五章:礼拝堂と秘密基地③
城内をどう走ったか、全く覚えていない。気づくと、アナベルは知らない場所で蹲っていた。
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ」
頭を抱え、必死に現実を忘れようとする。しかし、どれだけ嘘と思い込もうとしても、現実は変わらない。アナベルは「うわあああああああああああああ」と奇声をあげた。
「母様の馬鹿あああああああ! 何でジークにそんなこと教えるんだあああああ!! 酷い!! 最低!! 人でなし!!!」
フラヴィとしては親心、或いは親切心か何かでジークハルトにアナベルの過去のことを伝えたのだろう。結果、ジークハルトは過去に友人がいなかったアナベルに友達を作ろうと思ってリーゼロッテとの縁を結ぼうとした。その行動を余計のお世話とは言わないが、アナベルの心情を慮るならもっと別のやり方をしてほしかった。アナベルは膝に顔を埋め、唸り声をあげる。
「ああ、最悪です。もうジークに合わせる顔がありません」
今までの態度を見る限り、ジークハルト自身はアナベルが魔術機関でやらかした諸々を気にしてはいないだろう。彼の態度はずっと変わらなかった。しかし、アナベルは違う。羞恥心で死ねる。穴があったら入りたいぐらいだ。
「……これからどうしましょう」
何事もなかったかのようにジークハルトの執務室に戻る勇気はまだない。かといって、ずっとここにいるわけにもいかないだろう。
時間が経ち、少し落ち着いたアナベルはようやく自分がどこにいるのか考える余裕が出てきた。アナベルは顔をあげる。
そこは広い空間だった。天井も高い。正面には祭壇らしきものがある。壁の高い位置には細長いステンドグラスが並び、温かな光が降り注いでいる。
「礼拝堂、でしょうか」
「そうだよ。典礼を行う神聖な場所さ」
すぐ隣から声がして、思わずアナベルは「ぎゃあああああ」と悲鳴をあげながらのけ反った。そのまま態勢を崩し、尻餅をつく。相手は呆れたような冷たい視線を向けてくる。
「さっきから思ってたんだけど、君随分と可愛くない悲鳴をあげるね。『きゃー』とか『いやー』とかもうちょっと女の子らしい叫び方の方が僕は好きだよ」
さも当然とばかりにそこにいたのは王太弟――ユストゥスだった。先ほどまでのアナベルと同じようにしゃがみこんでいる。アナベルは口をパクパクさせる。
「な、何でここにいるんですか!」
「そう! それなんだ。聞いてくれるかい?」
ユストゥスは立ち上がる。
「今日も僕は兄上の代理として、国の命運を分ける重要な執務にあたっていたわけだよ。メルヒオールや主要な官僚を集め、真剣な話し合いをしていたわけさ。いやあ、真面目に働く僕って本当に偉いと思わないかい?」
「はあ」
彼の手振り身振りが大袈裟なこともあって、アナベルにはどうしてもふざけているようにしか見えない。実際には頭も回る優秀な人物であることは知ってはいるが、こういう態度を取られるとどうしても不信感のが募ってしまう。
「ところがだよ。会議中、突然この世の終わりが訪れたとでも言わんばかりの悲鳴が聞こえてきてね」
芝居がかった動作でユストゥスは溜息を吐いた。アナベルは言葉に詰まる。彼の言う悲鳴をあげた犯人が誰かは聞かなくとも分かる。
「会議に参加していた皆も騒然さ。偶々窓の外を見たら、礼拝堂方面に走っていく君の姿を発見してね。様子を覗いに来たわけさ」
「…………それはお手数をおかけしました」
色々言いたいことはあったが、それを飲み込みアナベルは素直に詫びの言葉を口にする。ユストゥスが黙って手を差し出してきた。その手を借りて、アナベルは立ち上がった。
ユストゥスは正面の祭壇を見つめ、「この礼拝堂はね」と口を開いた。その横顔は先ほどまでと一変して真面目なものだ。
「本来許可された者以外は立ち入りが禁じられているんだ。ここに来るまで殆ど人気がなかっただろ?」
ここに来るまでの記憶は殆どないが、確かに人とすれ違わなかった気がする。アナベルも無意識に人気のない方を目指してしまったのだろう。そんな気がする。
アナベルもユストゥスと同じように祭壇を見上げる。
祭壇は白い石で作られたものだ。奥の壁には羽根が背中に生えた女性の像が飾られている。見たことのないモチーフだ。怪訝に思い、アナベルは顔を顰めた。
「あれは天使だよ。エーレハイデで神の使いと云われる存在さ」
「テンシ、ですか」
西方でも宗教はある。この世は神が作りあげたものと信じ、日々祈りを捧げている者も多い。アナベルは生まれてこの方神を見たことがないのでいるともいないとも考えたことがない。それでも一般常識としてある程度の知識は持っている。だが、天使という言葉は聞き覚えがない。
ユストゥスはこちらに視線を戻し、苦笑を浮かべた。
「エーレハイデと西方では信じられている宗教が違うからね。向こうでは多神教を取り入れている国が多いだろう? 義姉上に教えてもらったことがあるよ」
「……たしんきょう」
「神様がいっぱいいるって意味さ。この国では神様は一人だけ、――一神教という考え方を取り入れている」
ユストゥスの言うとおり、西方では神は何人もいた。この世界を作った創造神は一人だけだが、それ以外に知恵だったり、力だったり、様々なものを司る神がいると信じられている。
「神様が一人だけの代わりに、彼の臣下として存在するのが天使なんだ。神の使いとして、時に人々に神の言葉を届けてくれることもある」
では、この天使というのはかなり神に近しい存在なのだろう。確かに羽の生えたその彫刻はどこか神々しさを感じる。ユストゥスは「あの像は初代国王陛下の寵愛を受けた女性を元に作っているらしいよ。とても美人だったと云われているね」と補足説明もしてくれた。
アナベルは宗教的な話に興味がない。そのため、どんどん上の空になってしまう。その気配に気づいたのか、ユストゥスが話を戻した。
「そういうわけだから、ここは特別な場所なんだ。普段は国王かその跡継ぎぐらいしか入るのを許されていない。今日は仕方ないけど、今後ここに勝手に入っちゃ駄目だからね」
今日無断で入ったことは咎めないでいてくれるらしい。アナベルは「分かりました」と頷く。ただ、気になることはある。
「それなら、鍵はかけておいた方がいいんじゃないですか? 私が言うことじゃないですけど、今みたいに勝手に入られる可能性もありますよ」
あるいは警備を置くかだろうか。もっとも、ここの立ち入りが禁止されているのは宗教上の理由なのであれば、人を配置するより頑丈な鍵をかけた方がいいだろう。
ユストゥスは「これからはそうしようかな」と言って、扉に近づいていく。慌ててアナベルはその背を追った。
「シルフィード」
礼拝堂の扉を閉めたユストゥスがアナベルを呼ぶ。
「この礼拝堂には絶対に近づいてはいけないよ」
何故か、同じことを二度も言ってくる。アナベルを信用していないのだろうか。あまりのしつこさにアナベルはユストゥスに嚙みついた。
「二回も言われなくても分かってますって! 特別な場所なんでしょう!? むやみに入らない分別ぐらいあります!!」
「ここはね」
一方のユストゥスは落ち着いた態度を崩さない。
「魔術師にとってはとても危険な場所だから。――義姉上も一度危ない目に遭っている。下手したら死んでしまうよ」
アナベルは息を呑む。ユストゥスは冗談を言っている様子はなかった。
「ここは、何なんですか」
「礼拝堂だよ。表向きにはね。僕も、ここが本当は何なのかは分かっていない」
彼はそれ以上を説明する気はないようだった。アナベルもそれ以上質問をするのは諦めた。
アナベルが納得したことを理解したのだろう。それまで真剣な雰囲気だったユストゥスが一転して、普段のおちゃらけた雰囲気に戻る。胡散臭い笑みをアナベルに向けてきた。
「でも、どうしても礼拝堂に入りたいってときは僕に行ってくれれば特別に入らせてあげる。僕と一緒なら安全だからね。お姫様みたいに守ってあげよう」
「死んでもお断りです」
こういうとき、王太弟はアナベルを揶揄おうとしているのか、本気なのかよく分からない。どちらにせよ、気に障る言い方をする男だと思う。
アナベルは顔を顰める。
「そこまで言われたら近づきませんよ。安心してください」
そう言ってアナベルはユストゥスを無視し、道をスタスタと歩き出す。ユストゥスは安堵とも呆れともとれる溜息を吐く。彼は一瞬だけ、礼拝堂を見たが、アナベルを追うようにその場を離れた。




