二章:将軍との試合⑤
※流血シーンがありますので苦手な方はご注意ください。
試合開始直後にアナベルがしたことはまず、自身に身体強化魔術をかけることだった。速度。手足の力。動体視力。聴力。この程度の身体強化魔術は詠唱なしで行える。発動も一瞬だ。
気づけば目の前にニクラスがおり、顔面目掛けてレイピアが突き出される。驚異的な速度の攻撃を、アナベルもそれ以上の速さで避けた。とてもではないが、素の身体能力では避けられなかっただろう。
しかし、ニクラスの攻撃をそこで止まない。
二度、三度。繰り返し繰り返し、刺撃を繰り出してくる。アナベルは紙一重でそれを避けていく。
(クソッ、速いですね!)
出来れば、こちらも打ち返したいところであるがその余裕を全く与えられない。かくなる上は――と、防壁魔術を張る。
本来であれば、接近攻撃の多くはこれで弾き返せる。ニクラス自身に魔術が効かなくとも、レイピア自体はただの物だ。防壁魔術が通用するかもしれない。そう思ったが、アナベルの考えは外れた。
防壁を張った直後の突きは確かに鈍った。ニクラスの表情も僅かに歪む。しかし、それは本当に一瞬のことだった。
(――嘘!)
ニクラスの攻撃は防壁魔術を貫通した。
慌ててアナベルは極限まで向上させた身体能力で避けようとするが、僅かにレイピアの刃が頬を掠る。それ以上の追撃はなかったが、アナベルはニクラスから距離を取った。
彼は一度自分の剣とアナベルを見比べる。
「何か、したな?」
アナベルは質問に答えない。正直、答える余裕がない。今はとにかく、どう勝つかを考えるのが先決だ。
彼は嗤う。
「さっきまでの威勢はどうした? 反応速度は褒めてやるが、まったく攻撃をしてこないではないか。勝てる見込みがないのが分かったなら、降参してみてはどうだ?」
そう言って、ニクラスは顎で審判のアロイスを指す。アナベルは眉間に皺を寄せる。
(本当にムカつきますね)
だが、今することは怒ってニクラスの言葉に反論することではない。現状を正しく認識し、打開策を練ることだ。
アナベルは深呼吸をすると、改めて剣を構える。そして、刀身に魔力を籠める。木製のレイピア全体に魔力が行き渡っていく。見た目には変化がないため、そのことを理解しているのはアナベルだけだろう。
アナベルには最初から剣を使って勝つつもりはない。木製であったとしても、剣を持ち込んだのは単純に媒体にするためだ。
エーレハイデの大気はとにかく魔術の伝導効率が悪い。少量の魔力で何かをしようと思うと、直接対象物に触れるか、魔力を込めた何かを対象物に触れさせる必要がある。以前、王都の外の廃墟でコップに昏倒魔術を籠めたのと一緒だ。
しかし、前回のような投擲武器では対象物には当てられない。避けられるのがオチだろうし、上手いこと当てられたとしても一瞬だ。どの程度の魔術が有効か分からない以上、間接的であってもアナベルが触れ続け、効果によって魔力を調整する必要がある。
だから、剣が一番適任だと思ったのだ。打ち合いになれば、確実に間接的に対象物に触れることが出来る。なのだが、――実際にはニクラスは刺突を繰り返し、アナベルは避けるばかりでまったく打ち合いにもなっていない。このままニクラスの攻撃を受けるばかりではおそらく、アナベルの望む展開は訪れない。
(こちらから動くべき、ですね)
覚悟は一瞬で決まった。
アナベルは大声を上げ、勢いよくニクラスに突進した。
(難しいことは考えない! とにかく、剣さえぶつければ――っ!!)
剣の扱いは全く分かっていない。身体強化魔術で速度が速くなっているとはいえ、構え方も踏み込み方も素人そのものだろう。アナベルの攻撃でニクラスを倒すことはできないことは分かっている。それでも、剣と剣の打ち合いになれば、相手を戦闘続行不能状態には持ち込める可能性がある。
レイピアは本来突く武器だ。しかし、アナベルはレイピアを振り上げ、ニクラスに斬りかかった。
「ていやあああああ!」
かけ声とともに出された攻撃をニクラスは難なくレイピアの刃元近くで受け止める。触れ合う、一瞬。アナベルは両手に籠める魔力を強めた。
(――いけ!)
アナベルの魔力が木剣を通し、ニクラスのレイピアに伝わる――その筈だった。しかし、アナベルが期待する変化は起きない。
アナベルが驚く間もなく、ニクラスは木剣を弾き返した。そのまま、追撃が繰り出される。
「うわっ!」
慌てて先ほど同様アナベルは攻撃を避け、ニクラスから距離を取った。彼は不機嫌そうにこちらを睨みつける。
「そんな素人の攻撃が通用すると思ったのか?」
そんなことは思ってない。思ってないのだが――内心、アナベルは冷や汗が止まらなかった。
(まずい、まずいです! 全然効いてないじゃないですか!)
刀身を弾き返されることも想定のうちだ。触れ合うタイミングが本当に短いことも見越して、アナベルは結構な魔力を込めた。それが通用しないなんて想定外である。
(考えろ。考えるんです。どうして効かなかったか、魔術が発動しなかったのか、絶対理由があるはずです)
アナベルは一度視線を手元の剣に落とす。
間違いなく、剣には魔術が込められている。そのことは直接触れた感覚で分かる。なら、問題は向こうのレイピアの方だ。ニクラスに――正確には、その剣に視線を戻す。
傍目にもなかなか立派なレイピアに見える。一国の将軍が扱うものだ。何か特別なものなのかもしれない。
(アレも魔術が効かない類のものなのでしょうか。それとも、単純に私の魔力量が足りなかった? あるいは時間が足りなかった? そもそも、剣を媒介にするのが駄目なのかもしれません)
いくら考えても答えは出ない。可能性が増えるばかりだ。結果、アナベルは立ち尽くすしかない。対戦相手が一向に動かないことに痺れをきらしたのだろう。ニクラスが忌々しそうに溜息を吐いた。
「もう、いいだろう。こんな馬鹿げた試合、さっさと終わらしてしまおう」
一歩、二歩とニクラスが近づいていく。彼の纏う雰囲気が先ほど以上に厳しくなった。本当に決着をつけるつもりなのだろう。
(ああ、もう! やっぱり、考えるのは私には向いていませんね!)
当たって砕けろだ。上手くいかなかったらまた方法を考えればいい。アナベルは再度、剣を構える。
ニクラスが一瞬、目を細めた。――と思ったら、目にも止まらぬ速さで距離を詰めてきた。
(――さっきより、速い!)
こちらの力量を図るために多少手を加えていたのだろうか、なんて考える暇もない。体と動き以上に速く、鋭い刺撃が今度は胴体目掛けて繰り出される。体を捻っても、腕か肩をレイピアが突き刺すだろう。完全に避けるのは難しい。
(ええい、ままよ!)
アナベルは避けなかった。代わりに構えていた剣を離し、両手でレイピアを受け止めた。
当然素手だ。剣を無傷で止めることは出来ない。鋭い刀身はアナベルの掌を切る。しかし、レイピアがアナベルの胴体を突きさすことはなかった。両手から溢れた赤い血は床を赤く染める。レイピアの刃にも赤い血が伝う。
「なっ――!」
さすがにニクラスもアナベルが素手で刀身を受け止めるとは思ってもみなかったのだろう。驚いた様子に少しだけ溜飲が下がる。
アナベルはニヤリと笑った。
「『溶けろ』」
呪文と共に、魔力を直接掌からレイピアの刀身に流し込む。先ほどより流し込む魔力量は多い。レイピアに伝達する魔力量は木剣より遅い。――しかし、魔術を発動させて二秒後、それは起こった。
銀色の刀身がぐにゃりと溶けた。
そして液体のように姿を失い、床に落ちた。その場に銀色の水たまりが出来る。
ニクラスは絶句している。気づけば、先ほどまでした野次馬の歓声も聞こえなくなった。まるで水を打ったかのように周辺が静かになる。
「審判! これは私の勝ちですよね!」
アナベルは鼻高々に勝利宣言をした。審判であるアロイスもぽかんと口を開いている。
「相手の武器を落とすことも戦闘続行不能になるんでしょう? なら、武器を壊しても一緒ですよね?」
笑顔で言うアナベルに、アロイスが「え、ええ」と壊れた人形のように頷いた。




