六章:反感を抱く者④
アナベルの声と共に、ルッツに向けて大量の水流が放たれる。
鉄砲水のようなソレは人の速さでは避けれない。直撃すれば無傷ではすまないだろう。攻撃魔術は魔力で創り出した物体で、物理的に相手を攻撃する。だから、魔力のないエーレハイデ人といえど、攻撃魔術に対する耐性はない。
だから、アナベルはこの一撃で勝負はつくと思っていた。これで、ルッツを納得させられると思ってしまったのだ。
次の瞬間、アナベルが見たのは目を疑う光景だった。
ルッツが自身に向かって飛んできた水流に向けて手をかざした――と思ったら、その瞬間、大量の水が全て消えた。蒸発したのではなく、霧散したのだ。
「――なっ!」
驚きのあまり、アナベルは硬直してしまった。敵はその隙を見逃さなかった。
気づくと、目の前にルッツの姿があった。近づいた勢いのまま、彼は剣の柄でアナベルの腹部に一撃を入れる。
受け身をとることも出来ず、アナベルは地面に倒れた。起き上がろうとする前に、今度は首を掴まれ、組み伏せられる。首を絞められてはいないが、上から体重を乗せられている。とてもではないが、起き上がれない。
「あーあー、面白いと思ったんですけど、思ったより大したことないっスね。魔術って」
こちらを見下ろすルッツの表情はひどくつまらなそうなものだった。
「やっぱり、アンタ全然強くない」
一方のアナベルは混乱しながらも、状況を整理しようと頭を回転させる。
彼が今、アナベルが放った攻撃魔術を消した。つまり、魔術の無効化だ。こんなことが出来る人間の素性は限られている。アナベルは叫ぶ。
「――あなた、王族ですか!?」
あるいは王族の特性を受け継ぐ、王族分家のいずれかの人間か。王族男子は今まであった三人以外にいるという話は聞いてないので、おそらくは分家の誰かだ。まさか、アナベルに反感を抱いている人間が王族分家の人間だとは思っていなかった。
ルッツはアナベルの問いに答えなかった。
「そんなの、どうでもいいじゃないっスか」
と、本当にどうでも良さそうに言った。
「大事なのはアンタより俺のが強かったっていう事実っスよ。ニクラス将軍は俺より強いんです。やっぱり、アンタはニクラス将軍より弱い。魔術師なんて大したことないってことでしょう?」
違う。アナベルが負けたのはルッツが魔術を無効化出来るエーレハイデ王族の特性を持つためだ。真っ当に戦ってもアナベルはニクラスより強い。そのことは断言できる。
しかし、アナベルの首にかかる彼の手の力はどんどん強まっていく。徐々に気道が塞がれる。喋るどころか、呼吸も困難になっていく。どうにかしてこの状況を打開しなければならない。
もう、相手がどうなるかなんて考えている余裕はない。とにかく、何でもいい。魔術を発動しなければ。――そう思うのに、アナベルは体内の魔力を認識することが出来ない。触れられている首元から魔力が失われているような、そんな感覚に陥る。こんなのは生まれてはじめてのことだ。
(これが、エーレハイデ王族の能力……!?)
今まで、アナベルは何人もエーレハイデ王族の特性を持つ人物――ユストゥス。ディートリヒ。メルヒオール。エドゥアルト。あとはルイーゼか――に会っている。しかし、その特性がアナベルに牙を剥くことはなかった。当然だ。彼らはアナベルの敵ではなかったのだから。
しかし、今、目の前の敵は、天敵ともいえるその能力を生かし、アナベルを敗北させた。抗いたいのに抗うことさえ許してもらえない。これほど、無力さを感じるのははじめてのことだった。
「アンタ、レオン兄さんの代わりみたいなもんなんっスよね? でも、こんなに弱いんじゃ無理ですよ。あの人は誰よりも、何よりも強かった。圧倒的な力で他人を屈服させられた。そういうんじゃなきゃ、駄目ですよ。アンタなんかじゃ全然駄目っス」
ルッツからは殺意らしい殺意は感じられない。明確に、アナベルを殺したいという敵意が彼からは感じられない。なのに、ルッツはアナベルを殺そうとしている。分かりやすい害意も、殺意もなく、他人を傷つけようとしている。そのことが恐ろしい。
「やっぱり期待外れだったっスね」
もがくが、魔術が使えなければアナベルはただの小娘だ。腕力では軍人には、男には敵わない。
「……っ!」
息が苦しい。意識が遠のく。このまま、死んでしまうのか。それは久しぶりに感じる本能的な生存への危機感だ。
アナベルは手を伸ばす。反撃のためではない。それはただ無意識の動作。救援を求めるもの。
――助けて。
脳裏に浮かぶのは銀髪の青年の姿。でも、ここに彼が現れるわけがない。だって、今、あの人には何も告げなかった。彼だけではない。誰もがアナベルの不在を知らないだろう。もしかしたらヴィクトリアが――いや、それも難しいだろう。彼女が姿を現さないのは、裏でルッツが何かをしたせいかもしれない。
だから、今、ここに助けは来ない。来るはずがない。このまま、アナベルは死を待つしかない。諦めたくない。でも、諦めるしかない。そんな覚悟を決めようとしたそのとき。
「何をしているの!!」
遠のく意識の中、誰かが叫ぶのが聞こえた。
◆
――アナベル。
誰かが名前を呼ぶのが聞こえる。
――アナベル。聞こえる? 聞こえるなら反応して。
若い少女の声。どこかで聞いた覚えがある。でも、誰か思い出せない。
◆
「アナベル!」
目を開けると、目の前にいたのは金髪の――少女だ。ルッツではない。アナベルと歳の変わらない癖のない長い髪の女の子。
視線が合うと、彼女は安堵したような息をもらす。しかし、すぐに真剣な表情に戻った。
「私のこと、見える? 声が聞こえている?」
返事をしようとして、咽る。ゴホゴホと咳をすると、彼女は「無理して喋らなくていいわ。手を握り返してちょうだい」と手を重ねてきた。咳が落ち着いてから、アナベルは彼女の手を握り返す。
「ゆっくり呼吸をして」
指示に従い、ゆっくりと息を吸い、吐く。先ほどまであった眩暈も収まってくる。
「……私、どうなったんですか」
「少しの間だけ、意識を失ってたのよ。気がついてよかった。すぐ、先生が来るから。それまで横になっててね」
周囲に視線を向けると、他にも二人ほど兵士の姿が見える。彼らはルッツを囲んで、何か怒鳴りつけている。しかし、ルッツはつまらなそうな表情を浮かべるばかりで、彼らを無視していた。アナベルは少女――リーゼロッテに視線を戻す。
「あなたが、助けてくれたんですか」
リーゼロッテは困ったように笑う。
「すぐに見つけられてよかったわ」
それから、彼女は何故か「名前と生年月日は言える?」と訊ねてきた。不思議に思いながらも、アナベルは素直に質問に答える。それから最後にとった食事の内容は覚えているか、身体に痛みや異常はないかと次々に質問がされる。アナベルは一つ一つに覚えている限り答えていく。
一通り質問をし終えると、リーゼロッテは「問題なさそうね」と微笑んだ。それから、何かに気づいたように立ち上がる。リーゼロッテの視線の先を見ると、ジークハルトの姿があった。彼は珍しく焦った表情を浮かべ、こちらに駆け寄って来る。
「アナベル」
目が合うと、途端にジークハルトの顔には安堵の表情が浮かぶ。リーゼロッテが状況を説明する。
「先ほど意識が戻りました。記憶もはっきりしていますし、今のところ身体の不調もないそうです」
先ほどの最初の方の質問はアナベルの記憶がしっかりしているか確認するためのものだったらしい。
危ない行動をしたことを心配されるだろうか。それとも叱られるだろうか。向こうの反応を窺うのが怖くて、アナベルはあえてふざけた態度を取って見せた。
「どーも、こんばんは。先ほどぶりですね」
何かツッコミを入れられるかとも思ったが、ジークハルトは何も言わなかった。暗い表情のまま、アナベルのすぐ傍に膝をつく。ジークハルトはアナベルの手をとると、そのまま頬に引き寄せた。それから深く息を吐く。
「あまり、心配させるな」
それは今まで聞いたどの声より、苦しげに聞こえた。アナベルは目を伏せる。
「……ごめんなさい」
「単独行動しちゃ駄目って言っただろう?」
ジークハルトの後ろから声をかけてきたのはディートリヒだ。彼も心配そうにこちらを見ている。
今回の件は明らかにアナベルに過失がある。彼の言うように一人でルッツについていかなければこんなことにはならなかっただろう。
「すみません。私一人でもなんとかできると思ったんです。……あの人も、王族の血筋なんですね」
「ルッツ・P・キルンベルガー。……キルンベルガー家の一人だよ。ユストゥス殿下とは又従弟にあたる」
そんな話をしているとまた別の男性が現れる。フェルディナントと同じ軍服を着ている。軍医官なのだろう。近寄って来た男性にリーゼロッテがアナベルの状況を伝える。その場で簡単に診察が始まる。
軍医官が到着したことで、ジークハルトは立ち上がり、ルッツに近づいていった。




