六章:反感を抱く者③
アナベルは寝台で横になりながら、思いを巡らせていた。ジークハルトのこと。犯人のこと。しかし、いくら考えても答えは出ない。アナベルは諦め、身体を起こした。
(そういえば)
部屋に戻ってきてもう大分時間が経つ。しかし、一向にヴィクトリアが姿を現さない。普段であればとっくに夕食を運んできてもおかしくない時間帯なのに。
「……ヴィーカちゃん、どうかしたんでしょうか」
アナベルは立ち上がる。そのまま、部屋を出ようと扉に近づき、足を止めた。
先ほど、ディートリヒに気をつけるように言われたばかりだ。不用意に部屋を出てもいいものか悩む。
ノックが響いたのはそのときだ。ようやくヴィクトリアが来たのか――と思ったが、扉の向こうから聞こえたのは別の人間のものだった。
「もしもーし、いらっしゃいますかー」
なんとも間延びした、真剣みにかける男の声だ。アナベルは警戒したまま、「はい」と返事をする。
「緊急事態です。ちょっと、出て来てもらってもいいっスか」
アナベルは扉を開けるか、逡巡する。しかし、男の要求に応えることにした。ドアノブに手をかける。
扉の向こうに立っていたのは――青年、というよりは少年だ。見たところ歳はアナベルはそれほど変わらないだろう。癖のある金髪と、人懐っこそうな表情が印象的だった。
「……どなたですか?」
「あー、テオバルト将軍の部下っス。ルッツって言います」
ルッツは軽く頭を下げる。
「ちょっと大変な事になってて、ついてきてもらっていいっスか?」
アナベルはじっとルッツを見つめた。それからゆっくりと口を開く。
「……何があったんですか?」
「えーっと、そう、テオバルト将軍のお嬢さんが行方不明で」
「ヴィーカちゃんが?」
アナベルは瞬きをする。
確かにヴィクトリアが来ていないのは事実だ。彼女に身に何かあったのか――だが、元『牙』である彼女が簡単に危険な状況に陥るのが想像できない。
「なので、ぜひ魔術師のお嬢さんの力をお借りしたいんですよ」
少年はニコニコと笑っている。その笑みはどこか、無邪気さえ感じさせる。しかし、反面、アナベルは彼に対して強い不信感を抱いていた。怪しい。怪しすぎる。彼は間違いなく嘘をついている。
(さて、どうしましょうか)
彼についていくべきか、否か。
先ほどディートリヒに単独行動はしないようにと言われたばかりだ。だが、ヴィクトリアがなぜ姿を現さないのかも気になる。もし、彼がその件に関わっているのであれば、罠と分かっていてもついていくべきかもしれない。
「…………分かりました。行きましょう」
思案した結果、アナベルはルッツの言葉に乗ることにした。警戒さえ弛めなれば、どうということはないだろう。
アナベルは廊下に出る。一度室内に視線を向け、それからゆっくりと部屋の扉を閉めた。
◆
アナベルはルッツに案内されるがまま、廊下を進んでいく。
城内の構造を理解しているアナベルには彼が向かっているのがジークハルトの執務室でも、軍の会議室でもないことはすぐに分かった。向かっているのは、今日昼にアナベルが通った道――すなわち、礼拝堂方面へ繋がる道だ。
疑念はどんどん強まる。既に確信に近い。正直さっさと問い詰めてやりたい気持ちもある。しかし、周囲に人がいない方がアナベルとしてもやりやすい。他者への被害を考えずに暴れることが出来るからだ。だが、昼間のユストゥスの警告も忘れたわけではない。そのため、アナベルは礼拝堂を目前にして、足を止めた。
「どうしたっスか?」
ルッツは突然立ち止まったアナベルを振り返る。その顔には笑顔が張り付いたままだ。アナベルは冷たく彼を見た。
「腹の探り合いは得意じゃないんです。さっさと用件を話してもらえますか?」
彼はぱちくりと瞬きをした。
「緊急事態っていうのが嘘ってのは分かってます。何か思惑があって私をここまで連れてきたんでしょう? あなたが鉢植えを落とした犯人ですか?」
ルッツの魂胆は分からない。ただ、不審点が多い軍靴を履いた彼と、夕方に鉢植えを落としてきた人物を結び付けないほどアナベルも愚かではない。アナベルは高い確率でルッツと犯人の関連性を疑っていた。
「えーっと、そうだなあ」
彼は腕を組み、しばらくうんうんと悩んでいた。しかし、諦めたのか、何とも能天気そうな笑みを向けてきた。
「うん、そうっスね。あんたの言うとおり。俺も頭を使うのはそんな得意じゃないんっスよ。回りくどい真似はやめましょう」
ルッツはそう言うなり、腰に下げていた鞘から剣を抜いた。動きに一切の迷いがなかった。そのまま一歩足を踏み出す。アナベルは距離を取る為、一歩後ろに下がった。
「あんたの話は皆から聞きました。ニクラス将軍を試合で負かしたんですってね。すごい、強いって皆言ってるんですけど、俺はちょっと納得が出来てなくて」
まるで学校の授業で教わった問題の答えが腑に落ちない子供のように、彼は眉間に皺を寄せる。
「剣を壊したってのは確かにすごいですけど、それって純粋な強さじゃないじゃないっスか。この国に必要なのは純粋な、圧倒的な強さです。戦術とか戦略とかも大事って偉い人たちは言いますけど、圧倒的な強さがあればそんなもの関係なくなるでしょう? 俺はあんたが本当にうちの王宮魔術師として相応しいのか、知りたいんですよ」
本来であれば、アナベルは彼の言う「圧倒的な強さ」を持っている。しかし、エーレハイデの特異な環境がアナベルの能力を使えなくしているために、代わりに知恵を働かせたことをルッツは理解しているのだろうか。
(まあ、多分、言っても理解しないでしょうね。この類の人間は)
ちょっと話を聞いただけで分かる。この少年は自身の考えが絶対的に正しいと信じている。だから、アナベルが違う考え方の話をしても、聞く耳は持ってくれないだろう。そんな相手に道理を説くような優しさをアナベルは持ち合わせていない。
ただ、彼の話でアナベルが狙われた原因はジークハルトのことではなく、ニクラスとの試合が理由だったことが分かった。ジークハルトのことを思えば原因が全然違ったことは良かったと思うべきかもしれないが、現状はまだ楽観できる状況ではない。まだ、ルッツの用件はすんでいないからだ。
「だから」と少年はどこか無邪気に笑う。
「直接確かめさせてください」
そう言うか否や、彼は走り出した。一気に距離を詰め、剣を横に振り払う。
アナベルは跳んだ。
当然、身体強化魔術を使ってだ。そのまま、上空で一回転し、五トワーズ先で着地する。そのときには既にルッツは目の前にいた。今度は上から真っすぐ剣が振り下ろされる。アナベルは後ろに転がることで攻撃を避け、再び距離を取る。
――さて、どうすべきか。
今、アナベルの手元には武器がない。ニクラスとの試合のときのように、媒介に出来るものが何もない。かと言って、防戦一方でいても勝機はない。アナベルは覚悟を決め、手元で魔術を構築する。
以前『牙』と相対したときに作ったような、氷の結晶だ。ただし、剣の形ではなく、楕円形の殺傷能力は低いものだ。複数精製したものをルッツに向けて放つ。
彼は難なく、氷の結晶を避けたり、剣で弾くことで攻撃を防ぐ。形状は手心を加えたが、速度は落としていない。反応速度からルッツの実力が窺える。
「魔術って面白いっスね」
戦っている、というのにルッツは楽しそうに笑っている。――いや、戦闘をしているから笑っているのか。どうやら、この少年は戦闘狂の類らしい。本当にアナベルからしたら理解できない種類の人種だ。本来関わらない方がいい人間だ。普段であれば相手をするのも嫌に思って、さっさと逃げただろう。しかし、アナベルはその選択をしなかった。
「そんなに私の勝ち方が納得できませんでしたか」
「まあ、そうっスね。俺からしたら、あんな手品みたいな真似でアンタの強さを認める皆がよく分からないんですよ」
「正攻法で勝つべきだった、ということですか」
「勝つべきって言うか、それが勝つってことでしょう?」
アナベルは大きく息を吸う。
(出来れば、魔力消費は最低限に済ませたかったんですけど、仕方ありませんね)
彼は『力こそ全て』と思っているようだ。だからこそ、アナベルの勝ち方に納得がいっていないのだろう。なら、アナベルがすべきことはただ一つ。ルッツが納得するように、圧倒的な力を見せつけて彼に勝つ。殺すわけにはいかないが、死なない程度に怪我をさせるのはこの際仕方ないと目を瞑ってもらいたい。
体内の魔力に意識を向ける。今までのような少量ではない。大規模な魔術を発動させるために全身の魔力の流れに目を向ける。アナベルは両手をルッツに向け、魔術は放った。
「『水よ』!」
詠唱は基本的に少量の魔力で魔術を発動させるため、あるいは複雑な魔術を発動させるための補助動作だ。そのため、簡単な魔術であればアナベルは発動速度を重視して、詠唱を省略する場合も多い。しかし、今回は魔術効率をあげるため、呪文を叫んだ。




