七章:指導者たち④
突然話が変わったように聞こえ、アナベルは首を傾げた。エドゥアルトは言葉を続ける。
「生まれつき、勘が良くてな。自分の直感を信じて行動をすれば、大体が良い結果を生んだ。生きる上で挫折はつきものだが、私は大きな挫折をほとんど味わわずにすんだ」
挫折が人を成長させるというが、アナベルは挫折を味わいたいとは思わない。だから、エドゥアルトが今まで挫折をしてこなかったのであれば良いことだと思った。
「一度だけ、私は自分自身の直感に逆らったことがある。――エマに求婚したときだ」
脳裏に思い浮かんだのは王子の『すべては母が俺を身籠ったのが原因だ』という言葉だ。そもそも、それ以前に国王とエマニュエルが結婚しなければ、このようなことにはなってなかったのだ。
「私はエマが運命の人だと思った。彼女となら幸せになれる。王妃とするなら、彼女以外にはありえないとさえ思った。ただ、同時に私はアイツを王妃に据えるべきではないと思ったんだ」
それはどういう意味だ。国王が言っていることは矛盾しているように聞こえる。
「……おっしゃってる意味がよく分かりません」
「エマを王妃にしたら、エマの身に良くないことが起きる。私の直感はそう告げていた。でも、私はアイツを自分のものにしたいという身勝手な思いで、アイツを王妃にしたんだ」
国王は真剣な表情を浮かべていた。
きっと、彼はそれほどエマニュエルを愛していたのだろう。アナベルは誰か異性を好きになったことはない。そこまで誰かを愛したエドゥアルトを少し羨ましく思った。
「そして、その結果、私はエマを死なせてしまった。直感は正しかったんだと、後悔した」
エドゥアルトはこちらに視線を戻す。話をまだ呑み込めていないアナベルをじっと見据える。
「ジークはお前になぜエマが死んだのか説明したか?」
「いえ、説明はされていませんが……」
特にされていないが、推測は立つ。
「原因は魔力の欠乏でしょう? 何か説明の必要があるんですか?」
ジークハルトはたびたび魔術師がこの地に留まる危険性を説いた。エマニュエルも魔術師だ。当然、彼女も魔力供給が出来ないことで魔力欠乏に陥ってしまう。彼女は『四大』だ。膨大な魔力を持っていた。だから、十年以上長い年月をこの地で過ごせた。だが、それ以上は持たなかったのだろう。
しかし、そこまで考えてアナベルは違和感に気づく。
エドゥアルトは口を開く。
「ジークに魔力供給薬であるハーブティーを振舞われなかったか」
「……いただき、ました」
そう。飲んだ。あのハーブティーを毎日、アナベルは飲んできた。
「アレを毎日飲めば魔力欠乏は起きないとエマは言っていた」
――そうだ。その通りだ。
アナベルは自身が魔術を使っていなくても魔力を消費している事実に気づかなかった。王都に着くまで魔力供給が出来ていなかったが、それも大気に魔力がないことに対して対応しきれていないせいか、疲労のせいだと思っていた。
王都に着いてからはあの感覚がまったくなくなったから、その件についてはすっかり忘れていたのだ。その原因はおそらく、あのハーブティーを飲んでいたからだ。
あのハーブティーに含まれる魔力量は一日、自然に消費する魔力量を超えている。現在、アナベルの体内の魔力量は満杯に近い状態だ。川に落ちた日、アナベルは簡単な魔術を発動させたが、翌日ハーブティーを飲んだらその分の魔力も補充できた。あの魔力供給薬さえあれば、この国でも魔術師は生きていけるのだ。
なら、なぜエマニュエルは死んだのか。
「エーレハイデの王族に過去他国の血が混じったことはない。他国に嫁いだ王女はいるが、国王が他国の人間を王妃に据えた前例はない。そして、王族に他国の血を交えてはならないとも言い伝えられていた。だが、私はその言い伝えには大した理由はないと思っていた。古臭いただの慣習だと信じていた」
理由はあった。事実、他国の出身であるエマニュエルが産んだジークハルトは特異体質を持って生まれてしまった。
「魔力を持つ人間が王族の体質を受け継ぐ男子を身籠れば、腹の子供に魔力を奪われ、いずれ死ぬ」
――眩暈がした。
視界がぼやける。耳鳴りがする。国王の声が遠く聞こえる。
「魔力を持つ人間でも、魔術師でなければ日常生活の中で体内の魔力を消費しない。だが、腹に王子を身籠れば話は別だ。魔術解除の能力の副産物である魔力吸収の力は母体にも影響を及ぼす。魔力は生命力に紐づいている。魔力をすべて失った人間は死ぬ。だから、初代国王は他国の血を混ぜるのを禁じたのだ。死者を出さぬためにな。エマは膨大な魔力を持っていた。だから、妊娠中に死ぬことはなかった。だが、十ヶ月もの間腹の子供に魔力を奪われ続けたエマは、出産後、通常の魔術師以下――いや、魔術師とも呼べないほどの魔力量を減らしていた。アイツは生きる上で必要な魔力でさえ体内に保持出来なくなってしまったんだ」
脳裏に浮かぶのは隠し部屋で自身の秘密を教えてくれたときの王子の顔だ。全ては母が俺を身籠ったのが原因だ、と言ったのは彼だった。あのとき、彼はとても苦しそうではなかったか。その理由は――。
「――これ以上、私のために犠牲を出したくない」
アナベルはぎゅっと両手を握りしめる。
「あの人は、私にそう言いました。……これ以上、ってすでに王子のために何かが犠牲になったってことですか」
「違う」
しかし、エドゥアルトは力強く否定する。
「エマが死んだのは魔力欠乏のせいだ。もし、根本的な原因を探すのであれば、私がアイツに惚れたのが発端だ。アイツを殺したのは私だ。アイツを犠牲にしたのは、ジークではなく、私だ。……だが、ジークは母が死んだのは自分が原因だと思っている」
例え、国王が否定しても、エマニュエルが死んでいる事実は否定できない。彼女の死に、自身の出生が密接に関係している以上、「自分には責任がない」と思えるだろうか。きっと、あの人はそんな風には考えない。付き合いが短いアナベルでも、そこは確信を持つことが出来た。
「アイツはよく出来た息子だ。多少人が良すぎるところはあるが、勤勉で誠実、努力家だ。自身には厳しいが、周囲の人間には優しく、公正だ。本当に王子の鏡のようだろう?」
「……はい」
多少不愛想で冷淡にも見えるが、本質的にはジークハルトは優しい。周囲からの人望も厚く、国や民のことをよく想っている。王子としてはこれ以上なく相応しい。
アナベルが素直に頷くと、エドゥアルトはなぜか沈痛そうな面持ちになる。
「だが、ああさせてしまったのは私たちが原因だ」
息子を称賛する言葉を口にしながら、国王は息子をそう成長させたことを後悔しているようだった。
「小さい頃から、ジークは物分かりが良かった。周囲から期待されていることを幼い頃から理解し、周囲の期待に応えようと常に努力していた。明るくて優しく、私もエマもジークなら良い王になると思っていた。王位をユストゥスに譲ることが決まってからも、私の考えは変わらなかった。王にならずとも、別の形でこの国を支えて欲しいと思ったし、ジークなら支えられると思った。エマも芯の強さを持つ優しい息子が大の自慢だった。大きくなっても、その強さと優しさを持ち続けて欲しいと願った。――願いとは恐ろしいな。時に人を縛る呪いとなる」
「……呪い?」
「ジークは我々の望む通り、軍人という形でこの国を支え、守る道を選んだ。幼い頃と変わらない強さと優しさを今も持ち続けている。誰もがアイツを素晴らしい王子だと褒める。讃える。『ジークさえいればきっと自分たちを守ってくれる。救ってくれる』と信じてる。誰もがアイツを頼りにする。アイツもその期待に応えようと努力する」
「なら」とエドゥアルトは目を閉じる。
「一体、アイツのことを誰が守り、救ってくれるというんだ」
強い、衝撃を感じた。
「アイツは誰かに助けを求めない。誰かが困ってたら、すぐに手を差し伸べるのに、自分が困っても決して誰かに頼らない。自分自身で困難を乗り越えようと努力し、実際に乗り越えてしまう」
アナベルは考える。でも、考えがまとまらない。
エドゥアルトが言う言葉はとても良いことのように聞こえるのに、彼はまったくそんな風に思っていないようだった。
「……でも、あの人は強いじゃないですか」
発した声は震えていた。エドゥアルトはこちらを見る。
「それは剣の腕の話か? それとも精神的な話か?」
国王の言葉にアナベルは息をするのを忘れた。
「アイツは強い。剣の腕だけを言えばな。だが、人はそもそも一人じゃ生きられない生き物だ。周囲と助け合い、協力し合って生きている。ジークは周囲を助けることばかりを優先し、周囲に助けを求めることを忘れているんだよ。アイツにも助けが必要だっていうことを理解している人間は本当に一握りだ。精神的にはアイツはまだまだ未熟だ。弱さだってある。この世に完璧な人間なんていない」
アナベルはもう何も言えなくなっていた。床を見つめたまま、震えていることしか出来なかった。
この世に完璧な人間なんていない。そのことはアナベルもよく知っている。
ジークハルトとのやり取りを思い出す。西の砦。王城の中庭。客間。そして、王都の外れの小屋。エマニュエルの研究室。
確かに彼は優しく、聖人のようにも思えたが本当にそれだけだっただろうか。アナベルの発言に呆れ、怒ってもいたではないか。どれだけ立派に見えても、ジークハルトだって一人の人間だ。アナベルと同じ普通の人間なのだ。
ジークハルトはきっと母親を愛していた。
愛する母親。それならアナベルにもいる。フラヴィだ。
アナベルはフラヴィのためなら何でも出来る。だが、その逆にフラヴィがアナベルのせいで死んでしまったとしたら、きっと死ぬより辛い思いを味わうことになる。それはきっと、ジークハルトも同じだ。
ジークハルトはもう誰も同じような目に遭わせたくないと、誰かを自分の為に犠牲にしたくないと思っている。そして、その結果、自身が犠牲になってもいいと思ってる。けれど、それはきっと――。
アナベルは顔をあげた。
「話はそれだけですか」
発した自分で想像したより冷たい声が響いた。
「それだけであれば、王城に戻ります。用事を思い出しました。退出してもいいですか」
「ああ、もちろんだ。わざわざ呼び出して悪かったな」
一国の王に対して無礼な物言いだとは自覚している。エドゥアルトはアナベルの態度を咎めない。とても器の広い人だと思った。
アナベルは一礼をする。扉に向かおうとして、思い出したように振り返った。
「そういえば、国王は他人にかけられた魔術を解除できる宝具をお持ちと聞きました。あれは本当ですか?」
エドゥアルトは頷く。
「ああ、持っていたが今はユストゥスに渡してある。まだ王位は私にあるが、実質譲っているようなものだからな」
「分かりました。ありがとうございます」
アナベルが部屋を出ると、廊下にはディートリヒと老紳士が待っていた。扉を閉めたアナベルは、二人に声もかけず早足で来た道も戻る。慌てたようにその後をディートリヒが追ってきた。
「どうしたの、ベルちゃん」
「話が終わったので王城に戻ります。戻ったら再度、あの憎たらしい王太弟に会わせて下さい。どうせ、私がもう一回会いたいと言い出すことぐらい予想してるんじゃないですか、あの人」
中で何を話していたか知らないディートリヒは状況を理解出来ていない。アナベルは正面を睨みつける。
「あの人の企みに乗ってあげます。お望みどおり、この国に『四大』を呼び寄せる方法を教えて差し上げますよ」




