七章:指導者たち③
現国王は現在王城を離れ、王都から少し離れた離宮で療養生活を送っているらしい。
アナベルはディートリヒと共にその離宮へ向かう事となった。ヴィクトリアは留守番だ。曰く、「何かあった時のために王城に残しておきたい」とのことだ。その代わりに護衛の兵士を何人かつけてくれた。
エドゥアルト・J・エーレハイデ。この国の国王。ジークハルトの父親。ユストゥスの異母兄。そして、エマニュエルの夫。直接対面するとなると緊張してくる。
「陛下によろしく言っておいて」
ユーリウスは馬車まで見送りに来てくれた。
アナベルはディートリヒの手を借りて馬車に乗り込む。馬車に乗り込むのは二人だけだ。護衛は馬に乗って、馬車を囲うようだ。
「あなたは来ないんですね」
「うん。僕が王城を離れるとなったら、それなりの警備が必要だからね」
アナベルは首を傾げる。
――そういえば、この男の正体を聞くのを忘れていた。
王家分家の人間のことを従弟と呼んだ。ディートリヒが「殿下」と呼んでいた。間違いなく、王族に類する人間なのだろうが、彼の存在を今までアナベルは誰にも聞いていない。
「結局、あなたは何者なんですか?」
そう訊ねると「そういえばちゃんと名乗ってなかったね」と彼は笑う。
馬車の扉が閉まる。
「この国では貴族はミドルネームをつける風習があるんだけど、基本的に父親の名前を継承しているんだ。ジークハルトの『E』はエドゥアルト。ディートリヒの『M』はメルヒオールから来てる」
「はあ」
確かに二人のミドルネームのイニシャルは彼らの父親と同じものだ。しかし、彼が言いたいことが分からず、アナベルは間の抜けた返事を返してしまう。
「『ユーリウス』はね、先代の国王の名前だよ。だから、兄上と僕はミドルネームがJなんだ」
「――は?」
理解が追いつかなかった。
今、さらりととんでもないことをこの男は口にしなかったか。
彼は笑顔のまま、改めて自己紹介をした。
「僕の名前はユストゥス・J・エーレハイデ。今まで、たくさん意地悪をしてごめんね」
彼はそう言うと、「出発しろ」と御者台の兵士に命令をする。兵士は命令どおりに馬を走らせ始める。
絶句したまま、アナベルは文句をつける間もなかった。馬車は走り出し、王太弟の姿はどんどん遠くなる。
「はあああああああああああああああああ!?」
アナベルが絶叫したときには、とっくにユーリウス――もとい、ユストゥスの姿は見えなくなっていた。
◆
「いったい、どういうことですか!」
「うん。矛先はこっち向くよね」
アナベルはディートリヒの胸倉を掴んでいた。
「ベルちゃん、危ないから一度座った方がいいよ」
半分腰を上げ、身を乗り出していたアナベルをディートリヒは座席に座らせる。アナベルも渋々彼の服から手を放した。ディートリヒは胸元を直しながら答える。
「さっき、彼――ユストゥス殿下がおっしゃったとおりだよ。あの人が本当の王太弟殿下。魔術機関に魔術師派遣要請をした張本人だよ。話してておかしいと思わなかった? 全部、あの人自身が仕組んだみたいな言い方だったでしょ?」
おかしいとは――思わなかった。
アナベルにはそこを疑問に思うような余裕はなかった。それ以上に様々な情報を与えられ、動揺していたのだ。
ディートリヒは「ベルちゃんってけっこううっかりしてるね」と苦笑する。
「じゃあ、こないだの――謁見の間で会ったあの男の人は誰なんですか!」
「この国の宰相。俺の親父だよ」
宰相の名前は以前、ヴィクトリアが口にしていた。確かに宰相ともアナベルは対面していない。官僚には会ったが、彼は小太りな中年男性で内務長官と名乗っていた。
「ベルちゃんも俺に似てるって言ってただろ? そりゃあ、似ているよ。親子なんだもん」
「で、でも! あの男すごく若いじゃないですか! とても王子の叔父には――」
「うん。だから、ユストゥス殿下の母親は、国王陛下と俺のお袋とは違うんだよ。ユストゥス殿下の母上は後妻なんだ。最初の王妃殿下が亡くなられた後に娶った、親子ぐらい年の離れた奥さん。確か、何歳か陛下より若いんじゃなかったかな? その人が産んだから、陛下たちとユストゥス殿下も親子ほど年が離れてる。ユストゥス殿下は今、二十五歳。ジークとは五つしか歳が違わないよ」
そんなの初耳だ。しかし、確かにユーリウスがユストゥスと考えれば腑に落ちる点もある。
「何で説明してくれなかったんですか!」
「口止めされてたからだよ。ジークとヴィクトリア以外は全員、ユストゥス殿下の命令でベルちゃんに色んなことを秘密にするように言われてたんだ」
アナベルはディートリヒを睨みつける。
「あなた、王子の部下じゃないんですか」
「そうだよ。でも、俺はユストゥス殿下に逆らえないから」
「何ですか。弱みでも握られてるんですか?」
「そういうわけじゃないけどね。――怖いでしょ、あの人」
途端に黙り込み、何も言わなくなったアナベルにディートリヒは苦笑する。
「ユストゥス殿下を見てると、きっと、あの人は誰かの上に立つために生まれてきたんだと思うんだ。ジークもだね。人を惹きつける強さがある。俺は身の程を弁えて、大人しく従うだけだよ」
「……それって、楽しいんですか?」
人の言いなりになるなんてアナベルにはまっぴらごめんだ。ディートリヒの考え方は賛同できない。
「さあ、どうなんだろう。俺は他の生き方を知らないから。楽しいとかそういうのは考えたことないかな」
ディートリヒはどこか自嘲めいた笑みを浮かべている。
「これは俺の我儘なんだけど、ベルちゃんにはずっとベルちゃんらしくいて欲しいな」
「……何でですか」
「君のことが眩しくて、ちょっと羨ましいからさ」
アナベルは目を瞠る。ディートリヒは肩をすくめると、街並みに視線を向けた。アナベルはそれ以上何も言う言葉が思い浮かばず、二人は黙ったまま馬車に揺られていた。
三十分程馬車に揺られ──到着したのは雅な雰囲気のある宮殿だ。
建国当時に作られ、防衛機能のあった王城と違い、離宮は周囲を高い塀で囲っているだけだ。周囲に兵士の姿は多いが、ここが元々戦争に向いた建物じゃないことはよく分かる。
「こちらへどうぞ」
出迎えてくれた老紳士に案内され、アナベルは離宮の奥へと進んでいく。
その途中、廊下に大きな肖像画が飾られているのに気づき、思わずアナベルは足を止めた。肖像画に描かれているのは若い女性だった。なんとなく、それが誰だかアナベルにも想像がついた。
「エマニュエル王妃殿下の肖像画です」
老紳士は想像通りの説明をしてくれた。
――なるほど。彼女が先代シルフィードなのか。
絵にはなるが、エマニュエルの顔を見るのはこれがはじめてだ。
銀髪の大人しそうな女性だった。服装は王妃らしく立派なものだが、華美過ぎず、本人の控えめな性格を反映しているかのようだった。
アナベルは複雑な心境で暫く肖像画を見つめていたが、無理やり視線を外すと、また歩き出した。
二階の奥。幾つも並ぶ中でも特に立派な扉の前で老紳士は足を止めた。
「陛下は二人きりでお話をしたいとのことです」
「へ!?」
彼はそう言うと、扉をノックし「調査員殿をお連れしました」と中に声をかける。
扉越しに「入れ」という許可する声が聞こえ、老紳士は扉を開けた。どうぞ、とでもいうように中を指し示される。ディートリヒに視線を向けると、「いってらっしゃい」と笑顔で言われた。仕方なく、アナベルは「失礼します」と一言口にし、一人で扉をくぐる。
そこは、アナベルに与えられた客室よりも更に広い部屋だった。
しかし、家具は最低限しか置かれていないから、妙に殺風景に感じる。部屋の奥には天蓋付きの寝台があり、その周囲にはいくつもの花が飾られている。
寝台の上で枕を背もたれに座っているのは一人の男だった。
歳は五十歳過ぎ――のはずだが、病魔に冒されているためだろうが、それより更に年老いて見える。金髪碧眼の、王子によく似た整った風貌をしている。きっと、王子も歳をとったらこうなるのだろうという未来予想図のようだ。
「わざわざ足を運んでもらってすまないな。もうすぐ西方に戻ると聞いた。その前に一度話しておきたいと思っていたんだ。本来であれば私が城に赴くべきなのだが、この通り、歩き回ることもままならない身だ。許してくれ」
響く声も低くはあるが、やはり王子によく似ている。しかし、長く生きている経験によるものなのか、声音から重厚感を感じる。
「お会いできて大変光栄に存じます。私は魔術機関より参りましたベルと申します」
「ベル? それは本名か?」
鋭い指摘に思わず、アナベルは息を呑む。
本名出ないことは事実だが、それを指摘されたのははじめてだ。国王はアナベルの反応で確信を得たらしい。「偽名か」と呟く。
「……ご容赦ください。魔術機関より、本名を明かすなと厳命を受けてます」
「事情があるのはお互い様というわけか。まあ、いい。用件は別だ」
どうやら、国王は非常に直感に優れた人物らしい。アナベルも必要以上に腹を探られたくはない。彼が追及してこないことに安堵する。
「お前のことはユストゥスから聞いている。愚弟が酷く迷惑をかけたようだ」
「いえ、そのようなことは」
アナベルが否定すると、エドゥアルトは王子より深い海のような瞳でこちらを見つめる。
「断っておくと、私に嘘は通用しない。脅すわけではないが、思ってることは正直に喋った方がいい」
国王は想像以上に直感が優れた人物らしい。
さすがのアナベルもまだ、国王に対しては慇懃に振舞う必要があると思っている。しかし、嘘は通用しないと言われてしまった以上、アナベルの上辺だけの態度など見抜かれてしまうだろう。
国王の「正直に喋った方が良い」というのが「取り繕う必要はない」という意味だと解釈したアナベルは猫を被ることをやめた。
「あなたの弟さん、とんだクソ野郎ですね。どういう教育を施したらあんなのになるんですか?」
アナベルの発言に国王は一度目を瞠り、それから愉快そうに笑いだす。
こうも正面切って笑われる経験はほとんどない。しかし、笑い方に悪意は感じないため、不快には感じなかった。
「見た目通りの礼儀正しい娘かと思えば、本性はそれか。まったく、エマといい魔術師というのは想像を超えてくるから面白い」
「人を見た目で判断してはいけないんですよ」
「その通りだな。失礼した」
子供と同じくらい――いや、王子はアナベルより年上に見えるので、それより年下か――の小娘が叩く偉そうな発言にもエドゥアルトは気分を害した様子はない。
「教育に問題があったことは認めよう。アイツの母親、テレージアは権力と地位に目がない女でな。王妃になっただけでは飽き足らず、我が子を王にしようと企んだ。結果、ユストゥスは望んでもいないのに、王になることを望まれて育ったんだ」
「……どこにでも自分勝手な親はいるものですね」
「本来であれば、私がどうにかするべきだったかもしれないが、テレージアとはあまり相性が良くなくてな。最初アイツは私に言い寄ってきてたんだ。それが全く相手にされないと分かったら今度は父上を誑かした。父上の死後はまた、私に取り入ろうと色目を使ってくる。相手にするのが面倒で、彼女とは関わらないようにしてたんだ。結果、私はユストゥスに兄らしいことは何一つ出来なかった」
エドゥアルトはどこかそのことを後悔しているように見える。
「きちんとアイツと向き合うようになったのは、ユストゥスが王太弟になってからだ。いずれ私の立場を継いでもらう相手だ。様々な話をするようになったが、アイツは王の立場がどういうものか弁えている。私以上に良い王になるだろう」
王はそこまで言って、アナベルの苦々しい表情に気づく。
「これはお前に言う事ではなかったな」
「……いえ、まあ、王様には向いていると思いますよ。甥っ子さんのために他人を犠牲にしてもいいと思って行動する辺り、決断力はありますよね」
その能力の片鱗を今日、アナベルは見た気がする。
国王はアナベルの言葉に「犠牲か」と、天井を見上げながら呟いた。
「私は今まで後悔らしい後悔をほとんどしたことがない」




