一章:祭典のはじまり①
アナベルがリーゼロッテ達とお茶会をしたのは、約束から約一ヶ月後。八ノ月の初めのことだった。
「ほら、美味しそうでしょう!」
その日、五人の少女たちは王都での人気の喫茶店『トゥルペ』に足を運んだ。
テーブルに置かれたケーキを指して、自慢げに言ったの店主の娘でミアだ。彼女の勧めもあって、全員はこの店一番人気のビーネンシュティッヒを頼んだ。アナベルははじめて見る菓子だ。
自信満々に胸を張るミアに、なんとも空気の読めない発言を返したのは眼鏡をかけた黒髪の少女――カミラだった。
「はあ、これと紅茶で三銅貨ねえ。それだけあれば二食分の食費になるのに。ぼったくりじゃない?」
カミラは手先のフォークで遊びながら、呆れたような視線をミアに向ける。彼女はミアやヴィクトリアと同じ侍女の一人だ。同僚の言葉にミアは眉を吊り上げる。
「あのねえ、ウチは美味しい紅茶と美味しいケーキと過ごしやすい空間を提供して、お客様に素敵なひとときを与えているのよ。そういう発言はやめてくれる? 商売あがったりになっちゃうわ」
「別にいいじゃない。ここ、私らの貸し切りでしょ? 私だって、他に客がいたらこんなこと言わないよ」
カミラの言うとおり、周りに他の客の姿はない。普段は荷物を置く倉庫に使っている二階を特別に開放してくれたのだ。王宮勤めの少女たちが気兼ねなく話せるようにというミアの両親の配慮だ。
「まあまあ」
二人を落ち着かせるように両手をあげたのはリーゼロッテだ。困り笑いを浮かべている。
「せっかくの集まりなんだから、喧嘩はそこまでにしましょう。ミアのおススメのケーキよ。きっと、美味しいんでしょうね。カミラだって、食べればきっとその価値が分かるはずだわ。皆で美味しくいただきましょう? それと――」
リーゼロッテはちらりとこちらに視線を向ける。ケーキが運ばれてきてから、ずっとアナベルは食い入るようにケーキを見つめていた。全く動かないアナベルを、ヴィクトリアが無言で見つめる。
「……アナベルがとっても待ちくたびれているわ」
こうして、彼女の号令とともに、楽しいお茶会が開始されたのだった。
ビーネンシュティッヒは一番人気という言葉に相応しく、とても美味しいケーキだった。表面にアーモンドカラメルが乗っており、生地にバタークリームが挟まっている。とても甘く、かと言って嫌味にならない。バタークリームとアーモンドの相性も最高だ。アナベルは一ピースだけでは我慢しきれず、お代わりを注文してしまった。
――それにしても、と思う。
複数人の娘が集まる。それ自体は魔術機関でもよく見かけた光景だ。しかし、アナベルがその中に入ることになるとは思ってもみなかった。今も、少し不思議な感じがしている。
(こういうのが、普通なんですよね)
本来、もっと幼い頃から体験していてもおかしくなかったこと。もう手に入らないと思っていたものが実際に手に入ったことに、アナベルはなんともふわふわした心地でいた。どこか浮足立つ気分を抱えているのはきっとアナベルだけだろう。他の少女たちは当たり前のようにお喋りをしている。
四人の中で一番よく喋るのがミアだ。笑顔で楽しそうに話し、次から次へと話題が変わるのが目まぐるしい。それほど、話したいことが多いのだろう。
次に話すのがリーゼロッテ。彼女がミアと違うのはある程度喋ると他の人に話題を振るところだ。アナベルも何度か質問を投げられた。しかし、ケーキを味わうのと話を聞くのに集中していたため、うまく答えが返せなかった。それでもリーゼロッテはうまくすくいあげ、次の話に持っていってくれる。カミラはそこそこ話し、他の人が話すときは利き手に徹する。そして、時々茶々を入れてはミアに怒られていた。
一番喋らないのは当然、ヴィクトリアだ。彼女は話を振られても最低限しか答えを返さない。話者の目を真っすぐに見て、話を聞いてはいるが、相槌も打たない。アナベル以上に寡黙だ。だが、そのことが逆にアナベルを安堵させる。自分以上に話さない人間がいると安心するのだ。
彼女たちの話題は様々なものだった。最近あった嬉しい出来事。共通の知り合いの話。仕事であったちょっとした失敗。よくもまあ、ここまで話すことがあるものかとアナベルは感心する。そして、話題は今月の一番の催し物へと移っていった。
「それにしても、戴冠式までもう半月ね。準備が大変で嫌になっちゃうわ」
戴冠式という単語にアナベルは僅かに眉をひそめた。渋い顔で紅茶を飲む。
アナベルもエーレハイデに戻ってきて初めて知ったのだが、――とうとうユストゥスが国王に即位する。国王の名代ではなく、正式な国王になるのだ。今後、彼は王太弟ではなくなる。
戴冠式自体は二週間後。そして、戴冠式の前後には王都に国中の有力者が集まる。臣下一同で新しい国王の即位を祝福するのだ。軍関係者は国防の問題で一部しか集まらないが、有力な官僚はほとんどが集まるそうだ。そして、王城の使用人たちは彼らの受け入れの準備で大忙しだ。人手の足りないため、一部軍の人間も手伝いに回っている。
王が変わるというのは何十年に一度しかない国を挙げての式典だ。今の王城はめったにない忙しさなのは間違いない。ただ、アナベルはその点については他人事だ。手伝えることがないため、いつも通りアナベルは元帥の護衛の任に専念している。
そのジークハルトは書類仕事に、会議に、と忙しい。軍の人員を王城側に貸す調整や、戴冠式前後の警備の打ち合わせなどがあるのだ。王城を出入りする人間が増えるのと、祭事に騒動が起きないようにと、将軍たちもいつもよりピリピリしている。アナベルが、会議のあまりの退屈さにこっそり欠伸をしたら、ニクラスに睨まれたのは記憶に新しい。――もっとも、あの男はいつでも神経質なのだが。
そのニクラスだが、二か月前のアナベルの粗相については許しを得られた。しばらくずっと無視をされていたが、一か月ののち、苦々しい表情のまま、「元帥の顔に免じて許してやる」と言われたのだ。しかし、完全に水に流せてはいないらしく、何かと態度は刺々しい。嫌味を言われたことも数えきれない。名剣を壊したことについてはアナベルに非があるため、ニクラスの態度は甘んじて受け入れている。――憎らしいことには違いないが。
アナベルが嫌なことを思い出していると、カミラが手に持っていたカップを置いた。カチャンと音が鳴る。
「……今年が節目の年ってことかな」
カミラがポツリと呟く。
「王宮魔術師がやって来て、国王も代替わり。後は何だろう。大きなイベントってなんかあるっけ?」
「あら、大事なユストゥス殿下のお妃様探しが残ってるわよ!」
楽しそうな声をあげるミアに、カミラは冷めた視線を向ける。
「どうかなあ? あの人はあの人で腫れた惚れたと縁遠いからなー。考えはあるんだろうけど、しばらく結婚できなさそう」
アナベルは黙って二人の会話に耳を傾けている。すると、突然カミラと目が合った。
「あ」
彼女は、何かを思い出したかのようにアナベルを指さす。
「そうだそうだ。あんじゃん。一大イベント」
「……なんですか、いったい」
カミラの反応から、そのイベントとやらがアナベルが関係していることは分かる。しかし、アナベル自身は全く心当たりない。
「『王子殿下の噂の恋人VS地方送りになってた王子殿下の信者』」
その言葉にお代わりしたケーキをフォークで切ろうとしていた手に力が入る。ケーキを勢いよく貫通フォークが、食器にぶつかり、大きな音をたてた。運よく、ケーキは皿から落ちることはなかった。それでもリーゼロッテが「アナベル、大丈夫?」と心配してくれる。
アナベルはリーゼロッテの質問に答えず、カミラに抗議の声をあげた。
「――なんですか、それは!」
「知らないの? この国の地方には熱狂的なあまり、王城を追い出された王子殿下の信者がいっぱいいるんだよ。戴冠式っていう格好の名目に乗っからないわけがないって。あいつら絶対怒ってるよ。『自分たちの知らない間に王子を誑かした女がいる』って」
「人聞きが悪いです!」
別にアナベルは誰かを誑かした覚えはない。ジークハルトとの事実無根な関係を報道した記事について、結局訂正が出来なかった。そのため、多くの国民が勘違いしていることも知っている。ただ、直接知人に言及されれば、反論したくなってしまう。
アナベルは大きく息を吸う。
「ミアには前にも言いましたが、私とジークはそういう関係じゃありません! 記事に書かれている恋人関係っていうのは嘘っぱちです! ミアから聞いていませんか!?」
「いや、全然。逆に『アナベル様は恥ずかしがってるだけ』ってさ」
「ミア!」
さらなる風評被害を発生させられていることを聞き、アナベルは勢いのまま立ち上がる。睨まれたミアは堪えた様子もなく照れたように笑った。
「もう照れなくてもいいのよ。あたし、分かってるから。そういうことにしてあげる」
眩暈がし、思わずアナベルはよろけた。その背を隣に座るリーゼロッテが支える。
「なんでそういうことになるんですか!」
「あー、無理無理」
アナベルが反論しようとすると、カミラが手を横に振った。
「ミアはそっち関係については頭お花畑だから。男女二人並べたらすぐくっつけたがるんだって。何言っても聞かないから、勝手にそう思わせておけばいいって」
「その言い方はひどくない、カミラ!」
「現実は、ミアが普段愛読してるような恋愛小説とは違うんだよ。ちょっとは現実を受け入れなって」
「それじゃあ、あたしが現実と物語の世界を混同してるみたいじゃない! カミラが男女の機微に疎くて気づいてないだけで、実際に皆意識し合ってたりするのよ」
「あー、分かった分かった。そういうことにしておいてあげるよ」
いつの間にかカミラとミアの言い合いに発展し、アナベルはのけ者になってしまった。だが、二人の話を聞いてふと思い至ったことがある。
(……もしかしなくても、ヴィーカちゃんに恋愛小説をお土産にするように助言したのってミア?)
『若い女性へ贈ったら喜ばれるプレゼントは何かと訊ねたところ、恋愛小説はどなたでも楽しめると言われました』
アナベルが一度魔術機関に帰還する際、ヴィクトリアはそう言って恋愛小説を手渡してくれた。しかし、王宮魔術師としてエーレハイデに戻り、知り合いを増やした今も、ヴィクトリアの周辺にそういった助言をしそうな人に心当たりがなかった。
ミアは担当こそ違うが、ヴィクトリアと同じ侍女だ。王城で働き始めたのも同じ頃で、何かと一緒に仕事をすることも多いという話だ。ヴィクトリアが同世代の女の子に意見を求めるのはおかしなことではない。本当だったら、事実を確認して抗議したいところだ。
しかし、アナベルは直接問いただすのはやめることにした。なぜなら、ヴィクトリアに貰った本は一頁もめくることなく、魔術機関に置いてきてしまったからだ。感想や現在の所在に訊ねられたら困る。
仲間外れになり、すっかり怒りが沸点以下に下がったアナベルはゆっくりと椅子に座りなおした。そのまま、紅茶に手を伸ばす。
「……面倒なことになりそうですね」
アナベルは頭を押さえる。
確かに以前、ディートリヒも『表立って行動する子とか、特に過激な子には王都を離れてもらってる』と言っていた。その過激と呼ばれる少女たちが王都に戻ってきて、アナベルを標的にし出すわけか。
戴冠式について、アナベルは完全に他人事だった。ジークハルトの護衛としての仕事があるので、式典に参加する必要はある。しかし、それ以外の仕事はないため、『面倒くさそうなので戴冠式が早く終わればいいのに』と呑気に考えていた。まさか、王都にやって来るジークハルトの信者が騒動が起こしかねないとは思ってもみなかった。
アナベルが唸っていると、リーゼロッテが大きく手を叩いた。
「もう。二人とも喧嘩はそれぐらいにしてちょうだい」
リーゼロッテは少し膨れ顔だ。衛生下士官に叱られ、侍女二人組は矛先を収める。
「ごめんなさい、リーゼ」
「……悪かったよ」
「いい子ね、二人とも」
リーゼロッテは満足そうに微笑み、今度はアナベルを見た。
「大丈夫よ、アナベル。期間中もずっと元帥閣下の護衛を任されているんでしょう? 彼女たちも元帥閣下の前ではおかしなことは出来ないはずよ。ヴィーカだっているんだもの。そんなに心配しなくても平気よ」
「……リーゼ」
優しい笑みを浮かべる姿はまさに天使のようだ。彼女は続いて、カミラを窘める。
「カミラも駄目よ。アナベルが大変な思いをするかもしれないっていうのに、面白がってちゃ」
「悪い悪い」
カミラは悪びれた様子もなく笑う。
「まあ、ともかく、信者たちの動向には注意しときな。応援してるよ」
「うん、あたしもアナベル様の味方だから! 恋に障害はつきものなのよ。この程度でへこたれちゃ駄目よ!」
カミラとミアの声援を聞きながら、アナベルは心底嫌な顔を浮かべた。




