終章:魔術師の帰還⑤
アナベルの説明を聞いて誰もが仰天した。
西方の魔術機関から東方のエーレハイデまで、アナベルたちは空を飛んで戻ってきたのだ。
魔術機関に戻ったアナベルは上層部の説得をフラヴィに丸投げし、代わりにある物の開発に取りかかった。予算はわずかだが、前年度分が残っている。研究員のリーダーを脅し、彼女の研究室の片隅をかりてアナベルは布と木を使って、大きな乗り物を作った。
一切の魔術を組み込んでいないそれは魔術具とはいえない。それは凧のようであり、鳥の翼のような形をしていた。その乗り物は翼の部分を折りたたんで、馬車の天井に括りつけてある。
「空を滑空できる乗り物を作ったんです。基本的な動力は操縦者の魔力ですね。短時間空を飛ぶだけなら私単独でも可能ですが、長時間魔力だけで飛ぶのは大変ですから。あとは山のように高い場所は寒いし、高山病のように体調を崩すことがあるでしょう? なので、魔術防壁を張ってその対策をして――あとはトラブルが起きたらその都度魔術で解決しました。いやー、空を飛ぶって早いですね! たった一週間ちょっとでエーレハイデまで来れましたよ!」
魔術機関に戻るのに二ヶ月。フラヴィによる上層部を説得と、アナベルが空を飛ぶ道具を作るのに二週間。空を飛んで魔術機関からエーレハイデに来るまで一週間ちょっと。エーレハイデ内の移動は馬車になるので西の砦から王都まで来るのに三日かかったが――ちょうど、三ヶ月。アナベルは約束どおり三ヶ月でエーレハイデに戻ってきた。
何でもないことのようにアナベルは言っているが、この方法をとれるのは魔術師の中でも相当限られる。それこそ、『四大』レベルでなければ不可能だ。空を飛ぶには周囲の大気に常に魔力で働きかける必要がある。長時間防衛魔術を張り続けるにも莫大な魔力が必要だ。今回の帰還方法はアナベルだからこそ出来た裏技である。
空を飛ぶとなれば、ハーゲンたち三人と一緒に戻ることは不可能だ。アナベルはそんな大人数が乗れるように乗り物を作らなかった。精々、乗れて二人だけ。
そのため、アナベルはハーゲンたちに普通に砂漠を超えて戻ることを薦めた。しかし、誰かしらはアナベルに同行したほうがいいと彼らは主張した。そして、白羽の矢がたったのがハーゲンだ。
最初、ロッホスが同行を申し出た。しかし、巨漢で体重も重い彼は同乗者に向いていない。痩せているハーゲンか、背の低いザシャが適任だ。
ザシャは全力で拒否をした。そのため、ハーゲンが苦悶の表情を浮かべながらも「これも隊長の役目です」と、同行を引き受けたのだ。
こうしてアナベルとハーゲンの二人は――おそらく――人類初、空を飛んでの大陸横断を果たした。
何かあっても――それこそ墜落してもアナベルの魔術でなんとかすると説明はしたものの、空を飛び慣れていないハーゲンには一日八時間近くに及ぶ連日の空の旅はひどく恐ろしいものだったらしい。未だに放心したような状態でまるで使い物にならない。
魔術機関にいた頃から短時間なら魔術で空を飛んでいたアナベルには空の旅は怖ろしいものでも何でもない。むしろ、馬より早い速度で空を進む乗り物はとっても楽しかった。今回のように何時間も飛ぶのは大変だが、少しだけの間ならまた飛んでみたいと思う。
アナベルの説明を聞いたジークハルトはあっけにとられている。
「今回は同乗者がいたので全力を出すのはやめておきましたが、本気を出せば二週間で往復できます。これで距離の問題は解決ですね! いつでも母様に会いに行けます!」
これで本来半年近くかかる移動時間を十分の一以下に短縮することが出来た。
どちらにせよ、この移動手段はアナベルにしか使えない。東方への派遣にあたってアナベルには連絡用の魔術具が支給された。今回のためにわざわざ作らせたものだ。これを使えば短い文章だけにはなるが、魔術機関とのやり取りも可能だ。しかし、扱えるのは魔術師であるアナベルだけだ。
アナベルが魔術機関へ戻っている間にエーレハイデに何かあっても伝達手段はない。そのため、しばらくは魔術機関へ戻ることはやめておいた方がいいだろう。
しかし、スエーヴィルとの情勢が落ち着けば帰郷もそれほど難しくない。いずれ、落ち着いたらまたフラヴィに会いに行くことも出来る。アナベルにとっての問題点はこれで解決した。
それなのに、ジークハルトはまだ納得していない。彼は主張する。
「この国は魔術師にとって危険だ」
「それは魔力供給が出来ないから、という意味ですか? それとも魔術が使えないという意味ですか? どちらにせよ、問題ありません。私はシルフィードです。そもそもの魔力量は一般的な魔術師よりずっと多いんです。周囲に魔力がなくてもある程度の戦闘も可能ですよ。まあ、必要最低限以上に魔術を使おうとも思いませんけど。――魔力供給薬もあるんです。何年でも、何十年でも、この国で生活できます」
「私は」
ジークハルトは拳を握る。
「見返りが欲しかったわけじゃない。感謝の気持ちからこんなことをしているなら考え直せ。私はこんなこと望んでいない。私は君に犠牲になってほしいわけじゃない」
段々、アナベルは問答が面倒くさくなってきた。
今更ジークハルトに愛想を尽かそうとは思わないが、ここまで頑固過ぎるのもいかがなものだろうか。
アナベルは大きく息を吐いた。
「勘違いしないでください。私はあなたほどお人好しじゃないので、お礼のために自分を犠牲にしようなんて思いません」
今日この段階でハッキリとジークハルトに分からせておかないとまた後々話を蒸し返されそうだ。アナベルはジークハルトを見据える。
「私は私のしたいように生きるだけです。あなたも自由に生きろと言ってくれましたよね? ――なら、あなたが何を言おうと、私は私の勝手にさせてもらいます。あなたが帰れって言ったって、ここに居残ります」
馬車が橋の前に止まっているため、一種の通行止めのような状態になっている。そのせいか、少しずつ周囲に野次馬が集まり始めている。
ジークハルトはアナベルに守ってもらう事を望んでいない。アナベルがこの地に残ることを望んでいない。アナベルの行動は彼にとって迷惑でしかないかもしれない。それでも。
「利益だとか、見返りだとかそれこそどうでもいいことだって、私が死んだら悲しいって言ってくれたのはあなたじゃないですか! 私は――私も、あなたが死んだら、悲しいです。あなたが何かを守るために自分自身を犠牲にしていいと思っているなら、そんなの間違ってると私は思います。目的のために他の何かを犠牲にするのは好きじゃないって言ったじゃないですか。なら、他の何かのためにあなたを犠牲にするのはやめてください。私がここにいるのはあなたの犠牲になるためじゃありません。――確かに私は『四大』です。シルフィードです。誰よりも強い魔力を持っています。でも、私が持ってるのはそれだけです。あなたみたいに優しくないし、自分勝手で自己中で、周囲と強調することが不得意です。不真面目だし、大食いだし、気まぐれだし、本当にめんどくさい人間なんです。あなたみたいに生きる指針のようなものもありません。魔術の才能を除けば、私なんて本当にただの役立たずです。何の価値もありません。ただのゴミくずと一緒ですよ」
視界が涙でぼやける。声もどんどん涙ぐんでくる。
でも、今、彼に言いたいことを全て伝えないと気が済まない。
「それでも、私は、少しでもあなたの役に立てるんならここにいたいと思いました。私が犠牲になるんでも、あなたが犠牲になるんでもありません。二人で、お互いを犠牲にしないですむ道を探していくんです。誰もあなたが犠牲になることを望んでいません。王太弟も、将軍も、副官さんも、侍女さんも、国王も、先代シルフィードも。皆、あなたが幸せになることを望んでいるんですよ。もう一人で頑張らないでください。皆でこれからの幸せな未来を掴んでいきましょう」
ジークハルトは周囲に恵まれている。誰もが彼を愛している。でも、それはきっと彼自身で作り上げたものだ。――周囲と上手く関係を築けず、築くことを途中で放棄したアナベルとは違う。
羨ましいと思った。そうやって愛されているジークハルトが。ジークハルトに愛されている皆が。許されるなら、その輪に自身も加わりたいと思った。
もう、声も殆ど嗚咽になってしまっている。それでも、最後の力を振り絞ってアナベルは懇願した。
「どうか、私をあなたの側にいさせてください」
瞳からボロボロと涙が零れる。もう全く何も見えない。これ以上喋ることも出来ない。アナベルは拭っても拭っても零れてくる涙を必死で拭う。
だから、アナベルにはジークハルトがどんな表情をしているのかももう見えない。ぼんやりとしか視界で、誰かが近づいて来るのが見えた。
「君は、馬鹿だ」
落とされたのは掠れたような声。
――拒絶されたと、アナベルは俯く。ジークハルトに拒絶されることは想像の範疇にあったが、実際に拒絶されると胸が引き裂かれたように痛む。
突然、腰に腕が回される。何だ、と思う前に腰と頭に回された腕に力強く引き寄せられる。ジークハルトに強い力で抱きしめられる。アナベルは目を見開いた。
「……君は本当に馬鹿だ」
耳元で低い声が響く。
抱きしめられる腕の力は痛いぐらいなのに、不思議と嫌悪感はない。むしろ、その力強さを嬉しく感じる。
ジークハルトは更に抱く腕に力を籠める。
「ずっと、変わらず私の隣にいると約束してくれるか」
また涙が零れる。アナベルも彼の背に手を回し、肩に顔を埋めた。
「はい。約束します」
ジークハルトはアナベルが泣き止むまで、離さないとでも言うようにずっとアナベルを抱きしめてくれた。
◆
二人の様子を少し離れた場所で見守るのはディートリヒだ。
気づけば周囲には野次馬が溢れている。浮いた話が一切なかった王子が若い娘と抱き合っているのだ。一体何事だと彼らは騒いでいる。
きっと、明日の新聞の見出しに今回の件が書かれるだろう。
新聞社の社長はディートリヒとも知己だ。あとでアナベルが誰なのか聞かれるかもしれない。その際には正直に彼女が西方から招かれた王宮魔術師であることは明るみにした方がいいかもしれない。
彼女の存在は様々な意味で牽制になる。この後、アナベルを王城に送り届ける必要があるから、その際に一度ユストゥスの考えを聞いておこう。おそらく、ディートリヒと同じ考えを述べるだろう。
長かった。いや、短かったのだろうか。
レオンが姿を消してから、ユストゥスはずっとジークハルトを守れる魔術師を望んでいた。ディートリヒも一度西方へ渡った。東方で魔術師を捜した。そして、魔術機関へ助けを求めた。その結果、この国に来たのがアナベルだ。
エマニュエルの親友の娘。ジークハルトを守れる膨大な魔力を持つ『四大』の一人で、ジークハルトの母親と同じシルフィードの称号を受け継いだ少女。アナベルはあまりにもジークハルトにとって、この国にとって都合がいい存在だ。
本来は決して交わるはずがなかった二人がこうして共に生きることを決めた。
ディートリヒは運命という言葉を信じていないが、まるで二人は出会うべくして出会った運命的な存在のように思える。
これが物語であれば、もしかしたらこれは幸福な結末かもしれない。足りないものを持つ二人が出会い、お互いに補う道を選んだ。でも、問題は何一つ解決していない。
スエーヴィルの脅威はまだ消し去れていない。王族の持つ特性は今後も誰かの身を苛ませるかもしれない。これはもしかしたら、また別の悲劇の始まりのキッカケかもしれない。
それでも、今はただ、信じる。
――優しすぎる親友と、彼の力になると決めた少女に幸運な未来が待っていることを。
これにて【調査員編】本編は完結です。
気に入っていただけたら評価・感想などいただけると励みになります。
次からは本編で描き切れなかった部分を番外編で描いております。




