八章:爪牙①
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――もう限界か。
彼は目の前に座る男を見て、そう思った。
その男がエーレハイデにやってきてから一週間。「私は魔術機関では高名な魔術師であった」と自称した男はすでに魔力欠乏の症状を発症していた。
あれだけ豪語していた癖に本当に情けないと思う。
もっとも必要な情報は全てもう奪っている。これ以上この男に用はない。死んでしまっても彼としては特に問題はない。
だが、まだこの男には使い道があるのではないだろうか。彼はまた考える。思い出すのは殺すのに失敗した魔術師のことだ。彼は考え、――そして、名案が思いついたとばかりに笑った。
◆
王都に『牙』以外に侵入者がいる可能性がある。その事が発覚し、ジークハルトは王城を出ることを禁じられていた。
当然だ。王城にいる中で一番魔術に弱いのはジークハルトだ。もし、侵入者が魔術師であった場合、とんでもないことになる。王城に籠るしかない現状を不甲斐なく思いながらも、大人しく執務に励んでいた。
しかし、ずっと事務仕事をしているのも落ち着かない。普段であれば、兵士を連れて見回りをするのだが、今はそれも出来ない。
ジークハルトはその日の仕事を片付け終えると、兵士の一人に「ニクラスを呼んでくれ」と頼んだ。
「何かご用ですか、元帥。私はこれでも忙しいんですが」
執務室に現われたのは四十過ぎのいかにも偏屈そうな男だった。目つきが悪く、頬骨が出ている。お世辞にも整っているとはいえない風貌だ。男はニクラス・O・クロイツァー。この国に将官――将軍の一人である。
「悪いな。少し体を動かしたい。付き合ってくれるか」
ニクラスは不服そうな表情を浮かべたまま、「かしこまりました」と了承した。
城の北側にある訓練場に二人で移動をする。お互い扱うのは普段使い慣れている真剣だ。ジークハルトはロングソードを、ニクラスはレイピアを握る。
先ほどまで訓練場で鍛錬に励んでいた兵士たちは壁に寄っている。二人の近くにいるのが危険であることを知っているからだ。
お互い構えたまま長く動かなかった。先に動いたのはジークハルトだ。
長時間相対することによる僅かな気の緩み。油断とも呼べない僅かなものだ。僅かに緊張が切れた瞬間に、ジークハルトはニコラスに斬りかかった。
ニクラスは相手の剣をレイピアの根元で受け止める。斬り合い、攻撃を受止め、距離をとる。何度も何度も打ち合いを繰り返す。
「もういい加減いいでしょう。疲れました」
先に音を上げたのは二クラスだ。彼はレイピアを鞘に戻す。
ジークハルトもロングソードを鞘にしまう。その額にはいくつも汗が滲んでいる。一方の二クラスは涼しい顔をしていた。
二人は訓練場を出て、来た道を戻る。
「どうしたらもっと強くなれるだろうか」
ジークハルトの頭は先程の模擬戦のことで一杯だ。二クラスは辟易とした表情を浮かべる。
「元帥はお強いですよ」
「だが、お前や……テオバルトやレオンよりは弱い」
「元帥と私の違いは単純に経験の差ですよ。元帥は気を張りすぎてるんです。もう少し力の抜き方を覚えてください」
そこで、二クラスは一度黙り込み、苦々しそうな口調で続ける。
「カルツとキルンベルガーの小僧は例外です。あれは化け物です。人間ではありません」
ジークハルトは二クラスの物言いに思わず苦笑する。ニクラスは前方から小柄な侍女が兵士と共にやってきているのに気づくと、「アレも同類ですね」と毒を吐いた。
「ジークハルト様」
「ヴィクトリア、どうした」
彼女は今日もベルにつけている。ヴィクトリアがやって来たということは何かがあったのだろうか。ジークハルトの問いに答えたのは一緒にいた兵士だ。
「ブリッツェ食堂の息子が調査員殿に話したいことがあるって親父と一緒に来てるんですよ」
ブリッツェ食堂といえば確か王都観光でベルたちが立ち寄った店のことだ。その息子といえば、ベルが川に落ちた際に一緒にいた少年のことだろう。ジークハルトはベルを王都に連れ帰った際に泣いて抱きついてきた金髪の少年を思い出す。
「調査員殿が川に突き落とされた件で直接話したいことがあると。代わりに聞くと言ったのですが、どうしても聞かないんです」
何か思い出したことでもあるのだろうか。
「ジークハルト様。現在ベル様は離宮に出掛けてらっしゃいます」
ジークハルトはヴィクトリアを見る。
「離宮――父上のところか」
「はい。ディートリヒ様が同行されています。判断を仰ぎに参りました。いかがいたしましょうか」
ジークハルトの副官は今朝からユストゥスに呼び出されて帰って来ない。ユストゥスは彼のことを使い勝手がいいと感じているようで、何かと呼びつけては仕事を押しつけている。
ディートリヒが同行したということは、ベルが国王に会いに行ったのにはユストゥスは関与しているはずだ。どうやらまだ王太弟は何か企んでいるらしい。この時期に王城からベルを連れ出すのはどうかとも思うが、その件を追及するのは後でいいだろう。
ひとまず優先すべきはベルを訪ねに来た親子の対応だ。
「私が行こう。二人はどこにいる?」
ディートリヒがいれば代わりに対応も頼めるが、彼も不在だ。ジークハルトが話を聞いた方が早いかもしれない。それにベルを突き落とした事件についてはジークハルトも気になっている。
隣の二クラスが苦言を呈する。
「子守りなんて元帥の仕事ではありませんよ」
「重要な目撃者だ。年齢は関係ない」
ジークハルトは「城門そばの待機所に待たせています」という兵士の言葉を聞くと、城門の方向へ歩き出す。
王子と兵士の後ろをヴィクトリアがついて行く。その様子を二クラスは眉間に皺を寄せたまま見つめる。彼は大袈裟に溜息をつくと、渋々といった様子でジークハルトたちの後を追った。
城門傍の待機所は普段、兵士たちが休憩をしたり、引き継ぎの報告に使われる場所だ。その一室にその少年と父親が椅子に座り、待っていた。
ジークハルトは彼の姿を目にして、目を瞠る。驚いた様子なのは向こうも同じだ。
「あれ?」
声をあげたのは黒髪の少年だった。先日顔を合わせた少年とは明らかに別人だ。ジークハルトは兵士を振り返る。
「彼は誰だ?」
「ブリッツェ食堂の息子です」
「……あそこの息子は金髪の少年ではなかったか」
「それは長男の方です。そこのミヒャエルは次男ですよ」
なるほど。どうやら早とちりをしていたらしい。だが、疑問は残る。目撃者ではない彼がベルに何の話があるというのだろう。
ジークハルトはミヒャエルと視線を合わせるために膝をつく。彼は首を傾げる。
「お兄さん、どなたですか? 魔術師のお姉さんは?」
「私はジークハルト。この国の王子だ。――すまない。今ベルは出掛けている。先日、彼女が川に突き落とされた件で話があるんだろう? 私が代わりに聞こう」
ミヒャエルは驚いたように固まる。当然だろう。自国の王子を前にして驚かない方がおかしい。
「それともやはり、直接伝えないと駄目か」
「…………いえ」
ミヒャエルは首を振る。
「あなたでも大丈夫です。――本当は今回はそういうつもりで来たわけじゃなかったんですけど」
少年は無邪気な笑みを浮かべる。
「あなたが来てくれたなら、そちらの方が話が早いです」
おそらく、今回の事態はこの場にディートリヒがいれば回避することが出来ただろう。
兵士たちの中にはブリッツェ食堂を利用したことがある者も多い。当然、見習いとして働く次男の顔はよく知っていた。だが、この場にいる誰もが普段表に現れない店主の顔を見たことがなかったのだ。この場にディートリヒがいれば、ミヒャエルを連れてきたという目深に帽子をかぶった目の虚ろな中年の男が彼の父親ではないことに気づけただろう。
突然立ち上がり、男はジークハルトに手をかざして呟いた。
「『従え』」
ジークハルトが気づいたときにはすべてが遅かった。二人から離れようとする前に、彼の意識はぶつりと消えた。




