五章:礼拝堂と秘密基地②
アナベルは瞬きをする。
「それはどういう意味ですか」
ジークハルトの言いたいことが分からない。問い返す。
「君は以前、サラマンダー以外はどうでもいいと言った」
それは川に落ちたアナベルを探しに来てくれた帰りの道のことだろう。確かにアナベルは『母様が無事なら、それ以外の誰がどうなってもどうでもいい』という発言をした。あの晩のことは今もよく覚えている。
「今、魔術機関におけるサラマンダーの立ち位置がこの国における私に置き換わっただけではないのか」
そう言われても暫くアナベルは言われた言葉の意味が理解出来なかった。何度も脳内で反芻し、ようやく理解する。――ジークハルトは、この国でもアナベルがジークハルト以外をどうでもいいと思っているんじゃないかと言っているのだ。
「ち、違いますよ」
身体中から血の気が引いていくのが分かる。アナベルはジークハルトに縋りついた。必死に訴える。
「そんなことないです。私、頑張ろうって思ってるんです。確かにニクラス将軍との試合とか――失敗はありましたけど、皆のことどうでもいいなんて思ってないです。あんまり上手じゃないかもしれないですけど、良い関係を作っていけたらいいなと思ってるんです。嘘じゃないです。本当ですよ」
前回、調査員として来たとき、アナベルは彼らと表面上友好な関係が築けさえすればいいと思っていた。極端な話、ジークハルトに助けてもらうまでは彼らが死のうが気にしなかっただろう。表面上、哀悼の意を示したとしても、本心は自分と関係のない人間が死んだとしか思わなかったと思う。でも、今は違う。
ヴィクトリア。ディートリヒ。カイ。テオバルト。ハーゲン。ロッホス。ザシャ。メルヒオール。アロイス。ルイーゼ。エーレハイデの人たちに何か危険が迫れば、アナベルは自分に出来る最大限のことをするだろう。もし、誰かが死んだら――というのはあまり考えたくない。それぐらい、アナベルは彼らに対して親しみを感じている。
なのに、ジークハルトは真逆のことを言った。アナベルが以前と変わらず、皆をどうでもいいと思っている。そう言われたということは、ジークハルトはそう感じているということだ。
誤解された。そう気づいて真っ先に頭をよぎったのは、ジークハルトに嫌われたかもしれないという恐れだ。優しい彼は誰に対しても情を抱いている。今もアナベルが他人に対して情を抱いていないとなれば、お人好しの王子だってアナベルのことを嫌に思うかもしれない。
もし、本当に嫌われたら――それ以上のことは考えたくない。だから、アナベルはジークハルトの誤解を解きたかった。
「落ち着くんだ」
諭すような声音だ。ジークハルトは縋りついてきたアナベルの手を握る。
「言い方が悪かった。私は君が皆をどうでもいいと思っている、と言いたかったわけじゃない」
――誤解されたわけじゃなかった。
その言葉で一気に強張っていた身体から力が抜けるのを感じる。ジークハルトから手を離すと、彼もアナベルの手を離した。
「ただ、そうだな。知っての通り、軍は女性の割合が少ない。今、君の周りにいるのは私を含めほとんどが年上。しかも、異性だ。純粋な友人関係は築きにくい。もっと親しくなれる同世代の女性と友人になれば、ここでの暮らしも楽しくなるんじゃないかと思ったんだ」
アナベルは瞬きをする。
「えっと、ここでの生活もそこそこ楽しいですよ。今のところ満足しています」
「……なら、次の休みの予定はあるか」
「寝台で心行くまで惰眠を貪る予定ですが」
即答すると、「それは予定と言わない」と冷たい視線を浴びせられた。これは魔術機関時代の休日の過ごし方の定番だ。そんな反応されるのは不服である。
「そうだな」
ジークハルトは考えるように目を閉じる。
「私も詳しくは知らないが、年頃の女性は休日に集まって一緒に遊びにいくだろう。買い物をしたり、お茶をしたり」
「はあ、まあ多分」
普通の若い女性から外れるアナベルも詳しくは知らない。だが、学院時代に同級生が授業の合間に次の休みに遊びに行く予定を楽しそうに話していたのは聞いたことがある。
「あとはよく楽しそうに立ち話をしていたり、……そうだな。私は君にそういう普通の生活をここで送ってほしいと思っている」
「普通」
脳裏に思い浮かぶのはやっぱり魔術機関の同級生たちだ。彼女たちが送ったのと同じような生活をアナベルが送れることを、ジークハルトは望んでいるのだろうか。
「あとは何か困った際に相談できる同性の相手はいた方がいい。私たち相手では遠慮して話せない話もあるだろう。ヴィクトリアは相談に乗るのが苦手だから、リーゼロッテが適任だと思ったんだ」
ジークハルトの考えは理解した。アナベルのことを思ってリーゼロッテとの間の橋渡しをしようとしてくれた。だが、それでもやっぱり、リーゼロッテに苦手意識を抱いている事実は変わらない。
「……ああいう子苦手なんです」
だから、アナベルはそのことだけは伝えることにした。自分のことを考えてくれているのだから、それくらいは説明しておかないと失礼だろう。
「それはリーゼロッテのように真面目な人が、という意味か」
「いえ、違います。私と仲良くしたいという雰囲気を出してくる子が、です」
アナベルは顔を顰め、ぎゅっと右手で左腕を握り締める。
「魔術機関で昔、……将来『四大』になるのが確定している私に、近づいてきた子たちがいたんです。でも、その子たちは別に私と仲良くなりたかったんじゃないです。ただ、『四大』になる人間と縁を結びたかっただけで――あんまり、いい思い出がないんです」
「リーゼロッテが友好的なのは誰かに指示されたからではないぞ」
「ええ、もちろん私だって彼女がその同級生と一緒と思っているわけではありませんよ。ただ、どうしても苦手意識は消えなくて」
そこまで行って、ふとアナベルは違和感に気づいた。ジークハルトの顔を見つめる。
「――何でその子たちが誰かに指示されたって分かったんですか」
確かに幼い頃近づいてきた彼女たちの後ろには親の存在があった。しかし、そのことをアナベルは言っていない。なのに、なぜジークハルトはそのことが分かったのだろうか。
表情の変化に乏しいジークハルトだが、そのときは明確に顔に感情が現れていた。しまった、という顔だ。
「ねえ、何で知ってるんですか。教えてください。嘘つかないください。ねえ。ねえ」
――これは絶対に何かがある。
そのことを確信したアナベルはジークハルトの服を掴む。彼は顔を背け、目を閉じている。どう逃れようと考えているのかもしれないが、今回ばかりは誤魔化されてやるつもりはない。
「ジーク。ねえ、ジーク。答えてください」
「……ハーゲンから」
ジークハルトが口にしたのはアナベルと一緒に魔術機関から空を飛んで帰還した使者の名前だ。なぜ、彼の名前が出てくる。
「サラマンダーの手紙と手記を受け取った。そこに全部、書いてあった」
確かにフラヴィなら性格的にジークハルトに向けて手紙を書いてもおかしくない。内容はアナベルを頼んだとかそういった類のものだろう。しかし、手記とはなんだ。
「全部って、どこからどこまでが全部なんですか」
今の会話の流れから、アナベルが幼少期に友達に裏切られた体験についてその手紙か手記とやらに書かれていたのは間違いないだろう。では彼の言う全部が指すのはどこからどこだ。
アナベルは乾いた笑みを浮かべる。
「……本当に、全部なんですか? 母様に拾われてからのこと、全部?」
ジークハルトは沈痛な表情で目を閉じたまま。否定の言葉をジークハルトは口にしなかった。
――思い返すのは魔術機関で過ごした日々の記憶だ。
それはもう問題ばかり起こしていた。ある程度分別のついた今では、アナベル自身でも自分の行いが如何に社会性に欠けていたのかは自覚している。出来ればエーレハイデの皆には知られたくない話だ。その中でも特に知られたくなかったジークハルトが、まさか既に知っていたなんて。
状況を理解するのに一分時間がかかった。そして、理解した直後、アナベルは「ぎゃああああああああああああああああああ!!!」と大絶叫を上げながら、その場を逃走した。




