ先に求めてもおかしくない。その上でアナベルに何か言ってきてもいいはずだ。
アナベルの中で疑問が生まれる。しかし、それをジークハルトに問いただす時間はない。もうすぐ、一人目の来客がやって来る。隣のディートリヒに聞く暇もない。
結局、もやもやした気持ちを抱えたまま、アナベルは謁見に立ち会うことになったのであった。




