三章:レーヴェレンツ家の人々②
初老の男性――ボニファーツはニコニコとした笑みを浮かべる。
「はじめまして。エーレハイデにようこそ。西方の魔術師さん」
「は、はじめまして。アナベル・シャリエです」
軍医務官をまとめている、ということなので相当偉い人物なのだろうが、あまり軍人っぽさは感じない。
ジークハルトは続いて、眼鏡の男に視線を向ける。
「そっちがフェルディナント・B・レーヴェレンツ。軍医官――階級で云えば佐官だな。ボニファーツの息子だ」
「よろしく」
フェルディナントは一瞬だけニヤリとした笑みを浮かべた。続いて、ジークハルトの視線に気づいたリーゼロッテが一歩こちらに近づく。
「私はリーゼロッテよ。リーゼロッテ・K・レーヴェレンツ。衛生下士官よ。よろしくね」
彼女は軽くお辞儀をする。それから嬉しそうに笑った。
「でも、嬉しいわ。軍には女性が少ないの。特に同世代の女の子が入ってくれるなんて」
「…………ど、どうも」
こんな風に歓迎されるのは逆に落ち着かない。アナベルは心持ち少し、ジークハルトの影に隠れる。そういえば、とアナベルはリーゼロッテもボニファーツたち同様にレーヴェレンツと名乗ったことに少し遅れて気づく。
「あの、あなたもそちらのお二人の血縁の方なんですか? そちらの…………娘さんとかですか?」
アナベルはフェルディナントを見る。
四十代後半に見えるフェルディナントと、まだ十代だろうリーゼロッテはとてもではないが兄妹という年齢差ではない。親子と考えるのが自然だろうかと思ったのだが、――アナベルの言葉にボニファーツとリーゼロッテが笑い出した。
「わははははは、まさかリーゼと親子に間違えられるなんてな。僕としてはリーゼは本当の孫みたいなものだからね、大歓迎だけど」
「ふふ。小父様の養子に入ったら、きっとお父様が寂しがりますわ」
「うーん、コンラートに恨まれたくはないなあ。フェルディナントのお嫁さんに迎えるって手もあるけど、それはそれで死んでも恨まれそうだ。今回は諦めるとしようか」
楽しそうに話す二人と違い、フェルディナントは苦虫を嚙み潰したような表情だ。眼鏡を押さえている。
「レーヴェレンツ家はエーレハイデ建国からある旧家の一つだ」
アナベルは黙ってジークハルトの説明に耳を傾ける。
「医術の家系で、レーヴェレンツ家の人間のほとんどが医学の道を進んでいる。リーゼロッテはボニファーツたちの血縁ではあるが、近親者ではない」
「えーっと、リーゼの曽祖父が僕の母の従兄弟じゃなかったかな。だから、八か、九親等くらい?」
「親父とリーゼは八親等で、俺とリーゼが九親等だ」
「そうかそうか。そういうことだよ」
とてもではないが、三人の正確な関係性は覚えられる気がしない。アナベルはボニファーツとフェルディナントが親子で、リーゼロッテは親戚と覚えることにした。それだけでも覚えようとしたことを褒めて欲しい。
「リーゼロッテ」
「はい」
ジークハルトに呼ばれ、和やかに微笑んでいたリーゼロッテが途端に表情を引き締める。
「すまないが、アナベルに服を貸してもらうことは出来るか?」
「服ですか?」
その言葉にはリーゼロッテだけでなく、アナベルも首を傾げる。淡々とした口調でジークハルトは言葉を続ける。
「アナベルは着替えを持ってきてないんだ。魔術機関の制服は一度洗った方がいい。さっきの戦いで汚れただろ」
黒い制服は一見すると分かりづらいが、特に袖やスカートの前の部分が汚れている。――アナベルの血でだ。
確かにこのままでいるのも気持ち悪いが、他人に服を借りるというのも何だか落ち着かない気分になる。王城なのだから、誰もまだ使っていない予備の服とかはないのだろうか。
そんなことを思ったが、アナベルが言う前にリーゼロッテが微笑んだ。
「分かりました。喜んで」
リーゼロッテが了承してしまった以上、アナベルも我儘な発言は出来なくなった。なんとも複雑な表情を浮かべていると、「アナベル君」とボニファーツがアナベルを呼んだ。
彼はニコニコと笑ったまま――。
「君の怪我の件だけどね。今日一日、両手を使わないように。何かを持ったり、掴んじゃ駄目だからね」
――そんなことを言い出した。
アナベルは声をあげる。
「え゛!?」
魔術機関にいた頃に、自業自得で怪我をし、医務員の治療を受けたことは何回もある。そのときはいつも最低限の治療をしてもらって、その後に何か制限されることはなかった。こんなことを言われるのははじめてだ。
「だって、傷はもう治ってますよ! 普通に動かせますって!」
「魔術薬の効能はよく分かったけど、そもそも深い傷を負ったわけだから。何か後遺症があっても怖いからね」
「後遺症なんてあるわけありません。問題ないですよ」
治癒薬の効果は絶大だ。アナベルは断言したが、ボニファーツは譲らなかった。
「君に医術の知識はあるのかな? この魔術薬がどういう効能があって、どう傷に作用しているか説明できる?」
――医術の知識なんてない。説明なんてできない。
アナベルは何も言えず、黙り込んだ。
「僕は医者だから。きっと、人体の仕組みについては君以上に詳しいよ。でも、その僕でも人体について全てを知っているわけじゃない。魔術薬の効果を疑ってるわけでも、君の言うことを信じていないわけでもない。でも、万が一、ということは考えられるからね。違和感もあると言っていただろう? 様子を見るためにも、今日は極力手を使わないこと、動かさないこと。分かった?」
話し方は先ほどと変わらずのんびりとしたものだ。なのに、反論を許さない強さがあった。隣のジークハルトもボニファーツに同調する。
「ボニファーツの言うとおりだ。午後の予定は明日に変える。今日はもう両手を使うな」
周囲には誰一人、アナベルの味方はいない。口を挟んでこないが、同じレーヴェレンツ家の二人もボニファーツと同意見だろう。
苦渋の末、苦々しい表情を浮かべながらアナベルは口を開いた。
「…………分かりました」
「うん。じゃあ、明日もう一度診察するから。もし、痺れや痛みが出るようだったらすぐに知らせてね。お大事に」
彼はそう言って、机に置かれた紙に何かを書き始めた。リーゼロッテが近づいてくる。
「それじゃあ、行きましょ。軍の宿舎に私の部屋があるの」
仕方なく、アナベルは立ち上がる。しかし、ジークハルトは動かない。
「私はここに残る。リーゼロッテ、彼女のことは頼んだ」
「承知しました」
「え゛!?」
てっきり、ジークハルトもついてきてくれるものだと思っていた。再びアナベルはジークハルトに抗議した。
「ついてきてくれないんですか!」
「女性宿舎は男子禁制だ。私は中に入れない」
魔術機関の女性寮も男性職員の立ち入りは禁止されていた。それを考えれば当然のことかもしれないが、アナベルは納得がいかない。
「途中まででいいですから! ね! ね!」
「…………子供みたいことを言うな」
心底呆れたように溜息を吐かれた。
「ボニファーツに話したいこともある。リーゼロッテと二人で行ってくるんだ」
「さあ、行きましょ」
リーゼロッテは笑顔だ。
彼女はアナベルの腕に自分の腕を組むと、「失礼します」と一礼をする。アナベルは半ばリーゼロッテに引きずられるように医務室を退出することになった。




