五章:礼拝堂と秘密基地④
ユストゥスの言葉でアナベルは危険と言われた礼拝堂を離れた。かと言って、やはりまだジークハルトの執務室に戻る勇気はない。もうしばらくウロウロして、時間を潰そうと考えた。
王族たちが暮らす王城の東側の造りはアナベルもまだ完全に理解したとは言えない。探索も兼ねて、アナベルはあっちへ行っては戻り、こっちに行っては戻る。そんなことを繰り返し、――とうとう我慢が出来なくなったアナベルは振り返った。
「……あの。どこまでついてくる気ですか」
「さあ、どこまでかな」
ニコニコと笑うのは礼拝堂を出てからずっとアナベルの後をついてきている王太弟だ。てっきり途中で分かれるものかと思っていたが、彼は未だに金魚の糞のようにくっついている。
アナベルはユストゥスを睨む。
「貴方、暇なんですか?」
「そんなはずないだろう? 国王の執務というのはね、とっても多忙なものなんだよ。国一つを任されているんだ。どれだけ仕事を片付けてもどんどん新しい仕事が増えていく。今、こうしてここにいる間にも僕の認可を求める書類がどんどん山積みになっていくんだ。想像したことあるかい?」
「ならさっさと執務室に戻ってくださいよ!」
それだけ沢山仕事が山積みならさっさと戻るべきだろう。彼がわざわざ仕事を放り出してアナベルを追ってきたのは、礼拝堂が王太弟しか立ち入れない場所だからというのはなんとなく分かっている。用件がすんだのだから、もうアナベルについてくる必要はないはずだ。
しかし、ユストゥスは「それは僕が言うことじゃないかな」と笑う。
「シルフィード。君はいつ、ジークハルトの執務室に戻るつもりなんだい?」
その指摘にアナベルは言葉を詰まらせた。地面を見つめ、黙り込む。ぎゅっと制服のスカート部分を握り締める。その手を突然、取られた。
「せっかくだから、少しデートしようか」
「ちょっと!」
そう言って楽しそうな鼻歌まじりでユストゥスは歩き出す。抗議の声をあげるものの、それは無視される。アナベルは半ば無理やり引きずられるようにデートに付き合わされる羽目になってしまった。
階段をどんどん上がっていく。城の最上階につくと、今度は梯子を昇らされた。到着したのは王城の最上階の更に上――屋根裏だった。梯子を登り終えたアナベルは周囲をきょろきょろと見回す。
「ここ、物置か何かですか?」
屋根裏には雑然と物が置かれている。荷物だけでなくソファや椅子、テーブルなどもあった。埃もほとんど溜まっていない。人の出入りや掃除がされているようだった。
「秘密基地さ。僕とレオンのね」
レオンというのはスエーヴィルに寝返った将軍の名前だったはずだ。確か従兄弟とも言っていた気がする。アナベルは首を傾げる。
「その人とは親しかったんですか?」
「親友――いや、悪友だったよ」
アナベルはユストゥスの横顔を見つめる。しかし、彼はいつもの胡散臭く笑うだけで、その感情は読めない。
ユストゥスは椅子をソファの正面まで動かすと、そこに深く腰掛ける。そして、「座りたまえ」とソファを指さした。
「我が親愛なるお母上がキルンベルガー家の生まれ、というのは知っているだろう?」
アナベルがソファに座るのを確認すると、ユストゥスは話し始める。椅子の肘置きに肘をつき、頬杖をついている。相変わらず偉そうな態度だと思う。
「当然、キルンベルガー家とは幼少期から親戚付き合いはあるが――母上含め、キルンベルガー家にはなかなか面白い性格の人間が集まっていてね。あんまり、反りが合わなかったんだ」
「……面白い性格ってなんですか」
「簡単に言えば、嫌な奴だよ。性根が曲がってる奴等ばっかりなんだ」
ユストゥスはニコニコと笑みを浮かべている。その言葉にアナベルは目を丸くする。
「それ、貴方が言うんですか?」
「あはははは! そう思うかい?」
思わず思ったことをそのまま言ってしまう。アナベルの失礼な発言にユストゥスは気を悪くする様子もなく、笑い声をあげる。
「まあ、性格に問題があることは自覚しているけどさ。性根自体は真っ当だと思っているよ。少なくとも、母上のように異常なまでに権力や地位に執着してないし、伯父上のように他人を陥れてのし上がろうなんて考えたこともない」
ユストゥスの生母に問題があることは以前、国王から聞いている。まさか、実子であるユストゥスまでも母親の問題点を言及するとは思わなかった。
「……母親のこと、好きではないんですか?」
「うーん、そうだね。家族としての情はあるよ。でも、それが純粋な愛情かと言われると違う気もする。尊敬の対象とは思っていないね」
アナベルはフラヴィのことを心から愛している。でも、アナベルを産んだ女のことは別だ。今はもう何の感情も抱いてはいないが、かつては憎いとも思った。例え血がつながっている母親でも純粋に慕えるかはまた別の問題だ。
何も言えず、目を伏せる。ユストゥスは「話を戻そうか」と苦笑いをした。
「その中でも唯一レオンは別だった。レオンは乱暴者で両親の言うことも全然聞かない。キルンベルガー家では結構な問題児だと思われてたけど、不思議と気が合ってね。いつも二人で遊んでたよ。ここもその頃の遊び場の一つさ」
屋根裏に置かれているものをよくよく見ると、盤と駒や子供用の小さな剣なんかも置いてある。確かに元は子供たちの遊び場だったのだろう。
「レオンは剣術が得意だった。身体を動かすのもね。ただ、僕は運動系はからきしでね。だから、代わりにチェスや盤双六をしたり、悪戯を考えたりして遊んでいたよ」
「えっと、ええと」
聞き覚えのない単語が混ざり、アナベルは混乱する。ユストゥスは「ああ、チェスや盤双六は遊戯の一つだよ。これも西方にはなかったね」と補足してくれた。先ほど見つけた盤もそういった東方の遊戯に使うものなのだろう。
「少年時代の輝かしい思い出の一つさ。君にもそういうのはない?」
訊ねられて、答えるべきか悩む。アナベルは少し考えてから「ありません」と答えた。
「昔の思い出は……つまらないことばかりです。楽しかったのは母様と過ごした思い出くらいで」
アナベルの言葉に、ユストゥスは「そうか」と言うだけだった。詳しく聞かれなかったことにアナベルは安堵する。
沈黙が流れる。先ほどまであれほどペラペラと喋っていたのに、ユストゥスは口を開かなくなった。何か話せばいいのに、とも思う。
(――悪友ですか)
先ほどのユストゥスの話を思い返す。彼はレオンと親しかった。そして、いい青春時代を過ごしたらしい。アナベルは思い切って、ユストゥスに訊ねた。
「友達って、いいものですか?」
彼は少し不思議そうな顔をする。それから「そうだね」と考えるように遠くを見る。
「一概には言えないね。いいと思うこともあれば、悪いと思うこともある」
「……悪いと思うのは、どういうところですか」
先ほどユストゥスは良かった話をしてくれた。なら、逆に悪かったのはどういうところなのだろうか。
「結局、どれほど親しくても相手は自分とは別の人間だからね。双方の間で問題が起きなければその間はとても楽しい時間をすごせる。でも、考え方がどれほど近くても、完全に同じは有り得ないからね。上手くいかないこともある。『気が合わなかった』っていうので離れていくぐらいならまだマシさ。自分の中にある相手の像と実際の相手に乖離が生まれると、場合によって相手に裏切られたと強く失望しまうのさ。そしたらもうその二人の関係は修復できない。自分の中にある相手の像なんて虚像でしかないのにね」
頭がよく回るだけあって、ユストゥスの話す内容はアナベルには少し難解だ。特に友人のいなかったアナベルには共感もしにくい。黙って話に耳を傾ける。
「この世の人間が全員同じ考えをしていたらそれはそれでつまらないからね。僕はそれでいいと思っているけど……でも、そうだね。レオンについては後悔は付き纏うよ。僕はもっとアイツに対して何か出来たんじゃないかってね」
「ご友人の裏切りに責任を感じてるんですか?」
「……いや、どうかな」
肯定されるかと思いきや、ユストゥスは頷かなかった。難しい表情を浮かべる。
「多分、これは責任とは違うかな。アイツが裏切った責任はアイツにしかないよ。自分の起こした行動の責任は自分でしか取れないからね。でも、責任がないからって最善を尽くさなくていいわけではないだろう? 僕の行動は最善ではなかったと思ってる。それだけの話さ」
今まで、アナベルは何度かユストゥスの王様らしさともいえる側面を何度か見て来ている。最初にアナベルに真意を明かした際。誘拐未遂が起きた際の対応。普段は胡散臭さが上回っているが、やはりこの男は人の上に立つのに相応しい人物なのだろう。昔、テオバルトが『ジークハルトより王太弟の方が政に向いている』という言葉を思い出した。今なら、アナベルもその言葉に共感できる。
「それで? 友達作りで悩んででもするのかい?」
しかし、アナベルの中にむくりと湧き出たユストゥスに対する敬意ともいえる感情は、そのデリカシーのない発言で一気に霧散した。アナベルが頬を膨らませると、「君は本当に分かりやすいね」と笑われた。
「……ジークが、友達を作った方がいいって」
「あははは。あの子らしいね。それなら僕も友達がいることのメリットを沢山伝えた方がよかったかな?」
アナベルが睨みつけるが、ユストゥスは気にした様子もなく「それで?」と続きを促した。
「軍にいる、衛星士官のリーゼロッテって子分かります? 医術の家系出身っていう」
「『アスカロノヴァの天使』だろう? 勿論知っているよ。彼女は有名人だからね」
何とも大層な名称が出てきた気がする。ぽかんとアナベルは口を開けた。




