八章:爪牙④
北部へ続く道を三頭の馬が走り抜ける。
先頭を走る馬には『五番』とミヒャエルが騎乗している。その次にジークハルトと気絶したユストゥスが、殿には『六番』と今にも死にそうなぐらい青白い顔をした魔術師が乗っている。
王城で大立ち回りを披露したミヒャエルたちは、見事ユストゥスを取り押さえ、王都を脱出することに成功した。
これもひとえにジークハルトを隷属出来たことが強い。兵士たちは元帥を殺すわけにはいかない。城の兵士たちは上司を相手に上手く立ち回ることが出来なかった。
ミヒャエルはこの結果に非常に満足していた。
今回魔術師を王都に呼んだのは、エーレハイデで魔術師がどの程度行動できるかの実験でしかなかった。あわよくば何かしらの被害を出せればと思ったが、それほど大したことは出来ないだろうと踏んでいた。
それが偶然、魔術機関の調査員と出会うことが出来た。彼女は正当な魔術機関の魔術師だ。衝動的に、魔術師を使って事故を装って殺そうとしたが、それは失敗に終わってしまった。
考えを改め、彼女も魔力源の一つにしようと魔術師を連れて王城を訪れたが、偶然にも王子と会うことが出来た。
エーレハイデの王族で唯一魔術が効く彼と、魔術師と共に遭遇できたのは本当に幸運であった。これ以上のチャンスはないと思い、隷属魔術をかけたが非常に効いているようだ。
残りの問題はこの隷属魔術がどこまで継続されるかだ。魔力欠乏に陥っている魔術師にはもうそれほど生命力が残っていない。エーレハイデを出る前に彼は死ぬだろう。
スエーヴィルにさえ戻れば、魔術師の代わりはいくらでもいる。エーレハイデの外なら魔術を使えるから、スエーヴィルにさえ戻ればジークハルトはもう半永久的に隷属出来たも当然だ。
しかし、邪魔なのはいまだ後を追って来る少女──『七番』だ。一度気絶させたはずの彼女はミヒャエルたちが城の馬を奪ったところに再び現れた。今も後ろを馬で追ってきている。橋を爆破したが、彼女は上手いこと橋が壊れる前に橋を渡りきってしまった。
「だから、言ったのよ。『七番』は殺すべきだって」
不満げに『五番』が言う。
確かにあのとき、彼女を殺していればこうはならなかっただろう。ミヒャエルは自身の判断を反省した。しかし、対処はまだ可能だ。
「この馬ももうすぐ走れなくなるわ。そうなったら、『七番』に追いつかれる。戦闘になるわよ」
「そのときは王子を戦わせればいいでしょう。彼女も彼は殺せません」
ジークハルトを盾にし、『五番』と『六番』の三人がかりで戦えば『七番』を殺すことも難しくない。
「えええ、『七番』殺すの? 可哀想だって!」
「こないだと違って、こっちには荷物がいるのよ。あの子からは逃げ切れない。殺すしかないわ」
荷物というのはおそらくミヒャエルとユストゥス、あとはジークハルトのことだろう。
魔術師は捨てて行ってもいいが、残りはそうもいかない。『牙』の二人だけなら機敏に木をつたって逃げることも出来るだろうが、ジークハルトでも彼らと同じ芸当は出来ないだろう。
『六番』は『五番』の反論を「もう、しょうがないなー」と諦めた様子だ。『六番』は比較的『七番』に好意的だが、任務に勝るほど彼女を重要視してもいない。非情にも元同胞の殺害を了承した。
襲歩の馬は長時間走ることが出来ない。とうとう、馬の歩みは遅くなってしまう。
そろそろ馬を乗り捨てようと、ミヒャエルが意見を口にしようとした時だ。それまで気絶をし動かなかった王太弟が目を開けた。
意識のなかったユストゥスが馬から落ちないように、彼の腰とジークハルトの腰とは布で縛っている。その上で、身動きが取れないように両腕はジークハルトの腰に回し、縄で縛っていた。目を覚ますところで逃げられはしないだろう。
しかし、ミヒャエルにとって予想外のことが起きる。。
「――手間をかける弟だね、本当に!」
ユストゥスはそう言うなり、縛られたままの両手をジークハルトの目の前に掲げた。
王太弟の腕に嵌められた銀色の腕輪が光る。
「『解除』!」
ユストゥスが叫んだ瞬間、ジークハルトの瞳に光が戻る。間髪入れず、王太弟は甥に命令をする。
「ジークハルト、馬を止めろ!!」
瞬時にジークハルトは命令どおりに馬の手綱を引いた。二人が乗っていた馬は急停止する。
『五番』と『六番』をそれぞれの同乗者を抱えて馬から飛び降りた。
後を追っていたヴィクトリアも馬から飛び降り、背中に主を庇うように着地する。隠し持ってきた短剣を両手で構えると、『牙』と相対する。
「何ですか、それ」
驚いたように声をあげたのはミヒャエルだ。
彼が視線を向けているのはユストゥスの腕に嵌められた腕輪だ。その間に、ジークハルトはユストゥスを拘束していた布と縄を切る。
「あなたは自分に対する魔術攻撃を解除するだけでなく、既にかけられた魔術を解除することが出来るんですか?」
ミヒャエルの問いに王太弟は答えない。ジークハルトとユストゥスも馬から下りた。
しばらく呆然としていたミヒャエルだが、突然笑い出す。ジークハルトもユストゥスも、冷たい視線を少年に送る。
「そっか、そっか! そういうことですか! いやー、一本取られましたね。まさか、そんなものまであるとは思ってもみませんでした。本当にすごいなあ、エーレハイデは」
ミヒャエルは大笑いを終えると、『牙』の二人に視線を向けた。
「予定変更です。王太弟と王子を連れ帰るというのは一緒ですが、まずあの腕輪をなんとかしないといけません。王太弟のほうは腕の一本ぐらい、なくても大丈夫ですよ」
ジークハルトはユストゥスを背中に庇う。
ユストゥスは剣術の訓練も受けてはいるが、本当に護身程度だ。『牙』相手ではとてもではないが、太刀打ちできない。
正気に戻ったジークハルトは現在の状況をある程度把握したらしい。苦しそうに表情を歪める。
「兄上」
「謝罪も反省も、するなら後でね。まずはこの状況を打開するのが先だ」
ユストゥスの言葉にジークハルトも意識を切り替える。
まずは敵を倒すことが優先だ。
向こうは四人。対するこちらは三人。このうちスエーヴィル側は二人が、エーレハイデ側は一人が非戦闘員だ。数の上なら互角だし、ヴィクトリアもジークハルトの実力も『牙』と同等のものだ。本来であれば決して、勝利するのは難しくない。
──だが。
ユストゥスは思考する。ミヒャエルは笑みを浮かべたままだ。
「こっちに敵うと思ってるんですか? 分かります? こっちには魔術師がいるんですよ」
ミヒャエルの足元には今にも死にそうな魔術師が蹲っている。死にかけだが、まだ生きている。まだ魔術行使は可能だ。
見たところ、ユストゥスが他者に魔術解除を行うには腕輪の力が必要そうだ。拘束されている腕をわざわざジークハルトの目の前にかざしたあたり、ある程度距離が近くないと効果が出ないようにも思える。
一方のミヒャエル側は手をかざす方向に対象物さえあれば、これぐらいの距離は物ともしない。つまり、ジークハルトが『牙』との戦闘のため、ユストゥスと距離をあければその瞬間にミヒャエルはジークハルトに再度隷属魔術をかける。かといって、ユストゥスを至近距離で庇いながら牙と戦う事も不可能だ。つまり、エーレハイデ側で自由に戦えるのは実質一人、ヴィクトリアだけだ。
ユストゥスもそのことが分かっている。だが、こちらにも優位な点はある。時間を稼げば、大量の兵士がこの場に駆けつけるだろうということだ。大人数なら『牙』の二人と、魔術師に対抗することは十分可能だ。
ただ、そうなると逆に向こうは短期決戦を狙ってくるだろう。ユストゥスは人間や国に対しての策略は得意とするが、戦闘となると専門外だ。そういうものはジークハルトの領分だ。
『六番』が動こうとした瞬間──彼らは上空の異常に気づいた。察知能力に長けている牙とヴィクトリアが視界を上空に向ける。
落下物が二陣営の間に勢いよく降ってきたのはその直後だ。大きな轟音とともに、粉塵が巻き上がる。誰もが顔を腕で庇う。
塵が晴れていく。空から落ちてきた人物はゆっくりと立ち上がると、緊張感のない声をあげた。
「あー! 痛い! もう、慣れないことはするべきではありませんね! 大気に魔力がないとこれほど制御が難しいとは思ってもいませんでした!」
突然のことに状況をすぐに飲み込めた者はいなかった。
空から落ちてきたのは一人の少女だ。茶色の髪をした魔術機関の制服を身につけた少女だ。彼女が誰なのかはエーレハイデ側はもちろん、ミヒャエルだって知っている。
ジークハルトは「ベル」と小さく少女の名を呼んだ。彼女は一度ジークハルト達を振り返ると、笑った。
「ああ、よかった! 皆さんもご無事なようで何よりです。私が来たからにはもう大船に乗った気分でいてくださって結構ですよ! ピンチに現れるヒーローみたいで恰好いいですよね、私!」
本当に場の空気に合わないくらい能天気な発言だ。
ジークハルトもユストゥスも驚きのあまり何も言えずにいると、「びっくりしました」とミヒャエルが声を漏らした。
「お姉さん、魔術を使ってここまで追いかけてきたんですか?」
彼女は空から降ってきた。普通の人間が出来る芸当ではない。彼女が魔術師である以上、魔術を使ったと考えて然るべきだ。おそらく跳躍力をあげるなどの身体強化魔術だろう。
ベルはミヒャエルの質問に答えなかった。探るような視線を少年に向ける。
「あなた、食堂の弟さんですよね。何でスエーヴィル側についているんですか?」
「その質問に答える必要あります? 残念ながら、僕たちは急いでいるのでお姉さんの質問に答えている時間がないんです」
彼女はまるで自分が来たから問題が全て解決したという様子だが、それは間違いだ。
確かに彼女が現れたことで時間稼ぎは多少出来ただろう。だが、結局、魔術師であっても彼女は非戦闘員だ。こちらの魔術師と違い、彼女は元気そうに見える。多少の魔術は扱えるだろうが、攻撃魔術を連発は出来ないだろう。もしも、彼女が命を削ってまで攻撃魔術を発動させても、当たらなければ意味はない。『牙』たちなら避けられるし、ミヒャエルたちは防御魔術を使えばいいだけだ。こちらの魔術と『牙』の戦闘能力を使えば、彼女を戦闘不能にするのはそれほど難しくない。
ミヒャエルは『牙』に声をかける。
「必要があれば援護します。彼女は別に殺してしまっても構いません」
同時にベルが右手を振る。
彼女の後方──ヴィクトリア、ジークハルト、ユストゥスの前に魔術の壁が張られる。結界魔術だ。
ミヒャエルは彼女がヴィクトリアまで結界に入れたことを怪訝に思う。
「動かないでくださいね。あと、その結界は絶対に破らないでください。破ったら殺します」
ベルは三人──特にユストゥスに向けて言う。
「やめろ」と沈痛な声をあげたのはジークハルトだ。
彼は結界を超えようとするが、出来ない。ユストゥスやヴィクトリアならこの結界を超えられるかもしれないが、ジークハルトには無理だ。
「戦うな。これ以上魔力を消費するな。死ぬぞ!」
必死な形相のジークハルトに対して、ベルは落ち着いた様子だった。
「私に命令しないでください」
「ベル!」
「……別に私も命を削る気はさらさらありませんよ。長生きするのが目標なんです、私」
ベルはユストゥスに視線を向ける。
「王子を取り押さえておいてください。侍女さんもこの結界を超えさせたら駄目ですからね」
「分かった」
ユストゥスはそう言うと、ジークハルトを後ろから羽交い絞めにする。未だ臨戦態勢を解かないヴィクトリアに「この場で待機ね」と指示を出す。
「兄上! ベル!」
ジークハルトは未だ抵抗するが、ベルは興味を失ったように彼から視線を外す。
大きく呼吸をしてから、前方の敵を振り返る。
「言っておきますけど、――殺されても文句何て言えないんですからね!」
『六番』がベルに襲い掛かるのと、ベルが魔力の塊を敵に叩き込むのは同時だった。




