一章:王宮魔術師の着任②
ここまではいい。ここまではアナベルも満足しているところだ。
(……問題はあの人がどういう意図であの発言をしたかってことですよ)
最終的にジークハルトはアナベルがこの国にいること――ジークハルトの傍にいることを認めてくれた。そのとき、彼が言ったのが「ずっと、変わらず私の隣にいると約束してくれるか」というものだった。
不愛想で冷淡な態度から想像できないぐらい、ジークハルトは真っすぐというかこっ恥ずかしい思考回路の持ち主だ。それ以前にも普通の娘だったら誤解しかねない言動をアナベルにしてきた。アナベルも「何かと優しくしてくれるジークハルトは自分に惚れているに違いない」なんておめでたい思考はしていない。おそらくアレは天然だ。アナベルのことも境遇のこともあり気にかけてはくれているが、男女の腫れた惚れたという感情を持っているとは思えない。
だから、あの発言も単純に「王宮魔術師として傍にいてくれ」的な意味のはずである。
本来の王宮魔術師の役割は王の護衛と国の防衛であるが、エーレハイデの事情を考えればアナベルの役割はジークハルトの護衛だ。今までは用事がなければ一緒に行動することもなかったが、今後は基本的に一緒にいる必要がある。アナベルがこの部屋を与えられたのも、「ジークハルトに何かあったらすぐに駆けつけられるように」という理由だ。
(それならそれでもっと誤解のないような言い回しをすべきではないでしょうか。そもそもうら若き乙女を許可もなしに抱きしめるのもどうかと思います)
正直、抱きしめられたこと自体は嫌ではなかった――というよりむしろ嬉しかったのだが、その件は記憶から抹消しておく。いまだにアナベルはジークハルトに抱く感情を整理しきれていない。今、自分自身の感情と真っ正直に向き合おうとすれば、アナベルは恥ずかしさのあまり魔術で城ごと周囲を吹き飛ばしかねない。一旦、忘れておくのがこの国のためでもある。
昨日は泣きやんだあと、そのまま王城へ向かった。そして、皆との再会に喜んだり、緊張が緩んで一気に疲労が出たことで一連のことを深く考えなかった。しかし、しっかり睡眠をとり、冷静になった今はあの時のジークハルトの発言と行動の意図がどうしても気になる。理屈では深い意味はないと分かっているのに、どうしても感情の整理が追いつかないのだ。
「アナベル様、食事の用意が出来ました」
アナベルが百面相をしている間に、ヴィクトリアが朝食をテーブルに並べ終わる。メニューは丸いパンに、ハム、チーズ、あとはピクルスとオムレツだった。
アナベルはあっという間にそれらを平らげ、幸福に浸っていると扉がノックされた。
現れたのは案の定、ジークハルトだった。後ろには副官のディートリヒもいる。
「おはよう、アナベル。ゆっくりやす」
ジークハルトはアナベルを視界に入れると、言葉を止め、これ以上なく冷たい視線をアナベルに向けた。
「…………お前はいったい何をしている」
彼の反応も当然だろう。アナベルはお皿を顔の前に持ち、顔を隠している。
まだ直接顔を合わせられるほど感情の整理が終わっていないのだ。これくらいは許してほしいが――正直、完全に不審人物だ。
ヴィクトリアはいつも通り無表情で、ディートリヒは苦笑いを浮かべている。
「ナンデモナイデス。オハヨウゴザイマス。今日モイイ天気デスネ」
「なぜ片言なんだ。それに今日は曇り空だぞ」
そう言われ、アナベルは窓から外を見上げた。確かに空は曇っている。午後には雨が降りそうでもある。
アナベルは咳ばらいをする。
「とにかく、なんでもありません! 今はこうしてたい気分なんです」
しばらくジークハルトは観察するような視線をアナベルに注いでいたが、諦めたのか溜息を吐いて視線を外した。それから、以前にもしたように魔力供給のハーブティーの準備を始めた。ヴィクトリアはアナベルが持つ皿以外の食器の片づけを始める。手持無沙汰なのだろう。ディートリヒが声をかけてきた。
「アナベルちゃん、よく眠れた?」
「はい、おかげさまで」
「それは良かった。アナベルちゃんが乗ってきた空飛ぶヤツ、一旦、軍の倉庫にしまっておいたよ。それで大丈夫?」
「ええ。エーレハイデじゃ使えませんしね。それで問題ありません」
「今後、整備とかも必要かな」
「……あー、そうですね。定期的にチェックはした方がいいですね。また、そのうち使うことになると思いますし。ここでも似たようなものは作れなくはないですが、作り直すのは面倒ですから。ちゃんと整備はしておきたいですね」
「うん、そうだよね。最初の整備はアナベルちゃんも参加したほうがいいと思うけど、もし、他の整備兵が代わりに出来そうな内容だったら、そっちでやるようにも出来るよ。そのときは手配するから言ってね」
「分かりました」
そんな会話をしているうちに、お茶の準備が終わったらしい。ジークハルトが淹れたハーブティーをヴィクトリアがアナベルの前に置く。ジークハルトが向かいの椅子に腰かける。
その様子を見ていたアナベルの手からディートリヒが皿を奪った。彼は「これももう片付けるね」と微笑み、配膳台車に載せる。ディートリヒが扉を開けると、ヴィクトリアが配膳台車を押して部屋を出ていく。防具を奪われたことに、アナベルはディートリヒに非難の視線を送っている。
ジークハルトが口を開いた。
「君の今後の処遇について、王太弟殿下や将軍、宰相と話し合ってきた」
先ほどから思っていたが、ジークハルトの態度はいつもと全く変わっていない。アナベルのように取り乱すこともなく、淡々とした態度である。多少、そのことが気に食わなくもあるが、同時に安堵してしまったのも確かだ。
そして、アナベルの方も先ほどと違い、落ち着いてジークハルトに向き合うことが出来ている。おそらく、先ほどディートリヒと普段通りの会話をしたからだろう。――もし、ディートリヒが話しかけてきたのがそのことも狙ってのものなら、油断ならないなと思ってしまう。
「我々は西方での王宮魔術師での立場がどういうものなのか知らない。また、君が担うのは王の警護ではなく、私の護衛であるという点を考えれば、西方での慣例は横に置いて考えるべきだと結論付けた。君の意見を反映出来なかったことは申し訳なく思うが、それでも構わないか?」
「別にいいですよ。西方での王宮魔術師の立場なんてのは私も詳しくは知りませんし」
アナベルの発言にジークハルトは僅かに眉間に皺を寄せる。
「そういう難しいことは私にはよく分からないんで、お任せします。ただ、変だと思う事や嫌だと思う事はちゃんと主張しますよ。安心してください」
もっとも、アナベルが王宮魔術師として求められることは明確だ。そのことを考えれば、おかしなことを言い渡される可能性は低いと思っている。
ジークハルトはどこか不服そうな視線を向けながらも、話を続けた。
「アナベル。君にはエーレハイデ軍に所属してもらうことになる」
「軍、ですか?」
つまり、アナベルに軍人になれということか。
護衛対象であるジークハルトが元帥であることを考えれば、その判断は決しておかしなことではない。しかし、軍人という響きはアナベル自身に似つかわしくない。規律や規範と相反する存在はアナベル以上に存在しないだろう。
ジークハルトは「形式上は、だな」と頷く。
「本来、軍人になるには試験に合格し、基礎訓練を受ける必要がある。これに例外はない。私も試験は受けている」
「ええええええ! 試験なんて絶対無理ですよ!!」
思わず、アナベルは立ち上がる。
アナベルは勉強が苦手だ。というより、興味がない分野の勉強が苦手だ。魔術学院時代の成績は本当に悲惨だった。
「どんな試験かは知りませんが、絶対不合格になりますって! 自信があります!」
「そんなところに自信を持つな。座れ。話を最後まで聞け」
心底呆れたような強い声音だ。
ジークハルトに腕を引かれたため、アナベルは言われた通り、椅子に座り直した。
「そもそも、君が受けられる試験は兵士の――一般兵用のものだけだ。それ以外の士官や、准士官の試験を受けるには専門の教育課程をこなす必要がある」
「えっと、えーっと」
専門用語の羅列にアナベルの理解は追いつけない。
見かねたディートリヒが助け舟を出す。
「前に俺の階級が尉官だって話をしたでしょ? エーレハイデ軍の階級は大きく分けると七つに分かれるんだ」
確かに王都観光の際にそんな話をしてくれたような気がする。アナベルはディートリヒを見る。
「上から元帥、将官、佐官、尉官、准士官、下士官、兵。元帥は知っての通り、ジークのこと。一人しかいない軍のトップだよ。基本的には王族や王家分家の誰かがなることが多い。半分、名誉職みたいなものだから不在のときのあるね。次の将官ってのは将軍のこと。敬称として将軍って呼んでるけど、本来の階級は将官。テオバルト将軍や前に一回だけ顔を合わせてるアロイスがこれに該当する。七人いるっていうのも前に話したよね」
ここまでは知っている人間と絡めることで理解出来る。しかし、それ以降は聞き覚えのない階級が多い。アナベルは不安に思う。
「その下の佐官、尉官。これは一緒に覚えてもらって大丈夫。尉官以上が指揮官としての教育をすませた人間じゃないとなれない階級だ。どれほど有能でも、士官教育をしていない者は尉官以上にはなれない。逆に、指揮官の教育さえしてればここから軍人になることが出来る。この二つの階級については単純に『将軍ほどは偉くない、指揮官になれる人』と覚えてくれればいい。――ここまでは大丈夫?」
しかし、ディートリヒの説明はアナベルでも理解出来る。つまり、分かりやすい。アナベルはディートリヒの思いもよらない才能に関心しながらも「はい、大丈夫です」と答えた。
「ここから下なんだけど、准士官、下士官、兵は単純に『指揮官になれない兵士』と思ってくれればいい。兵は下っ端。下士官は兵士の中でも偉くて、数人から数十人くらいだったら兵士をまとめることが許されている。君の知ってる人間だとハーゲンは下士官だね。ロッホスとザシャは兵士だよ。兵士の中でも更に階級があるはあるんだけど、それは覚えなくていい。で、問題は准士官だ」
ディートリヒは一度説明を飛ばした、下から三番目の階級について説明をする。
「准士官はちょっと特殊な階級でね。指揮官教育を受けていない者は尉官以上になれないと言っただろう? だが、下士官の中には尉官やそれ以上の階級に匹敵するほどの能力だったり、実績を持つ者がいる。そういう者には改めて指揮官教育を施して尉官にあげるって例もあるんだけど、中には現場にいた方が能力を発揮できる人間ってのもいる。だから、『指揮官教育を受けてなくても、指揮官の中で一番階級の低い尉官と同等の権限を持つ』のが准士官。専門的な役職にある者にこの階級を与えることもあるね」
ディートリヒは一瞬、ジークハルトに視線を向けてから「だから」と言葉を続けた。
「今回、アナベルちゃんには特例として軍人になる試験を免除の上、准士官の階級を与えることになったんだ」
「……准士官」
突然、今日はじめて教えてもらった階級が自分の階級と言われてもあまりピンと来ない。
「まあ、『兵士より偉い。指揮官になれる一番下の階級の人と同じくらい偉い』ぐらいの認識でいいよ。流石に王宮魔術師を一番下の兵士として登用するわけにもいかないからね。准士官なら、高い技術を持つ専門職の人間が過去の実績を基に試験を免除した例もあるから、アナベルちゃんを軍に組み込むのにその階級が一番適してる。魔術機関で『四大』であるシルフィードの称号を得ているっていうのはこれ以上ない魔術師としての能力の証明だからね」
七つある階級の下から三番目。兵士よりは偉い。指揮官の中で一番下の階級と同じくらい偉い。
そこまでは覚えれられたが、後半の理由を覚えられる気がしない。困った表情を浮かべるアナベルにディートリヒは苦笑いを浮かべた。
「まあ、どっちにしろ、アナベルちゃんは一般的な軍の指揮系統からは外れてもらう。准士官より階級が高い者であっても、君に命令できる人間は増やすべきじゃない。形式上、アナベルちゃんは元帥――ジークの直属の部下になってもらう。そうすれば、君に命令出来るのはジークだけになるからね」
アナベルはジークハルトに視線を移す。首を傾げる。
「……私、あなたの部下になるんですか?」
「ディートリヒが言っただろう。形式上の話だ。私は君に何か命令をするつもりはない。やりたくないことをやりたくないと言ってもらって構わない。無理強いはさせない。他の誰かに何か命じられても、私の判断なしでは決められないと言え。嫌なことはしなくていいんだ」
――この案を考えたのは誰なのだろう。
アナベルの待遇には最大限の配慮がされているように思える。軍には組み込んでいるが、自由気ままなアナベルが苦しい思いをしないように考えられたものだろう。
発案者はユストゥスか、ジークハルトか、メルヒオールか、テオバルトか。はたまた、それほど親しくないその他の将軍か。いずれにせよ、彼らはこの案に賛同してくれたのだろうか。――アナベルのために。
アナベルは一度目を閉じる。それからニッコリとジークハルトに笑ってみせた。
「当たり前じゃないですか! 自由に生きろと言ったのはあなたなんですから! 発言に責任を持ってください。嫌な命令になんて死んでも従いませんからね!」
ジークハルトは一瞬驚いたような表情をしたが、すぐにテーブルに視線を落とす。
「…………やっぱり、誰か逆らえない相手を作っておくべきだったか」
「何でですか!」
「お前が暴走したとき、止められる人間が必要だろう」
「なっ! 暴走なんてしませんよ!」
「する。絶対、いつかする」
なんとも失礼な発言だ。
アナベルはむくれる。
魔術で何かしら懲らしめたい気持ちはあるが、ジークハルト相手だと冗談ですまない事態になりそうで何も出来ない。物理的に何かしようとしても絶対に止められるだろう。
ふくれっ面のアナベルと眉間に皺を寄せるジークハルトを交互に見ていたディートリヒがポツリと呟く。
「本当にアナベルちゃんが暴走したら、ユストゥス殿下に止めてもらえばいいんじゃない?」




