六章:反感を抱く者⑤
「ルッツ」
ジークハルトが声をかけると、それまで他の兵士たちを完全に無視していたルッツがパッと顔をあげた。「ジークハルト元帥!」と無邪気な笑みを浮かべる。
「なぜ、こんなことをしたか説明しろ」
一方のジークハルトは落ち着いた態度だ。しかし、声音は冷たいものだった。
ルッツは悪びれた様子もなく言う。
「だって、分かんなかったんですよ。あんな弱そうな女の子が元帥の護衛にあたるなんて。めっちゃ弱そうじゃないっスか」
「……私の体質については以前周知したとおりだ。彼女は魔術の専門家だ。魔術から私の身を守ってくれている」
今のところ、魔術攻撃はされていないので実際にはアナベルはただそこにいるだけだ。何の役にも立っていない。しかし、そのことをジークハルトは説明しないつもりらしい。
ジークハルトの説明を聞いても、ルッツは納得した様子がなかった。
「それがよく分からないんっスよね。魔術って、そんなにすごいもんなんですか? まあ、確かに何もないところから氷とか水とか創り出すのはスゴイと思いますけど、そんなの大道芸と大差ないじゃないっスか。傍においておく意味なんてないと思いますけど」
「ディートリヒ」
ジークハルトはディートリヒは振り返る。
「私の執務室から、携帯式の魔術灯を持って来てくれるか」
「あれを?」
ディートリヒは何かを察したらしい。困ったような表情を浮かべる。
「俺としては反対したいんだけど」
「ディートリヒ」
「……分かったよ」
渋々といった態度ながら、ディートリヒは執務室方面へ走っていった。残ったジークハルトはルッツを無視し、周囲の兵士に指示を出し始める。ルッツは不思議そうに首を傾げていた。
その間にアナベルの診察も終わる。特に異常はないものの、きちんと治療を行うために医務室への移動を求められる。しかし、アナベルとしてはジークハルトたちの様子が気になる。「少しだけここにいていいですか」と我儘を口にした。
軍医官は厳しい表情ながら、こちらの心情を慮ってくれたのか「少しだけですよ」と許可を出してくれた。アナベルはリーゼロッテの手を借りて一度立ち上がる。
少ししてディートリヒが魔術灯を片手に戻って来た。ランタンの形をしたものだ。ディートリヒから魔術灯を受け取ると、ジークハルトは外側の硝子部分を外した。中の魔術灯の大本部分が露出する。
アナベルは目を瞠る。
以前見たエマニュエルの研究室にあったのは光の魔術を応用したタイプのものだったが、今彼が手にしているのは少し古い火の魔術を使ったタイプだ。光り方が違うからすぐ分かる。――アナベルはジークハルトが何をしようとしているか気づいた。
「ジーク!」
止めようとジークハルトに駆け寄ろうとするが、リーゼロッテが「走っちゃ駄目よ」と慌てて止めてきた。魔術の知識がない彼女にはなぜ、アナベルが焦っているか理解できていないのだろう。顔色を変えたアナベルを怪訝そうに見ている。
ジークハルトはルッツの目の前に魔術灯をかざした。
「魔術を使った灯だ。お前なら触れても怪我をしない。触ってみろ」
ルッツは首を傾げながらも、命令に素直に従う。魔術の炎は彼の身体を傷つけない。――しかしそれは、ルッツが魔力がなく、魔術無効化の特性を持つからだ。
「ジーク、やめてください!」
アナベルは声を張り上げる。しかし、ジークハルトは躊躇いもなく今度は自分の左手を炎に近づける。瞬間、勢いよく、炎が燃え移った。
周囲の誰もが驚いただろう。ろくに反応が出来ていない。リーゼロッテも目を見開き、今度はアナベルが走り出しても止められなかった。ジークハルトに駆け寄るないなや、アナベルは炎に向かって手を伸ばす。
「『水よ』!」
瞬間現れた水が炎を消し、ジークハルトの手もずぶ濡れにする。魔術の炎のせいで彼の手袋は燃えカスになってしまった。その隙間から見える肌はどう見ても火傷をしている。アナベルは今度は別の詠唱を口にする。
「『癒せ』」
唱えたのは治癒魔術の呪文だ。魔術の光がジークハルトの左手の火傷を癒していく。――その速度が異常に早い。治癒薬は効きやすい、という以前の説明を思い出した。
あっという間に火傷は跡形もなく治った。アナベルはホッと溜息を吐き、すぐさまジークハルトを睨みつけた。
「なんて馬鹿なことをしでかすんですか、あなたは!!」
魔術灯の手を近づけたときから、ずっとジークハルトの表情は変わらない。まるで何でもないことのように彼は言う。
「言っても分からなければ、見せたほうが早いだろう」
「それで、自分の左手を燃やす馬鹿がどこにいますか!!」
「後で治癒薬で治せばいいと思ったんだ」
確かに治癒薬を使えば、火傷なんてなかったように出来るだろう。しかし、だからと言って、躊躇いもなく炎に手を伸ばせるものだろうか。ジークハルトのこういった無頓着さはアナベルにとってひどく恐ろしく感じる。
アナベルはぎゅっと自身の服を握り締める。
「人に心配させるなと言うなら、あなたも私に心配させるようなことをしないでください」
それは心の奥底からの訴えだった。
ジークハルトは僅かに目を瞠る。それから目を伏せた。
「……そうだな。魔術も使わせてしまって、すまなかった」
「いいです。これぐらい。さっきに比べたら大したことないので」
正直、先ほど使った水の攻撃魔術はそれなりに魔力を消費してしまった。魔力供給薬を飲んでも、全回復までは一、二ヶ月はかかるだろう。本当にこれからしばらくは魔術は使わない方がいい。いざというときも魔術を使えなくなってしまう。
ジークハルトは改めてルッツを見る。
「今見た通りだ。私は魔術に弱い。彼女の力は必要だ」
「あんなに弱いのにですか?」
「お前は何か勘違いしているようだが」
ジークハルトは一度視線をアナベルに向ける。
「魔術が使えなければ彼女はただの一般人だ。魔術が通用しないお前には負ける。だが、私と彼女が戦えば、勝つのは彼女だ」
確かに魔術に弱いジークハルトと対戦することになれば間違いなく勝つのはアナベルだ。それこそニクラスとの試合のように苦戦することもない。昏倒魔術をかければ一発でジークハルトを無力化出来る。
「その子が元帥より強いってのは納得できないですけど……まあ、元帥が必要としてるってのは分かりました」
ルッツも不満そうながら、アナベルの必要性は理解してくれたらしい。一応の決着がついたことにアナベルは安堵する。ジークハルトは「なら」と口を開く。
「お前に今回の処分を言い渡す。――一週間の懲罰房行き。それから一ヶ月の謹慎だ。軍の任務はもちろん、訓練への参加も禁ずる。」
処分命令にルッツは抗議の声をあげる。
「そんな、ひどいっスよ!!」
「軍の規律を乱すな。私闘は禁じられている。よく反省しろ」
ルッツは肩を落とす。
ジークハルトは「行くぞ」とアナベルを連れていこうとする。しかし、アナベルはあることを思い出し、「あっ!」と声をあげる。
「そうだ! ヴィーカちゃんがいません!」
「ヴィクトリア?」
ジークハルトは首を傾げる。
「あの後、部屋に戻ってから全く姿を現さないんです」
その言葉にジークハルトもディートリヒも顔を見合わせる。アナベルはルッツを振り返る。
「あなた、ヴィーカちゃんのこと知りませんか?」
ルッツは先ほど『ヴィクトリアが行方不明』と言った。アナベルを部屋からおびき出すための嘘のはずだが、実際にヴィクトリアが姿を見せないのは事実だ。ルッツが何かを知っていてもおかしくない。そう思って訊ねたのだが――。
「俺は何も知らないっスよ」
――嘘だ。
直感的にアナベルはそのことに気づく。ジークハルトも同じだったのだろう。「ルッツ」と厳しい声音で彼の名を呼ぶ。
元帥の言葉にようやく観念したのか、ルッツは口を開いた。
「テオバルト将軍のお嬢さんなら、地下の倉庫に閉じ込めてます」
「なっ――!」
「だって、邪魔だったんですもん。この子の反応を見たくて鉢植えを落としたのに、あの子が先に気づいちゃうし。一対一じゃないと実力が見極められないと思ったんです」
本当に悪びれた様子がない。ジークハルトがディートリヒに視線を送る。ディートリヒは近くの兵士に声をかけ、この場を去っていく。ヴィクトリアを迎えに行ったのだろう。
「……テオバルトに何をされても知らないぞ」
ガタイの良い将軍は孫ほど年の離れた娘を溺愛している。閉じ込められたという話を聞いて怒らないはずがない。なのに、ルッツは「ホントっスか!」と顔を輝かせた。
「テオバルト将軍に扱いてもらえるんですか? 楽しみっス」
ジークハルトもそれ以上、言う言葉がなかったのだろう。改めて「行くぞ」とアナベルに声をかけ、歩き出した。




