終章:魔術師の帰還②
葬儀は厳かに行われた。ジークハルトは母の葬儀の間、ずっと黙りこんでいた。
母が死んだ。あんなに大好きだった母が死んだ。とても悲しかった。
母は空から見守っているの言ってくれた。それが本当かはジークハルトには分からない。でも、一つ言えるのは死んでも母の想いはジークハルトの中で生き続けていることだ。
ジークハルトはそれからも鍛錬を続けた。王子として、元帥として求められる期待に応えてきた。それが唯一ジークハルトの出来ることで、死んだ母に対して自分の特異体質は何の問題もないことを証明し続けることであった。
母の死の真相を、ジークハルトが知ったのは二年前。最後のスエーヴィルとの戦争の直後のことだ。
父と、その後継者であるユストゥスはずっと周囲にあることを隠していた。――母の死の原因である魔力欠乏が、王族の特性を一部受け継いだジークハルトを身篭ったために引き起こされたことを。
魔力を持つ人間がエーレハイデの王族の特性を持つ男子を身篭れば命を落とす。その事実は二人の人物に絶望を与えた。その一人がジークハルトだ。
母はずっとジークハルトの体質を自分の責任と感じていた。でも、それは違う。母が死んだ原因が自分だ。大好きだった母を殺したのは自分なのだ。
父と叔父は違うと何度も言った。でも、二人がどれだけ言葉を重ねようと事実は変えられない。今のジークハルトは母を犠牲にして成り立っているのだ。
だから、もう二度と誰も犠牲にしないと誓った。国のためならまだいい。でも、もう己のために誰も犠牲にしないと誓った。
なのに、ユストゥスはこの国に魔術師を呼び寄せようとした。ジークハルトのために誰かを犠牲にしようとした。
その事を知ったジークハルトは怒り、どうにかしようと西の砦に馬を走らせた。西の砦で出会った魔術機関から調査に来たという魔術師は年端もいかない若い少女だった。
ジークハルトの脳裏によぎったのは母の姿だ。大人しかった母と違って、彼女は非常に感情豊かだった。髪の色だって、目の色だって違う。その調査員と母はまったくの別人だ。全く似ていない。――それでも、ジークハルトは少女に母の姿を重ねずにはいられなかった。
彼女を死なせたくない。その思いで無理やり追い返そうとしたが、テオバルトによって止められた。
西の砦で会ったとき、彼女はまだ魔術供給が出来ていない影響が出ていなかった。一、二週間くらいエーレハイデに滞在するくらいだったら問題ないのかもしれない。それでもジークハルトは彼女のことが心配だった。自分がどうにかしなければと思った。
エーレハイデに王宮魔術師は不要だ。調査員をすぐに帰すべきだと主張するジークハルトにユストゥスは冷たく言い放った。
『この国に王宮魔術師が必要かどうか決めるのは次期国王である僕だよ。君じゃない』
それでも食い下がるジークハルトにユストゥスは『なら』言った。
『君があの子を助けてあげればいい。滞在中、死なないように、危なくないようにね。ジークハルトなら出来るだろう』
彼は策略家だ。どう考えてもその発言は何かしらの思惑があってのものだ。
ジークハルトは悩んだ末、ヴィクトリアを代わりに調査員につけることにした。おそらくユストゥスはジークハルトと彼女が直接接触することを望んでいる。それは避けた方がいいと思ったのだ。
魔力供給薬を飲ませるように指示をし――魔力がないと上手く淹れられないことが分かったので、途中からジークハルトが用意するにしたが――ヴィクトリアから毎日報告を受けた。
調査員はとても感情豊かな娘だった。ヴィクトリアは言葉を飾らず、ありのままを語る。その報告を聞くのを密かな楽しみになっていた。
彼女が川に落ちたというときは本当に肝を冷やした。万が一のために、彼女とヴィクトリアの髪飾りには探知魔術に反応する魔術紋様が刻まれていた。ジークハルトはその反応を頼りに、彼女が生きていることを知った。
王都から少し離れた壊れかけの小屋で彼女を見つけたとき、彼女はひどく驚いていた。そして、王都に戻る道中で西の砦で追い返そうとした理由を聞かれ、とうとうジークハルトは諦めて本当のことを明かした。
彼女はエーレハイデの事情を知り驚いていたが、それ以上にジークハルトの行動に対して拒絶反応を示した。
彼女は普通の娘に見えても、魔術機関で育った魔術師だ。特殊な環境下で育ったことがその価値観に影響を与えているのは明らかだった。
ジークハルトから見ても彼女はとても明るく元気で、何一つ悩みなんてないように見えた。
なのに、彼女は人は損得だけで動く生き物だと主張する。善意で行動する人間がいることを認められない。それでいて彼女は母親に固執し、損得だけで周囲が動くことに傷ついているようだった。
ジークハルトは彼女のことが可哀想に思えた。
おそらく、そのことを本人に告げれば反感を抱かれるだろうが――あのとき、ジークハルトが彼女に抱いた感情は憐憫とどうしようもない愛おしさだった。
ひどく傷ついている彼女に何かをしてあげたいと思った。でも、ジークハルトに出来ることはそれほどない。出来るのは言葉を、想いを伝えることだけだ。
損得なんて関係なく、彼女を思っている人間は確かにいる。
それがジークハルトしかいないなんて驕った考えは持っていない。しかし、他にも彼女を想う人間がこの世界にいるのだと教えてあげたかった。
だが、結局のところ、ジークハルトは彼女に勝手に病弱な母の姿を重ねていただけだった。
彼女――アナベルは『四大』に選ばれる程の高い能力を持つ魔術師だった。
魔術欠乏を起こす心配はないほど高い魔力を持っていたし、ジークハルトが捜しに行かなくとも自分で王都に戻ってくることが出来た。ジークハルトの行動はまったくの無駄だった。独りよがりなものだったのだ。
アナベルはジークハルトが庇護しないといけないような弱い存在ではない。逆に彼女はジークハルトが招いた事態を収拾してくれた。
ジークハルトが魔術にかかったせいで多くの人間が傷ついた。ユストゥスも危ない目に遭った。あのままではユストゥスもジークハルトもスエーヴィルの手に落ち、ヴィクトリアも死んでいたかもしれない。その状況を覆してくれたのはアナベルだった。
三ヶ月前、アナベルは予定通り魔術機関へ戻った。
ユストゥスはアナベルが残ることを望んだが、ジークハルトはこれで良かったと思っている。
確かにアナベルは元々ユストゥスが望んだ王宮魔術師の条件を満たしている。しかし、彼女と母親を引き離すのは可哀想だし、そもそも赤の他人であるジークハルトのために犠牲になることはない。
エーレハイデから魔術機関への旅路は約二ヶ月半。もう、とっくに彼女は母親と再会しているだろう。
今頃彼女は何をしているだろうか。魔術機関では発明の仕事をしていたと言っていたが、今も何かを発明しているのだろうか。それとも別の仕事をしているのだろうか。なんであれ、笑ってくれているといいと願う。
西方と東方は砂漠によって分断されている。同じ大陸にありながら、全く別の世界だ。西方に住む彼女と東方に住むジークハルトの人生が交わることは二度とない。もう彼女と会うことは二度とない。
あの笑顔が見れないのが、あの声が聞こえないのは少し名残惜しくはあるが、――きっと、この別れは間違っていない。
彼女には彼女の幸せがある。これから、彼女はどんな人生を歩んでいくのだろうか。
――願うならば、彼女の未来に幸せがありますように。
彼女が川に落ちた晩。王都の外でジークハルトが伝えた言葉には何一つ嘘偽りはない。あの晩に伝えた想いが少しでも彼女の助けとなってくれていれば、それ以上嬉しいことは何もない。
ジークハルトは西の空を見るのが好きではなかった。この空の向こうには魔術機関がある。母を苦しめた場所だ。
だが、今は違う。あの西の向こうには彼女が――アナベルがいる。そう思うと、あの空の向こうが少し眩しく感じる。
これから、エーレハイデはどうなるのだろう。
少なくとも、今まで大人しくしていたスエーヴィルは動き出すだろう。再び戦争になるかもしれない。それでも、ジークハルトがすることは変わらない。この国のために、皆のために剣をとるだけだ。




